とおりゃんせ 歌詞 意味。 【本当に怖い歌】不気味すぎる!童謡の歌詞に隠された秘密や悲しい曲を紹介 2020年7月

通りゃんせの歌・・・帰りの何が怖い?

とおりゃんせ 歌詞 意味

ちなみに以前、「ゆびきりげんまん」についての記事も投稿しました。 「とおりゃんせ」の歌詞の謎 江戸時代から伝わっているわらべうたの 「とおりゃんせ」。 「御用のないもの 通しゃせぬ」 ということなので、 「この子の七つのお祝いに お札を納めにまいります」 とその用件を伝えて、実際にちゃんと通れているわけで? 「神隠し」 は 「間引き」 の隠語でもあります。 「間引き」とは、もともとは植物の栽培において、苗があまりにも密生しすぎてしまって 全てに充分な栄養が行き渡らないため、 少しのものだけを残してあとの苗を引き抜いてしまうという 「作業」のことを指しています。 って植物ならいいのか?? これを 「子殺し」と言います。 その罪悪感をごまかすために神様の仕業にして 「神隠し」としたんですね。 ちなみに 「口減らし」とは、家族が多すぎると食べていけなくなるので、家計の負担を軽くするためにその人数を抑制しようとする風習のこと。 子供を奉公に出したり養子にやったり、最終手段としては「赤ちゃんや年寄りを捨ててしまう」という 子捨・姥捨にて、養うべき家族の人数を調整します。 上記の通り、 「とおりゃんせ」は 「神隠し」の唄なのだそうです。 だからこその 「行きはよいよい 帰りはこわい」というわけです。 通りゃんせ 通りゃんせ ここは冥府の細道じゃ 鬼人様の細道じゃ ちっと通して 下しゃんせ 贄 にえ のないもの 通しゃせぬ この子の七つの 弔いに 供養を頼みに まいります 行きはよいよい 帰りはこわい こわいながらも 通りゃんせ 通りゃんせ 「この子の七つの お祝いに」とは? なぜ 「七つ」なんでしょう? 昔は 「 七つまでは神のうち」という「 7歳までの子供は神様の子」との考えがあり、「この世」と「あの世」のうちで、どちらかといえば「あの世」の方に属しているものとされてきました。 この考えは2つの側面をもっていて、1つには当時は乳幼児の死亡率が非常に高かったことで、もしも子供を幼くして亡くしたとしても 「神様に愛された子だった」「神様からの預かりものだから」という 慰めとあきらめの意味をもつとするもの。 もう1つが、 7歳までならいつでも 神様にお返しすることができる、つまり 「間引き」= 「子殺し」ができ、それは人殺しなどではなく ただ神様に子供をお返ししただけということを意味しているとするものです。 7歳になるまではまだ人間社会の一員ではなく、あくまでも「神の世界の子」、七つになってはじめて無事に「この世」で 7年を過ごした「人間の世界の子」として人格が認められ、その「我が子」の成長の報告とお礼のために「氏子」として天神さまにお参りに行くというわけです。 この「 7歳まで無事に育ってくれました」という報告と感謝のお祝いが、 七五三の始まりとなったそうです。 ネタバレとして実際のところは 「とおりゃんせ」の舞台は、埼玉県川越市の三芳野 みよしの 神社とされています。 童歌「とおりゃんせ」は当社の参道が舞台といわれる。 当社は川越城築城により天神曲輪に位置することになり「お城の天神さま」と呼ばれた。 城内にあることから一般の参詣ができなくなったのだが、信仰が篤いことから時間を区切って参詣することが認められた。 しかし、この天神さまにお参りするには川越城の南大手門より入り、田郭門を通り、富士見櫓を左手に見、さらに天神門をくぐり、東に向かう小道を進み、三芳野神社に直進する細道をとおってお参りしなければならなかった。 また、一般の参詣客に紛れて密偵が城内に入り込むことをさけるため、帰りの参詣客は警護の者によって厳しく調べられた。 そのことから「行きはよいよい、帰りは怖い……」と川越城内の子女の間で唄われるようになり、それが城下に流れ、武士や僧侶、町人たちによって江戸へ運ばれ、やがて全国へ広まって行ったものである。 wikipedia また、 「とおりゃんせ」が恐ろしい唄とされている 「帰りはこわい」についてですが、実際は 「こわい」は 「恐い」ではなく、北関東以北で用いられる方言で 「疲れた」の意味、だそうです。 そうなると、 「こわいながらも 通りゃんせ 通りゃんせ」は 「疲れたでしょうが、さあお通りなさい」という、いきなりハッピーな展開になってしまいますね。 さて、あなたはどちらを信じますか?

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『とおりゃんせ、とうりゃんせ』のわらべ唄に隠された秘密

とおりゃんせ 歌詞 意味

歌詞の意味 神社の入口の門番と、子供をつれた母親との掛け合いの歌です。 門番 とおりゃんせ とおりゃんせ (通りなさい 通りなさい) 母 ここはどこの ほそみちじゃ (この細い道は どこに行く道でしょうか) 門番 てんじんさまの ほそみちじゃ (天神様が奉られている神社へいくための 細い道です) 母 ちょっと とおしてくだしゃんせ (ちょっと 通して下さいな) 門番 ごようのないもの とおしゃせぬ (用のない人は お通しすることは出来ません) 母 このこのななつの おいわいに おふだをおさめに まいります (この子の7歳のお祝いに お札を納めに行ってくるのです) 門番 いきはよいよい かえりはこわい (行くのは簡単だが、帰り道は暗く危ない) 母 こわいながらも (危なくてもいいのです) 門番 とおりゃんせ とおりゃんせ (通りなさい 通りなさい) 遊び方 じゃんけんをして、負けた二人は鬼役。 鬼は両手をつないで門を作ります。 その中を一列になって他の子供たちが通り抜けていきます。 人数が多い時は、前の人の肩につかまっていくと楽しいものです。 最後の「こわいながらも とおりゃんせ とおりゃんせ~~」で、鬼は手をつないだまま両手をおろし、その中に通り抜けようとしていた子供を捕まえます。 捕まった子は、鬼役を交代です。 捕まらないように走り抜けてみたり、鬼役はそれに合わせて早く歌ってみたり。 遊び方によってはスリル満点になりますよ。 門の中に誰も入らなかった場合は、鬼が手をつないだまま10秒数えた後に、片手をつないだまま子供たちを追いかけて捕まえる(手つなぎ鬼)などの発展形もあるようです。 歌詞に隠された意味 この曲は、実は隠された意味が。

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通りゃんせの2番の歌詞をおしえて!

とおりゃんせ 歌詞 意味

この記事を読むのに必要な時間は約 11 分です。 こんにちは。 昔から伝わるわらべ歌は、意味が分かりにくくて不穏な感じのものが多いですね。 「通りゃんせ」もその1つです。 「行きはよいよい帰りは怖い」が、不気味すぎます。 「なんで? なんで? なんで帰りは怖いの~?」ってなります。 私はおばあちゃんっ子だったので、昔話や伝承をよくおばあちゃんから聞いて育ちました。 おばあちゃんがわらべ歌や懐かしい昔の歌を、よく口ずさんでいたのです。 私が子供の頃は、まだ舗装されていない細いあぜ道が、裏通りにありました。 昔話やわらべ歌は、ゾワッとくる不気味なものが多いですね。 今はそういうのは結構好きなのですが、子供の頃はマジで怖かったです。 ちなみにこの「通りゃんせ」、品詞分解すると、 動詞「通る」の連用形「通り」+助動詞「やんす」の命令形「やんせ」 となります。 「やんす」なんて助動詞あるの?って思いますよね。 今回は、わらべ歌「通りゃんせ」の意味と由来についてお伝えします。 スポンサーリンク 全国各地にある伝承 このわらべ歌ができたのは江戸時代といわれます。 「うちが発祥の地だー!」と名乗りを上げている場所は、実は全国に何か所もあって、特定できないのだそうですよ。 また歌詞の解釈も何通りもあります。 ちなみに、よくわらべ歌の都市伝説で出てくる、この2つの説もささやかれます。 おばあちゃんちの近くに、あまり人の来ない小さな神社があったのです。 神社の鳥居や御神木は、夜、見ると怖いんですよ。 でも、このわらべ歌には 「天神様」という言葉が、はっきり使われていますね。 とすると、やっぱり、 七五三の7歳のお祝いに、天神参りに行った歌と考えるのが自然だと思います。 江戸時代は乳幼児死亡率が高かったので、子供は 「7歳までは神のうち」といわれていました。 7歳というのが、節目の年だったようです。 その土地の氏神様の氏子にしてもらえる(戸籍みたいなもの)のが7歳からでした。 それまでは、いつ病気などで亡くなるかわからないと思われていたんですね。 「亡くなる=神に召される(神の子)」ですよ。 七五三の天神参り 今のところ、諸説ある中で、もっとも有力といわれる発祥地がこちらです。 江戸の町で、当時から有名だった「国府津の天神さん」と呼ばれる神社がありました。 それが、この菅原神社です。 そして、そのそばに控える関所が 箱根の関所で、この歌詞はその関所を通るときのことを指しているという説です。 (「七つのお祝い」に限ったものでなく、一般的な旅人の事情とひっかけています。 そして、あくまで有力な一説です。 ) 当時の関所の審問は、信じられないぐらい厳しかったそうなのです。 親の臨終など急な場合に限り、「行き」は手形がなくても嘆願しまくったら許される場合がありました。 でも、「帰り」は、いかなる事情があっても、絶対に絶対に許されなかったそうです。 そして、「手形」なしで、こっそり通ったものは、見つかれば「極刑」でした。 それが、 「行きはよいよい 帰りはこわい」の原型になったのではないかと推測されています。 【参考: 】 三大怨霊・菅原道真 なぜ、これほど「天神さま」は、恐れられるようになったのでしょう。 今では「学問の神」と崇められている天神さんですが、古くは 「祟り神」として恐れられていました。 天神というのは天の雷、つまり 雷神なのです。 怒られたら怖いですよ~! 菅原道真は平安時代の秀才で、 宇多天皇に重用されて右大臣になった人です。 権力が宇多天皇から 醍醐天皇と藤原時平に移ると、菅原道真は、彼らに煙たがれます。 そして、偽りの罪をきせられて、大宰府に左遷されたのです。 道真はそれから2年後、失意のうちに大宰府で亡くなりました。 福岡県大宰府にも天満宮があり、その参道で「てんじんさん」ゆかりの「梅ヶ枝餅(うめがえもち)」と呼ばれる焼餅が売られています。 梅ヶ枝餅とその逸話はこちらでお伝えしています。 すると、それから京の都で、災厄や天変地異が起こり始めたのです。 特に、菅原道真を無実の罪で陥れた人々に、災厄がふりかかりました。 「祟り」といわれた事件は、たくさんあります。 925年。 藤原氏の中で、時平の弟の 藤原忠平だけは、菅原道真と仲がよく、彼に深く同情し、大宰府にも励ましの手紙を送っていました。 彼は祟られることなく、事態が収拾した後に、左大臣から摂政関白という最高の地位に就き、活躍します。 忠平は、バランス感覚のある穏やかな人柄だったようですよ。 都の貴族たちは、あまりの事態に、ビビりまくり、とうとう菅原道真を神として祀ることに決めました。 そして、942年から5年の歳月をかけて神社が建立されたのです。 それが、今の 北野天満です。 「北野天満宮」は、全国に約1万2000社もある天満宮、天神社の総本社で、菅原道真は、今では 「学問の神様」として、多くの受験生に参拝されています。 祟り神が受験の神様になったのです。 今回はこちらの書籍を参考にしました。

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