あいうえお 作文 南無 妙法 蓮華 経。 2.信行学

2.信行学

あいうえお 作文 南無 妙法 蓮華 経

日本の僧侶が教えてくれたものです。 ひとりが小さな太鼓をたたいて、日本語で「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経」と唱えます。 そのあと2分問黙想してから、ヒンディー語でヒンドゥー教の朝の祈りを合唱します。 『本書』30頁より 1933 63歳。 その中を私達一家は奇跡の生還を果した。 何故生きられたのか。 それは自然の恵みと生きる知恵にあった。 人はいかなる困難の中でも生きられるのです。 この世の中で人の命ほど尊いものは無いのです。 送料別で、実費2500円 1年分 です。 イスラエル道場の堀越行清上人はじめ日本山妙法寺についての記述がこの本の中にあります。 一般書店でお求めになれます。 『宝塔湧現』の最後の頁にあります「お師匠様のお言葉」を紹介させていただきます。 「平和の本源、それはどう探しましてもお釈迦様以外に、そのお方はないでしょう。 お釈迦様を人の心に復活させます。 世を救うために、我々は一切の暴力から離れて、 仏教の教え、世を救う教えを、 世界の人に聴かせねばなりません。 見せねばなりません。 それがお佛舎利塔建立の意義であります」。 是非ご活用をお願いいたします。 ご連絡していただければ、部数にかかわらずお送り申し上げます。 あわせて、新たなご購読者のご紹介を心よりお願い申し上げます。

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疫病は愚癡より起こる

あいうえお 作文 南無 妙法 蓮華 経

日本の僧侶が教えてくれたものです。 ひとりが小さな太鼓をたたいて、日本語で「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経」と唱えます。 そのあと2分問黙想してから、ヒンディー語でヒンドゥー教の朝の祈りを合唱します。 『本書』30頁より 1933 63歳。 その中を私達一家は奇跡の生還を果した。 何故生きられたのか。 それは自然の恵みと生きる知恵にあった。 人はいかなる困難の中でも生きられるのです。 この世の中で人の命ほど尊いものは無いのです。 送料別で、実費2500円 1年分 です。 イスラエル道場の堀越行清上人はじめ日本山妙法寺についての記述がこの本の中にあります。 一般書店でお求めになれます。 『宝塔湧現』の最後の頁にあります「お師匠様のお言葉」を紹介させていただきます。 「平和の本源、それはどう探しましてもお釈迦様以外に、そのお方はないでしょう。 お釈迦様を人の心に復活させます。 世を救うために、我々は一切の暴力から離れて、 仏教の教え、世を救う教えを、 世界の人に聴かせねばなりません。 見せねばなりません。 それがお佛舎利塔建立の意義であります」。 是非ご活用をお願いいたします。 ご連絡していただければ、部数にかかわらずお送り申し上げます。 あわせて、新たなご購読者のご紹介を心よりお願い申し上げます。

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あいうえお 作文 南無 妙法 蓮華 経

最初に、どうして《一緒に唱えるな》と言われているのか、実際の法華経の文証により検証していきましょう。 これは方便品第二に、《不須復説》と言う言葉があるからです。 漢文のままだと、何が書いてあるのか判らないでしょうから現代文に直してみましょう。 お釈迦様は、無量義三昧から起きられると、知恵第一の舎利弗様にこうおっしゃいました。 「多くの仏様がいらっしゃいますが、その知恵は深く広いものです。 どのような学者も、また悟りを開いたと言う人でさえも、その知恵をうかがい知る事など出来ないのです。 どうしてかと言いますと、 《仏》とは百千万億と言う限りない数の仏様方に習い、仏様の修行を重ね、 勇猛精進して、その名をあげ、限りない数の法の成就を成し遂げてきた者なのです。 このため、その時々の状況に応じて説く教えの真の意味は簡単には分からないのです。 舎利弗よ。 わたしも今まで、人々の状態に応じて、数々の因縁や比喩を以て仮の教えを示し、 人々を導いてきました。 仮の教えと言っても、そこに全て奥義が入っているのですよ。 舎利弗よ。 わたしは、これほどの法を学び、それらの法を成就してきたのです。 舎利弗よ。 わたしは人々の機根に合わせ、人々の求める所に合わせ、それらを説いていたのです。 でも、本当の奥義は、ただ仏から、仏にのみに与えられる法なのです。 全ての教えには、その、見た目や、性質や、体もあり、力も、作用も、原因も、縁も、結果も、報いも・・・・・・全てのものが備わっていますが、人の境地を、ある場所から次の所に導く・・・・・その最初の境地と、目的の境地との間で、その全てが働いてしまうのです。 仏から仏に与えられる法は、そこには入りようがありません。 だから舎利弗よ、今までの教えは仮の教えとして、それを絶対の法であるとしてはならないのです。 」 このままだと、まだ意味が分かりづらいと思いますので、少し解説を加えますと、 法華経では、人の境地を10の段階に分類します。 地獄界、餓鬼界、畜生界、修羅界、人界、天界、声聞界、縁覚界、菩薩界、仏界の十段階です。 さて、人はいろいろな外部の状況によって、この十界のいろいろな段階をめぐります。 この外部からの刺激を《諸法》と呼びます。 たとえば、《何々するな》と言う法があります。 この言葉を聞くと、大抵の人はこの言葉を守る状況と破る状況の二者択一をすることとなります。 この言葉を守る状況は十界で言えば修羅界、この言葉を守らない状況は三悪道となります。 つまり、破っても、守ってもこの法は三悪道と修羅界に人の境地を固定する法となるのです。 この様にすべての法は、十界の異なる二つの境地を結ぶと言う働きを持つのですが、 方便品では、仏界と、他の境地を結ぶ法は存在出来ないと言っているのです。 だから、人の縁により説いたすべての法を一旦置きなさいと語っているのです。 これは仏界と言う一つの境地に対して語られている言葉であり、 《何々すれば仏界に至る》と言う事は何一つないのです。 たとえば、御本尊に南無妙法蓮華経と唱えれば仏界に至るのならば、 今の世は仏世となり、金剛不壊となっていなければおかしいですよね。 でも、実際にはそのようにはなっていない。 これは、法華経を諸法の一つのごとく考えるから意味が分からなくなっているのです。 次に般若心経をみてみましょう。 般若心とは、智慧と言う意味です。 そして、この般若心は六波羅蜜の第一となっています。 六波羅蜜とは、天界・人界と菩薩界を結ぶ法を意味し、その中の最上のものを般若心としているのです。 そして、法華経には《説妙法蓮華経。 教菩薩法。 仏所護念。 》の文字があります。 つまり、この言葉を、《法華経を習う為には、まず菩薩となるべし》と解けば、 先に、般若心経を読み、後に法華経を読むと言う教えが出てきます。 まとめれば、仏界と言う一つの境地に至るためには、般若心に囚われてはならない。 しかし、修行の途中で菩薩界にまず至ることを目的とするならば、これは有効となります。 法華経では、これを《一切法即空》と説きます。 善い、悪いの判断の外にあることと言う意味です。 つまり、良いと言うのも間違いならば、悪いと言うのも間違いなのです。 これは、あなた自身の状況にかかわってきます。 あなたにとって、どちらが善法として働くのか見極めなくてはなりません。 禁止した方があなたがよくなるならば、これは禁止すべきです。 逆に、勧めた方があなたにとって善法として働くならば、推奨すべきなのです。 この人の状況により法を選ぶ境地が仏界なのです。 人の心の状態も観ずに、闇雲に勧めるのも、禁止するのも正しい事ではありません。 私は、妙法蓮華経を勉強させて頂いている者です。 以前私も、あなたと同じ疑問を持った事がありました。 まず、法華経が、諸経の中で1番優れているという事は、法華三部経の中の無量義経 説法品第二の中で説かれているとおり、「四十余年 未顕真実」と、お釈迦様が、おっしゃるように、お釈迦様が三十歳で悟りを開かれてから(成道)、四十余年には、いまだ真実を顕さず という事でこれから、お話になる、法華経二十八品が、真実の教えである事がわかります。 「而於此経中 法華最第一 」(而もこの経の中において、法華最も第一なり 妙法蓮華経 法師品 第十より)にも説かれています。 そして、末法の法華経の行者 日蓮大聖人の御遺文である昭和定本の中の兄弟鈔には、「四十余年の経々を捨てて法華経に入らざらん人々は、第一の不幸なるべし 法華経をそしらずとも、うつり付ざらむ人々の不幸の失 疑いなかるべし」とあります。 法華経一本にして、南無妙法蓮華経と唱えて皆で佛になりましょう。 いつも、法華経を頼りとして下さい。 (心の中で、お釈迦様や日蓮大聖人に不安なときは、お尋ねしてみるのもいいですよ) 南無妙法蓮華経は日蓮大聖人が鎌倉時代にはじめて唱えだされました。 立宗の理由は、当時流行していた阿弥陀仏信仰の疑問。 極楽往生すると説くのに信仰者の臨終が色黒く悪相…。 もうひとつは真言密教で祈祷した天皇が承久の乱で島流し たしか、平清盛も真言祈祷後に熱病にかかり平家滅亡。 それで大聖人が20年かけて何千何百ものお経や論文、訳書を全て調べわかった事が末法 釈迦滅後二千年以降の時代 には南無妙法蓮華経のみが利益ある仏法で他の仏教は力を失うどころか毒に変わる事を悟られました。 理由は釈迦滅後二千以降に生まれてくる人間は、怒りや欲や理性の弱い動物的性質が強くなり、世界戦争にまで及ぶ 世も末になるから末法という。 末法の人間は病気で喩えると重症で、釈迦仏法では効かない…。 釈迦仏は未来を見据えて、法華経の中で末法の大衆救済の仏法と、その法を弘める者を予言します。 その法が南無妙法蓮華経であり、人が日蓮大聖人です。 なので、唱えるならば他の仏教やお経は用いず南無妙法蓮華経のみを唱えるべきです。 ちなみに僕の家は熱心に長年真言を信仰し、結果は家庭崩壊に多病、不和、霊現象と最悪でした。 質問者の方は日蓮宗、日蓮正宗、創価学会等日蓮系のどれかに属してる方なんでしょうね。 他の人の回答も見させていただいて、色んな回答があるもんだなぁと思いました。 質問者を思っての回答。 重複した宗教は自分を苦しめる・・・といった回答。 または、凝り固まった宗教的な回答などなどww では、ちょっと違う角度からこの「南無妙法蓮華経」と「般若心経」を見てみたらどうでしょうか・・・・ 南無妙法蓮華経=日蓮宗、日蓮正宗、創価学会等日蓮系 般若心経=天台宗、真言宗、禅宗系等々。 このように分類したとします。 女性は嫁に行きますよね。 で、実家が日蓮宗だとします。 そして嫁いだ先が天台宗だとします。 こんなケースは多々あると思います。 当然嫁にいけば嫁ぎ先のお経、般若心経を唱えます。 実家のお墓に行けば南無妙法蓮華経を唱えるのは当然だと思います。 質問者さんの「良くない」の意味がわからないのですが、でもお経を唱えるのに「悪い」なんてことないと思います。 四国八十八箇所巡り・・・弘法大師の足跡を辿る巡業ですが、お経は般若心経です。 では、四国八十八箇所巡りをされてる方全てが天台宗、真言宗でしょうか?私は日蓮宗ですが、巡業にも行きます。 そして南無妙法蓮華経で先祖を大事に思う気持ち、弔う。 般若心経で自分を戒め、精進させる。 私は、そうしています。 これが、浄土宗、浄土真宗が絡んでも一緒と思います。 そもそも、日本の文化が生んだ様々な宗教・・・元々1つのものが分裂したものが多いですね。 この分裂には利権が絡んだものも多々あります。 それぞれに正当化されてるけれどね。 利権以外にも弟子たちの考えの違い、捕らえ方の違いから分裂したものもたくさんあります。 今の時代で、これがよかったこととか議論しても仕方ないと思います。 問題はお経を唱える者の気持ちであり、その気持ち為のお経・宗教であると思うのです。 これが「間違い」「よくない」と思う人は、私は宗教に、またはお経に携わる資格がないと思いますよ。 釈尊の唱えた一切経を全て文底から 仏の意を正確に汲み取って すべて理解する行 修行 は今の様な騒がしい時代背景 末法時代 では、不可能に近いでしょう。 また理に適っておりません つまり無意味。 釈尊は法華経の中で、自身が入滅して後、1000年ごとに区切り、正法時代、像法時代、と名付け、その後を末法時代として、末法に入ると自身の劫力 くりき は効力を失うと述べられております。 そして、「しかし心配する事は無いと」、本仏の出現と、地涌の菩薩の出現を御予言成され、宝塔品の中で、法華経の付属 誓託 をなさっております。 つまり末法によりて本仏は世代交代する事を明言されておるのです。 ここで一切経の中での法華経の位置付けですが、法華経は大学院 もしくは大学 でありその他全ての経は、幼稚園から、高校までの経と言えるでしょう。 法華経以外の経は釈尊が弟子たちの個々成仏を願い、個々の気根に応じて説く法なので、仮の法 権経 其の前の経 爾前経 と等と呼びます。 釈尊が何故、様様な方便を駆使してまで、その様な法を説いたか、それは、衆生を須く成仏に導く、眼目たる、法 妙法蓮華経 に到達させる為だったのです。 ですから般若心経は、成仏した、仏身を、一応に表現した経に過ぎない。 と捉えて間違いは無いでしょう。 妙法蓮華経は、成仏、其の物の経と捉えるべきです。 末法時代において成仏の法を得度するのは、創価学会に入会するのが一番近道です。 本仏である大聖人の血脈を正統に受け継いでいるのは、創価学会だけです。 質問の答えを言いますと末法の世において般若心経を唱える事は、全くの無意味であり、一切功徳はありません。 それどころか、正法誹謗の罪業を積む形になり。 余計な苦労を積み重ねるだけなので、わざわざ苦労する道を歩むのは、お勧め出来ません。 私は全然違うものだと思います。 仏教約3000経典は、殆どが編纂された時期、作者等正確に分かりません。 それというのも世界最古と言われるヒンドゥ教の教えの中に、何時誰が創ったかは関係ない、その経典が在ることのみが大切であるというものがあります。 ですから、作者も名のりなどしない。 ただ無量義という経典の中に、今までは準備の出来てない人の為の方便の教えだった、今から真実の妙法蓮華経(真っ黒な泥の中でも真っ白な花を咲かせる蓮の花に例えて、どんな悪世でも変わらない究極の真理という意味)を語るとあります。 それで考えるなら、般若心経は、心を落ち着かせるものであり、究極の真理とは違うものです。 南無妙法蓮華経は、南無はインド語のナームで、身命をかけて信じるという意味があり、ですから、妙法蓮華経を身命をかけて信じるという意味ですが、例えば法華経で有名な日蓮は、生命の極理を一念三千といい、妙法蓮華経は、理の一念三千で、末法(今の世のこと)では、様々な思い込みが植えつけられ、理では抜け出せないといい、曼荼羅といわれる御本仏を一心に信じ、妙法蓮華経の唱題行を実践することで、宇宙法界と合致するといいます。 これを事の一念三千といいます。 終わりそうも無いので終わりますが、般若心経と南無妙法蓮華経は、全然違うと思います。 」つまり、全てのものに仏生があるので、 三宝に帰依してしっかり修行をして仏性を磨いて今世を生ききれば、必ず来世、来来世あるいは未来世で菩薩になれる。 という教えですね。 言い換えれば、「2.来世でなく今を正しくきちんと生きましょう。 」ですね。 だから、2点でほぼ正しいのですが、菩薩への修行には、釈迦如来が実践したように、衆生伝道も含まれるのですね。 これは菩薩が立てる四弘請願で明らかですね。 簡単に言えば己を磨き、衆生を助ける「上求菩提下化衆生」ですね。 鎌倉期以降は「上求菩提下化衆生」が「上求菩提」と「下化衆生」型宗教に分かれてなにやらわからなくなってしまってますが、 1.生きとし生けるものは全て仏の心がある。 2.来世でなく今を正しくきちんと生きましょう。 3.学んだ教えを広めましょう。 の3点が本来的な主題ですね。 仏教では正しく物事を観る、判断することを「正見」といいますがこれは「正信」つまり、正しい信仰を持つことと同じ意味ですね。 仏教では釈迦如来に帰依することが「正信」ですから、本尊は釈迦如来以外にはないですね。 釈迦如来を役割の違いで阿弥陀仏や大日如来と言い換えているだけですね。 表現方法は寛容ですね。 ということで仏教においては、弟子やお経は本尊には決してなりませんね。 」つまり、全てのものに仏生があるので、 三宝に帰依してしっかり修行をして仏性を磨いて今世を生ききれば、必ず来世、来来世あるいは未来世で菩薩になれる。 という教えですね。 言い換えれば、「2.来世でなく今を正しくきちんと生きましょう。 」ですね。 だから、2点でほぼ正しいのですが、菩薩への修行には、釈迦... Q 主人の実家が立正佼成会を信仰しております関係でお寺 さんと縁が切れてしまいました。 両家を祀るので私の親の位牌も入れてますが、全部自分達でお経から法事もするのですが、別居ですし信仰宗教自体に抵抗のあった私は一切活動をしてない状態です。 細木数子さんによると、嫁の実家の位牌も仏壇も持ち込んではいけないとありますが本当でしょうか? 般若心経がいいと聞きましたので、そのつもりでおりましたが 法華経の如来寿量品 第十六 が、最大の功徳の品とされているそうで、唱題の 南無妙法蓮華経 81画 厄を払い吉を積むと考えられているそうですが、実際の所 どちらがいいのか迷っております。 こじつけてしまえば般若心経はご先祖のために、法華経は 自身のためにいいような気が致します。 今の所どの宗派も関係ない自分だけの信仰ですので、いっそ両方唱えてもいいでしょうか? 今の所立正佼成会の総戒名が入っているだけでご本尊様が ありません。 細木さんによると、仏壇には宗派は関係ないらしく、観音 様がいいという事ですが本当でしょうか? 私としましては、全宗派のご本尊さまがいらっっしゃる 曼荼羅がいいのではと思ったりしております。 市販のお経を吹き込んだテ-プ等がありますが、それを 流して練習しながらでも効果がありますでしょうか? 全くの無知で笑われるかもしれませんが、何とか自分なりに先祖供養がしたいと思っております。 仏さまに作法上失礼になりますでしょうか? 教えてください。 宜しくお願いいたします。 主人の実家が立正佼成会を信仰しております関係でお寺 さんと縁が切れてしまいました。 両家を祀るので私の親の位牌も入れてますが、全部自分達でお経から法事もするのですが、別居ですし信仰宗教自体に抵抗のあった私は一切活動をしてない状態です。 細木数子さんによると、嫁の実家の位牌も仏壇も持ち込んではいけないとありますが本当でしょうか? 般若心経がいいと聞きましたので、そのつもりでおりましたが 法華経の如来寿量品 第十六 が、最大の功徳の品とされているそうで、唱題の 南無妙法... A ベストアンサー 曹洞宗の僧侶です。 お経を読むこと自体に功徳があるのですが、それは最初から「何々向けの」と決まっているわけではありません。 お経を読んだ者が、先祖の菩提が円満であるようにと「回向」(振り向ける)ことによって、お経の功徳が先祖供養に向けられることになります。 ですから、般若心経でも法華経でもどちらでもかまいません。 両方読んでもかまいません。 細木数子さんは、ある仏壇店とタイアップして相談者に仏壇を売る商売をされているので、その商売に都合の良いことを話されているようです。 細木さんが言うところのお墓や仏壇、位牌などに関するタブーには、なんらの根拠もありませんし、実際にそのようなことはありません。 ご本尊様さまについては、momochan0407さんがもう少しご自身の信仰を深められてから、その信仰に即したご本尊さまをお迎えされることをお勧めします。 曼荼羅には確かに数多くの仏様が描かれていますが、それが即「全宗派のご本尊さまがいらっしゃる」ということにはなりませんので、注意が必要かと思います。 お経を読むことは、それ自体がすでに功徳ですので、効果がある・ないという事とは無関係です。 曹洞宗の僧侶です。 お経を読むこと自体に功徳があるのですが、それは最初から「何々向けの」と決まっているわけではありません。 お経を読んだ者が、先祖の菩提が円満であるようにと「回向」(振り向ける)ことによって、お経の功徳が先祖供養に向けられることになります。 ですから、般若心経でも法華経でもどちらでもかまいません。 両方読んでもかまいません。 細木数子さんは、... A ベストアンサー 創価学会 壮年部の者です。 ただし、邪悪な願いは叶いません。 また、他人の不幸を願えば、返って自分自身に災いが降ってくるでしょう。 しかし、日蓮大聖人は「ただの一遍でも唱える事でも、大きな功徳がある。 」と仰っています。 それを沢山唱えれば、計り知れない功徳となるでしょう。 また、日蓮が現したものだから、『日蓮宗』も一緒だと言われる方がおりますが、『日蓮宗』に伝わるものは日蓮大聖人よりの相続を受けておりませんので、同じ『南無妙法蓮華経』だったとしても全く粗法であり功徳はありません。 全国には沢山の日蓮宗の寺院がありますが、そこに帰依しても何の功徳も得る事はできません。 では、『日蓮正宗なら良いのか』という事になりますが、日蓮正宗、法華講、妙観講等の信心でも功徳はありません。 細かくなり申し訳御座いませんが、同じ『南無妙法蓮華経』を唱えたとしても、唱えていく題目からして違うのですから、功徳があることはないでしょう。 今、日蓮大聖人の信心というものは、創価学会にしか流れていないのです。 ここが大事な点です。 創価学会 壮年部の者です。 ただし、邪悪な願いは叶いません。 また、他人の不幸を願えば、返って自分自身に災いが降ってくるでしょう。 しかし、日蓮大聖人は「ただの一遍でも唱える事でも、大きな功徳がある。 」と仰っています。 それを沢山唱えれば、計り知れない功徳となるでしょう。 A ベストアンサー 真理はシンプルです。 真理を理解するのに、万巻の聖典は不要です。 よって、 間違いなく、 軍配は、 般若心経にあがります。 分厚い聖典を広げて、 おれはこんなに理解してるんだぞ~ おれは聖典を知らないやつより、 一段高い所にいるんだぞ~ などと、思ってる輩は、偽者です。 分厚い聖典が必要と思っていたら、 釈尊自身が、それを書かれているはずです。 釈尊自身は何も書き表していません。 膨大な言葉の羅列は、 真理を歪め、 人心を惑わす。 そのことを、 釈尊は理解されていたのでしょう。 以上 Q 婚約した途端、彼に家族全員創価学会だと告げられました。 隠されていた事がかなりショックでしたし、私は創価学会についてよく知りません。 でも、結婚するなら入信するよう、彼の家族は言っています。 私がショックで、彼が脱会してくれなければ、結婚をやめるというと、しょうがないね、と言われました。 彼は熱心な学会員ではないらしいのに、です。 私の家族は浄土真宗(一応)ですが、彼が創価学会ということについても何も反対していません。 ただ、友人知人が、もし私が入会するなら、私とはもうつき合えない、と言います。 人に聞いてみても、創価学会に対して良い感情を持つ人はいないようです。 私自身、学会には色々矛盾を感じています。 でも、彼にそこを聞いても、世間の間違った思い込みだと言われます。 私は仏教には関心があるのですが、創価学会も仏教なんですよね? それなのに、私には学会員が何を信仰して、何を目的としているのか さっぱりわかりません。 学会員に聞いても、よくわかっていないようなのですが… しかも仏教の教えについて批判さえしています。 それでは、創価学会とは一体なんなのでしょう? そして、どうして非学会員のほとんどが学会を毛嫌いするのでしょう? 学会の方、非学会の方、両方の意見が聞きたいです… 婚約した途端、彼に家族全員創価学会だと告げられました。 隠されていた事がかなりショックでしたし、私は創価学会についてよく知りません。 でも、結婚するなら入信するよう、彼の家族は言っています。 私がショックで、彼が脱会してくれなければ、結婚をやめるというと、しょうがないね、と言われました。 彼は熱心な学会員ではないらしいのに、です。 私の家族は浄土真宗(一応)ですが、彼が創価学会ということについても何も反対していません。 ただ、友人知人が、もし私が入会するなら、私と... A ベストアンサー 困りましたね・・・ 現在私は学会員ではありませんし、過去会員だったこともありません。 そもそもが宗教自体に頼ろうとは思っていないので、将来も恐らく入信しようと思うことはないでしょう。 ただ、過去自分が担当していた仕事上のお付き合いから、中央のかなりの地位の方々や地方組織の然るべき方、また一般の会員の方々に至るまで、様々なお立場の方々を存じ上げておりましたので、投稿させていただきました。 仕事でしたので、かなり冷静に見つめてきたつもりです。 長くなりそうですが、お付き合いください。 創価学会は日蓮正宗各寺の信徒団体 各寺檀家の、寺をまたいだ横のつながり だったものが、異様に大きく膨れたものです。 本来の教義についてはNo. 5様のおっしゃるとおり、オウムのような悪い考えではありません。 どちらかというと、むしろ世界の平和を求めている宗教です と、彼らは言っています。 歴史的にはそもそも「日蓮」自体が排他的だったそうですし、「日蓮正宗 大石寺 」は「日蓮宗 身延山 」と袂を分かち日蓮の教えを正しく受け継いだはずですが、本来、日蓮正宗寺院の檀家であった創価学会は本山 大石寺 のご僧侶とも袂を分かち、もう10年位前に破門になっています 学会の仕切る葬儀には僧侶がいません。 つまり、本来の日蓮正宗からも離れ、特定の個人崇拝になって、ますます排他的・独善的になっているということです。 私は仕事上のお付き合いでしたので、部外者の目で内部のことを見聞きする機会がとても多くありました。 守秘義務がありますので、ここでその一つひとつを例示するわけには参りませんが、特定の個人とその周辺を中心にした組織の仕組みには、私個人としては首肯できないものがありました。 No1様のおっしゃる「巨悪」が真実かどうかは存じませんが、さもありなんと思うところがあるのは確かです。 逆に、日常生活レベルではいいこともあります。 毎日朝晩、正座して背筋を伸ばして腹から声を出してお題目 南無妙法蓮華経 を唱えれば、冬場に風邪を引きにくくなる程度のご利益はあるのではないでしょうか。 まぁこれは冗談です。 学会では地域の会員達の集まり 各地の「会館」で行われるものと、もう少し狭い範囲の「地域の世話役」の自宅で行われるものとがあります が頻繁に行われます。 組織も年齢、性別や職業 学生・主婦含む で複合的になっていますので、複数の会合に出席することもあるようです。 昨今隣近所のお付き合いも減り、また、2世代3世代が一緒に暮らす大家族ではなくなりましたので、年寄りの知恵の伝承もなされず、例えば子育てをするヤングミセスにも苦労が多いと聞きますが、学会の地域での会合に出ることにより、フラストレーションが解消される、例えば子育ての先輩の知恵が伝承される、困った時に助け合える、何よりも同じ価値観を持つ仲間がいるなど、町内会やご近所付き合い的な効果により、彼らはとても明るい生活を送っています。 学会員は、それぞれ「仕事」と「家庭」の他に、地域社会でも熱中できる対象を持っているわけですから、それはそれで幸せなんだろうな、ちょっとうらやましい人生かもしれないな、などとふと思うことがあります。 これを、「だまされている」というのは簡単です。 でも、これが宗教なのです。 創価学会に限らず宗教は皆そうなのですが、信じない人から見れば全く理解できません。 価値の尺度が異なるので、私たちの判断基準と合わないのです。 インチの物差し 学会 とセンチメートルの物差し 一般 ではゼロ以外に一致する個所はありません。 偶然2本の定規の線がそろう所もあります。 そこが一般社会との窓口です。 ですが、ゼロからの長さは同じでもインチとセンチですから、お互いに相手の尺度で測らなければ、やっぱり何だかよくわからないのです。 お香典を全部持っていってしまうのも、インチの世界に入って見れば、地元組織として一種の互助会的に対応していると言い換えることも出来ます。 一般に毛嫌いされるのは、「あなたのため」と、学会の考えを強要するように感じさせるからです。 実は彼ら一般会員は善意なのですが、センチの領域に入ってこようとしないからです。 これは最初に書いた日蓮自体の排他的な歴史の流れと、第二次大戦中の弾圧への反動もありますが、昭和40年代ごろの全国的に行われた強引な折伏 これにより大きな組織になった が、「学会は・・・」という評価を定着させてしまったことが大きいでしょう。 試しにインチの世界に入って見れば 1~2ヶ月一緒に活動して見れば ひょっとすると何か分かるかもしれません。 ただ、No1様ご指摘のような、裏と表までは見分けられないでしょうが・・・ いやなら戻ってこられるうちに戻ってくればいいのですが、おそらくその時は彼とはお別れしなければなりません。 きっと「金縛り」から逃れる時のように、思い切った動きが必要でしょうから・・・。 みんな良い人たちだし、結構楽しいし、このままでいいやと思えば、あなたには新しい世界が開ける代わりに、今のお友達とは縁遠くなる可能性があります。 今の状態のままで結婚なさっても、ご両親が熱心な学会員であればいつかは入信することになるか、さもなければ価値観の相違に耐えられなくなるかのいずれかのような気がします。 困りましたね・・・ 現在私は学会員ではありませんし、過去会員だったこともありません。 そもそもが宗教自体に頼ろうとは思っていないので、将来も恐らく入信しようと思うことはないでしょう。 ただ、過去自分が担当していた仕事上のお付き合いから、中央のかなりの地位の方々や地方組織の然るべき方、また一般の会員の方々に至るまで、様々なお立場の方々を存じ上げておりましたので、投稿させていただきました。 仕事でしたので、かなり冷静に見つめてきたつもりです。 長くなりそうですが、お付き合いくだ...

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