ルイブライユ 点字。 点字

点字を読んでみよう

ルイブライユ 点字

ルイ・ブライユ Wikipediaより ルイ・ブライユは1809年、フランス出身。 3歳のときにケガをしたことが原因で5歳のときに失明してしまいます。 その後、小学校や盲学校で勉学に励む中、彼は大きな出会いをします。 それは「バルビエの暗号」と言われるモノ。 バルビエの暗号というのは、当時の軍隊で使用されていた文字で、夜でも、触るだけで読むことができる伝令用の文字。 これを考案したのが、フランス軍のシャルル・バルビエ。 彼は「これを目の不自由な人が読む文字として使えないか」と考え、フランスの盲学校に持ち込んだそうです。 バルビエが作った点字は「12点式」と言われるもの。 ルイ・ブライユも学校で「バルビエの点字」に触れ、最初はその便利さを体感していたのですが、ある日「もっと簡単にできるのではないか」と、学校の授業以外の空き時間をフル活用して、12点式点字の改良に挑みます。 そして彼が作り出したのは、6つの点の組み合わせで「6点式の点字」。 指先で読むのにちょうどいいサイズで、文字の表現に規則性を持たせる。 彼はアイデアを形にし、6つの点で、アルファベットや句読点、数字の記号などを表す方法を考え出したのです。 このころ14~16才の少年だったそうです。 Wikipediaより 現在、日本をはじめ、世界各国で用いられている点字は、このブライユの6点式がベースとなっていて、それぞれの国の言語に合わせて改良が行われ、日本でも6点式の点字が採用されています。 その後、彼は盲学校の教師となり、点字を広めていこうと精力的に活動。 彼の死後、1854年にフランス政府に公認され、1878年には国際会議でブライユの点字の利便性が認められました。 日本にブライユの点字がやってきたのは、1887年(明治20年)。 現在の「筑波大学付属視覚特別支援学校」の小西信八 のぶはち 先生が最初に学校でブライユ式の点字を教えたとされています。 その後、アルファベットだったブライユ式を日本語へ翻訳し、現代の日本の点字を生み出したのが、同じ学校の教員であった、日本点字の父と言われる「石川倉次 くらじ 」さん。 ブライユの点字は、6つの点でアルファベットを表現しているのですが、これが日本語となると、数が一気に増えるので相当な苦労があったようですが、試行錯誤の末、6つの点で日本語を表現することに成功したそうです。 そんな日本語の点字が、官報で発表されたのが1901年。 私たちが思っているよりも点字の歴史というのは短いんですね…。 石川さんはその後、点字タイプライターなども開発され、目の不自由な方たちの社会生活に大きな影響を与えました。 日本では石川倉次さんの点字が採用された11月1日が「点字記念日」。 世界ではルイ・ブライユの誕生日である1月4日が「世界点字デー」となっていて、いまブライユの点字は日本も含めた140カ国以上の点字の基礎となっています。 ニッポン放送では、あさって24日正午から斉藤由貴さんをパーソナリティに「第42回ラジオ・チャリティー・ミュージックソン」が放送されます。 この機会にルイ・ブライユという人物、改めて大人も学んでみてはいかがでしょうか。 12月22日 木 「」より.

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子どもたちが調べているルイ・ブライユって!?【やじうま好奇心】

ルイブライユ 点字

点字の基礎を作った偉人を訪ねる 2018年春のフランス旅行のテーマは 自分たちが好きな人の軌跡を辿る です。 ところで、点字を英語で何というか知っていますか? Braille(ブライユ:英語読みはブレイル)といいます。 その名の通り、Louis Braille ルイ・ブライユ から来ています。 恥ずかしながら私は、点字を英語でBrailleということも、ルイ・ブライユという人もつい最近まで知りませんでした。 知ることになったきっかけは、子どもが読んでいた伝記です。 (それも私は最初、ルイ16世か誰かの家系の人、みたいに完全に誤解していました・・・) ルイ・ブライユは3歳のときにお父さんが仕事で使うナイフで誤って目を傷つけてしまい、それがきっかけで全く目が見えなくなってしまいます。 そこから10歳でパリ王立盲学校に進んだルイ・ブライユは、そこで出会った点を使った暗号文字を元に、点を組み合わせて文字を表現する実用的な現在の点字を確立していきます。 ルイ・ブライユの生家は、現在はルイ・ブライユ博物館(点字博物館)となっており、パリの郊外のクヴレ村 Coupvray にあります。 言われなければ気づかないような普通の住宅地の中です。 中に入ると、生家を管理するおじさんが中を案内してくれ、当時の生活を詳しく説明してくれます。 そのあと、ルイブライユが作った点字の器械や昔の点字の本について順番に全部説明してくれ、点字を実際に打たせてくれました。 とにかくこのおじさんがとても熱心で情熱的でとても詳しく教えてくれます。 子どもたちも伝記で読んだルイ・ブライユ の話をおじさんから直接聞くことができ、さらに点字を打たせてもらえて大感動です。 点字の仕組みを教えてもらい、子どもたちの名前を打たせてもらいました。 ルイ・ブライユが現在の点字システムを構築する前の点字もありました。 これらは 浮き出し文字 で成り立っており、指でなぞるのが非常に難しいという問題がありました。 生家自体はこぶりではありますが、おじさんとの話が心地よすぎて、結局2時間以上の滞在となりました。 その後、車で5分くらい(徒歩で10分くらい)のところにあるルイ・ブライユのお墓参りをしました。 (遺骨自体はパンテノンに移されています) 子どものリクエストで行ったルイ・ブライユの生家でしたが、大満足の訪問でした。 ルイ・ブライユや点字に興味がある人は楽しめること間違いありません。

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ルイ・ブライユの一生は?どんな人?フランスで点字を作った人!

ルイブライユ 点字

「ルイ・ブライユ」とは? 「ルイ・ブライユ」とはどのような人物なのでしょう。 まずは、彼の生涯について簡単に紹介します。 ルイ・ブライユは「点字」の基礎を作った人物 「ルイ・ブライユ(Louis Braille、1809年~1852年)」は、フランスの盲学校の教師でありながら、19世紀に「点字」の基礎を作った人物として知られています。 彼は、フランスの「クヴレ」という村に生まれ、3歳の時に馬具を扱う父親の職場で誤って目を突いてしまい、片目を失明しました。 さらに、この時の傷による感染症が原因で、5歳で両目を失明しています。 ルイ・ブライユは聡明さを見出され、王立盲学校に 当時は、「障害児に教育は不必要」という考えが主流でしたが、ルイ・ブライユはその聡明さを見出され、神父の取り計らいで学校に通い、優秀な成績をおさめました。 さらに、10歳ではパリの盲学校に奨学生として入学します。 1819年「王立盲学校」にも進学し、そこでルイ・ブライユが点字を考案する際に参考にしたとされる軍事用文字「バルビエの暗号」に出会います。 ルイ・ブライユは、この「バルビエの暗号」を改良し、「6点式点字」と呼ばれる現代につながる点字を考案したのです。 ルイ・ブライユは26歳で肺結核に、43歳で亡くなる ルイ・ブライユは王立盲学校で学んだ後、盲学校教師として学校にとどまりますが、早くから病に苦しめられました。 セーヌ川沿いにあった王立盲学校は、建物が古く、多湿で非衛生的だったこともあり、生徒の多くが不健康だったと言われています。 ルイ・ブライユも例外ではなく、26歳で肺結核を発症、1852年に43歳の若さで亡くなっています。 点字を作った人物「ルイ・ブライユ」の功績とは 若くしてこの世を去ったルイ・ブライユですが、現代に続く「6点式点字」という偉大な発明を遺しています。 彼のその功績について紹介します。 伝令用の文字「バルビエの暗号」との出会いが転機 王立盲学校に進学したルイ・ブライユは、伝令用の文字として軍用されていた「バルビエの暗号」に出会います。 フランス軍のシャルル・バルビエという人が考案したこの暗号は、夜でも触るだけで読めるのが特徴です。 当時、「浮き出し文字」を使用した学習方法を採用していた盲学校に、バルビエ自身がこの「バルビエの暗号」持ち込んだとされています。 ルイ・ブライユはこの「バルビエの暗号(点字)」の利便性に驚く一方で、12点式でやや複雑な「暗号」に不自由さを感じることも増えていきます。 そして、もう少し簡単に表せないものかと改良に挑むのです。 ルイ・ブライユは「6点式の点字」を考案 12点式の「バルビエの暗号(点字)」を改良し、ルイ・ブライユは「6点式の点字」を考案します。 縦3点・横2列の計6つの点を用いたことで、指先で読み取るのにも便利になり、またアルファベット・数字記号なども表現できるようにしました。 ルイ・ブライユが最初にこの「6点式の点字」を考案したのは、14~16歳のころだったとされています。 盲学校卒業後も教員として点字の改良に努める 盲学校で学んだ後に、そのまま教員として学校に残ったルイ・ブライユは、自らが考案した「6点式点字」の改良・研究を続けていきます。 その結果、アルファベット・数字に加え、アクセント記号のほか、音楽表現まで可能になり、目が不自由でもルイ・ブライユの「点字」(ブライユ式点字)を使うことで、楽譜を書き留めることもできるようになりました。 ルイ・ブライユの点字は現代でも活用されている ルイ・ブライユの点字は画期的な発明でしたが、認められるには時間がかかり、政府公認となったのは彼の死後、1854年のことでした。 現在、世界各国で用いられている点字の基礎は、ルイ・ブライユの「6点式点字」です。 また、ルイ・ブライユの誕生日である1月4日は「世界点字デー」とされています。 また、英単語で「点字」を意味する「Braille(ブレイル)」は、ルイ・ブライユの名前に由来しています。 このように、ルイ・ブライユの功績は、現代でも色濃く残っているのです。 日本国内における「ブライユ式点字」 ルイ・ブライユの考案した「6点式点字」は、もちろん、日本の点字でも基盤となっています。 ブライユ式点字の使用は1887年から ルイ・ブライユの点字が日本にやってきたのは1887年(明治20年)とされています。 現在の筑波大学付属視覚特別支援学校に当たる「東京盲唖学校」で、小西信八先生が教えたのが始まりです。 生徒が読み書きを習得し、喜ぶ姿を見た小西は、他の教師・生徒とともに全校を挙げてブライユ式点字の日本語版を作るべく検討を積み重ねます。 日本人では石川倉次が「点字の父」と呼ばれる 教員・生徒を巻き込んだ点字の考案・選定の結果、四回目の選定会で教員「石川倉次」の案を採用することが決定します。 1890年11月1日のことでした。 ここから、石川は「日本の点字の父」と呼ばれ、また11月1日は「日本点字制定記念日」とされています。 その後、石川は、「拗音(きゃ・きゅ・きょのように1音節が仮名2文字のもの)」の点字を考案し、この「拗音点字」を含む点字が1901年に「日本訓盲点字」として官報に発表されるに至ります。 まとめ ルイ・ブライユは10代半ばで、現代に通じる「点字」の基礎を考案した人物です。 これによって、目が不自由な人の学びは格段に広がったとされています。 現在、世界各国で使用される点字は、このルイ・ブライユの「6点式点字」を自国の言葉に合わせて改良したものが多く、まさに、現代に通じる偉大な発明と言えるでしょう。

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