アナスタシウス クロード。 ヨーロッパ人名対照表 - Reichsarchiv ~世界帝王事典~

フランシスコ (ローマ教皇)

アナスタシウス クロード

アタナシウス・キルヒャー アタナシウス・キルヒャー(アタナージウス・キルヒャー、Athanasius Kircher, : Athanasius Kircherus Fuldensis, - )は、のドイツ出身の学者、。 東洋研究、地質学、医学など幅広い分野で優れた業績を残した。 の科学的研究と読解に取り組んだパイオニアとしても有名。 また伝染病がなんらかの微小生物によって引き起こされるという考えをはじめて実証的に示し、その説にもとづいた予防法を提案した。 当時のヨーロッパ学会における最高権威であったが、最晩年はなどの合理主義の立場から批判にさらされた。 その後忘れられていたが、20世紀の後半になって再びその業績の先進性と多彩さが評価されるようになり、「遅れてきたルネサンス人」とも呼ばれるようになった。 的方法論を自在に駆使しながら、同時に観察や実験を重視したという点において中世と近代をつないだ学者であるともいえる。 生涯 [ ] 9人兄弟の末子だったアタナシウス・キルヒャーはに近いの ()(現在の)で生まれた。 このためキルヒャーの名前には(名前に出身地をつけるという古代以来の慣習に従って)「ブコニウス」「フルデンシス」などがつくことがある。 彼はフルダのイエズス会学校に4年在籍した後で神学生としてイエズス会の門をたたいた。 キルヒャーにとって幸運だったのは、学校に通いながら個人的にラビからを習った経験があることだった。 になるべくで哲学と神学を学んでいたアタナシウスだったが、プロテスタント軍の侵攻によってにへ逃れることになった。 このとき、凍ったを渡るときに氷が割れて命を落としかけている(アタナシウスは何度か命の危機に瀕している。 たとえばへの旅の途上でプロテスタント兵に捕らえられてつるし首にされかけた)。 ハイリゲンシュタットでは数学だけでなくヘブライ語、を教えた。 に司祭にされ、に移って倫理学と数学、ヘブライ語、シリア語を教えた。 ここでアタナシウスはの解明に初めて取り組んでいる。 、アタナシウスの最初の著作『アルス・マグネシア』(磁性研究)が世に出たが、彼自身はの影響でドイツを離れざるを得なくなり、当時にあった教皇庁立大学へ逃れた。 になると、によってへ招かれ、の後継者として宮廷付学者の任命を受けた。 しかし、宮廷付学者の地位を狙っていたの策動によってこの任命が取り消されたため、にとどまって研究を続けることになった。 以後、その死までローマで暮らすことになる。 彼はイエズス会の最高学府ローマ学院(現在の教皇庁立)で以降の数年間オリエントの諸語を教えた。 講義から解放されると、彼はと伝染病の研究に取り組んだ。 同時に古代の遺物の収集に熱中し、やがて自宅を「キルヒャー博物館」として公開できるほどのコレクションができた。 、考古学に関心を持っていたアタナシウスは [ ]帝が、聖が幻を見た場所に立てたと伝えられていた伝説の教会堂の遺跡を発見。 資金を集めてそこに記念聖堂を再建した。 この聖堂には死後、彼の心臓が納められた。 業績 [ ] Latium, 1671 アタナシウス・キルヒャーは特定のカテゴリーにとらわれず、広範な分野で多くの著作を残している。 たとえばエジプト学、地理学、音楽理論などである。 彼の幅広い学際的なアプローチは、現代の学者から見れば戸惑いすら覚えるものである。 たとえば彼の『磁性研究』は本来磁性の話なのだが、重力や愛にまで話題が広がっている。 アタナシウスのもっともよく知られている著作は『エディプス・エジプティアクス』である。 同書はエジプト研究および比較宗教学に関する広範な著作である。 彼の著作は学術語、当時の国際語であるラテン語で書かれ、多くの読者を得ていた。 エジプト研究 [ ] アタナシウスは当時のヨーロッパでもっとも優れた古代エジプト研究者であった。 彼の提示した説の中には誤っていたものもあるが、それを差し引いても学術的エジプト研究のパイオニアという地位は揺るがない。 彼がエジプト研究に入るきっかけとなったのはにの図書館でヒエログリフのコレクションを見たことであった。 になってを学ぶと、初のコプト語の文法書『プロドロムス・コプトゥス・シヴェ・エジプティアクス』をに出版している。 に出版された『リングア・エジプティアカ・レスティトゥタ』ではコプト語が古代エジプト語の発展した形であることを述べ、とヒエログリフの関係も指摘している。 『エディプス・エジプティアクス』の中でアタナシウスは古代エジプト語が人祖によって使われていた言葉であり、はと同一人物であると推測している。 そしてヒエログリフは文字ではなくオカルト的な記号であると結論づけた。 このような間違った結論からアタナシウスの「翻訳」はちんぷんかんぷんなものとなった。 たとえば彼は、あるヒエログリフを「の背信行為はの王権を終焉させ、空気中の水蒸気はアヌビスによって守られる」と読んでいるが、実際には「オシリスは言う」という簡単な1句にすぎなかった。 アタナシウスのヒエログリフ解読の試みは失敗に終わったが、科学的ヒエログリフ解読の嚆矢となった。 また、アタナシウスの収集した膨大なヒエログリフ関係の資料は後にの手にわたり、ヒエログリフの解読成功に貢献している。 アタナシウス自身も後にヒエログリフはなんらかのアルファベットであるという結論に達し、(見当違いではあったが)具体的にギリシア語のアルファベットとヒエログリフを対応させてみている。 ただし、今日における彼の評価は、ヒエログリフ解読を絵文字の一種という間違った認識で方向付けたため、イェール大学のが言う「解読を2世紀遅らせた人物」というものが多い。 中国学 [ ] 『中国図説』扉絵。 とが中国の地図を持つ。 上はと アタナシウス・キルヒャーはヨーロッパにおける研究の第一人者でもある。 には長上にとして中国に行きたいという希望を出している。 中国に行くことができなかったため、ら中国に赴いたイエズス会宣教師たちの報告や研究所を徹底的に読み込んで分析した。 彼の記した『チナ・モヌメンティス』(『中国図説』)は中国地図を含む本格的な中国事典であるが、事実と想像の部分がごちゃ混ぜになっている。 たとえばキリスト教と中国の関係を記す中で、古代のが中国に流入していたというのは正しいが、中国人がのの子孫であるとか、漢字はヒエログリフが崩れたものであるとか、はモーセ(ヘルメス・トリスメギストス)のことであるというような主張は完全に誤ったものであった。 著作の中でアタナシウスは、はヒエログリフに劣ると考えている。 なぜなら彼が漢字は特定の概念しか表さないが、ヒエログリフはさまざまな複雑な概念を表現していると考えたからである。 さらにやの文字はであって物体しか表すことができないため、漢字よりも劣るとしている。 はこのようなアタナシウスの考え方を当時のヨーロッパ人の中国人観およびアメリカの先住民観を反映しているとみた。 つまり中国人というのはアメリカの先住民のように征服してもかまわない野蛮人ではなく、ヨーロッパ文明の本流から離れてしまってはいるが、依然として高度な文明を持ち、ヨーロッパへと回帰する可能性のある民族だという考え方である。 地質学 [ ] 、アタナシウスは地球内部の構造を調査するために南イタリアへ赴き、火山に登って噴火口を調査している。 またでは地底から聞こえる不思議な音に興味を引かれている。 一連の地質学研究はに出版した『ムンドゥス・スブテラネウス』(『地下世界』)にまとめられた。 同書の中では潮流の原因は海洋における温度の違う水の動きにあると鋭い考察を行っている。 彼はについても研究しているが、どうもよくわからなかったようである。 というのもアタナシウスの研究していた「化石」には本物の化石と化石でないものが混じっていたため、彼はあるものは自然の力によってでき、あるものは人間が加工したものではないかと考えた。 医学 [ ] アタナシウスは病理研究に科学的手法を導入したもっとも初期の人物の一人である。 にはを用いて伝染病の犠牲者の血液を検査している。 の『スクリティニウム・ペスティス』(『伝染病研究』)では血液中に「微小生物」を発見したことを述べ、そのような微小生物が病気の原因になっているという説を示している。 しかし、彼の観察した「微小生物」は(あるいは)であったが、考え方自体は間違っていなかった。 彼はこの説をもとにした伝染病予防法として、患者の隔離、検疫、患者の衣類の焼却、マスクの使用などをあげている。 その他 [ ] アタナシウスはほかにも磁力で動く時計や楽器を作ったり、音楽理論についての著述もしている。 宇宙論に関して彼ははじめ、の説に反対していたが、その後の研究を経て可能性の一つとしてコペルニクスのモデルも支持するようになった。 の『ポリグラフィア・ノヴァ』では人工国際言語の可能性についても言及している。 、アタナシウスは有名なを受け取った。 送り主はアタナシウスなら解読できると考えたようである。 こうして手稿はののへの併合までローマ学院に所蔵されていた。 キルヒャーの著作 [ ] キルヒャーの主要な著作(年代順) 年 原題 邦題 リンク 1631 Ars Magnesia 『磁石の術』 1635 Primitiae gnomoniciae catroptricae 1636 Prodromus coptus sive aegyptiacus 『プロドロムス・コプトゥス・シヴェ・エジプティアクス』 1637 Specula Melitensis encyclica, hoc est syntagma novum instrumentorum physico- mathematicorum 1641 Magnes sive de arte magnetica 『磁石あるいは磁気の術』 second ed. opificium coeleste 『忘我の旅』 1657 Iter extaticum secundum, mundi subterranei prodromus 『続・忘我の旅』 1658 Scrutinium Physico-Medicum Contagiosae Luis, quae dicitur Pestis 『伝染病研究』 1660 Pantometrum Kircherianum... explicatum a G. Schotto 1661 Diatribe de prodigiosis crucibus 1663 Polygraphia, seu artificium linguarium quo cum omnibus mundi populis poterit quis respondere 『ポリグラフィア』 1664—1678 Mundus subterraneus, quo universae denique naturae divitiae 『地下世界』 1665 Historia Eustachio-Mariana 1665 Arithmologia sive De abditis numerorum mysterijs 1666 Obelisci Aegyptiaci... Amsterdam, Jansson-Waesberge 1679. 『バベルの塔』 1679 Tariffa Kircheriana sive mensa Pathagorica expansa 1680 Physiologia Kicheriana experimentalis この節のが望まれています。 影響 [ ] アタナシウス・キルヒャーは当時のヨーロッパ全域で高い評価を受けており、学会の最高権威であった。 歴史学者のポーラ・フィンドレンは彼が「国際的評価を受けた最初の学者」であるという。 アタナシウスが幅広い分野で多くの業績を残せた一つの理由は、すぐれた研究者の多かったイエズス会員たちによる研究を参照し、統合できたことや、世界中のイエズス会宣教師の報告をローマでまとめることができたことにあった。 アタナシウスの研究には神話や伝説といった事柄が混じっていたため、晩年になってルネ・デカルトを筆頭とする合理主義者たちから厳しく批判されることになった。 その後、アタナシウスは長らく忘れ去られていたが、の後半になってようやくその業績が再評価されるようになった。 (しかし、いまだに彼のラテン語著作の多くは翻訳されていない。 )キルヒャーの科学的研究は現代のレベルから見ればお粗末なものであるため、どちらかというと見当違いだった研究の部分だけが大げさに紹介されることが多いが、その研究には正確なものが多かったことは忘れてはならない。 また、その業績の広さ、先見性や観察力の鋭さは更なる評価を受けてしかるべきものである。 脚注 [ ]• 関根正雄「エジプト聖刻文字の解読」『古代文字の解読』高津春繁; 関根正雄、、1964年、33-34頁。 参考書籍 [ ]• ジョスリン・ゴドウィン著、川島昭夫訳、『キルヒャーの世界図鑑』、• 吉田寛「アタナシウス・キルヒャーと音楽の国民様式論」、国立音楽大学大学院編『音樂研究』、第15輯(2003年)• Paula Findlen: Athanasius Kircher: The Last Man Who Knew Everything. New York, Routledge, 2004. 山田敏弘 『ジオコスモスの変容:デカルトからライプニッツまでの地球論』(勁草書房、2017年)、第3章.

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「クロード」に関するQ&A

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vis] , 466年頃 - 511年11月27日)は、メロヴィング朝フランク王国の初代(在位481年 - 511年)である。 日本では大半の書籍 では、フランス語読みの「クロヴィス」でなく、英語ないしドイツ語読みに近い クローヴィス1世の表記が用いられる。 クロヴィスは一夫多妻制の生活を送っていたが、妻の1人であった王妃クロティルドの影響で、()に改宗して、これを保護したのでガリアでの布教活動に大きな貢献があった。 生涯 サリー・フランク族のキルデリク1世を父、 テューリンゲン族の バジーナを母としてトゥルネー(現ベルギー領)で生まれた。 当時は現代のフランス・ベルギー国境付近のトゥルネー、カンブレーを中心とするライン川低地西部を占めていたに過ぎなかった。 481年に即位したクロヴィスはライン川北岸のフランク人を統一、486年にはガリア北部を支配していた西ローマ系軍閥のアフラニウス・シュアグリウスをソワソンの戦いで破り、版図を一挙にロワール川北部に拡大、旧ローマ属州ベルギカ・セクンダを支配下に治めた。 さらにクロヴィスは妹のアウドフレドをのテオドリックに嫁がせて同盟を固め、493年にはブルグンド王国の王女クロティルドとソワソンで結婚した。 496年から497年にかけて、 トルビアックの戦いでアラマンニ人に勝利した後、王妃クロティルドの薦めでに改宗した。 東ローマ帝国の人物との接触の長いフランク族の王クロヴィスはニカイア派を信仰していた。 この改宗はゲルマン民族諸王の中で初めて行われたカトリックへの改宗であった。 一方西ゴート族やヴァンダル族はすでにキリスト教に改宗していたが、その宗派はアリウス派であった。 当時のガリア住民は大部分カトリックであったため、クロヴィスのカトリック改宗はガリア領内のローマ系市民との絆を強化するものであった。 498年にランスで戴冠式をおこなった。 500年にはディジョンでブルグンド王国と戦い、507年にはアルモリカ人の支援を得て ヴイエの戦いで王を破った。 この勝利で勢いをつけたクロヴィスはそのまま西ゴート王国の首都トゥールーズまで進軍し、アキテーヌの大部分を獲得した。 フランク王国の領土は北海からピレネー山脈まで大きく拡張され、南フランスを支配していた西ゴート王国はイベリア半島に押し込められた。 この遠征の後の508年、クロヴィスは東ローマ皇帝からローマ帝国名誉執政官に任命された。 508年パリに都を定め、セーヌ川左岸に聖ペテロとパウロに捧げた修道院(のちのサント=ジュヌヴィエーヴ修道院)を築いた。 その遺構は今もパンテオン近くにクロヴィス塔として残る。 クロヴィスは晩年フランク人の小王を次々に姦計にかけ、そのほとんど全てを抹殺した。 それによりメロヴィング朝は他の家系から脅かされることなく、300年近い命脈を保ったと言われている。 クロヴィスは511年11月27日に死去し、パリの北方4キロほどの街、サン=ドニにあるに埋葬された。 その遺領はフランク人特有の財産均等分割相続の習慣に従い、4人の息子、、、に分割された。 フランス人の伝統によれば、パリに都したクロヴィス1世はフランス王国の基礎を築いた最初のフランス王であった。 クロヴィスの生涯はトゥール司教グレゴリウスが詳細な年代記を残している。 子女 名前未詳の女性との間に、長男をもうけた。 (485年頃 - 534年) - ランスの王 王妃クロティルドとの間には4男1女が生まれたが、1男は早世した。 インゴメール(494年)• (495年 - 524年) - オルレアンの王• (496年頃 - 558年) - パリの王• (497年頃 - 561年) - ソワソンの王、のち全フランクの王• クロティルド(? - 531年) - と結婚 脚注 注釈• 各社の高校世界史関連の教科書・参考書、一般書など• ミュソ=グラール、p. ミュソ=グラール、p. フランス史、p. 137-138。 フランス史、p. 138。 ミュソ=グラール、p. 112。 参考文献• ルネ・ミュソ=グラール『クローヴィス』加納修訳、白水社、2000年。 『世界歴史大系 フランス史1』、山川出版社、1995年。 関連項目• 外部リンク• (イメージ) 先代: キルデリク1世 サリ・フランク族の王 481年 — 509年 次代: フランキアの征服 先代: - 初代 481年 - 511年 次代: (ソワソン) (パリ) (オルレアン) (ランス) 先代: フラウィウス・エンノディウス・メッサラとアレオビンドゥス・ダガライフス・アレオビンドゥス ローマ帝国の執政官 507年 同僚はとウェナンティウス 次代: バシリウス・ウェナンティウスとケレル.

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質問一覧• ある日お姫様になってしまった件について、についての質問です!小説のネタバレよろしくお願いします!!(韓国版漫画までは把握済みです!) 気になることがいくつかあります。 ある日、お姫様になってしまった件について で,小説の結末を読みましたが,ジェニットがすごくかわいそうだと思いました。 自分はクロードの娘だと言われたためそれを信じていたのに,クロードに突き放されて アナスタシウスに利用... ある日お姫様になってしまった件についてという韓国の小説 漫画 についてです。 皇族は不死を意味する名前を持つと書かれていました。 アタナシアはどんな意味なんでしょう。 また,クロー ドや アナスタシウス,ジェニット... ある日お姫様になってしまった件についてという韓国の本の話です。 原作小説を読んだ方に質問です。 クロードはあのあと記憶が戻ったら,どうなるんですか? アーティに対しての態度や,ジェニットや アナスタシウスのことはどう... なんでこいつ クロード は死んでしまうんだ?」みたいなことを言っていた気がしたんです。 彼にはなぜ「1世」がつくのでしょうか。 私の調べたところによると、同国に「 アナスタシウス」という皇帝は彼一人のようなのです。

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