つゆ の あと さき。 さだまさし つゆのあとさき 歌詞&動画視聴

さだまさし つゆのあとさき 歌詞

つゆ の あと さき

スポンサードリンク 傘のつゆ先修理に挑戦! 傘の骨の先っちょに付いている金属やプラスチックの筒のようなものって「つゆ先」というそうです。 その「つゆ先」が取れて無くなり、布もちぎれたようにボロボロになったダンナ様の傘。 もう捨てようかと言ってたんですが、100均のキャンドゥでダンナがこんなのを見つけてしまいました。 傘の修理セット。 よく似たつゆ先も入ってるし、縫い止めてあるだけみたいだから、修理しろと無言のご命令のようです。 で、早速修理セットに入っていたつゆ先を骨に刺してみるダンナ・・・。 あれ? 入らないね。 ダンナ様の傘、骨が太いみたいよ〜。 うーん、100均キットは無駄だったか。 と思っていたら、ダンナ様「こっちは入るからこれでいい」と。 え〜、1個だけ違う形〜? ダンナ「別に誰が見るわけじゃなし、構わぬ!」 まあね、そりゃそうだ。 じゃあ、修理に取り掛かりましょうかね。 傘の修理も自分でできる?! まずは布がこれ以上ボロボロにならないよう、手芸用のほつれ止めを塗ります。 私が使っているのはこの「ピケ」というもの。 糊みたいなもんですが、簡単にほつれ止めができるので長年愛用してます。 手芸店にあります。 水洗いOKと書いてあるので、雨でも大丈夫でしょう。 ピケは乾くとちょっとゴワゴワするんですが、傘なので気にせずたっぷりヌリヌリ。 乾くのを待つ間、他のつゆ先がどうなっているのか、研究〜。 つゆ先を布で包み込んで、糸で留め付けてるんですね。 意外と簡単な作りなのね。 ん〜、でも布の先は内側に折り込まれてるみたいだけど、外から縫ってないっぽいんだよな〜。 しかも傘の布って強く引っ張らないとつゆ先まで届かないぞ、意外とムズイかも。 と思っていたら、ダンナ様が「先っちょ取ったら?」と。 ああ、そういえば、つゆ先って取れるんだったわ。 で、外して眺めているうちにヒラメキました。 くるりん! あ、布の端っこが出てきた! ああ、そうか。 つゆ先をひっくり返して縫い止めて、元に戻せば布の先は内側に折り込まれたようになるのね。 で、つゆ先を付けるのは傘の外側と。 なるほど〜。 ということで、 つゆ先は先端が下(傘の中央側)で傘の表面にのせて、布で挟みます。 糸は普通のミシン糸を二重で。 挟んだ布ごとつゆ先の穴に針と糸を通して、左に糸を回してまた同じ方向から針を通して次は右に糸を回して・・・。 これを繰り返してつゆ先に傘の布を留め付けます。 黒い傘に黒い糸だからわかりにくいかな。 上から見た図解。 赤い矢印が糸、1〜4を2、3回繰り返して、上から見ると8の字を書くように糸を渡して縫い付けます。 こうすると布もつゆ先に縛り付ける感じになるので、布もピンッとなって仕上がりが綺麗! スポンサードリンク 傘修理のやり方やコツは? つゆ先を骨に差し込んで。 全部黒で見えにくいですが、ひっくり返すだけで布の端が内側に隠れるのがわかりますか? 出来上がり! うん、布の先もしっかり内側に折り込まれてるので、ボロボロも見えませんね。 自画自賛ですがすごく綺麗にできたんじゃないでしょうか〜。 何事もまずは観察して、仕組みが分かればやり方は簡単! コツは、つゆ先をひっくり返すことと、糸を引っ張って緩まないようにきっちりつゆ先と布を縛り付けることくらいかな。 こうやって見ると1個だけ違うのが目立ちますが、使ってたらわかんないでしょう。 まあ、誰も傘の先っちょなんか見ないしね。 今回はダンナの傘で見た目を気にしないということもあり、100均の修理セットで間に合いました。 キャンドゥの傘修理セットには、つゆ先以外にも折れた骨を治す部品などが入っています。 簡単な修理マニュアル付き。 ですが、つゆ先の修理方法の説明はかなり簡易版。 これじゃあ傘の布端が丸見えじゃないか。 そして、よく見てみると今回ダンナの傘の骨に入らなかったつゆ先と入ったつゆ先の内径はともに3mmと書いてありました。 あれ?。 ま、いっか。 終わったし。 お裁縫や工作は楽しいですね! もっと直すものないかな。

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傘のつゆ先修理が自分でできた!やり方とコツは?部品は100均で調達

つゆ の あと さき

アルバムの概要 [ ] この作品はシングル「」のヒット後にリリースされ、50万枚を超す大ヒットとなった。 の「」のアレンジを手がけたジミー・ハスケル()をアレンジャーに迎えて制作している。 アルバム・ジャケットにはによるイラストが用いられた。 累計売上は92万枚を記録。 収録曲 [ ] アナログA面 [ ]• 最終案内 空港という喧騒の場にあって、別れの孤独を感じている男性の心境をうたった歌。 「この歌には当初、ジェット機の実音で幕を引くつもりだったが、ジミー・ハスケルの弦がより一層効果的に幕を引いてくれたので変更した」と曲紹介に記されている。 この後も、さだは空港での別れを歌った曲を数曲作っている(「虹の木」、「東京」、「時計」など)。 編曲:、弦編曲:• つゆのあとさき 別れた相手に最後の誠意を見せる男性の心境をうたった歌。 歌詩中に「今日は君の卒業式」とあるが、タイトルにもあるように梅雨の季節の歌であり、別れを比喩的に卒業と表現したものとの解釈もできるが、歌詩中に「もう制服はいらない」とあることから、舞台・時期設定は3月の卒業シーズンであると素直に解釈することもできる。 菜種梅雨の前後との解釈もある。 タイトルはの小説『』から採られたが、歌詩と小説とには関連はない。 編曲:渡辺俊幸、弦編曲:Jimmy Haskell• 飛梅 を舞台に、『』等に記されているの伝説、特にをモチーフとした楽曲である。 さだの得意とする日本の古典的題材作品に連なる最初の作品。 この作品で太宰府天満宮の宮司一家と親しくなり、2002年の菅公御神忌1100年大祭で、やなどの親睦のある歌手達と共に太宰府でコンサートを行い、そこで太宰府がテーマである「飛梅」「都府楼」を歌った。 編曲:渡辺俊幸、弦編曲:• きみのふるさと 10年近くコンサートのオープニング曲として使われ続けた楽曲。 恋人の故郷へ向かう恋の風景と男性の抱く希望をうたっている。 一説によると、さだとゆかりのあるの海岸線を走る国道がモチーフとも(佐田家は元々島根県を発祥とする)。 さだの妻はの出身であり、この詩の中に出てくる風景と似ているとも感じられる。 編曲:渡辺俊幸、弦編曲:Jimmy Haskell• 思い出はゆりかご 作曲者である渡辺俊幸に結婚のお祝いとして贈られた歌。 しかし歌詞の内容は、別れた恋人を思い出すという内容である。 編曲:Jimmy Haskell アナログB面 [ ]• セロ弾きのゴーシュ への提供曲(レコーディングは森山の方が先であったがリリースはさだ自身の方が先であった。 の組曲『』第13曲「白鳥」のフレーズが使用されている。 理由として「この部分だけ僕がツェロで弾けるから」とライナーノーツに記している。 後に『さだまさしの』のエンディング曲となった。 タイトルはの小説『』から採られたが、歌詩と小説とには関連はない。 編曲:渡辺俊幸、弦編曲:Jimmy Haskell• もうひとつの雨やどり 1977年にシングル・リリース済みの作品である。 シングル盤「」のB面曲。 大ヒット曲「」のである。 さだは、「『雨やどり』がお笑いに染まって本質が見えなくなっていく現状に、蛇足ながらも答えを出してしまった」と曲紹介で述べている。 後にさだの実妹でこの楽曲(および「雨やどり」)の主人公のモデルでもあるがカバーした。 編曲:Jimmy Haskell• 1977年7月10日にシングル・リリース済みの作品である。 別れた恋人同士が再会し、互いの非をかばう心情をうたった歌。 クレジット名の殼の字は「殻」ではなく異字体の「殼」であるが、このアルバムでは「殻」となっている。 編曲:渡辺俊幸• オリジナルは中国・山東省出身、台湾の映画監督・シンガーソングライターの(1941年 - )の作詞・作曲したヒット曲「我家在那裡」である。 弟の繁理が台湾で気になった曲をして持ち帰ったもので、本アルバム発表時は作曲者不詳とクレジットされていた。 のちにシングル・カットされた際にクレジットは劉家昌作曲と改められている。 先のアルバム『』と同様、の詩からタイトルが採られている。 内容は故郷を(理想郷)に見立てている。 なおのドラマ『』のテーマ曲に用いられた。 編曲:Jimmy Haskell• 晩鐘 恋人との別れを、日本古来の美意識を駆使して作られた曲。 日本の美を愛するさだは、「この歌をできるだけ歌おうと思っているが、季節が確定している()ので、他の時期に歌うと間が抜ける」と、コンサートで話していた。 編曲:渡辺俊幸、弦編曲:小野崎孝輔• 「桃花源」「思い出はゆりかご」以外はすべて作詩 ・作曲:さだまさし• 「思い出はゆりかご」作詩:さだまさし 作曲:• 「桃花源」作詩:さだまさし 作曲:劉家昌 採譜:• に再発売されたCDには、ボーナス・トラックとして同時期のシングル曲だった「」が付加 脚注 [ ].

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さだまさしさんの「つゆのあとさき」とはどんな様子を歌った歌なのです...

つゆ の あと さき

女給 ( じょきゅう )の 君江 ( きみえ )は午後三時からその日は銀座通のカッフェーへ出ればよいので、 市 ( いち )ヶ 谷 ( や ) 本村町 ( ほんむらちょう )の貸間からぶらぶら 堀端 ( ほりばた )を歩み 見附外 ( みつけそと )から乗った乗合自動車を 日比谷 ( ひびや )で下りた。 そして鉄道線路のガードを前にして、場末の町へでも行ったような飲食店の旗ばかりが目につく 横町 ( よこちょう )へ曲り、貸事務所の 硝子窓 ( ガラスまど )に 周易 ( しゅうえき )判断 金亀堂 ( きんきどう )という金文字を掲げた 売卜者 ( うらないしゃ )をたずねた。 去年の暮あたりから、君江は再三気味のわるい事に 出遇 ( であ )っていたからである。 同じカッフェーの女給二、三人と 歌舞伎座 ( かぶきざ )へ行った帰り、シールのコートから 揃 ( そろ )いの大島の羽織と 小袖 ( こそで )から 長襦袢 ( ながじゅばん )まで通して 袂 ( たもと )の先を切られたのが始まりで、その次には 真珠入 ( しんじゅい )り 本鼈甲 ( ほんべっこう )のさし 櫛 ( ぐし )をどこで抜かれたのか、知らぬ間に抜かれていたことがある。 掏摸 ( すり )の 仕業 ( しわざ )だと思えばそれまでの事であるが、またどうやら 意趣 ( いしゅ )ある者の 悪戯 ( いたずら )ではないかという気がしたのは、その 後 ( ご )猫の子の死んだのが貸間の押入に投入れてあった事である。 君江はこの年月随分みだらな生活はして来たものの、しかしそれほど人から 怨 ( うらみ )を受けるような悪いことをした覚えは、どう考えて見てもない。 初めは 唯 ( ただ )不思議だとばかり、さして気にも留めなかったが、ついこの頃、『街巷新聞』といって、 重 ( おも )に銀座辺の飲食店やカッフェーの女の 噂 ( うわさ )をかく余り 性 ( たち )の好くない 小新聞 ( こしんぶん )に、君江が 今日 ( こんにち )まで誰も知ろうはずがないと思っていた事が出ていたので、どうやら急に気味がわるくなって、人に勧められるがまま、まず 卜占 ( うらない )をみてもらおうと思ったのである。 『街巷新聞』に出ていた記事は 誹謗 ( ひぼう )でも中傷でもない。 むしろ君江の容姿をほめたたえた当り 触 ( さわ )りのない記事であるが、その中に君江さんの 内腿 ( うちもも )には子供の時から 黒子 ( ほくろ )が一つあった。 これは成長してから浮気家業をするしるしだそうだが、果してその通り、女給さんになってから黒子はいつの間にか 増 ( ふ )えて三つになったので、君江さんは後援者が三人できるのだろうと、内心喜んだり気を 揉 ( も )んだりしているという事が書いてあった。 君江はこれを読んだ時、何だか薄気味のわるい、誠にいやな心持がした。 左の内腿に初めは一つであった黒子がいつとなく並んで三つになったのは決して 虚誕 ( うそ )でない。 全くの事実である。 自分でそれと心づいたのは去年の春上野 池 ( いけ )の 端 ( はた )のカッフェーに始めて女給になってから、 暫 ( しばら )くして 後 ( のち )銀座へ移ったころである。 それを知っているのはまだ女給にならない前から今もって関係の絶えない松崎という好色の老人と、上野のカッフェー以来とやかく人の噂に上る清岡進という文学者と、まずこの二人しかないはずである。 黒子のある場所が 他 ( ほか )とはちがって親兄弟でも知ろうはずがない。 風呂屋 ( ふろや )の番頭とてそこまでは気がつくまい。 黒子の 有無 ( あるなし )は別にどうでもよい事であるが、風呂屋の番頭さえ気のつかない事を、どうして新聞記者が知っていたのだろう。 君江はこの不審と、去年からの疑惑とを 思合 ( おもいあわ )せて、これから先どんな事が起るかも知れないと、急に空おそろしくなって、今まで神信心は 勿論 ( もちろん )、お 御籤 ( みくじ )一本引いたことのない身ながら、突然 占 ( うらな )いを見てもらう気になったのである。 アパートメントの一室を店にしている新時代の 売卜者 ( うらないしゃ )は年の頃四十前後、 口髭 ( くちひげ )を刈り洋服を着、 鼈甲 ( べっこう )のロイド眼鏡をかけ、デスクに 凭 ( もた )れて客に応対する様子は見たところ医者か弁護士と変りはない。 省線 ( しょうせん )電車の往復するのが 能 ( よ )く見える 硝子窓 ( ガラスまど )の上には「 天佑平八郎書 ( てんゆうへいはちろうしょ )」とした額を掲げ、壁には日本と世界の地図とを貼り、机の傍の本箱には棚を 殊 ( こと )にして洋書と 帙入 ( ちついり )の和本とが並べてある。 君江は薄地の肩掛を取って手に持ったまま、 指示 ( さししめ )された椅子に腰をかけると、洋装の売卜者はデスクの上によみかけの書物を閉じ廻転椅子のままぐるりとこちらへ 向直 ( むきなお )って、 「御縁談ですか。 それとも大体にお身の上の 吉凶 ( きっきょう )を見ましょうか。 」とわざとらしく笑顔をつくる。 君江は 伏目 ( ふしめ )になって、 「別に縁談というわけでも 御在 ( ござい )ません。 」 「では、まず大体の事から拝見しましょう。 」と易者はあたかも婦人科の医者が患者の容態をきくように、なりたけ気がねをさせまいと苦心するらしい砕けた言葉づかいになり、「占いも見つけると面白いものと見えまして、いろいろなお客様がお 出 ( いで )になります。 毎朝会社のお出かけにお寄りになって、その日その日の吉凶を見る 方 ( かた )もあります。 しかしむかしから当るも 八卦 ( はっけ )、当らぬも八卦という事がありますから、凶の 卦 ( け )に当ってもあまりお気におかけなさらん方がよいです。 お年はおいくつでいらっしゃいます。 」 「丁度で御在ます。 」 「それでは 子 ( ね )の 年 ( とし )でいらっしゃいますな。 それからお生れになったのは。 」 「五月の三日。 」 「子の五月三日。 さようですか。 」と易者はすぐに 筮竹 ( ぜいちく )を 把 ( と )って口の中で何か 呟 ( つぶや )きながらデスクの上に 算木 ( さんぎ )を並べ、「お年廻りは 離中断 ( りちゅうだん )の卦に当ります。 しかし文字通り易の釈義を申上げても 廻 ( まわり )遠くて要領を得ない事になりましょうから、わたくしの思いついた事だけを 手短 ( てみじか )に申上げて見ましょう。 大体を申上げると、この離中断の卦に当る方は男女に限らず親兄弟にはなれ友達も至って少く一人で世を渡る傾きがあります。 それにあなたのお生れになった月日から見ますと、 遊魂巽風 ( ゆうこんせんぷう )の卦に当ります。 これは一時お身の上に変った事が起っても、その変った事が 追々 ( おいおい )元の形に立戻るという卦であります。 この卦から考えて見ますと、現在のお身の上は一時変った事の起った後、追々もとのようになって行こうという間のように思われます。 天気に 譬 ( たと )えて申上げれば暴風のあった後、その名残りがなかなか静まらない。 しかし追々 静 ( しずか )になって、やがてもとの天気になろうというその途中だと申したらよいでしょう。 」 君江は 膝 ( ひざ )の上に肩掛を 弄 ( もてあそ )びながらぼんやり易者の顔を見ていたが、その判断は全くその身に覚えがない事ではない。 どこか当っている処があるので、何となく気まりのわるいような心持で再び伏目になった。 一時身の上に変った事があったと言うのは、 大方 ( おおかた )両親の意見をきかず家を飛出し、東京へ来て、とうとう女給になった事だろうと思ったのである。 君江が家を出たわけは両親はじめ親類 中 ( じゅう ) 挙 ( こぞ )って是非にもと説き勧めた縁談を避けようがためであった。 君江の生れた家は上野 停場車 ( ていしゃば )から二時間ばかりで行かれる埼玉県下の丸円町にあって、その土地の名物になっている菓子をつくる店である。 君江は小学校の友達の中で、一時 牛込 ( うしごめ )の 芸者 ( げいしゃ )になり、一年たつかたたぬ 中 ( うち ) 身受 ( みうけ )をされて、人の 妾 ( めかけ )になっていた京子という女と絶えず 往来 ( ゆきき )をしていたので、田舎者の女房などになる気はなく、家を逃げ出してそのまま京子の家に厄介になった。 田舎から迎いの人が来て、二、三度連れ戻されてもまたすぐ飛出す始末。 親たちも困りぬいて、君江の 我儘 ( わがまま )を通させ銀行か会社の事務員になる事を許した。 君江は京子の旦那になっている川島という人の世話で、間もなく 或 ( ある )保険会社に雇われたものの、これは一時実家へ対しての 申訳 ( もうしわけ )に過ぎないので、半年とはつづかず、その 後 ( ご )はぶらぶら京子の家に遊んで日を暮している 中 ( うち )、突然京子の旦那は会社の金を 遣込 ( つかいこ )んだ事が露見して検事局へ送られる。 京子は芸者に出ていた頃のお客をそのまま 妾宅 ( しょうたく )へ 引込 ( ひきこ )み、それでも足りない時は知合いの 待合 ( まちあい )や結婚媒介所を歩き廻って、結句何不自由もなく日を送っているのを、 傍 ( そば )で見ている君江もいつかこれをよい事にしてその仲間にはいった。 しかし何分にもその筋の検挙がおそろしいので、京子はもとの芸者になろうと 言出 ( いいだ )す。 君江もともども芸者はどんなものか一度はなって見たいと思いながら、鑑札を受ける時所轄の警察署から実家へ 問合 ( といあわ )せの手続をする規定のある事を知って、やむことをえず女給になった。 京子は田舎の家へ仕送りをしなければならぬ身であるが、君江はそんな必要がない。 田舎に育っただけそれほど 流行 ( はやり )の物に身を飾る心もなければ、芝居や活動のような興行物も、人から誘われないかぎり、自分から進んで見に行こうとはしない。 小説だけは電車の中でも拾い読みをするほどであるが、その 他 ( ほか )には自分でも何が好きだかわからないと言っている位で、結局貸間の代と 髪結銭 ( かみゆいせん )さえあれば、強いて男から金など 貰 ( もら )う必要がない。 金などは貰わずに、随分男のいうままになってやった事もあるほどなので、君江は今までいかほど 淫恣 ( いんし )な生活をして来ても、人からさほど 怨 ( うらみ )を受けるようなはずはないと思い込んでいる。 占者の説明を待って、 「それでは今のところ別にたいして心配するようなことはないんで 御在 ( ござい )ますね。 」 「御健康はいかがです。 現在別に 御 ( お )わるいところがないのなら、無論近い将来にもさして病難があるとは思われません。 現在は 唯今 ( ただいま )も申上げたように 波瀾 ( はらん )のあった後むしろ無事で、いくらか沈滞というような形もあります。 御自分ではお気がつかないでいらっしゃるかも知れませんが、何か知ら不安で、おちつかないような気がなさるのかも知れません。 しかし易の卦では唯今申上げたように一時の変動が追々静まって行くのですから、これから先たいした事件が起ろうとは思われません。 しかし何か御心配な事があって、その事をどうしたらいいかと 思召 ( おぼしめ )すなら、その特別な事について、もう一度見直しましょう。 それで大抵お心当りがつくだろうと思います。 」と易者は再び筮竹を取り上げた。 「実はすこし気にかかる事が御在まして。 」と君江は言いかけたが、まさかに 黒子 ( ほくろ )の事は明らさまには言出しにくいので、「自分には別に 覚 ( おぼえ )がないんですけれど、誰かわたくしの事を誤解している人がありはしないかと思うような事が御在ます。 」 「はい。 」と易者は 仔細 ( しさい )らしく眼を閉じて再び筮竹を数え算木を置き直して、「なるほど。 この卦は物に影の添う事を意味します。 して見ると、何か御自分でいろいろ思いすごしをなさるのですな。 それがためない事もあるように思われて来ます。 唯今の言葉で申すと幻影と実体ですな。 物があって影の生ずるのが自然でありますが、時と場合には、それとは反対に影から物の起ることもあります。 それ故まず影をなくすようになされば、自然と物事は落つく処へ落ついて行くわけで。 そういう 御心持 ( おこころもち )でいらっしゃれば、別に御心配には及ばないと思います。 」 君江は易者のいう事を至極 尤 ( もっとも )だと思うと、自分ながらつまらない事を気に掛けていたと、 忽 ( たちま )ち心丈夫な気になってしまった。 それでもまだ何やらきいて見たいような心持がしながら、しかしあまり微細な事まで 問掛 ( といか )けて、それがため現在の職業はまだしもの事、二、三年前京子と二人で待合や媒介所を歩き廻った事まで知られてはと、底気味のわるい心持もする。 猫の死骸や 櫛 ( くし )のなくなった事もきいて見ようとは心づきながら、カッフェーへ行く時間が気になるので、今日はこのまま立去ろうと考え、 「失礼ですが、御礼は。 」といいながら帯の間へ手を入れる。 「 壱円 ( いちえん )いただく事にしてありますが、いかほどでも 思召 ( おぼしめ )しで 宜 ( よろ )しいのです。 」 出入口の戸があいて、洋服の男が二人無遠慮に君江の腰をかけているすぐ 側 ( そば )の椅子に坐ったのみならず、その一人はぎょろりとした眼付の、どうやら刑事かとも思われる様子に、君江は横を向いたまま椅子から立って、易者にも 挨拶 ( あいさつ )せず、戸を明けて廊下へ出た。 建物を出ると、おもては五月はじめの晴れ渡った日かげに、日比谷公園から堀端一帯の青葉が一層色あざやかに輝き、電車を待つ人だまりの中から 流行 ( はやり )の 衣裳 ( いしょう )の翻えるのが目に立って見える。 腕時計に時間を見ながら、君江はガードの下を通りぬけて、 数寄屋橋 ( すきやばし )のたもとへ来かかると、朝日新聞社を始め、おちこちの高い屋根の上から広告の軽気球があがっているので、 立留 ( たちどま )る気もなく立留って空を見上げた時、 後 ( うしろ )から君江さんと呼びながら 馳 ( か )け寄る 草履 ( ぞうり )の音。 誰かと振返れば去年 池 ( いけ )の 端 ( はた )のサロンラックで一緒に働いていた松子という年は二十一、二の女で。 その時分にくらべると着物も姿もずっと 好 ( よ )くなっている。 君江は同じ経験からすぐに察して、 「松子さん。 あなたも銀座。 」 「ええ。 いいえ。 」と松子は 曖昧 ( あいまい )な返事をして、「去年の暮、 暫 ( しばら )くアルプスにいたのよ。 それから遊んでいたの。 だけれどまたどこかへ出たいと思って実はこれから五丁目のレーニンっていう酒場。 君江さんも御存じでしょう。 あの時分ラックにいた豊子さんがいるから、ちょっと様子を見て来ようと思っているの。 」 「そう。 あなた、アルプスにいたの。 ちっとも知らなかったわ。 わたしはあれからずっとドンフワンにいるわ。 」 「この春だったか、アルプスでお客様から聞いたことがあったわ。 お 逢 ( あ )いしたいと思ってもつい時間がないでしょう。 あの、先生もお変りがなくって。 」 君江は小説家清岡進の事にちがいないとは思いながら、数の多いお客の中には、弁護士の先生もあれば、医者の先生もあるので、それとなく念を押すに 若 ( し )くはないと、「ええ。 この頃は新聞の 外 ( ほか )に映画や何かで大変おいそがしいようだわ。 」 松子はこれを何と思いちがいしたのか、「アラ、そう。 」といかにも感に打たれたらしく深く息を 呑 ( の )んで、「男はいざとなると薄情ねえ。 わたしもいい経験をしたのよ。 だから今度は 大 ( おおい )に発展してやろうと思ってるのよ。 」 君江は心の中で高が五人か十人、数の知れた男の事を大層らしく経験だの何だのと言うにも及ぶまいと、 可笑 ( おか )しくなって来て、からかい半分、わざと沈んだ調子になり、「あの先生には立派な奥様はあるし、スターで有名な玲子さんがあるし、わたし見たような女給なんぞは全く一時的の慰み物だわ。 」 橋を渡ると、人通りは 尾張町 ( おわりちょう )へ近くなるに従って次第に 賑 ( にぎや )かになる。 それにもかかわらず松子は正直な女と見えて、 忽 ( たちまち )激した調子になり、「だって、玲子さんが結婚したのは、先生が君江さんを愛したためだっていう評判よ。 そうじゃないの。 」 君江はあたりを 憚 ( はばか )らぬ松子の声に 辟易 ( へきえき )して、「松子さん。 その 中 ( うち )ゆっくり会って話しましょうよ。 何なら、ちょっとお寄んなさいな。 ドンフワンでも募集しているから紹介してもいいわ。 」 「あすこは今 幾人 ( いくたり )いて。 」 「六十人で、三十人ずつ二組になっているのよ。 掃除はテーブルも何も 彼 ( か )も男の人がするから、それだけ 他 ( わき )よりも楽だわ。 」 「一日に幾番くらい持てるの。 」 「そうねえ。 この頃じゃ三ツ持てればいい方だわ。 」 「それで、 綺羅 ( きら )を張ったら、かつかつねえ。 自動車だって一度乗ると、つい毎晩になってしまうし……。 」 君江はこまこました 世智辛 ( せちがら )いはなしが出ると、他人の事でもすぐに面倒でたまらなくなる。 それにまた、金なんぞはだまっていても無理やりに男の方から置いて行くものと思っているので、 人込 ( ひとごみ )の中に隔てられたまま松子の方には見向きもせず、日の光に 照付 ( てりつ )けられた 三越 ( みつこし )の建物を 眩 ( まぶ )しそうに見上げながら、すたすた 四辻 ( よつつじ )を向側へと横ぎってしまったが、少しは気の毒にもなって、後を振返って見ると、松子は以前の処に立止ったまま、 挨拶 ( あいさつ )のしるしに遠くからちょっと腰をかがめ、それでもう安心したという風で、これも忽ち人通りの中に姿を没した。 松屋呉服店から二、三軒 京橋 ( きょうばし )の方へ寄ったところに、 表附 ( おもてつき )は 四間間口 ( しけんまぐち )の中央に 弧形 ( ゆみなり )の広い出入口を設け、その周囲にDONJUANという西洋文字を裸体の女が相寄って捧げている 漆喰細工 ( しっくいざいく )。 夜になると、この字に赤い電気がつく。 これが君江の通勤しているカッフェーであるが、見渡すところ 殆 ( ほとん )ど 門並 ( かどなみ )同じようなカッフェーばかり続いていて、うっかりしていると、どれがどれやら、知らずに通り過ぎてしまったり、わるくすると 門 ( かど )ちがいをしないとも限らないような気がするので、君江はざっと一年ばかり 通 ( かよ )う身でありながら、今だに 手前隣 ( てまえどなり )の眼鏡屋と金物屋とを 目標 ( めじるし )にして、その間の 路地 ( ろじ )を入るのである。 路地は人ひとりやっと通れるほど狭いのに、大きな 芥箱 ( ごみばこ )が並んでいて、寒中でも 青蠅 ( あおばえ )が 翼 ( はね )を 鳴 ( なら )し、昼中でも 鼬 ( いたち )のような 老鼠 ( ろうねずみ )が出没して、人が来ると長い尾の先で 水溜 ( みずたまり )の水をはね 飛 ( とば )す。 君江は 袂 ( たもと )をおさえ 抜足 ( ぬきあし )して十歩ばかり。 やがて裏通を行く人の顔も見分けられるあたり。 安油の悪臭が襲うように 湧 ( わ )き出してくる出入口をくぐると、 何処 ( どこ )という事なく 竈虫 ( かまどむし )のぞろぞろ 這 ( は )い廻っている料理場である。 料理場は 後 ( あと )から建て増したものらしく、銀座通に面した表附とはちがって、震災当時の小屋同然、屋根も壁もトタンの 海鼠板 ( なまこいた )一枚で囲ってあるばかり。 それでも土間から急な 梯子段 ( はしごだん )を土足のまま登って行くと、十畳ばかり畳を敷いた一室があって、四方の壁際ぐるりと十四、五台ばかりも鏡台が並べてある。 丁度三時五、六分前。 十畳の一室は、朝十一時から店へ出ていた女給と、 今方 ( いまがた )来たものとの交代時間で、坐る場所もないほど混雑している最中。 鏡一台の前にはいずれも女が二、三人ずつ 繍眼児押 ( めじろお )しに顔を 突出 ( つきだ )して、 白粉 ( おしろい )の 上塗 ( うわぬり )をしたり髪の形を直したり、あるいは立って着物を着かえたり、 大胡坐 ( おおあぐら )で 足袋 ( たび )をはき 替 ( か )えたりしているのもある。 君江は 竪 ( たて )シボの 一重羽織 ( ひとえばおり )をぬいで肩掛と一つにして 風呂敷 ( ふろしき )に包んだ。 そして廊下への出口に置いてある 衣裳棚 ( いしょうだな )に、名前の貼紙がしてある処を見てその 包 ( つつみ )を 載 ( の )せ、コンパクトで鼻の先を 叩 ( たた )きながら、廊下づたいにパンツリイを通り抜けると、丁度店二階の方から歩いて来る春代という女に 出逢 ( であ )った。 帰り道が同じ 四谷 ( よつや )の 方角 ( ほうがく )なので、六十人いる 朋輩 ( ほうばい )の中では一番心安くなっている。 「春さん。 昨夜はグレたんじゃないの。 後 ( あと )で何かおごってよ。 」 「それァあなたでしょう。 わたし随分待っていたのよ。 今夜はきっと一緒に帰りましょう。 その方が経済だからねえ。 」 君江はそのまま表二階の方へ行きかけると、階段の下から 下足番 ( げそくばん )をしている男ボーイが、「君江さん、電話です。 」と 頻 ( しきり )に呼んでいる声が聞えた。 「はアイ。 」と大声に答えながら、口の中で「誰だろう。 いけすかない。 」とつぶやきながら、テーブルや植木鉢の間を小走りに通り抜けて階段を下りて行った。 階下は銀座の表通から 色硝子 ( いろガラス )の大戸をあけて入る見通しの広い一室で、 坪数 ( つぼすう )にしたら三、四十坪ほどもあろうかと思われるが、左右の壁際には 衝立 ( ついたて )の裏表に腰掛と 卓子 ( テーブル )とをつけたようなボックスとかいうものが据え並べてあって、天井からは 挑灯 ( ちょうちん )に造花、下には椅子テーブルに植木鉢のみならず舞台で使う 藪畳 ( やぶだたみ )のような 植込 ( うえこみ )が置いてあるので、何となく狭苦しく一見 唯 ( ただ )ごたごたした心持がする。 正面の奥深い片隅に洋酒を棚に並べた酒場があって、壁に大きな 振子 ( ふりこ )時計、その下に帳場があり、続いて硝子戸の内に電話機がある。 君江は行きちがう人ごとに笑顔をつくりながら、電話室へ 駈 ( か )け込み、「もしもしどなた。 」ときくと、電話は君江を呼んだのではなく、清子という女給の聞きちがえであった。 爪先 ( つまさき )で電話室の硝子戸を突きあけ、「清子さん。 」と呼びながら君江は 反身 ( そりみ )に振返ってあたりを見廻したが、昼間のことで客はわずかに二組ほど、そのまわりに女給が七、八人集っているばかり。 植木の葉かげを 透 ( すか )して見ても清子の姿は見えない。 誰やらが「清子さんは早番でしょう。 」という。 君江はその通り電話の返事をして硝子戸の外へ出ると、その姿を見て、洋服をきた中年の 痩 ( や )せた男が帳場の台に身を 倚 ( よ )せたまま、「君江さん。 」と呼留めて、「どうしました。 占 ( うらな )いは。 」 「たった今、見てもらったわ。 」 「どうでした。 やっぱり男のおもいでしょう。 」 「それなら見てもらわなくっても覚えがあるはずじゃないの。 もうそんな景気じゃないわ。 小松さん。 わたし 大 ( おおい )に悲観しているのよ。 」 「へえ。 君江さんが……。 」と小松といわれた男は 円顔 ( まるがお )の細い目尻に 皺 ( しわ )をよせて笑う。 年はもう四十前後。 神田の何とやらいうダンスホールの会計に雇われている男で、夕方六時に出勤する頃まで、毎日懇意なカッフェーを歩き廻って女給の貸間をはじめ、質屋の世話、芝居の切符の取次など、何事にかぎらず女の用を足してやって、皆から小松さん小松さんと 重宝 ( ちょうほう )がられるのをこの上もなく嬉しいことにしている男である。 いや味な事は言わないかわり、お客になって飲み食いもした事がない。 以前はどこかの 箱屋 ( はこや )だともいうし役者の 男衆 ( おとこしゅう )だったという 噂 ( うわさ )もある。 君江はこの男から日比谷の占者のことをきいたのである。 「君江さん。 どうでした。 何か手がかりがありましたか。 」 「さア。 何だか、いろいろな事を言われたけれど、何の事だかわけがわからないのよ。 わたしの方でも別に何ともきいては見なかったんだけれど。 」 「それじゃ駄目だ。 君江さんと来たら実にのん気だからな。 」 「 壱円 ( いちえん )損したわ。 」と君江は人に問われて始めて占者の判断の 甚 ( はなはだ )要領を得ていなかった事と、自分のきき方も随分不熱心であった事に心づいた。 最少 ( もすこ )し 向 ( むこう )の困るくらい 委 ( くわ )しくこまかい事まできけばよかったという気がした。 「でもねえ、小松さん。 当分今の通りで別条はないんですとさ。 覚えているのはそれッきりよ。 いろんな事を言われたけれど『何が何だかわからないのヨ』なのよ。 まったくさ。 何しろ占を見てもらうのは生れて始てでしょう。 見てもらいつけないと駄目なものねえ。 占もやっぱり 聞方 ( ききかた )があるんじゃないか知ら。 」 「占いかたはあっても、別に聞き方はないでしょう。 」 「それでも、お医者さまでも始めて見てもらう時には、いろいろこっちから言わなくっちゃ、いけないッていうじゃないの。 だから占や何かでもやっぱりそうだろうと思うわ。 」 表梯子 ( おもてばしご )の方から 蝶子 ( ちょうこ )という三十越したでっぷりした 大年増 ( おおどしま )が 拾円 ( じゅうえん )紙幣を手にして、「お会計を願います。 」と帳場の前へ立ち、壁の鏡にうつる自分の姿を見て 半襟 ( はんえり )を合せ直しながら、 「君江さん。 二階に 矢 ( ヤア )さんがいてよ。 行っておあげなさいよ。 うるさいから。 」 「さっき見掛けたけれど、わたしの番じゃないから降りて来たのよ。 あの人、 先 ( せん )に 辰子 ( たつこ )さんのパトロンだって、ほんとうなの。 」 「そうよ。 日活 ( にっかつ )の 吉 ( ヨウ )さんに取られてしまったのよ。 」とはなし出した時会計の女が伝票と 剰銭 ( つりせん )とを出す。 その時この店の持主池田 何某 ( なにがし )という男に事務員の竹下というのが附き 随 ( したが )い、コック場へ通う帳場の 傍 ( わき )の戸口から出て来る姿が、酒場の鏡に映った。 蝶子と君江とは 挨拶 ( あいさつ )するのが面倒なので、さっさと知らぬふりで二階の方へ行く。 池田というのは五十年配の歯の出た 貧相 ( ひんそう )な男で、震災当時、南米の植民地から帰って来て、多年の蓄財を資本にして東京大阪神戸の三都にカッフェーを開き、まず今のところでは相応に利益を得ているという噂である。 表梯子から二階へ上った蝶子は壁際のボックスに 坐 ( すわ )っている二人連れの客のところへ剰銭を持って行き、君江は銀座通を 見下 ( みおろ )す窓際のテーブルを占めた 矢 ( ヤア )さんというお客の方へと歩みを運びながら、 「いらっしゃいまし。 この頃はすっかりお見かぎりね。 」 「そう先廻りをしちゃアずるいよ。 先日はどうも、すっかり見せつけられまして。 あんなひどい目に 遇 ( あ )った事は 御在 ( ござい )ません。 」 「 矢 ( ヤア )さん。 たまにゃア仕方がないことよ。 」と 愛嬌 ( あいきょう )を作って君江は 膝頭 ( ひざがしら )の触れ合うほどに椅子を引寄せて男の 傍 ( そば )に坐り、いかにも懇意らしく 卓 ( テーブル )の上に置いてある 敷島 ( しきしま )の袋から一本抜取って口にくわえた。 矢 ( ヤア )さんというのは 赤阪 ( あかさか ) 溜池 ( ためいけ )の自動車輸入商会の支配人だという 触込 ( ふれこ )みで、 一時 ( ひとしきり )は毎日のように女給のひまな昼過ぎを目掛けて遊びに来たばかりか、折々店員四、五人をつれて 晩餐 ( ばんさん )を 振舞 ( ふるま )う。 時々これ見よがしに芸者をつれて来る事もある。 年は四十前後、二ツはめているダイヤの 指環 ( ゆびわ )を抜いて見せて、女たちに品質の鑑定法や相場などを長々と説明するというような、万事思切って歯の浮くような事をする男であるが、相応に金をつかうので女給 連 ( れん )は寄ってたかって下にも置かないようにしている。 君江は既に二、三度芝居の切符を買ってもらったこともあるし、休暇時間に松屋へ行って羽織と半襟を買ってもらったこともあるので、この次どこかへ 御飯 ( ごはん )でも食べに行こうと誘われれば、その先は何を言われても、そう 情 ( すげ )なく振切ってしまうわけにも行かない位の義理合いにはなっている。 それ故 矢 ( ヤア )さんからひやかされたのを、なまじ 胡麻化 ( ごまか )すよりも 明 ( あから )さまに打明けてしまった方が、結句面倒でなくてよいと思ったのである。 矢 ( ヤア )さんは内心むっとしたらしいのを笑いにまぎらせて、 「とにかく 羨 ( うらやま )しかったな。 罪なことをするやつだよ。 」とテーブルの周囲に集っているお 民 ( たみ )、春江、 定子 ( さだこ )など三、四人の女給へわざとらしく冗談に事寄せて、「お二人でお 揃 ( そろ )いのところを 後 ( うしろ )からすっかり話をきいてしまったんだからな。 人中なのに手も握っていた。 」 「あら。 まさか。 そんなにいちゃいちゃしたければ芝居なんぞ見に行きゃアしないわ。 わきへ行くわよ。 」 「こいつ。 ひどいぞ。 」と 矢 ( ヤア )さんは 撲 ( ぶ )つまねをするはずみにテーブルの 縁 ( ふち )にあったサイダアの 壜 ( びん )を倒す。 四、五人の女給は一度に声を揚げて椅子から飛び 退 ( の )き、長い 袂 ( たもと )をかかえるばかりか、テーブルから 床 ( ゆか )に 滴 ( したた )る 飛沫 ( とばしり )をよける用心にと 裾 ( すそ )まで 摘 ( つま )み上げるものもある。 君江は自分の事から起った騒ぎに 拠所 ( よんどころ )なく、 雑巾 ( ぞうきん )を持って来て袂の先を口に 啣 ( くわ )えながら、テーブルを拭いている 中 ( うち )、新しく上って来た二、三人 連 ( づれ )の客。 いらっしゃいましと大年増の蝶子が出迎えて「 番先 ( ばんさき )はどなた。 」と客の注文をきくより先に当番の女給を呼ぶ 金切声 ( かなきりごえ )。 「君江さんでしょう。 」と誰やらの返事に君江は雑巾を植木鉢の土の上に投付けて「はアい。 」と言いながら、新来のお客の方へと小走りにかけて行った。 客は二人とも 髭 ( ひげ )を 生 ( はや )した五十前後の紳士で、松屋か三越あたりの帰りらしく、買物の紙包を 携 ( たずさ )え、紅茶を命じたまま女給には見向きもせず、何やら 真面目 ( まじめ )らしい用談をしはじめたので、君江はかえってそれをよい事に、ひまな女たちの 寄集 ( よりあつま )っている壁際のボックスに腰をかけた。 テーブルの上には 屑羊羹 ( くずようかん )に 塩煎餅 ( しおせんべい )、 南京豆 ( なんきんまめ )などが、袋のまま、新聞や雑誌と共に散らかし放題、散らかしてあるのを、女たちは手先の動くがまま 摘 ( つま )んでは口の中へと投げ入れているばかり。 活動写真の評判や 朋輩 ( ほうばい )同士の 噂 ( うわさ )にも毎日の事でもう 飽 ( あ )きている。 睡気 ( ねむけ )がさしてもさすがここでは 居睡 ( いねむ )りをするわけにも行かないらしく、いずれも 所業 ( しょざい )なげに 唯 ( ただ )時間のたつのを待っているという様子。 その時隅の方でひとり雑誌の写真ばかり繰りひろげて見ていた女が、突然、 「アラ、実にシャンねえ。 清岡先生の奥様よ。 」という声に、ボックスに休んでいた女は一斉に顔を差出した。 君江も屑羊羹を 頬張 ( ほおば )りながら少し 及腰 ( およびごし )になって、 「どれさ。 見せてよ。 わたしまだ知らないんだからさ。 」 「はい。 よく御覧なさい。 」と以前の女が 差付 ( さしつ )ける雑誌の挿絵。 見れば、縁側に腰をかけている夫人風の女の姿で、「名士の家庭。 」「創作家清岡進先生の御夫人鶴子さまのお姿。 」としてあった。 「君江さん。 あんた、何ともない事。 そんなもの見て。 わたしなら破いてしまいたくなるわ。 」と写真の上に南京豆を打ちつけたのは、もと歯医者の妻で生活難から女給になった鉄子である。 「あなた。 随分 焼餅 ( やきもち )やきねえ。 」と君江はかえって驚いたように鉄子の顔を見返して、「いいじゃないの。 奥様なら奥様で。 気にしないだって。 」 「君江さんは全く徹底しているわ。 」とダンス場から転じてカッフェーに来た 百合子 ( ゆりこ )というのが 相槌 ( あいづち )を打つと、もとは 洋髪屋 ( ようはつや )の 梳手 ( すきて )であった 瑠璃子 ( るりこ )というのが、 「とにかく一番幸福なのは清岡さんよ。 令夫人はシャンだし、第二号は銀座における有名なる女給さんだし……。 」 「ちょいと何が有名なのさ。 止 ( よ )して 頂戴 ( ちょうだい )よ。 」と君江はわざとらしく 憤然 ( ふんぜん )と椅子を立って、 先刻 ( さっき )から 打捨 ( うちす )てて置いた自動車商会の矢田さんの方へと行ってしまった。 女たちは無論戯れとは知りながら、少し心配したように 斉 ( ひと )しくその 後姿 ( うしろすがた )を見送ったが、瑠璃子はもともと梳子の時分ないない 私娼窟 ( ししょうくつ )に出没して君江とも一、二度言葉を交えた間柄。 偶然このカッフェーで 邂逅 ( かいこう )しても、 互 ( たがい )に黙契する処があるらしく秘密を守り合っているくらいなので、何を言ってもまた言われても互に気を悪くするはずはないと、平気な顔で、折からテーブルを 叩 ( たた )くらしい音がするのを聞きつけ、自分が持番の客ではないかと、音する方へ目を注ぐ。 丁度その途端、階段から上って来る新しい客の洋服姿が 向 ( むこう )の壁の鏡に映ったのを早くも認めて、「アラ清岡先生よ。 」と瑠璃子は小声で 一同 ( みんな )に知らせた。 「先生。 くしゃみが出なかって。 」と君江とは仲の好い春代が 逸早 ( いちはや )く 駈寄 ( かけよ )って、「あっちのボックスがいいわよ。 」と洋服の 袖 ( そで )に 縋 ( すが )り、人目につかない隅のボックスへ連れて行った。 これは君江を張りに来る自動車屋の矢田さんが、まだ帰らずにいるので、万一の事を用心した春代の心づかいである。 「歩いて来るともう暑い。 黒ビールか何か 貰 ( もら )おうよ。 」と清岡進は抱えていた新刊雑誌と新聞紙とをテーブルの下の 揚板 ( あげいた )に押入れ、新しい 鼠色 ( ねずみいろ )の 中折帽 ( なかおれぼう )をぬいで造花の枝にかけた。 紺地 ( こんじ )二重ボタンの背広に 蝶結 ( ちょうむすび )のネキタイ。 年の頃は三十五、六。 鼻先と 頤 ( おとがい )のとがっているのが目に立つので、色の白い眼の大きい 頬 ( ほお )のこけた顔立は一層神経質らしく見えるのに、長く 舒 ( の )ばした髪をわざと無造作に 後 ( うしろ )に掻き上げている様子。 誰が目にも新進の芸術家らしく、また 宛然 ( さながら )活動写真中に現れて来る人物らしくも見える。 その父は漢学者だとかいう事であるが、清岡は仙台あたりの地方大学に在学中も学業の成績は極めて不出来で、卒業の後文学者の仲間入はしたものの、つい三、四年ほど前までは、更に 月旦 ( げったん )に登るような著述もなかった。 然 ( しかる )に、何から思いついたのやら、ふと 曲亭馬琴 ( きょくていばきん )の小説『 夢想兵衛胡蝶物語 ( むそうべえこちょうものがたり )』を 種本 ( たねほん )にして、原作の 紙鳶 ( たこ )を飛行機に改め、「彼はどこへでも飛んで行く。 」という題をつけ、全篇の趣向をそのまま現代の世相に当てはめた通俗小説を執筆して、 或 ( ある )新聞に連載した。 これが偶然大当りにあたって、新派俳優の芝居や活動写真にも仕組まれ、 爾来 ( じらい )名声は 藉然 ( せきぜん )として、一作ごとに高くなり、 今日 ( こんにち )では大抵の雑誌や新聞に清岡進の名を見ないものはないような 勢 ( いきおい )になった。 「これも先生の御本。 」と春代は遠慮なくテーブルの上の一冊を取り上げ口絵を見ながら、「これはまだ活動にはならないんでしょう。 」 清岡はわざとうるさいような顔をして、「春さん。 ちょっと電話を掛けてくれ。 『丸円新聞』の 編輯局 ( へんしゅうきょく )に村岡がいるはずだから。 京橋の丸丸番だよ。 呼出してすぐにここへ来いッて。 」 「村岡さんて、いつもの村岡さん。 」 「そうだよ。 」 「京橋の丸丸番だわね。 」と春代が行きかけた時、持番の 定子 ( さだこ )というのが、黒ビールと南京豆の小皿を持って来て、酌をしながら、「わたし、先生の小説には思出の深い事があるのよ。 あの時分、別に役も何も付いた訳じゃないけれど、始めて 蒲田 ( かまた )へ 這入 ( はい )ったのよ。 」 「定さん。 蒲田にいた事があるのか。 」と清岡はコップを片手に定子の顔を 斜 ( ななめ )に見上げながら、「どうして 止 ( よ )したんだ。 」 「どうしてッて。 見込みがないんですもの。 」 「お世辞じゃないが、定さんのような顔立なら映画には向くんだがね。 監督の言う事を聴かないからだろう。 女は何になっても男の後援がなくっちゃ駄目だからな。 女流作家だって少し売出すまでには、みんな背景があるんだよ。 」 その時君江が 巻煙草 ( まきたばこ )を 啣 ( くわ )えながら歩いて来て、黙って清岡の 側 ( そば )に腰をかける。 春代が戻って来て電話の返事を伝え、そのまま腰をかけて、 「先生。 何か御馳走してよ。 君ちゃんは。 」 「わたしこの方がいいわ。 」と清岡が飲残した黒ビールのコップを取上げた。 「おむつまじい事ね。 じゃア、春代さん、チキンライスか何か一緒にたべましょう。 」と定子は帯の間から取出す伝票紙に注文の品を書きながら立って行った。 明り取りの窓にさしていた夕日の影はいつか消えて、階段の下から突然蓄音機が響き出した。 これが五時半になった知らせで、三時過から休んでいた女給も化粧をし直して出てくる。 階上階下の電燈には残りなく灯がついて、外はまだ 明 ( あかる )い夏の夕方も建物の内ばかりは早くも夜の景気である。 帰り 途 ( みち )が同じ 四谷 ( よつや )の方角なので、君江と春代とは大抵毎晩 連立 ( つれだ )って 数寄屋橋 ( すきやばし )あたりから円タクに乗る。 銀座通では人目に立つのみならず、その 辺 ( へん )にはカッフェーを出た酔客がまだうろうろ 徘徊 ( はいかい )しているので、これを避けるため、少し歩きながら、 通過 ( とおりすぎ )る円タクを呼止め、値切る上にも賃銭を値切り倒して、結局三十銭位で承知する車に乗るのである。 その晩二人は数寄屋橋を渡ってガードの下を過ぎ、 日比谷 ( ひびや )の 四辻 ( よつつじ )近くまで来たが、三十銭で承知する車は一台もない。 春代は腹立しげに、「何だい。 馬鹿にしている。 停 ( とま )るかと思ったら、あいつも行ってしまった。 」 「いいわよ。 ぶらぶら歩きましょうよ。 少し酔ったから丁度いいわよ。 」 「もうすっかり夏だわねえ。 御堀 ( おほり )の方を見ると、まるで芝居の背景見たようねえ。 」 日比谷の四辻には電車を待つ人がまだ大分立っている。 「今夜は節約して電車に乗ろうよ。 」 二人は道幅のひろい四辻を歩道から線路の方へと歩み寄ろうとした時、横合いからぬっと二人の前へ立ちふさがった洋服の男があったので、二人はびっくりしてその顔を見ると、今日も午後にカッフェーへ来ていたダイヤモンドの矢田さんであった。 「まア、大変御ゆっくりねえ。 どこで飲んでいらしったの。 」 「送ってあげよう。 」と矢田は円タクを呼びかけた。 「わたし、電車でいいのよ。 お客様と自動車に乗るのはやかましいから。 」と春代は 体 ( てい )よく逃げようとすると、矢田は、度々その手を食っていると見えて、 「それァ銀座通のことじゃないか。 ここまで来れば構やせん。 僕が責任を負う。 」 「あなたも節約して電車になさいよ。 矢 ( ヤア )さん。 」と君江は丁度来かかった赤電車の方へとすたすた行きかけたので、矢田はとやかく言っている暇もなく、二人の後について 新宿 ( しんじゅく )行の電車に乗った。 案外すいている車の中には、二人の知らない他の店の女給が三人ばかりに、男が五、六人。 いずれも居眠りをしている。 半蔵門 ( はんぞうもん )を過ぎて 四谷見附 ( よつやみつけ )に来かかる時まで、矢田はさすがにおとなしく、連れではないような風をして口もきかずにいたが、君江が春代を残して一人車から降りかけるのを見るや否や、あわててその後について来て、 「君江さん。 もう 乗換 ( のりかえ )はないぜ。 自動車を呼ぼう。 」 「いいのよ。 すぐ 其処 ( そこ )ですから。 」と君江は 人通 ( ひとどおり )の絶えた 堀端 ( ほりばた )を 本村町 ( ほんむらちょう )の方へと歩いて行く。 円タクの運転手が二人の姿を見て、窓から手を出し指で賃銭の割引を示すものもあれば、 垢 ( あか )じみた顔を出してひやかすものもある。 矢田はぴったり寄添い、 「君江さん。 どうしても 家 ( うち )へ帰らなくっちゃいけないのか。 一晩ぐらい都合できないのか。 エ、君江さん。 どうしてもいけなければ、一時間でも、三十分でもいい。 話をしてすぐ別れてもいいから、ちょっとつき合ってくれ。 僕はそんな無理なことは決して言わない。 今夜の中にきっと帰すから。 」 「もう 晩 ( おそ )すぎるわよ。 ぐずぐずしていると、わたし帰れなくなってしまうから。 それに 明日 ( あした )は早番だから。 」 「早番だって、あすこは十一時じゃないか。 こんな事を言ってぐずぐずしている 中 ( うち )に時間がたってしまうじゃないか。 この近辺はいけないのか。 荒木町 ( あらきちょう )か、それとも 牛込 ( うしごめ )はどうだ。 」と矢田は君江の手を握って動かない。 土手上の道路は次第に低くなって行くので、 一歩 ( ひとあし )ごとに夜の空がひろくなったように思われ、 市 ( いち )ヶ 谷 ( や )から牛込の方まで、一目に見渡す堀の景色は、土手も樹木も一様に 蒼 ( あお )く霧のようにかすんでいる。 そよそよと流れて来る 夜深 ( よふけ )の風には青くさい 椎 ( しい )の花と野草の 匂 ( におい )が含まれ、松の 聳 ( そび )えた 堀向 ( ほりむこう )の空から突然 五位鷺 ( ごいさぎ )のような鳥の声が聞えた。 「アラ。 何だか田舎へ行ったようねえ。 」と君江は空を見上げた。 矢田はすかさず、 「どこか静な処へ行こうじゃないか。 一晩位犠牲におしよ。 僕のために。 」 「矢さん。 もしか 目付 ( めっ )かって、ごたごたしたら、あなた。 あの人の代りになってくれること。 わたし、実はもうカッフェーなんかよしたいと思っているの。 」と君江は矢田の心を引いて見るつもりで、わざと身を 摺 ( す )り寄せながら静に歩き出した。 実は今夜連れられて行った先で、矢田が気前 好 ( よ )く 祝儀 ( しゅうぎ )を奮発するかどうかを確めて置こうと思っただけである。 「あの人ッて、誰だ。 この間一緒に 邦楽座 ( ほうがくざ )へ行った人か。 」 「いいえ。 」と言いかけて君江は心づき、「え、そうよ。 あの人よ。 」と 狼狽 ( うろた )えて 言直 ( いいなお )した。 邦楽座へ一緒に行ったのは旦那でも恋人でも何でもない。 つまり矢田さんと同様なその場かぎりのお客なのである。 「そうか。 あの人が君さんの旦那なのか。 」と矢田はすっかり本気にして、「しかし、今まで世話をしている関係があっちゃア、そう急によしてしまう 訳 ( わけ )には行かないだろう。 恨まれるのはいやだからな。 」 君江は噴き出したくなるのを 耐 ( こら )えて、「ですからさ。 もしも、万一の事があったらッて言うのよ。 知れると面倒だから、今夜の事は誰にも絶対に秘密よ。 」 「そんな事は心配しないだって大丈夫だよ。 まさかの時にはきっと僕が引受ける。 」と矢田はまず今夜だけはいよいよ自分のものになった嬉しさ。 人通のない堀端を 幸 ( さいわい )に、いきなり抱き寄せて女の 頬 ( ほお )に 接吻 ( せっぷん )した。 本村町の電車停留場はいつか通過ぎて、 高力松 ( こうりきまつ )が枝を 伸 ( のば )している阪の下まで来た。 市ヶ谷駅の停車場と八幡前の交番との灯が見える。 「あすこの交番はうるさいのよ。 すこしおそくなると、いろいろな事を聞くから、車に乗りましょう。 」 矢田はこの機 逸 ( いっ )すべからずと、あたりを見廻したが、 折悪 ( おりあ )しく円タクが通らないので、二人はそのまま立止った。 「わたしの家はすぐ 其処 ( そこ )の 横町 ( よこちょう )だわ。 角に薬屋があるでしょう。 宵の 中 ( うち )には屋根の上に 仁丹 ( じんたん )の広告がついているからすぐにわかるわ。 わたしこの荷物を置いて来るから待っててヨ。 」 「おい。 君さん。 大丈夫か。 すっぽかしはあやまるぜ。 」 「そんな 卑怯 ( ひきょう )な 真似 ( まね )しやしないわヨ。 心配なら一緒にそこまでいらっしゃいよ。 わたしが帰らないと、いつまでも下のおばさんが 鍵 ( かぎ )をかけずに置くから。 」 高力松の下から五、六軒先の横町を曲ると、今までひろびろしていた堀端の眺望から 俄 ( にわか )に変る道幅の狭さに、鼻のつかえるような気がするばかりか、両側ともに 屋並 ( やなみ )の 揃 ( そろ )わない小家つづき、その間には 潜門 ( くぐりもん )や 生垣 ( いけがき )や 建仁寺垣 ( けんにんじがき )なども 交 ( まじ )っているが、いずれも破れたり枯れたりしているので、あたりは一層いぶせく貧し気に見える。 君江は 軒先 ( のきさき )に 魚屋 ( さかなや )の看板を出した家の前まで来て、「ここで待っていらっしゃい。 」と言いすて、魚屋の軒下から 路地 ( ろじ )へ 這入 ( はい )った。 矢田はすぐにその後について行こうとしたが、君江の感情を害しはせぬかと遠慮して、 暫 ( しばら )く首をのばして 真暗 ( まっくら )な路地の中をのぞくと、がたりがたりといかにも具合のわるそうな 潜戸 ( くぐりど )の音がしたので、いくらか安心はしたものの、どうも、様子が見届けたくてならぬところから、 一歩二歩 ( ひとあしふたあし )とだんだん路地の中へ進み入ると、 忽 ( たちま )ち雨だれか何かの 泥濘 ( ぬかるみ )へぐっすり片足を踏み込み、驚いて立戻り、魚屋の 軒燈 ( けんとう )をたよりに 半靴 ( はんぐつ )のどろを 砂利 ( じゃり )と 溝板 ( どぶいた )へなすりつけている。 間もなく、君江は出て来て、 「アラ、どうしたの。 」 「イヤ、ひどい道だ。 馬鹿にくさい。 猫か犬の 糞 ( くそ )だろう。 」 「だから、外で待っていらっしゃいッて言ったんじゃないの。 ほんとに 臭 ( くさ )いわ。 あなた。 」と君江は寄添う矢田からその身を離して、「わたし、 草履 ( ぞうり )だから、 足袋 ( たび )へくっ付けちゃ、いやヨ。 」 矢田は歩きながら、砂利に靴の裏をこすりこすりもとの堀端へ出ると、丁度 曲角 ( まがりかど )の軒下に 薪 ( まき )と 炭俵 ( すみだわら )とが積んであったのでやっと靴の掃除をし終った時、呼びもしない円タクが二人の前に 停 ( とま )った。 「 神楽阪 ( かぐらざか )。 五十銭。 」と矢田は君江の手を取って、車に乗り、「阪の下で降りよう。 それから少し歩こうじゃないか。 」 「そうねえ。 」 「今夜は何となく夜通し歩きたいような気がするんだよ。 」と矢田は腕をまわして軽く君江を抱き寄せると、君江はそのまま寄りかかって、何も 彼 ( か )も承知していながら、わざと、 「 矢 ( ヤア )さん。 一体どこへ行くの。 」ときいた。 矢田の方でも随分白ばッくれた女だとは思いながら、その経歴については何事も知らないので、表面は 摺 ( す )れていても、その実案外それほどではないのかという気もするので、この場合は女の仕向けるがまま至極おとなしい女給さんとして取扱っていれば間違いはないと、君江の耳元へ口を寄せて、「 待合 ( まちあい )だよ。 」と 囁 ( ささや )き聞かせ、「差しつかえはないだろう。 今夜は 晩 ( おそ )いからね。 僕の知ってる処がいいだろう。 それとも君江さん。 どこか知っているなら、そこへ行こう。 」 思いがけない矢田の仕返しに、さすがの君江も返事に困り、「いいえ。 何処 ( どこ )だってかまわないわ。 」 「じゃ、阪下で降りよう。 尾沢カッフェーの裏で、静な家を知っているから。 」 君江はうなずいたまま窓の外へ目を移したので、 会話 ( はなし )はそのまま 杜絶 ( とだ )える間もなく車は神楽阪の下に停った。 商店は残らず戸を閉め、宵の 中 ( うち ) 賑 ( にぎやか )な露店も今は道端に 芥 ( あくた )や 紙屑 ( かみくず )を散らして立去った後、ふけ渡った阪道には屋台の飲食店がところどころに残っているばかり。 酔った人たちのふらふらとよろめき歩む間を自動車の 馳過 ( かけすぎ )る 外 ( ほか )には、芸者の姿が街をよこぎって横町から横町へと出没するばかりである。 毘沙門 ( びしゃもん )の 祠 ( ほこら )の前あたりまで来て、矢田は立止って、向側の 路地口 ( ろじぐち )を眺め、 「たしかこの裏だ。 君江さん。 草履だろう。 水溜 ( みずたま )りがあるぜ。 」 石を敷いた路地は、二人並んでは歩けないほどせまいのを、矢田は今だに一人先に立って行ったら君江に逃げられはせぬかと心配するらしく、ハメ板に 肱 ( ひじ )や肩先が 触 ( さわ )るのもかまわず、身を 斜 ( ななめ )にしながら並んで行くと、 突当 ( つきあた )りに 稲荷 ( いなり )らしい小さな 社 ( やしろ )があって、低い石垣の前で路地は十文字にわかれ、その 一筋 ( ひとすじ )はすぐさま石段になって降り行くあたりから、その時静な 下駄 ( げた )の音と共に 褄 ( つま )を取った芸者の姿が現れた。 二人はいよいよ身を斜にして道を譲りながら、ふと見れば、乱れた島田の 髱 ( たぼ )に 怪 ( あや )し 気 ( げ )な 癖 ( くせ )のついたのもかまわず、歩くのさえ 退儀 ( たいぎ )らしい女の様子。 矢田は 勿論 ( もちろん )の事。 君江の目にも 寐静 ( ねしずま )った路地裏の情景が一段 艶 ( なまめか )しく、いかにも 深 ( ふ )け渡った 色町 ( いろまち )の夜らしく思いなされて来たと見え、言合したように立止って、その後姿を見送った。 それとも心づかぬ芸者は、稲荷の前から左手へ曲る角の待合の勝手口をあけて 這入 ( はい )るが否や、疲れ果てた様子とは忽ち変った威勢のいい声で、「かアさん。 もう間に合わなくって。 」 君江は耳をすましながら、「 矢 ( ヤア )さん。 わたしも芸者になろうと思ったことがあるのよ。 ほんとうなのよ。 」 「そうか。 君江さんが。 」と矢田はいかにもびっくりしたらしく、その 事情 ( わけ )をきこうとした時、早くも目指した待合の門口へ来た。 内にはまだ人の 気勢 ( けはい )がしていたが、門の扉の閉めてあるのを、矢田は「おいおい」と呼びながら 敲 ( たた )くと、すぐに 硝子戸 ( ガラスど )の音と、下駄をはく音がして、 「どなたさま。 」と女の声。 矢さんだよ。 」 「あら、大変御ゆっくりねえ。 」と門の扉を明けた女中は、君江の姿を見て、いくらか調子を改め、「さア、どうぞ。 」 女中は廊下の突当りから、 厠 ( かわや )らしい杉戸の前を過ぎて、 瓦塔口 ( がとうぐち )の 襖 ( ふすま )をあけ、奥まった 下座敷 ( しもざしき )の四畳半に案内した。 今しがたまでお客がいたものと見え、酒のかおりと共に、 煙草 ( たばこ )の 烟 ( けむり )も 籠 ( こも )ったままで、 紫檀 ( したん )の 卓 ( テーブル )の 溝 ( みぞ )には 煎豆 ( いりまめ )が一ツ二ツはさまっていた。 女中は片隅に積み載せた 座布団 ( ざぶとん )を出し、「ただ 今 ( いま ) 綺麗 ( きれい )にいたします。 やっと今方片づいた処なんで 御在 ( ござい )ますよ。 」 「大した景気だな。 」 「いいえ。 相変らずで仕様が御在ません。 」と女中はお 定 ( き )まりの茶菓を取りにと立って行く。 「すこし明けようじゃないか。 」 「蒸し蒸しするわねえ。 」と君江はいざりながら手を 伸 ( のば )して障子を明けると、 土庇 ( どびさし )の外の小庭に 燈籠 ( とうろう )の 灯 ( ひ )が見えた。 「あら、いいわね。 芝居のようだわ。 」 「カッフェーとはまた別だな。 これが江戸趣味ッていうんだろうな。 」と矢田は 沓脱石 ( くつぬぎ )の上に両足を投出して煙草へ火をつけた。 植込を隔てて 隣 ( となり )の二階の窓が見える。 簾 ( すだれ )がおろしてあるが障子の上に、 島田 ( しまだ )に 結 ( ゆ )った女が立って 衣服 ( きもの )をぬいでいるらしい影のありあり映っているのを見て、君江はそっと矢田の 袖 ( そで )を引いたが、それと同時に 艶 ( なまめか )しい影は雲のように大きく薄くなったまま消え去って、かすかな話声ばかりになった。 矢田は何の事やら気がつかなかったらしく、石の上に両脚を踏みのばしたまま洋服の上着を脱ぎ、ネキタイを解きかけたが、君江は女中が茶を運び、続いて 浴衣 ( ゆかた )を持って来る時まで、そのままぼんやり隣の 火影 ( ほかげ )を眺めていた。 何ともつかず、突然君江は待合というところへ初めて連れ込まれた時の事を 憶 ( おも )い出したからである。 場処は牛込ではなく、大森であったが、中庭を隔てた植込の 彼方 ( かなた )に二階の 灯影 ( ほかげ )を見ながら男と二人縁側に腰をかけて、女中が仕度するのを待っていたその場の様子は今夜と少しも変りがない。 変ったのは自分の心持ばかり。 その時分恐しかったり珍しかったりした事は、もう 馴 ( な )れた上にも馴れきって、何とも思わなくなってしまった。 「君さん。 何かたべるか。 もう 支那蕎麦 ( しなそば )ぐらいしか出来ないとさ。 」 矢田の声に君江は振返ると、洋服を浴衣にきかえ、立ってしごきを結びかけている。 「わたし、ほしくないわ。 」と君江も 一重羽織 ( ひとえばおり )の 紐 ( ひも )を解きかけた。 女中は矢田の洋服を入れた 乱箱 ( みだればこ )を片隅に運び、「今夜はどこもふさがっておりますから、お狭いでしょうけれど、ここで、どうぞ。 」と床の間につづいた押入から夜具を取出したので、二人は再び 濡縁 ( ぬれえん )に腰をかけて庭の方を向いた。 君江の眼にはいよいよ初めての夜の事が浮んで来る。 「お 風呂 ( ふろ )はいつでもわいておりますから。 」と女中は出て行く。 「君さん。 何を考えているんだ。 お着かえよ。 」と矢田は心配そうに横顔を 覗 ( のぞ )き込んで君江の手を取った。 君江は羽織をきたまま坐ったなりで、 帯揚 ( おびあげ )と 帯留 ( おびどめ )とをとり、懐中物を一ツ一ツ畳の上に抜き出しながら、矢田の顔を見てにっこりした。 君江は三年前、家を飛出して、学校友達で人の 妾 ( めかけ )になっていた京子の 許 ( もと )に身を寄せ、その旦那の世話で保険会社の女事務員になって、 僅 ( わずか )一、二カ月たつかたたぬ 中 ( うち )、早くも課長に誘惑されて大森の待合に連れられて行った。 これが実際男と戯れた初めであったが、君江はその前から京子が旦那の目をかすめていろいろな男を 妾宅 ( しょうたく )へ引入れるさまを目撃していたのみならず、折々は京子とその旦那との三人一ツ座敷へ寝たことさえある位で、言わば待合か芸者家の娘も同様、早くから何事をも承知しぬいていただけ、時にはなお更甚しく好奇心に 駆 ( か )られる矢先。 課長の誘惑をよい事にしてこれに応じたまでの事である。 課長は五十を越した道楽者にも似ず、その晩君江が酒も飲めば冗談も言うし、更に気まりのわるい事を知らない様子に、かえって興をさましたらしく、そこそこにその場を引上げた。 それらの事を 憶 ( おも )い返して、君江はおぼえず口の端に微笑を浮べたのを、矢田は何事も知らないので、笑顔を見ると共に唯嬉しさのあまり、力一ぱい抱きしめて、 「君さん、よく承知してくれたねえ。 僕は到底駄目だろうと思って絶望していたんだよ。 」 「そんな事ないわ。 わたしだって女ですもの。 だけれど男の人はすぐ 外 ( ほか )の人に話をするから、それでわたし逃げていたのよ。 」と君江は男の胸の上に抱かれたまま、羽織の下に片手を廻し、帯の掛けを抜いて引き出したので、薄い 金紗 ( きんしゃ )の 袷 ( あわせ )は 捻 ( ねじ )れながら肩先から滑り落ちて、だんだら 染 ( ぞめ )の 長襦袢 ( ながじゅばん )の胸もはだけた 艶 ( なまめか )しさ。 男はますます激した調子になり、 「こう見えたって、僕も信用が大事さ。 誰にもしゃべるもんかね。 」 「カッフェーは実に口がうるさいわねえ。 人が何をしたって余計なお世話じゃないの。 」と言いながら、 端折 ( はしょ )りのしごきを解き 棄 ( す )て、 膝 ( ひざ )の上に抱かれたまま身をそらすようにして 仰向 ( あおむ )きに打倒れて、「みんな取って 頂戴 ( ちょうだい )、 足袋 ( たび )もよ。 」 君江はこういう場合、初めて 逢 ( あ )った男に対しては、度々 馴染 ( なじみ )を重ねた男に対する時よりもかえって一倍の興味を覚え、思うさま男を悩殺して見なければ、気がすまなくなる。 いつからこういう癖がついたのかと、君江は 口説 ( くど )かれている最中にも時々自分ながら心付いて、中途で 止 ( や )めようと思いながら、そうなるとかえって止められなくなるのである。 美男子に対する時よりも、醜い老人やまたは最初いやだと思った男を相手にして、こういう場合に 立到 ( たちいた )ると、君江はなお更 烈 ( はげ )しくいつもの癖が増長して、後になって我ながら浅間しいと 身顫 ( みぶる )いする事も幾度だか知れない。 この夜、平素 気障 ( きざ )な奴だと思っていた矢田に迫まられて、君江は途中から急にその言うがままになり出したのも、知らず知らずいつもの悪い癖を出したまでの事である。 翌日の朝、矢田と合乗りした自動車から、君江はひとり士官学校の土手際で降りて、路地の貸間に立戻ったが、鏡台の前へ坐ると、急に眠くなって来て化粧をし直す力もなく、わずかに羽織をぬぎすてたばかり。 着のみ着のまま、ごろりと横になった。 腕時計の針はまだ九時半をさしたところなので、十時まで三十分間眠るつもりで眼をつぶったのであるが、 忽 ( たちま )ち格子戸につけた鈴の音と共に男の声のするのを聞きつけて耳をすますと、思いがけない清岡の声なので、君江はびっくりして 起直 ( おきなお )った。 清岡がこの貸間へ来るのは、いつも君江がその翌日五時出の 晩番 ( おそばん )に当る前の夜にきまっている。 それも大抵カッフェーにいる間から 予 ( あらかじ )め知れていることで、今日のような早出の朝、不意に尋ねて来ることは滅多にない。 君江は昨夜のことが知れたのではないか。 それにしては知れ方が早過ると、心の中では随分あわてながら、何喰わぬ顔で 勢 ( いきおい ) 好 ( よ )く、 「お早いことねえ。 まだ散らかしたまんまなのよ。 」と 梯子段 ( はしごだん )を降りて行くと、清岡は丁度靴をぬいで上ったばかり。 戸口を掃いていた 小母 ( おば )さんも 抜目 ( ぬけめ )のない 狸婆 ( たぬきばばあ )と見えて、 「君江さん。 おいやでも、もう一度おばさんの薬を上ってお出かけなさいましよ。 昨夜はほんとにびっくりしました。 」 君江はそれに力を得て、「もう大丈夫よ。 きっと 食合 ( たべあわ )せがわるかったのねえ。 」 「どうかしたのか。 お 腹 ( なか )でも下したのか。 」と言いながら清岡は二階へ上って、窓へ腰をかけた。 二階は六畳に三畳の二間つづきであるが、 前桐 ( まえぎり )の 安箪笥 ( やすだんす )と化粧鏡と盆に載せた茶器の外には 殆 ( ほとんど )何にもない。 箪笥の上にも何一ツこまごました物も載せられていないので、二階中はいかにもがらんとして古畳と 鼠壁 ( ねずみかべ )のよごれが 一際 ( ひときわ )目に立つばかり。 座布団 ( ざぶとん )も色のさめたメリンスの 汚点 ( しみ )だらけになったのが一枚、鏡台の前に置いてある 外 ( ほか )には、木綿麻の随分古ぼけた夏物が二枚壁際に投出されているばかりである。 君江はいつものように鏡台の前の座布団を裏返しにして清岡にすすめると、清岡はそれを窓の敷居の上に載せ、ズボンの折目を気にしながら再び腰をかけた。 窓の下はコールタの 剥 ( は )げたトタン 葺 ( ぶき )の平屋根で、二階から捨てる 白粉 ( おしろい )や 歯磨 ( はみがき )の水の 痕 ( あと )ばかりか、毎日 掃出 ( はきだ )す 塵 ( ちり )ほこりに 糸屑 ( いとくず )や紙屑もまざっている。 この汚らしい屋根の 彼方 ( かなた )は、士官学校門前の通に立っている二階家の裏側で、汚い洗濯物や古毛布や赤児のおしめが干してある間から、絶えずミシンの音やら印刷機の響が聞える。 これと共に士官学校の構内で生徒の練習する号令の声、軍歌の声、 喇叭 ( ラッパ )の響のみならず、昼の 中 ( うち )は馬場の 砂烟 ( すなけむり )が折々風の吹きぐあいで灰のように飛んで来て畳の上のみならず 襖 ( ふすま )をしめた 押入 ( おしいれ )の内までじゃりじゃりさせる事がある。 清岡は丁度去年の今頃、初めて君江に導かれてこの貸間に立寄った時から、もう少しあたりの清潔な居心地の好い処へ引越したらばと勧めていたが、君江は唯口先でばかり同意しながら、その実今日まで更に引越そうとする様子もなく、家具も一年前と同じで、その後 新 ( あらた )に 湯呑 ( ゆのみ )一つ買った事もないらしい。 金には決して不自由していないのに、机も 衣桁 ( いこう )もなく、電気の笠もかけたままで、いつまでたっても、今方引越して来たばかりだという体裁である。 君江は年頃の女のように、窓に草花の鉢を置いたり、箪笥の上に人形や玩具を飾り立てたり、壁に絵葉書を貼ったりするような趣味は全然持っていない。 とにかく一風変った妙な女だと清岡は早くから心付いていた。 「お茶はいらない。 もうそろそろ出掛ける時分だろう。 」と清岡は窓から座布団と共に腰をすべらせて畳の上に 胡坐 ( あぐら )をかき、「僕もこれから 新宿 ( しんじゅく )の駅まで用事があるんだよ。 それでちょいと寄って見たんだ。 」 「そう。 でも、お茶だけ入れましょうよ。 おばさん。 お湯がわいているなら 頂戴 ( ちょうだい )。 」と叫びながら下へ降り、すぐに 瀬戸引 ( せとびき )の 薬鑵 ( やかん )を 提 ( さ )げて来た。 「 昨日 ( きのう )、お前、占を見てもらいに行ったんだってね。 『街巷新聞』に出た 黒子 ( ほくろ )の一件は、誰がいたずらをしたのか 当 ( あて )がついたか。 」 「いいえ。 当も何もつかないわ。 」と君江は 久須 ( きゅうす )の茶を湯呑につぎながら、「初めは、いろいろな事をきいて見ようと思って出かけて見たんだけれど、何だか気まりがわるいから 止 ( よ )してしまったのよ。 だけれど、考えるとほんとに不思議ねえ。 誰も知っているはずがない事なんですもの。 」 「占いでわからなければ、今度は 巫女 ( いちこ )か、お 先狐 ( さきぎつね )にでも見てもらうんだな。 」 「巫女ッて何。 」 「知らないのか、よく芸者なんぞが見てもらうじゃないか。 」 「わたし、占者だって全く昨日が始てですもの。 何だか馬鹿馬鹿しいような気がするから、ああいう事はわたしには駄目よ。 」 「だから、気にしない方がいいッて僕は最初からそう言ってるじゃないか。 」 「でもあんまり不思議なんですもの。 知れようはずのない事が知れたんですもの。 まったく不思議だわ。 」 「自分ばかり知れないと思っていても、世の中には案外な事があるからね。 秘密はかえって漏れやすいものさ。 」と言い終って清岡は自分から言過ぎたと心付き、急いで 煙草 ( たばこ )を 啣 ( くわ )えながら君江の顔色を 窺 ( うかが )うと、君江の方でも何か言おうとしたのをそのまま黙って、飲みかけた湯呑を口の端に持ち添えたまま、じろりと清岡の顔を見たので、二人の目はぴったり 出遇 ( であ )った。 清岡は煙草の 烟 ( けむり )にむせた風をして顔を 外向 ( そむ )け、 「何でも気にしないのが一番いいよ。 」 「ほんとうねえ。 」と君江の方でも心からそう思っているらしく見せかけるために、声まで作ったが、それなり後の言葉が出て来ないので、湯呑の茶をゆっくり飲干して静に下に置いた。 君江は昨夜矢田と神楽坂へ泊った事は知られていないにしても、何しろ二年越しの間柄なので、何事に限らず大抵の事は清岡には知られていると思っているが、さてどの辺まで知られているか、それは君江にも当がつかない。 君江は何か好い折があったら、清岡とは関係を 断 ( た )ってさっぱりとして、自分の過去の事を少しも知らない新しい恋人を得たいという気にもなっている。 君江はどういう 訳 ( わけ )だか、自分の平生を人に知られている事を好まない。 秘密にする必要がない事でも、君江は人に問われると、唯にやにや笑いにまぎらすか、そうでなければ口から出まかせな 虚言 ( うそ )をつく。 最 ( もっとも )親しいはずの親兄弟に対しては君江は一番よそよそしく決して本心を明した事がない。 自分の方から好きだと思う男に対してはなお更の事で、その男が何か深く聞知ろうとすればいよいよ堅く口を閉じて何事をも語らない。 同じ店につとめているカッフェーの女給連は、君江さんほど姿の優しいしとやかな人はないが、不断何を考えているのやらあれほど訳のわからない人もないと言われているのである。 清岡が君江を 識 ( し )ったのは君江が始めて 下谷 ( したや ) 池 ( いけ )の 端 ( はた )のサロン、ラックという酒場の女給になったその第一日の晩からであった。 清岡は始めて君江を見た時、女給をした事がないというならば、どこかで芸者をしていた女だろうと想像した。 容貌はまず十人 並 ( なみ )で、これと目に立つ処はない。 額は 円 ( まる )く、 眉 ( まゆ )も薄く眼も細く、横から見ると随分しゃくれた 中低 ( なかびく )の顔であるが、 富士額 ( ふじびたい )の 生際 ( はえぎわ )が 鬘 ( かつら )をつけたように 鮮 ( あざや )かで、下唇の出た口元に言われぬ 愛嬌 ( あいきょう )があって、物言う時歯並の好い、 瓢 ( ひさご )の種のような歯の間から、舌の先を動かすのが 一際 ( ひときわ )愛くるしく見られた。 この外には色の白いのと、 撫肩 ( なでがた )のすらりとした後姿が美点の中の第一であろう。 清岡はその晩、君江が物言いのしずかなのと、挙動の疎暴でないのを殊更うれしく思って、 纏頭 ( ちっぷ )は拾円奮発してその帰途をそっと外で待っていた。 それとは心づかない君江は 広小路 ( ひろこうじ )の四辻まで歩いて 早稲田 ( わせだ )行の電車に乗り、江戸川 端 ( ばた )で乗換え、更にまた 飯田橋 ( いいだばし )で乗換えようとした時は既に赤電車の出た後であった。 清岡は自動車でここまで跡をつけて来たので、そっと車を降り、偶然再会したような振りで話をしかけた。 君江は問われてもはっきり住処は知らせなかったが、唯 市 ( いち )ヶ 谷 ( や ) 辺 ( へん )だと答えて、一緒に 外濠 ( そとぼり )を 逢阪下 ( おうさかした )あたりまで歩いて行く中、どうやら男の言うままになってもいいような 素振 ( そぶり )を示した。 君江はその頃、久しく一緒に住んで共に 私娼 ( ししょう )をしていた京子という女が、いよいよ 小石川 ( こいしかわ ) 諏訪町 ( すわちょう )の家をたたんで 富士見町 ( ふじみちょう )の芸者家に住込む事になったので、泣きの涙で別れ、独り市ヶ谷 本村町 ( ほんむらちょう )の貸二階へ引移り、私娼の周旋宿へ出入する事をよしていたので、一月あまりの間一晩も男に戯れる折がなかった。 夜ふけてから外へ出た事さえ 稀 ( まれ )だったので、この夜久しぶり静にふけ渡った 濠端 ( ほりばた )の景色を見てさえ、何とも知れず心の浮き立つ折から、時候も丁度五月の初めで、 袷 ( あわせ )の 袖口 ( そでぐち )や 裾前 ( すそまえ )から静に夜風の肌を 撫 ( な )でる心持。 君江は清岡の事を少壮の大学教授か何かだろうと、始めからわるく思っていなかったので、飛び立つような嬉しさをわざと押隠し、誘われるがまま気まりのわるい風をしながら、その夜は 四谷 ( よつや ) 荒木町 ( あらきちょう )の 待合 ( まちあい )へ連られて行った。 君江は新に好きな男ができると 忽 ( たちま )ち熱くなって忽ち冷めてしまうという、生れついての浮気者なので、翌日も夕方近くまでいちゃついていたが、離れるのがいやさにカッフェーもそれなり休んで、 井 ( い )の 頭 ( かしら )公園の旅館に行き次の夜は 丸子園 ( まるこえん )に 明 ( あか )して三日の後、市ヶ谷の貸間まで一緒に来てやっとわかれた。 清岡は丁度その頃、一時 妾 ( めかけ )にしていた映画女優の玲子とやらを人に奪われ、代りの女を物色していた矢先、君江が身も心も捧げ尽したような濃厚な態度に、すっかり迷い込み、どんな 贅沢 ( ぜいたく )な生活でも望む通りにさせてやるから、女給をやめるようにと勧めたが、君江は将来自分でカッフェーを出したいから、もう暫く女給をしていたいと言った。 それならば本場の銀座へ出て経験をした方がよいと、池ノ端のサロンは一カ月あまりで止めさせ、半月ばかり京阪を連れ歩いた後、清岡は人を介して、銀座では屈指のカッフェーに数えられている現在のドンフワンに君江を周旋した。 間もなく入梅があけて夏になり、土用の 半 ( なかば )からそろそろ秋風の立ち初める頃まで、清岡は何一つ疑う所もなく、心から君江に愛されているものとばかり思込んでいた。 ところが 或 ( ある )夜二、三の文学者と芝居の帰り、銀座に立寄って見ると、君江は急に心持がわるくなったと言って夕方から店を休んだという事を、他の女給から聞き、友達にわかれてから、一人本村町の貸間へ病気見舞いに行こうとした時、いつも曲る濠端の横町から、 突 ( つ )と現われ出た女の姿を見た。 まだ十二時前ではあったが、 片側 ( かたがわ )町の人家は既に戸を閉め、人通りも電車も 杜絶 ( とだ )えがちになった往来には円タクが 馳過 ( かけすぎ )るばかり。 清岡は四、五 間 ( けん )こちらから、白っぽい 絽縮緬 ( ろちりめん )の着物と青竹の模様の夏帯とで、すぐにそれと見さだめ、 怪訝 ( かいが )のあまり、車道を横断して土手際の歩道を行きながら女の跡をつけた。 女はスタスタ交番の前をも平気で歩み過るので、市ヶ谷の電車停留場で電車でも待つのかと思いの 外 ( ほか )、八幡の鳥居を入って振返りもせず左手の女阪を上って行く。 いよいよ不審に思いながら、地理に明い清岡は感づかれまいと、男の足の早さをたのみにして、ひた走りに町を 迂回 ( うかい )して 左内阪 ( さないざか )を昇り神社の裏門から 境内 ( けいだい )に 進入 ( すすみい )って様子を窺うと、社殿の正面なる石段の降口に沿い、眼下に市ヶ谷見附一帯の濠を見下す 崖上 ( がけうえ )のベンチに男と女の寄添う姿を見た。 尤 ( もっと )もベンチは三、四台あって、いずれも密会の男女が肩を 摺寄 ( すりよ )せて腰をかけていた。 清岡はかえって好い都合だと、桜の木立を 楯 ( たて )にして次第次第に進み寄り、君江がどんな話をしているかを 窺 ( うかが )い、同時に相手の男の何者たるかを見定めようと試みた。 清岡はいかなる作者の探偵小説中にも、この夜の事件ほど探偵に成功したはなしは恐らくあるまいと、殆どその瞬間には 驚愕 ( きょうがく )のあまり 嫉妬 ( しっと )の怒りを発する暇がなかったくらいであった。 男はパナマらしい帽子を 冠 ( かぶ )り 紺地 ( こんじ )の 浴衣 ( ゆかた )一枚、夏羽織も着ず、ステッキを携えている様子はさして老人とも見えなかったが、薄暗い電燈の 灯影 ( ほかげ )にも 口髯 ( くちひげ )の白さは目に立つほどであった。 腕をまわして帯の下から君江の腰を抱きながら、 「なるほどここは涼しい。 お前のおかげで、おれもいろいろな事を経験するよ。 六十になってベンチで女を待ち合わすなんて、実に我ながら意想外だ。 この社殿の 向 ( むこう )に今でもきっと 大弓場 ( だいきゅうば )があるだろうが、おれも若い時分に弓をやりに来たことがあった。 それから何十年とこの石段を上った事がない。 それはそうと今夜はこれからどこへ行こうというんだね。 ここのベンチでもいいよ。 はははは。 」と笑いながら君江の 頬 ( ほお )に 接吻 ( せっぷん )した。 君江は黙って、暫くの間老人のなすがままになっていたが、やがて静にベンチから立上り着物の 裾前 ( すそまえ )を合せ、 鬢 ( びん )を 撫 ( な )でながら、「すこし歩きましょう。 」と連立って石段を降りる。 清岡は 先刻 ( さっき )君江が昇った女阪の方へ 迂回 ( まわ )って見えがくれに後をつけた。 それとは知らない二人は話しながら堀端を歩いて行く。 「京子は富士見町へ出てから、どうだね。 あの女のことだから、きっといそがしいだろう。 」 「毎日昼間からお座敷があるんですって。 この間ちょいと尋ねたのよ。 だけれどろくろく話をしている 暇 ( ひま )もなかったのよ。 あなた。 これから寄って見ない。 いなかったらいなかったで、別にかまやアしないから。 」 「うむ。 久しぶり、三人で夜明しするのも面白い。 諏訪町 ( すわちょう )の二階では実にいろいろな事をしたね。 とにかくお前と京子とは実にいい相棒だよ。 僕は昼間真面目な仕事をしている最中でも、ふいと妙な事を考え出すと、すぐにお前の事を思出す。 それから京子の事を思出して、夢でも見ているような心持になるんだ。 」 「それでも京子さんに 較 ( くら )べれば、わたしの方がまだ健全だわねえ。 」 「どっちともいえない。 お前の方が見かけが 素人 ( しろうと )らしく見えるだけ罪が深いよ。 カッフェーへ行ってから別に変ったのも出来ないかね。 西洋人はどうだ。 」 「銀座はあんまり評判になり 過 ( すぎ )るから、そう思うようにはやれないわ。 そこへ行くと芸者の方が大びらで、面倒臭くなくっていいわ。 諏訪町にいる時分はほんとに面白かったわね。 」 「旦那はあれっきりか。 まだ出て来ないのか。 」 「そうでしょう。 その後別に話が出ないから、どの道もう関係はないんでしょう。 それにもともと京子さんの方じゃ、借金を返してもらった義理があるだけで、別に何とも思っていた訳じゃないんだから。 」 「今度は何て言っている。 やはり京子というのか。 」 「いいえ。 京葉 ( きょうは )さんていうのよ。 」 二人は夜ふけの風の涼しさと堀端のさびしさを好い事に戯れながら歩いて 新見附 ( しんみつけ )を曲り、 一口阪 ( ひとくちざか )の電車通から、 三番町 ( さんばんちょう )の 横町 ( よこちょう )に折れて、 軒燈 ( けんとう )に 桐花家 ( きりはなや )とかいた芸者家の 門口 ( かどぐち )に立寄った。 夏の夜の事で、その辺の芸者家ではいずれもまだ戸を明けたまま、芸者は門口の 涼台 ( すずみだい )に腰をかけて話をしているのを、男はなれなれしく、 「京葉さんはいますか。 」ときくと、直に家の内から、小づくりの 円顔 ( まるがお )。 髪はつぶしに たけながを結んだ女が腰の物一枚、裸体のまま 上框 ( あがりがまち )へ出て来て、 「あら、御一緒。 まアうれしいわね。 わたし今帰って来たところ。 丁度よかったわ。 」 「どこかいい 家 ( うち )を教えろよ。 ゆっくり話をするから。 」 「そうねえ。 それじゃア……。 」と裸体の女は行先を男に 囁 ( ささや )くと、二人はそのまま歩いて四ツ角をまがる。 ここまで跡をつけて来て路地のかげに身をひそめていた清岡は、万事があまりに都合好く 進捗 ( しんちょく )して行くので、このまま 中途 ( ちゅうと )から帰るわけには行かなくなった。 頃合いを計って、清岡は君江のつれられて行った同じ待合へと、振りの客になり済まして上り込み、女中には勘定を先に払って、なりたけおとなしい若い芸者をといい付け、素知らぬ振りで寝てしまった。 そして 彼 ( か )の見知らぬ老人が君江と京葉の二人を相手の遊びざまを思い残りなく 窺 ( うかが )った後、翌日の朝はまだ日の照らぬ 中 ( うち )清岡はそっとその待合を出た。 しかし 赤阪 ( あかさか )の家へ帰るには時間が少し早過るので、やむことをえず 四番町 ( よんばんちょう )の土手公園を歩みベンチに腰をかけて、ぼんやりとして堀向うの高台を眺めた。 清岡は三十六歳のその日まで、夢にも見なかった事実を目撃し、これまで考えていた女性観の全然誤っていた事を知って、 嫉妬 ( しっと )の怒りを発する力もなく、唯わけもなく 欝 ( ふさ )ぎ込んでしまった。 清岡はその日まで、独り君江に限らず世間の若い女が五十六十の老人に身を寄せて平気でいるのは、恋愛と性慾との不満足を忍んでひたすら生活の安定を得ようがためとばかり思込んでいたのであるが、 豈 ( あに ) 図 ( はか )らんや。 事実は決してそうでない。 自分ばかりを愛していると思っていた君江の如きは、事もあろうに 淫卑 ( いんぴ )な安芸者と醜悪な 老爺 ( ろうや )と、三人 互 ( たがい )に 嬉戯 ( きぎ )して 慚 ( はじ )る処を知らない。 清岡は自分の経験と観察とのいかに浅薄であったかを知ると共に、君江に対しては言うに言われぬ憎悪の念を覚え、このままもう二度と顔は見まいと思った。 しかしその日家へ帰ってから一ト寐入りして目をさますと、一時激昂した心も大分おちついている。 それと共にこのまま何事をも知らぬ顔に済してしまうのは、あまり 言甲斐 ( いいがい )がなさ過る。 面責した上、女の口から事実を白状させてあやまらせねば、どうも気がすまない。 しかしまた更に 思直 ( おもいなお )して見ると、君江は見掛けに似ず並大抵の女でない。 問われるままに案外無造作に白状してしまうかも知れない。 それと共に自分の遊び足りない事と嫉妬を起した事などを 心窃 ( こころひそか )に冷笑しないとも限らない。 これは男の身に取っては浮気をされたよりも、なお更忍びがたい侮辱である。 清岡は黙殺するのも無念だし、表面は 謝罪 ( あやま )って、蔭で舌を出されるのはなお更 口惜 ( くや )しいと、さまざま思案した末、やはり何事をも知らぬ振りで表面は今まで通り、あくまで馬鹿にされながら、その代りいつか時節を待って、痛烈な 復讐 ( ふくしゅう )をしてやるに 若 ( し )くはないと決心した。 清岡は多年原稿生活を営む必要上、腹心の男を二人使っている。 一人は村岡といって、 早稲田 ( わせだ )あたりを卒業したばかりの文士で、毎月百円内外の手当を 貰 ( もら )い、清岡の口述する小説を筆記して原稿を製作すると、それを駒田という五十年輩の男が新聞社や雑誌社へ売込みに行く。 駒田は多年 或 ( ある )新聞社の会計部に雇われていたので、原稿料の相場にも 明 ( あかる )くまた記者仲間にも知己が多いので、清岡の受取るべき稿料の二割を自分の所得にする約束で働いているのである。 清岡は門人同様の村岡に命じて、君江が歌舞伎座へ見物に行った帰途、安全 剃刀 ( かみそり )の刃で着物の 袂 ( たもと )を切らせた。 尤 ( もっと )もその衣類は清岡が買ってやったものである。 暫 ( しばら )くしてから清岡はこれも三越で自分が買ってやった真珠入の 櫛 ( くし )を、一緒に自動車に乗った時、その降り 際 ( ぎわ )にそっと抜き取って見た。 君江はきっと泣いて騒ぐだろうと思いの外、さして気にも留めないらしく、清岡にもまた間貸しのおばさんにも別にそんな話さえしない様子であった。 君江は極めてじだらくで、物の始末をしたことのない、不経済な女である代り、着物もそれほど着たがらない事は清岡も不断から心づいてはいたものの、かくまで無頓着だとは思っていなかった。 そこで、留守の中に 窃 ( そっ )と猫の 児 ( こ )の 死骸 ( しがい )を押入の中に投込んで様子を見たが、これさえさほど恐怖の種にはならなかったらしいので、遂に清岡はわるくすると感付かれるかも知れぬと危ぶみながら、君江が 内股 ( うちまた )の 黒子 ( ほくろ )の事を、村岡にいい付けて『街巷新聞』に投書させたのであった。 これは大分君江の心を不安にさせたらしいので、清岡は内心それ見ろと幾分か胸のすくような心地がした。 しかし一度目が覚めた後、君江の生活を探偵して見るといよいよ腹の立つ事ばかりなので、報復の手段も唯一時の 悪戯 ( いたずら )ではなかなか気がすまないようになる。 もっと激烈な痛苦を肉体と精神とに加えてやる機会を窺うため、清岡は十分相手に油断をさせ、こちらの胸中を悟られぬよう、以前にも増してあくまで 惚 ( ほ )れ込んでいるような様子を示すようにしていたが、平常心の底に 蟠 ( わだかま )っている 怨恨 ( えんこん )は折々われ知らず言葉の端にも現われそうになるのを、清岡は非常な努力でこれを押えていなければならない。 今方占者のはなしから、清岡は我知らず言過ぎたと心付き 狼狽 ( うろた )えて言いまぎらしたのも、実はこういう 事情 ( わけ )からである。 このまま長く向い合って二階にいるのはよくないと心づいて、腕時計を見ながら、いかにも驚いたように、「もう十時半だ。 そこまで一緒に出かけよう。 」 君江の方でも昨夜泊ったまままだ湯にさえ入らぬ身のまわりを男に見廻されるのが、何となく辛くてならないので、何はともあれ一まず外へ出るに 如 ( し )くはないと考え、 「ええ。 少し歩きましょう。 お天気が好いと店へ行くのがいやになるわ。 一日、日の目を見ずにいるんだから。 」とぬぎ捨ててあった 竪 ( たて )しぼの一重羽織を引掛けて、窓の障子をしめた。 「今日十一時だと 明日 ( あした )は五時出だね。 」 「ええ。 だから、今夜店へいらしってよ。 何処 ( どこ )かゆっくり遊びに行きたいわ。 いいでしょう。 」 「そうだな。 」と男は 曖昧 ( あいまい )な返事をしながら帽子を取った。 「ねえ、遊びに行きましょうよ。 どの道今夜はゆっくり遊ぶ日じゃないの。 」と君江は既に 梯子段 ( はしごだん )の降口に出た清岡の身に寄添い、接吻してと言わぬばかりに顔を近寄せ、 睫毛 ( まつげ )の長い目を軽くふさいだ。 清岡は憎い仕方だとは思いながら、もともと嫌いではない女のいかにも 艶 ( なまめか )しく情を含んだ姿を見ると、その瞬間はさすがに日頃の怒りも何処へやら消え去って、生れつき売笑婦にでき上っているこういう女に対して、道徳上とやかく非難するのはあるいは過酷かも知れない。 男の劣情を挑発する一種の器械だと思えば、自分の見ない処で何をしていても更に 咎 ( とが )むべき事ではない。 弄 ( もてあそ )ぶだけ弄んで随意に捨ててしまえばそれでよいのだというような心持にもなる。 忽 ( たちま )ち進んで、それにしてもこの女がもすこし自分の心を 汲 ( く )み分け、その身を慎しんで、自分の専有物になってくれればという慾望が次第に強くなって来る。 清岡は横を向いてさり気なく、 「とにかく夜になったら銀座で 逢 ( あ )おう。 その時にきめよう。 」 「ええ。 そうして 頂戴 ( ちょうだい )。 」と君江は急に 明 ( あかる )い顔になって一足先にばたばたと下へ降り、おばさんの手から 雑巾 ( ぞうきん )を奪い取って、手ずから清岡の靴を拭いた。 市ヶ谷の堀端へ出る横町は人目に立つので、二人は路地から路地を抜けて士官学校の門前に 出 ( い )で 比丘尼坂 ( びくにざか )を上って 本村町 ( ほんむらちょう )の堀端を四谷見附の方へ歩いた。 昼前のことで、二人は並びながらも少し離れて話もせず、君江は日傘に顔をかくしていたが、ふとこの堀端は昨夜十二時過電車を降りてから矢田と手を引合って歩いた同じ道だと思うと、夜と昼との相違から、君江はどうして昨夜はあんな矢田のような 碌 ( ろく )でもない男の言う事をきく気になったのだろうと、自分ながらその 腑甲斐 ( ふがい )なさに 厭 ( いや )な心持がした。 清岡さんがそれと知ったらどんなに怒ることだろうと、日傘のかげからそっと男の横顔を 窺 ( うかが )うと、少しは気が 咎 ( とが )めもするし、またいかにも気の毒でならないような心持もして、これからはカッフェーの帰り道にはなりたけ慎しんでその場かぎりの浮気は起すまいという気にもなる。 せめての申訳というではないが、何やら急に清岡の事が恋しくなって、君江は歩きながら 突 ( つ )と 摺寄 ( すりよ )って人通りをもかまわずその手を握った。 清岡は君江が石にでも 躓 ( つまず )いて、そのために急に自分の手を握ったとでも思ったらしく、「どうしたんだ。 」と言いながら、往来の人目を 憚 ( はばか )って 溝際 ( どぶぎわ )の方へ少し身を 避 ( よ )けた。 「わたし、今日どうしても休みたいの。 電話で断るわ。 いいでしょう。 」 「断ってどうするんだ。 」 「あなたの御用がすむまで、わたしどこかで待っているわ。 」 「夜になれば会えるんだから、休むにも及ばないじゃないか。 」 「だって、わたし何だか急になまけたくなっちまったのよ。 でも、あなたの御用の邪魔をしちゃアわるいわねえ。 」 清岡はもともと用事があるのではない。 君江の様子を窺いに不意と出て来たので、この場合振切って別れたなら、浮気な君江の事だから、今夜自分の行くまでに何をしだすか知れないと、つまらない事が妙に気になり出した。 君江の方ではこの年月いろいろな男をあやなした経験で、こういう場合には男がすこしは持て余すほど 我儘 ( わがまま )を言った方がかえって結果の好い事を知っている。 それにまた 先刻 ( さっき )占いのはなしから清岡の言った事が何となく気にかかってならぬ矢先、夜になるのを待たず一刻も早く男の心の打解けるような方法を取らなくてはならないと考えたのである。 これも度々の実験で、君江は男がどんなに怒っていても結局その場に至れば 訳 ( わけ )もなく悩殺する事ができるものと、あくまで自分の魔力に信頼して安心している所がある。 魔力というのは、生れつき君江の肌には一種の温度と体臭とがあって、別に技巧を 弄 ( ろう )せずとも一度これに触れた男は終生忘れることの出来ない快感を覚えるという事である。 君江はこれまで一人ならず二人ならず、さまざまな男からお前はほんとの 妖婦 ( ようふ )だなどと言われて、自分の肉体はそんなにまで男に強い 刺撃 ( しげき )を与えるものかと、次第に自覚した後熟練を積み、今では自分ながら深く信ずる所があるようになっている。 四谷駅の降り口近くまで歩いて来た時、君江は急に悲しいような 遣瀬 ( やるせ )のないような表情を見せて、「じゃ、わたし、あんまり我儘をいうとわるいから、ここから円タクで行きますわ。 」 「うむ。 」とそっ 気 ( け )なく言ったが、清岡は君江の遣瀬なげな様子に気がつくと、その瞬間どうしたのか、 昨日今日 ( きのうきょう ) 新 ( あらた )に得た恋人と別れるような、何とも知れぬ残り惜しい心持になった。 君江はわざとぼんやり清岡の顔を見詰めたまま、日傘の 尖 ( さき )で砂利を突きながら立ちすくんでいる。 清岡は何も 彼 ( か )も忘れて寄り添い、「いいよ。 休んでしまえ。 どこでもいい。 一緒に行こう。 」 「あなた。 ほんとウ。 」と君江は 巧 ( たくみ )に睫毛の長い眼の中をうるませて 徐 ( しずか )に 俯向 ( うつむ )いた。 府下 ( ふか ) 世田 ( せた )ヶ 谷 ( や )町 松陰神社 ( しょういんじんじゃ )の鳥居前で道路が丁字形に分れている。 分れた路を一、二町ほど行くと、茶畠を前にして 勝園寺 ( しょうえんじ )という 額 ( へんがく )をかかげた 朱塗 ( しゅぬり )の門が立っている。 路はその辺から阪になり、 遥 ( はるか )に 豪徳寺 ( ごうとくじ )裏手の杉林と 竹藪 ( たけやぶ )とを田と畠との 彼方 ( かなた )に見渡す眺望。 世田ヶ谷の町中でもまずこの辺が昔のままの郊外らしく思われる 最 ( もっとも )幽静な処であろう。 寺の門前には茶畠を隔てて西洋風の住宅がセメントの 門墻 ( もんしょう )をつらねているが、阪を下ると 茅葺 ( かやぶき )屋根の農家が四、五軒、いずれも同じような藪垣を 結 ( ゆ )いめぐらしている間に、場所柄からこれは植木屋かとも思われて、 摺鉢 ( すりばち )を伏せた栗の門柱に引違いの戸を建て、新樹の茂りに家の屋根も外からは見えない奥深い 一構 ( ひとかまえ )がある。 清岡 寓 ( ぐう )と門の柱に表札が打付けてあるが、それも雨に汚れて 明 ( あきらか )には読み得ない。 小説家清岡進の老父 熙 ( あきら )の隠宅である。 初夏の日かげは 真直 ( まっすぐ )に門内なる栗や 楝 ( おうち )の 梢 ( こずえ )に照渡っているので、垣外の路に横たわる若葉の影もまだ短く縮んでいて、 ( にわとり )の声のみ勇ましくあちこちに聞える真昼時。 じみな 焦茶 ( こげちゃ )の日傘をつぼめて、年の頃は三十近い奥様らしい品のいい婦人が門の戸を明けて内に 這入 ( はい )った。 髪は無造作に首筋へ落ちかかるように結び、井の字 絣 ( がすり )の 金紗 ( きんしゃ )の 袷 ( あわせ )に、黒一ツ紋の夏羽織。 白い肩掛を 引掛 ( ひっか )けた 丈 ( せい )のすらりとした 痩立 ( やせだち )の姿は、 頸 ( うなじ )の長い目鼻立の 鮮 ( あざやか )な色白の 細面 ( ほそおもて )と 相俟 ( あいま )って、いかにも 淋 ( さび )し気に 沈着 ( おちつ )いた様子である。 携えていた 風呂敷包 ( ふろしきづつみ )を持替えて、門の戸をしめると、日の照りつけた 路端 ( みちばた )とはちがって、 静 ( しずか )な夏樹の蔭から流れて来る 微風 ( そよかぜ )に、婦人は吹き乱されるおくれ毛を 撫 ( な )でながら、 暫 ( しば )しあたりを見廻した。 麦門冬 ( りゅうのひげ )に 縁 ( ふち )を取った門内の 小径 ( こみち )を中にして片側には梅、栗、柿、 棗 ( なつめ )などの果樹が 欝然 ( うつぜん )と 生茂 ( おいしげ )り、片側には 孟宗竹 ( もうそうちく )が林をなしている間から、その 筍 ( たけのこ )が 勢 ( いきおい )よく伸びて 真青 ( まっさお )な若竹になりかけ、古い竹の枝からは 細 ( こまか )い葉がひらひら 絶間 ( たえま )なく飛び散っている。 栗の木には強い 匂 ( におい )の花が咲き、柿の若葉は 楓 ( かえで )にも 優 ( まさ )って今が丁度新緑の最も 軟 ( やわら )かな色を示した時である。 樹々 ( きぎ )の梢から漏れ落る日の光が厚い 苔 ( こけ )の上にきらきらと揺れ動くにつれて、静な風の声は近いところに水の流でもあるような響を伝え、何やら知らぬ 小禽 ( ことり )の 囀 ( さえず )りは秋晴の 旦 ( あした )に聞く 鵙 ( もず )よりも一層勢が好い。 婦人は小禽の声に小砂利を踏む 跫音 ( あしおと )にも自然と気をつけ、小径に従って 斜 ( ななめ )に竹林を廻り、 此方 ( こなた )からは見通されぬ処に立っている古びた 平家 ( ひらや )の玄関前に 佇立 ( たたず )んだ。 玄関には 磨硝子 ( すりガラス )の格子戸が引いてあるが、これは後から取付けたものらしく、家はさながら古寺の 庫裏 ( くり )かと思われるほどいかにも 堅牢 ( けんろう )に見える。 しかしその太い柱と土台には 根継 ( ねつぎ )をした 痕 ( あと )があって、屋根の 瓦 ( かわら )は苔で青く染められている。 玄関側の高い窓が明放しになっていたが、 寂 ( しん )とした家の内からは何の物音も聞えない。 窓の下から 黄楊 ( つげ )とドウダンとを 植交 ( うえまじ )えた 生垣 ( いけがき )が立っていて、庭の方を 遮 ( さえぎ )っているが、さし込む日の光に 芍薬 ( しゃくやく )の花の紅白入り乱れて咲き 揃 ( そろ )ったのが 一際 ( ひときわ )引立って見えながら、ここもまた 寂 ( しん )としていて、 花鋏 ( はなばさみ )の音も 箒 ( ほうき )の音もしない。 唯 ( ただ )勝手口につづく 軒先 ( のきさき )の 葡萄棚 ( ぶどうだな )に、今がその花の咲く頃と見えて、 虻 ( あぶ )の 群 ( む )れあつまって 唸 ( うな )る声が独り夏の日の永いことを知らせているばかりである。 「御免下さい。 」と肩掛を取りながら、静に格子戸を明けると 寂 ( しん )とした奥の 間 ( ま )から、「どなたじゃ。 」という声がして、すぐさま 襖 ( ふすま )を明けたのは、真白な 眉毛 ( まゆげ )の上まで老眼鏡を 釣 ( つる )し上げた主人の 熙 ( あきら )であった。 「鶴子か。 さアお上んなさい。 今日は 婆 ( ばあ )やはお墓参り。 伝助も東京へ 使 ( つかい )にやって誰もおらん。 」 「それじゃ、丁度よう 御在 ( ござい )ました。 代りに何か御用をいたしましょう。 」と婦人は 包 ( つつみ )を持ったまま、老人の後について縁側づたいに 敷居際 ( しきいぎわ )に坐り、 「もう 虫干 ( むしぼし )をなさいますの。 」 「いつという事はない。 手がないから気の向いた時、年中やるよ。 年寄の運動には一番いい。 」 縁側の 半 ( なか )ほどから奥の八畳の間に 書帙 ( しょちつ )や 書画帖 ( しょがちょう )などが 曝 ( さら )してある。 障子も 襖 ( ふすま )も明け放してあるので、 揚羽 ( あげは )の 蝶 ( ちょう )が座敷の中に飛込んで来て、やがてまた庭の方へ飛んで行く。 鶴子は風呂敷包を 膝 ( ひざ )の上にほどいて、 「先日のお 召物 ( めしもの )を仕立直してまいりました。 あちらへ置いてまいりましょう。 ついでにお茶でも入れてまいりましょうか。 」 「そう。 一杯 貰 ( もら )いましょう。 茶の間に 到来物 ( とうらいもの )の 羊羹 ( ようかん )か何かあったと思うが、ついでにちょっと見て下さい。 」と老人は鶴子が座を立つのを見て縁側に曝した古書を一冊一冊片づけはじめた。 五分刈 ( ごぶがり )の頭髪は太い眉毛や 口髭 ( くちひげ )と共に雪のように白くなっているので、血色のいい顔色はなお更 赧 ( あか )らみ、 痩 ( や )せた小づくりの 身体 ( からだ )は年と共にますます 矍鑠 ( かくしゃく )としているように見える。 やがて鶴子が番茶と菓子とを持って来たのを見て、老人はそのまま縁先に腰をかけ、 「 暫 ( しばら )く見えんから 風邪 ( かぜ )でも引いたのかと思っていた。 市中では今だにインフルエンザがはやるそうだな。 」 「お 父 ( とう )さまは去年からお風邪一つお引きになりませんのね。 」 「今の若い者とは少し訓練がちがうからな。 はははは。 その代りふだん丈夫なものはころりと行くからな。 当てにはならん。 」 「アラ、そんな事をおっしゃるもんじゃありません。 」 「むかしから頼みにならない事を、 君寵 ( くんちょう )頼み 難 ( がた )し。 老健頼み難しなどというじゃないか。 はははは。 進は相変らず達者か。 」 「はい。 おかげさまで。 」 「その 中 ( うち )ちょっと逢いたいと思う事があるのだ。 実はこの間偶然電車の中でお宅の 御兄 ( おあに )さんにお目にかかってな……。 」と老人は言いかけて 咳嗽 ( せき )をしながら眼鏡越しに鶴子の顔を見た。 鶴子はかえってさり 気 ( げ )なく、 「何か、わたくしの話が出ましたの。 」 「そうだ。 わるい話ではない。 お前の戸籍をこの 後 ( ご )どうして置くかというはなしさ。 なりはじめの事はもうとやかく言った処で仕様のない事だからな。 成事 ( せいじ )は 説 ( と )かず、 遂事 ( すいじ )は 諫 ( いさ )めず、 既往 ( きおう )は 咎 ( とが )めずという 教 ( おしえ )もあるから、わしはいずれにしても異存はないと申上げて置いた。 お前の家とわしとが承知なら、進は無論何とも言うはずはないわけだから、どうだね。 早くその手続をしてしまったら、届書は区役所の代書にたのめばすぐ出来るから、印さえ押せばそれでいいのだよ。 」 「はい。 帰りましたら早速そう申します。 」 「戸籍などはどうでもいいようなものだが、しかし 人倫 ( じんりん )の道は正しいに越した事はない。 幾年も夫婦同様にしていれば結局籍を入れるのがあたり前のはなしだからな。 最初の事は 能 ( よ )く知らんが、お宅のはなしではもう五年になるそうだな。 」 「はい。 たしか。 」と鶴子はわざと言葉を 濁 ( にご )して伏目になった。 今更指を折って数えて見るまでもなく、鶴子は五年前、 年齢 ( とし )は二十三の秋、前の夫が陸軍大学を出て西洋へ留学中、 軽井沢 ( かるいざわ )のホテルで清岡進と道ならぬ恋に陥ったのである。 先夫の家は 子爵 ( ししゃく )で、別に資産はなかったが、とにかく旧華族の家柄なので、世間の耳目を 憚 ( はばか )り親族は夫の帰朝を待たず多病といいなして鶴子を離別した。 鶴子の家にはその時既に両親がなく、 惣領 ( そうりょう )の兄が実業界では相応に名を知られていたところから、衣食に窮しないだけの資産を鶴子に与えて生涯実家や親類の家へ出入する事を禁じた。 その時分進はまだ 駒込 ( こまごめ ) 千駄木町 ( せんだぎちょう )にあった老父 熙 ( あきら )の家にいて、文学好きの青年らと同人雑誌を刊行していたのであるが、鶴子が離別されると間もなく父の家を去って鎌倉に新家庭をつくった。 半年ほどたった時老父の熙は突然流行感冒で老妻を先立たせ、また文官年限令で帝国大学教授の職を免ぜられたので、これを機会に千駄木の家を人に貸して、以前から別荘にしてあった世田ヶ谷の廃屋に 棲遅 ( せいち )した。 世田ヶ谷の家には十年ほど前まで、八十歳で世を去った熙の父 玄斎 ( げんさい )が隠居していた。 玄斎は維新前 駒場 ( こまば )にあった徳川幕府の薬園に務めていた 本草 ( ほんぞう )の学者で、著述もあり、専門家の間には名を知られていたので、維新後しばしば 出仕 ( しゅっし )を勧められたが節義を守ってこの 村荘 ( そんそう )に余生を送った。 今日 ( こんにち )庭内に繁茂している草木は皆玄斎が遺愛の形見である。 熙は初め 中村敬宇 ( なかむらけいう )の同人社に入り後に 佐藤牧山 ( さとうぼくざん )と 信夫恕軒 ( しのぶじょけん )との二家について学を修め、帝国大学を卒業後は 直 ( ただち )に助教授に挙げられ、老免せられるまで 凡 ( およそ )三十年漢文の講座を担任していたのであるが、深く時勢に感ずる所があったと見えて、平素学生に向っては、今の世の中に漢文学の如き死文字を学ぶほど 愚 ( おろか )な事はない。 唯 骨董 ( こっとう )としてこれを好むものが 弄 ( もてあそ )んでいればよいものだと称して、人に意見をきかれても笑って答えず、同僚の教授連とも深くは 交 ( まじわ )らず、唯 自家 ( じか )の好む所に従って専ら 老荘 ( ろうそう )の学を研究し、著書も少くはないのであるが、一として世に示したものはない。 熙はその子の進が人妻と密通して世間を 憚 ( はばか )らず一家を構えたのを知って、深く憤りはしたものの、現代の青年男女は老人の訓戒などに耳を借すはずがないと、あきらめ切っているので、表向は何事も知らぬ振りで、実は義絶したのも同様、世田ヶ谷に隠居してから三年ばかりの間は一度も音信をしたことさえなかった。 進の方でも父が平生の気質からその憤りを察して、これに反抗するため、わざとそれなりに月日を過していた。 ところが老人は亡妻の命日に駒込の 吉祥寺 ( きちじょうじ )に 往 ( い )った時、一人の若い女が墓前に花を 手向 ( たむ )けているのを見て、不審のあまり、丁度狭い垣根の内のことで、女の方から気まりわるそうに辞儀をするまま、その名をきいて始めてその女が 倅 ( せがれ )の妻の鶴子である事を知ったのである。 老人は進の如き 乖戻 ( かいれい )な男と好んで苦楽を 偕 ( とも )にしているような女が、言わばその 姑 ( しゅうとめ )に当るものの 忌日 ( きにち )を知って墓参りをするとは、そもそもどうした 訳 ( わけ )であろう。 そんな訳のあろうはずがない。 年寄の耳の聞まちがえではないかという気もしたので、墓地の 小径 ( こみち )を並んで歩む折重ねてその名をきき直した。 それが話の糸口になって、寺の門を出てから電車に乗って別れる時まで知らず知らず話をしつづけた。 老人は平素現代の青年男女には道徳の観念は 微塵 ( みじん )もない。 男は大抵乖戻放慢の徒で、女はまず 禽獣 ( きんじゅう )と大差なきものと思込んでいる矢先、鶴子の言葉使いや挙動のしとやかな事がますます不可思議に思われ、更にまた、これほど礼節をもわきまえている女がどうして 姦通 ( かんつう )の罪を犯したのであろうと、家へ帰った後も 頻 ( しきり )に心を労した末、ふと老人は鶴子が 操 ( みさお )を破ったのはあるいは 放蕩無頼 ( ほうとうぶらい )な倅に 欺 ( あざむ )かれたためではないかという気がした。 果してそうだとすると、実に気の毒な事だ。 何となく親の身として申訳のないような心持がして来るので、その後老人は 図 ( はか )らず新宿の 停車場 ( ていしゃば )で出会った時は 此方 ( こなた )から呼びかけたくらいであった。 それらの事から、鶴子はいつともなく世田ヶ谷の隠宅へ出入することを許されるようになったのであるが、しかし進との間柄については、二人とも何やら 互 ( たがい )に遠慮して、問いもせず言いもせず、そのままになっている。 生計の事ではその 後 ( ご )進は 莫大 ( ばくだい )な収入がある身となっているし、老人の質素な生活は恩給だけでも有り余るほどなので、互に家事向の話の 出 ( いず )べき所がないわけであった。 世田ヶ谷の家には庭掃除の 下男 ( げなん )と 雇婆 ( やといばば )がいるものの、鶴子は老人が日々の食事を始め衣類や身のまわりの事に不自由しているらしいのを見て、それとなく陰へ廻って気のつくかぎり世話をするようになった。 表向きお世話をするといえば老人はきっとそれには及ばないと言うにちがいはない。 かつまた、清岡の家には既に 或 ( ある )医学博士に 嫁 ( か )した姉娘もあるので、鶴子はその手前をも 憚 ( はばか )って、何事も目に立たないようにひかえ目にしている。 その態度や心持は月日と共におのずから老人の眼にもわかるようになったので、老人はいよいよ鶴子の胸中を気の毒に思い、心 窃 ( ひそか )に倅進の如きものの妻にはむしろ過ぎたものと感服しなければならぬようになった。 老人は茶を飲み干した 茶碗 ( ちゃわん )を 膝 ( ひざ )の上に握りながら、「その 中 ( うち )お宅へ伺ってお話を伺おうと思っているのだがね、年をとると、つい 袴 ( はかま )をはくのが面倒でな。 そうかといって、初めて伺うのに 着流 ( きながし )ではあまり失礼だし、何か好い折がと思っているのだが、お前はその後もやはり出入りはせんのかね。 」 「はい。 そのままになっております。 兄ばかりならかえって遠慮が 御在 ( ござい )ませんけれど、 義姉 ( あね )の手前も御在ますから。 」 「それは大きにそうかも知れない。 」 「とにかくわたくしが悪いのにちがいは御在ませんのですから、別にどなたの事もお 怨 ( うら )み申してはおりません。 」 「その心持があればもう立派なものだ。 」と言った時、 ( さら )した 古法帖 ( こほうじょう )の上に大きな 馬蠅 ( うまばえ )が飛んで来たので、老人は立って追いながら、「 過 ( あやまち )を改むるに 憚 ( はばか )ること 勿 ( なか )れ。 若い時の事はどうもいたし方がない。 人間の善悪はむしろ晩節にあるのだよ。 」 鶴子は何か言おうとしたが、自分ながら声が 顫 ( ふる )えはせぬかと思ってそのまま 俯向 ( うつむ )くと、胸が急に一杯になって来て、どうやら眼が 潤 ( うる )んで来るような心持がした。 折好 ( おりよ )く勝手の方に人の声がしたのを聞付けて、これ 幸 ( さいわい )とあわてて坐を立った。 老人は馬蠅の飛び去る方を 睨 ( にら )みながら、「酒屋か郵便屋だろう。 うっちゃってお置きなさい。 」と 徐 ( おもむろ )に 石摺 ( いしずり )の古法帖を 畳 ( たた )んだ。 鶴子は涙を見せまいと台所へ行って見ると、老人の言った通り、酒屋の男が 醤油 ( しょうゆ )の 壜 ( びん )を置いて立去るところであった。 勝手口は 葡萄棚 ( ぶどうだな )のかげになって日の光も和げられ、 竹藪 ( たけやぶ )の間から流れて来る風はひやりとするほど 爽 ( さわや )かである。 女中部屋は 雇婆 ( やといばば )が出がけに掃除をして行ったものと見え、火鉢の灰もならしたまま 綺麗 ( きれい )に片づいている。 鶴子は酒屋の男の去った後あたりにはもう誰もいないと思うと、こらえていた涙が一時に 溢 ( あふ )れ落るのを急いでハンカチで押えた。 ここの 家 ( うち )のお父さまは何も知らずにいらっしゃるのであるが、自分と進との間柄は今では名ばかりの夫婦で、入籍するの、しないのというような状態ではない。 夫の進は一昨日家を出たなり今夜も多分帰って来ないであろう。 この二、三年原稿の製作を口実にして随意に外泊することはもう珍しくはない。 いずれ二、三日すれば帰って来るであろうが、今のような状況では、自分を正妻にして籍を入れる事をまさかに拒みはしまいけれど、さして喜びもしない事は言わずと 明 ( あきらか )である。 事によればかえって迷惑そうな顔をしないとも限らない。 と思うと、鶴子は老人の好意をかたじけなく思うにつけ、その好意を受ける事のできない身の上を省みて涙を催さずにはいられなかったのである。 進と鶴子との恋愛生活は鎌倉に家を借りていた間、わずか一年くらいのものであった。 進は一躍して文壇の流行児になり、 俄 ( にわか )に売文の富を得るようになると、 忽 ( たちま )ち杉原玲子という活動写真の女優に家を持たせるばかりか、絶えず芸者遊びをするようになった。 その後玲子が進を捨てて同業の俳優と正式に結婚をすると、進はすぐその代りにカッフェーの女給を 妾 ( めかけ )にするという有様。 鶴子は 殆 ( ほとん )どあきれ返って、 嫉妬 ( しっと )の情を起すよりも次第に夫の人格に対して底知れぬ絶望の悲しみを抱くようになった。 鶴子は女学校に通っていた時から、 仏蘭西 ( フランス )の老婦人に 就 ( つ )いて語学と礼法の個人教授を受け、また国学者某氏に就いて書法と古典の文学を学んだ事もあったので、結局それらの修養と趣味とがかえって 禍 ( わざわい )をなし、没趣味な軍人の家庭にはいたたまれなかった。 それと共に自分から夫に 択 ( えら )んだ文学者清岡進の人物に対しても永く敬愛の情を捧げている事ができなくなったのである。 初め軽井沢の教会堂で人から紹介せられた時の進と、今は通俗小説の大家を以て 目 ( もく )せられている進とを比較すると、全く別の人としか思われない。 五年前の進は勉学の志を 擲 ( なげう )たない 真率 ( しんそつ )な無名の文学者であったが、 今日 ( こんにち )の進は何といってよいのやら。 思想上の 煩悶 ( はんもん )などは少しもないらしい様子で、その代り絶えず神経を鋭くして世間の流行に目を着け、営利にのみ 汲々 ( きゅうきゅう )としているところは 先 ( まず )相場師と興行師とを兼業したとでも言ったらよいかも知れない。 新聞に連載しているその小説を見れば、今まで世にありふれた講談や伝奇を現代の口語に書替えたまでの事で、 忌憚 ( きたん )なく言えば少し読書好きの女の目にさえ、これでは 殆 ( ほとんど )読むには堪えまいと思われるくらいのものである。 鶴子は進が去年の暮あたりから 或 ( ある )婦人雑誌に連載し出した小説を見た時、ふと 六樹園 ( ろくじゅえん )の『 飛弾匠物語 ( ひだのたくみものがたり )』の事を思出して、娘の時分源氏の講義を聞きに行った国学者の先生が、いつも口癖のように今の文士にくらべると江戸時代の作者がどれだけ 優 ( すぐ )れているか知れないと言ったことなどを夢のように思返した事もあった。 平生 ( へいぜい )家へ出入する進の友人を見れば、言葉使いから様子合いまで、いずれも兄弟かと思われるほど 能 ( よ )く似た人ばかりで、二、三人集まればすぐ洋酒を飲み、 胡坐 ( あぐら )をかいたり 寐 ( ね )そべったりして、 喧嘩 ( けんか )でもするような高調子。 その談話は何かと聞けば、競馬の掛けごとに 麻雀賭博 ( マージャンとばく )、友人の悪評、出版屋の盛衰と原稿料の 多寡 ( たか )、その他は女に関する 卑猥 ( ひわい ) 極 ( きわま )る話で持切っている。 鶴子は既に幾たびとなく決心して、折があったら進の家を去ろうと思っていた。 今更兄の家の厄介にはなれないので、その当時義絶の証として与えられた金がまだ半分位は銀行に預けてあるのをたよりに、間借りでもして、 何処 ( どこ )かの事務員にでも雇われようとまで、すっかり覚悟をきめて、それとなく最後の 破綻 ( はたん )の来る時を待っていたが、進の方からはまさか手切金の請求を恐れたわけでもあるまいが、そのままに何事も言出さず、表向きはどこまでも令夫人らしく 冷 ( ひややか )に 崇 ( あが )め奉っているので、月日のたつにつれて、さすがに女の方から突然別ればなしを持ち出す訳にも行かず、つい言出しそびれて今日に至った。 それやこれやの思いに暮れて、鶴子はハンケチを口に 銜 ( くわ )えたまま台所の柱に身をよせかけ、葡萄棚に集る 虻 ( あぶ )の羽音を聞いていた。 突然人の 跫音 ( あしおと )がしたので、鶴子はびっくりして様子をつくろうとしたが、眼の縁に残った涙の 痕 ( あと )と、憂いに沈んだ顔の色とは 俄 ( にわか )にどうする事もできない。 老人は鶴子が勝手へ行ったままいつまでも戻って来ないので、 性 ( たち )の好くない行商人でも来たのではないかと、何気なく様子を 窺 ( うかが )いに来たのである。 「鶴子。 心持でもわるいのじゃないか。 何なら少しお休みなさい。 」 「いいえ。 」と言いはしたものの、鶴子は身体の置場にこまって板の間にべったり坐った。 「顔色がよくない。 」と老人は既に様子を察したものらしく、「わしは人から聞いたはなしは何事によらず 他言 ( たごん )はしない。 むかし 細井平洲 ( ほそいへいしゅう )という先生は人の手紙を見るとその場で焼いてしまったという事だ。 心配せん方がよい。 」 鶴子はこの時胸にある事は何も 彼 ( か )もこの老人だけには打明けてしまいたい気になって、 縋 ( すが )るようにその足下に 摺寄 ( すりよ )り、「お話したい事が 御在 ( ござい )ますの。 わたくし、お父さまより 外 ( ほか )には、お話したいと思いましても、誰もお話する方が御在ませんから。 」 「うむ。 聞きます。 先刻 ( さっき )からどうも様子が変だと思っていた。 」と老人は酒屋の男が 明放 ( あけはな )しにして行った勝手口の 硝子戸 ( ガラスど )に心づき、手を 伸 ( のば )してそれを閉めた。 「お父さま。 あのおはなし。 あれはもう、折角の 思召 ( おぼしめ )しで御在ますけれど、実はもう、なんにもならない事だと存じますから。 」と涙を 啜 ( すす )った。 「そうか。 家がうまく行っておらんのか。 困ったものだ。 お前の 考 ( かんがえ )はどうだ。 この末望みがないのか。 」 「今のところ、別にどうという事も御在ませんけれど、籍を入れましても、ほんの名義だけの事で、いつどういう事になるか分りませんから、かえってこのままの方がよくはないか知らと、そういうような心持もいたします。 わたくし、ほんとに 我儘 ( わがまま )な事ばかり申しまして……。 」 「いや、それで事情は大抵わかりました。 お前に向って進の事を悪くいっては 甚 ( はなはだ )気の毒だが、これは進ばかりには限らん事で、今日文学を 弄 ( もてあそ )ぶ青年に物の道理を説いてきかしてもわかるはずはない。 わしは長年教師をしていたからそのくらいの事はよく知っています。 見込みのあるものなら、呼びつけて意見もして見るが、わしはまず駄目だとあきらめている……。 」 「わたくしが、何か申上げたようになりましても困りますし……。 」 「それは今も言う通り、わしは一切何も言いません。 しかしこのままにして置いたら、行末お前が困るでしょう。 それが気の毒だ。 」 「いえ。 わたくしは、もうどの道、若い身空でも御在ませんから、行先の事は別にそれほど心配してはおりません。 長い間には宅の心持もまたどんな事で直らないとも限りませんし……。 」 「うむ。 」と老人は立ったまま腕を 拱 ( こまね )いて嘆声を発したが、裏木戸の方に音のするのを聞きつけ、「伝助が帰って来たらしい。 あっちで話をしましょう。 」 老人は手を取らぬばかりに鶴子を 急 ( せ )き立てて勝手から立ち去った。 雨は降っているが、小降りで風もなく、雲切れのし始めた入梅の空は、まだなかなか暮れきらぬ七時頃。 富士見町 ( ふじみちょう )の 待合 ( まちあい ) 野田家 ( のだや )の門口へ自動車を乗りつけた三人 連 ( づれ )。 一人は清岡の原稿売込方を引受けている駒田弘吉という額の 禿 ( は )げ上った 鰐口 ( わにぐち )の五十男に、一人は四十あまり、一人は三十前後の、一見していずれも新聞記者らしい眼鏡をかけた洋服の男である。 駒田が先に 格子戸 ( こうしど )を明け、靴をぬぐ間から女中にからかいながら、どやどやと表二階の広い座敷へ通る。 前以て電話が掛けてあったものと見えて、 煙草盆 ( たばこぼん )に 座布団 ( ざぶとん )も人の数だけ敷いてあって、 煉香 ( ねりこう )の 匂 ( におい )がしている。 「お 風呂 ( ふろ )がわいております。 」と女中の 挨拶 ( あいさつ )に、間もなくこの土地では姉さん株らしい三十近い 年増 ( としま )と、 二十 ( はたち )前後の芸者が現われ、女中の運び上げる料理の皿を 卓 ( つくえ )の上に並べる。 駒田は現在『丸円新聞』に連載せられている清岡の小説がほどなく半月くらいで完結する見込なので、早くも別の新聞社へ交渉して次の原稿を売込む相談をまとめたところから、 編輯長 ( へんしゅうちょう )へは内々で 割戻 ( わりもど )しの礼金も渡してしまい、部下の記者は待合に連れて来て 酒肴 ( しゅこう )を 振舞 ( ふるま )い芸者をあてがう腹である。 「先生も、もうそろそろお 出 ( い )ででしょう。 構いませんから先へやりましょう。 」と駒田は 盃 ( さかずき )を年上の記者にさして 吸物椀 ( すいものわん )の 蓋 ( ふた )をとる。 「僕はどうも飲む方は得意でない。 」と年上の記者は芸者に酌をさせながら、「まず箱なしの一方というやつだ。 」 「恐入りましたね。 売 ( うれ )ッ 児 ( こ )はそれでなくっちゃいけません。 」 「お前、どこかで見たことがあるな。 思出せないが。 まさかカッフェーでもあるまい。 」 「いいえ。 そうかも知れませんよ。 この頃は芸者が女給さんになったり、女給さんが芸者になったり、全く区別がつきませんからね。 」 「芸者から女給になるのはざらだが、カッフェーから芸者になるのは少いだろう。 」 「少いこともないわ。 随分あってよ。 姐 ( ねえ )さん。

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