ピエロ 殺人 鬼。 映画「IT/イット」は実話だった?【事実は小説より奇なり】

ピエロは殺人鬼のイメージ?

ピエロ 殺人 鬼

呪いのビデオ」の第88弾。 一般ユーザーの反響も交え、全国から続々と寄せられている新規投稿映像を収録。 アメリカを恐怖に陥れた彼の 正体とは…。 どんな事件だったの? 連続殺人の犯人はジョン・ウェイン・ゲイシーという男。 彼は1972年~1978年の6年間で33名を殺害した。 異常な性癖を持ち、少年を強姦・拷問していた。 ピエロに扮して社会活動を行っていたため「殺人ピエロ」と呼ばれた。 強姦・拷問・殺人…ピエロを纏った猟奇的殺人鬼 ジョン・ウェイン・ゲイシー…別名「 殺人ピエロ」ともいわれ、 1972年~1978年の6年間で、少年を含む33名を殺害したシリアルキラー(連続殺人犯)。 」(スティーヴン・キングの小説)のモデルとされた人物である。 ゲイシーは自身でビジネスを興し成功、結婚も経験している。 休みの日にはピエロに扮して福祉施設を訪れるなど、慈善活動にも積極的に参加しており、子供たちだけでなく地域住民の人気者だった。 時の大統領ジミー・カーターの妻ロザリンと握手している写真も残っている。 ところがそんな生活の傍ら、彼は少年を誘い強姦、拷問の末に殺害を繰り返していたのである。 その殺害方法はあまりにも酷く、 死体は床下に埋葬し、石灰や塩酸をまいていたという。 警察が立ち入った時、そこには 29体の少年の遺体が汚水に浮かんでいた。 彼の犠牲となったのは、そのほとんどが少年である。 ゲイであった彼は少年を誘い、脅迫し強姦の末殺害を繰り返していたのだ。 ゲイシー宅の床下。 29体の遺体が発見された。 川に浮かんでいた4名を含む計33名を殺害した罪に問われた彼は、無罪を主張するため、自身が「 多重人格者」であることを訴え続けた。 莫大な資産も使って上訴を繰り返したが、最終的には認められず 死刑が確定。 1994年、彼の死刑は薬物注射によって執行された。 通常であれば7分前後で絶命するのだが、 彼は苦しみながら20分近く生きたといわれている。 成功者の影に潜む歪んだ生い立ちとキッカケ ゲイシーは一体どんな人生を歩んできたのか。 彼をビジネスマンとしてみれば「成功者」と言っても過言ではない。 就職先では、セールスマンとして優秀な成績を残し、ケンタッキー・フライド・チキン3店舗のマネージャーもやっていた。 さらに青年会議所の会員でもあった彼は、その活動実績が認められ部長にもなっている。 自身で建築ビジネスを立ち上げ、持ち前の勤勉さとセンスで成功も収めている。 結婚もし、誰の目から見ても順風満帆である。 そんな彼がなぜ…そんな気持ちに、当時多くの人間がなったであろう。 そのヒントは彼の幼少期にある。 ゲイシーは幼少期、父親から酷い虐待を受けていた。 生まれつき心臓疾患というハンディを抱えていた彼を、父親は精神的、肉体的に痛めつけ、時に失神するまで暴行を加えていたのである。 そのせいかは分からないが、ゲイシーは大人になるにつれて異常な性癖に目覚めることとなる。 大人になった彼は、ある少年と肉体関係を持つ。 後に性的虐待したとして逮捕されるが、模範囚となりすぐに釈放される。 釈放後、彼はまた一人の少年と関係を持ったが、ある勘違いをきっかけに殺害してしまう。 勘違いに気づいたゲイシーは混乱し、遺体を床下に埋めた。 そして、その後 殺人が習慣化していくこととなったのである。 いかがだったろうか。 本当に実在した人物なのか?と疑ってしまうほどの事件であり、当時のアメリカは戦慄しただろう。 こうした事件が今後起きないことを切に願うばかりである。 引用・参考サイト カラパイア ウィキペディア 雑学ミステリー 書籍情報• 四六判 巻頭カラー8ページ+1C256ページ 価格1200円 税抜き 2020年7月21日発売 ワニブックス Amazon限定【ゾゾゾ オリジナルA6クリアファイル】特典付き! 数に限りがございますのでお早めにご注文ください。 A5版 オールカラー128ページ 価格1100円 税抜き 2020年7月21日発売 日本文芸社 ゾゾゾでは心霊写真・心霊映像を募集しています。 ゾゾゾサブチャンネル「家賃の安い部屋」 心霊写真・心霊映像を持っていませんか?番組内で取り上げても良いよと言う方は、TwitterのDM、当サイトに掲載されているアドレスまで下記の情報をご記入の上投稿をお待ちしております。 お写真・動画を添付 URLでも可• ニックネーム 番組内で使用します• お住いの都道府県 番組内で使用します• どこに不可解なものが写っているか教えてください• 投稿したい写真・映像について、撮影した時の状況を教えてください• 何かよくない事が起きましたか?• その他相談や長尾にメッセージなど 番組に採用された場合、ゾゾゾよりオリジナルゾゾゾステッカーをプレゼント!ご応募お待ちしております。

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プロの道化師たちを困惑させる「殺人ピエロ」。元ネタはキングのあの作品?

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ジョン・ゲイシー 個人情報 別名 ポゴ キラー・クラウン 生誕 1942-03-17 ・ 死没 1994-05-10 (52歳没) ・イリノイ州クレストヒル、 死因 による 有罪判決 殺人罪による宣告 殺人詳細 犠牲者数 33人 犯行期間 — 国 州 逮捕日 1978年12月 ジョン・ウェイン・ゲイシー・ジュニア( John Wayne Gacy Jr. 、 - )は、の、。 平時は子供たちを楽しませるため、パーティなどでに扮することが多かったことから キラー・クラウン(killer clown、 殺人道化、 殺人ピエロ)の異名を持つ。 少年時代はに入っていたことがあり、資産家の名士でチャリティー活動にも熱心な模範的市民だと思われていたが、アルバイト料の支払いなどの名目で呼び寄せた少年にを加えたうえで殺害し、その遺体を自宅地下および近くの川に遺棄していた。 自身のを隠すために殺害したとされている。 からのあいだ、少年を含む33名を殺害したことが明らかになっている。 彼の犯行はアメリカ社会を震撼させた。 で彼の描いたピエロの絵画は連続殺人者犯マニアには大変な人気があり、展示会が開かれたり、高値で取引されたりしている。 著名人ではのが購入して所有している。 彼の描いたピエロの絵画 1942年3月17日、のの父親との母親の間に生まれる。 父親である叩き上げの熟練機械工、ジョン・スタンリー・ゲイシーは貧しさの中で育ち、「人には負けない」「弱みを見せてはならない」という人生哲学を持っていた。 スタンリーには、脳内の手術が不可能な部位にがあり、発作的なを起こすなどその情緒は極めて不安定で、やり場のない怒りが突如湧き上がることもあり、しばしば自分の家族に矛先を向けた。 はじめての一人息子に期待を込めて、で人気を博したアメリカ男性を象徴する名優の名を授けたが、生まれたばかりのジョンにがあると判明した途端に失望して見限ってしまった。 ジョンは幼少期からスタンリーから徹底的なを受けていた。 スタンリーに対するジョンの幼いころの記憶は、しつけや礼儀作法に厳しく、小さな失敗をしてもで打擲されるというものであった。 スタンリーは身体の弱いジョンをことあるごとに「クズ」「間抜け」「オカマ」「お前はホモになるのさ」となどと常に責め立て、肉体と精神の両面で痛めつけた。 このためにジョンはやを頻繁に起こすが、彼は罵倒されるのが嫌でストレスや体の不調を我慢して必ずし、そのたびにスタンリーはジョンを激しく罵った。 失神の直接の原因は病院では分からず、ジョンを診察したは「再発性の失神症」と診断した。 ジョンの母がスタンリーに対し「ジョンの体をいたわって欲しい」と懇願すると、スタンリーは「あのガキは親の気を惹いてやがる」と鼻で笑ったという。 ジョンは14歳から18歳までのあいだ、1年以上の入院治療と、高校を4つ変わったことで普通高校を落第となる。 その後職業訓練校に編入し優秀な成績を上げたことで、怠学補導教官の助手として事務室で働くように勧められる。 このころのジョンは、スタンリーの気を惹くように、スタンリーお気に入りの立候補議員の応援をする。 だが審査で病歴があったことで免除になると、スタンリーはジョンを再び罵倒するようになった。 ジョンは18歳のとき、当時の女友達とに及ぼうとして意識を失う。 それを知ったスタンリーは、ジョンに「お前の中のオカマが登場した」と言ったという。 最終的には家を追い出されたが、それでもジョンは自身を罵倒し続けた父親を心から愛しており、いつか父親に認めてもらおうと一生懸命に働き続けた。 出世・逮捕 [ ] (20歳)、ゲイシーは父の車を貸してもらおうとしてスタンリーと口論となり、「タイヤの空気を入れてくる」と言い残しへ家出した。 母が引き取りに来るまでの3か月間、のを勤めた。 昼間はここでに防腐処置を施すための血抜きを手伝い、夜は死体を安置している処置室の隣に置いてある簡易ベッドで寝起きした。 後に「そのころのゲイシーは若者の死体を見ると胸が疼き、それも少年の死体だと、異様な感覚に支配され、仕事に慣れてくると、自分の気に入った少年の死体が入った棺中に潜り込み、死体の皮膚に身を寄せていた」という話がマスコミによって作り上げられるが、ゲイシー自身はこれを否定している。 ゲイシー本人によると、死体置場には住んでいたが、死体と一緒に寝ていたことやしていたというのは大嘘であり「馬鹿馬鹿しい」と一蹴している。 その後シカゴへ帰郷したゲイシーは、ビジネスのへ進んだ。 卒業後は大手靴販売店のセールスマンとして就職。 入社して間もなく抜群の営業成績を上げたことで、若くしてエリアマネージャーに抜擢された。 またゲイシーは( United States )の有力会員でもあり、会議所の貯蓄販売券の販売でも優秀な成績を残し、その2年後には州全体で3番目の活動実績を挙げたとして第一部長に就任している。 (22歳)にはマリリンという女性と結婚してに移った。 そこで妻の父親が所有していたの3店舗のマネージャーを兼任するようになり、ビジネスに地域活動に八面六臂の活躍をし、人望も厚かったゲイシーは青年会議所の次期会長選出が確実視された。 ビジネスマンとして多忙を極める中、1年間で青年会議所の多数のプロジェクトを立案・実行にあたった。 また、地元でのボランティア活動にも積極的に加わり、常に精力的に動き回るゲイシーをいつしか周囲は「眠らない男ゲイシー」と畏敬の念をこめて呼び、会頭候補にまで登り詰めた。 これほど働いたのは、父スタンリーに自分を認めてもらいたいという彼なりの愛情でもあった。 ゲイシーは結婚する少し前、一緒に酒を飲みに行った男性と無意識のうちにに耽った。 ゲイシーは、父から言われ続けてきたことが現実のものとなったことに深い恐怖と嫌悪を抱いた。 その3年後、青年会議所会員の息子で15歳になるドナルド・ヴァリューズを「映画を観よう」と誘って、地下室で関係を持った。 事が済んでからゲイシーはヴァリューズに金を払ったが、その後もヴァリューズはゲイシーのもとをしばしば訪れ、何かと理由をつけては金を要求するようになった。 ゲイシーはそのたびに金を支払い、性交した。 しかし会頭選挙を目前に控えたころ、このヴァリューズが訴え 、ゲイシーは反自然性交の容疑で逮捕された。 (26歳)に少年へのの罪で服役することになる。 その間にマリリンが離婚を提訴し、受理されたことで結婚生活は終わりを迎えた。 を受けて収監されるが、わずか7か月で高校卒業の資格を取り、さらにのでなどの単位を取得する。 また内の青年会議所の法律相談員として、待遇の改善に関する2つの法案を州議会に通した。 実績と模範囚として態度を買われたゲイシーは懲役10年の判決にもかかわらず、わずか16ヶ月で出所となり、に戻った。 だが、服役中の(27歳)、父スタンリーがで死去し目標を失った。 殺人 [ ] (ピエロ姿のジョン・ゲイシーの写真) 釈放から半年後、ゲイシーは少年に対する暴行容疑で再逮捕される。 しかし、原告の少年が裁判に姿を見せなかったことで不起訴となった。 その秋より、ゲイシーはパーティーで知り合った少年をあさるようになる。 その翌年の1月のある夜、自分の「拾った」青年とベッドをともにする。 早朝に目を覚ますと、その青年がを持って立っているのを見て恐怖からパニックを起こし、格闘の末刺し殺してしまった。 実は青年はゲイシーのためにを調理しており、彼はナイフを持ったままゲイシーを起こそうとしたのだった。 これに大きく混乱したゲイシーは死体を床下に隠した。 これ以降、殺人が習慣となっていく。 軽食堂のコックをしながら、室内装飾や増改築などを専門とする軽建築業で身を起こすことを決意したゲイシーは、貯金に励みながら事業計画を練り上げ、(29歳)にシカゴのノーウッド・パークの近くに家を購入。 そこを拠点に、満を持して自分の建築ビジネスを興した。 持ち前の勤勉さで会社を軌道に乗せると、高校時代から知っているキャロルという女性と結婚、彼女の連れ子二人もともに暮らし地域でも尊敬される存在となっていった。 休みには道化師「ポゴ」に扮し、福祉施設を訪れるなどして子供たちの人気者となった。 さらに地元のメンバーとなり、パーティー会場で時の大統領の妻と握手している写真が残されている。 の妻・(左)とジョン・ゲイシー ゲイシー本人によると、彼の意識障害はある種のを伴って現れるようになり、道化師ポゴを始めたのはポゴに変身しているときは安らぎを得ることができたから、という。 ゲイシーは多くの少年たちを家に誘ってしたあとに殺害した。 被害者を誘う手口は「ポルノを観ないか」と誘ってに連れ込むというもので、その後手錠を掛けて動きを封じ、凶器で脅しながら強姦した。 殺害方法の多くは少年達が首にかけていたにを入れ、ゆっくりねじって絞殺するというものであった。 殺害後に死体は床下に埋葬し、その上にを撒いた。 時にはをかけることもあった。 の末にゲイシーはキャロルと離婚。 その後、ゲイシーの犠牲者は一気に増えた。 家宅捜索 [ ] 、ゲイシーの会社のアルバイトの面接へ行ったまま行方不明になった15歳の少年、ロバート・ピーストの行方を追っていたデス・プレーンズ警察の警部補ジョゼフ・コゼクサックがゲイシーの家を訪ねた際、さまざまな遺留品があることに気づいた。 遺留品のほかに多数のゲイポルノや、使用した痕跡が残った肛門用も発見された。 しかしそれ以上に彼を圧倒させたのは家全体を覆う異様な臭気であり、コゼクサックはゲイシーがただの実業家ではないことを悟った。 事実、ゲイシーは以前から警察による厳しい追及を受けていたが、時には地元の有力な民主党員であることを笠に着て、逆に警察の24時間による監視捜査を「人権侵害」だとして民事訴訟を起こすなど、のらりくらりとかわし続けた。 そのころのゲイシーはの道を逆走するなど、異様な行動が目立っていたが、ゲイシーを監視するチームの責任者、ウォーリー・ラング部長刑事はそういった微罪ではなくより大きな罪で逮捕して調査をしようと決めた。 やがてでゲイシーが顔馴染みの従業員にを渡していたことを部下の聞き込みで知ると、ゲイシーを不法所持の現行犯で逮捕することにした。 これによりコゼクサックは家宅捜索令状を手に入れ、ゲイシーの自宅に入った。 自供を受けてゲイシー宅の強制捜査が行われた結果、29人の死体は石灰で覆われた家の床下から発見された。 死体は床下できちんと整頓されたように埋められていた。 他の4人は、床下にスペースがなかったので近くのデス・プレーンズ川に捨てたことが明らかになった。 ロバート・ピーストの遺体もそこから引き揚げられた。 被害者の多くはであり、数人は彼の会社でアルバイトをした10代の青年であった。 最も若かった犠牲者は9歳で、20歳の元の青年が一番年齢の高い犠牲者であった。 状態が悪かったために身元がわからない遺体も9体あった。 床下に埋められた死体はすべてがしきっており、発生していたに現場の警官たちは激しいめまいと吐き気を覚えた。 あまりに腐臭が凄まじく、一度臭気に触れた衣服は臭気が染みついて洗浄不能になったうえに衛生面でも危険とされたため着用不可能となり、焼却処分された。 さらに、土中に埋められていた死体が空気に触れたことでふたたび腐り始めた。 衛生局の分析で命に関わる危険な物質が大量に発見され、さらには毒性の強い細菌が検出された。 このため軍は現場の捜査員たちに作業用に使い捨てのジャンプスーツを支給し、傷の自己申告を徹底させ、傷を申告した捜査官を現場から外し、全員にを剃ることを禁止した。 警察署の死体保管所はと化した。 この死体の捜索と分析は強烈な悪臭と病気の感染との戦いとなり、命を落としかねない危険を伴った。 多重人格 [ ] ゲイシーが使っていた絵の具セット ゲイシーはのため、のセルマック精神病院の犯罪精神科病棟に移送された。 そして「私の中には4人のジャックがいます。 全員のことを詳しくは知りません。 ゲイシーによれば彼の中の4人のジャックがゲイシーの肉体をコントロールし、そのあいだの記憶はまったくないのだという。 1人目のジャックは、酒と麻薬をやってから少年を漁りに出かけ、少年を車に連れ込んでセックスをする。 そうした中で2人目のジャックが現れ、行為が終わると裸のまま車外に放り出し、そのまま逃亡しては楽しむという。 俺は殺人課のベテラン刑事であるとゲイシーに語っていたという。 2人目のジャックが引っ掛けた少年を、自宅まで無事に届けるのが3人目のジャックで、心優しい警察官であるという。 そして、3番目のジャックが少年を諭しているときに突然現れて、手の届かないところへ少年を連れ去っていくのが4人目のジャックである、という。 ちなみにゲイシーの証言を得たのは。 が、の事件について、ミリガンが10の人格を備えていることを一面トップの記事にした3か月後のことであった。 ゲイシーは、として診断されることに全力を尽くした。 から始まった公判で、ゲイシーは自分が多重人格であることを主張し続け、無罪を訴えた。 しかし陪審は訴えを退け有罪評決を下した。 33人の若い男性を殺害した理由に多重人格を持ち出しても「詐病」であるとされた。 に12回の死刑判決と21回の判決を受けたが、数百万ドルに及ぶ莫大な資産を利用して、20回以上のと模範的な服役生活により刑を免れ続けてきた。 また自分を妬む人や警察の陰謀であるとしてを主張し、死刑制度の違憲性を訴えて上告を繰り返した。 これにアメリカ国内で非難が集中し、いち早い死刑執行を願う人たちがデモ活動を行ったこともある。 ゲイシーを心理学的に鑑定した臨床医は「彼のIQはかなり高く、神経学テストをはじめとする7種類のテストでも、脳障害の兆候は見られなかったと診断した。 一方でや主題統覚検査では異常を感じさせる反応を示し、心理面の安定をみる(MMPI)でゲイシーが極めて異常であり、思考の混乱から精神分裂かもしくは妄想症の可能性が強い」とされた。 この検査結果では、ゲイシーは「自分を有利にしようと動いているわけではない」ということが認定された。 元スタンフォード大学行動科学課長および研究センター会長は、ゲイシーを極めて凶暴で歪んだ性欲に巻き込む人格相として存在しているとした。 ゲイシーのトラウマをアルコールに耽っていた父親と現在までに及ぶ本人自身の発作によるものと指摘、幼いころから彼を責め苛み続けた心身症と神経症が、彼の犯罪性を作り上げる土壌となったと証言した。 一方「このような症例を罰するか罰しないかの判断は、法と社会の境界上の問題であり、心理学の立場からは言及できません」とも話した。 処刑 [ ] そんな中、ゲイシー他多数の犯罪者に興味を持ちを送ってきた、 ()という当時18歳の少年と文通を始める。 ゲイシーはのちに彼のを突き止め、電話でのやりとりを行うようになった。 その後、少年に「人殺しをした本当の理由を教えてあげる」と刑務所に招待し面会することになった。 しかし情欲を抑えきれなくなったゲイシーは、彼を34人目の被害者にしようと企む。 模範囚としての信用を利用して、仕切りなどがない面会室において看守抜きでの面会 を取りつけ、少年と2人きりでの面会が叶い、彼をの死角に誘い出して犯行に及ぶも、間一髪で看守が通りかかったことで未遂に終わった。 この犯行が決定的となり、再審請求は取り下げられた。 深夜、がにて執行された。 彼が希望した最後の食事は、、、、、など、若き日の成功を象徴するものばかりであった。 通常、薬物注射による死刑は平均で7分前後で静かに絶命すると言われているが、何らかの手違いか薬効にムラが生じゲイシーは20分近く苦しんで絶命したという。 この件についてコメントを求められた担当検事のウィリアム・カンクルは「被害者が受けた苦痛に比べれば、ゲイシーの苦痛など大したことはないね」と述べた。 その後 [ ] から、身元のわかっていない被害者の再調査が始められている。 最後に殺害されそうになったジェイソン・モスは、これ以前にも服役中の凶悪殺人犯と手紙のやり取りを行い、相手のを研究することを趣味としていたという。 ゲイシー以外にもやとも文通を行っていたが、ゲイシーに襲われて以降、この趣味は鳴りを潜めたようである。 これら一連の連続殺人犯たちとの文通や面会については、彼の著書『「連続殺人犯」の心理分析』(、)に詳しい。 モスは、わずか10歳で大統領の成績優秀学生賞を受賞したアメリカ有数の成績優秀者であり、その後を首席で卒業してからにを卒業し、犯罪のとなった が、にネヴァダ州ヘンダーソンの自宅でを遂げた。 脚注 [ ] 注釈 [ ]• 『FBI心理分析官2 ~世界の異常殺人に迫る戦慄のプロファイル~』に収録されているレスラーとゲイシーとの対談より• NYDailyNews. com, December 20, 2013• 参考文献 [ ]• 『第四のジャック - 多重人格殺人犯の肖像』 ティム・カーヒル著 訳• 『異常快楽殺人』 著• 『「連続殺人犯」の心理分析』 ジェイソン・モス&ジェフリー・コトラー共著 小田晋・酒井和夫訳 関連作品 [ ]• 『』- 1986年にが発表した小説で、1990年にテレビ化、2017年に映画化されている。 登場するピエロの殺人鬼ペニーワイズはが出てくるおとぎ話「」をヒントに作られたが、ゲイシー事件の影響も指摘されている。 『』 Gacy(2003年)• (2010年)• 『』 8213: Gacy House(2010年) 関連項目 [ ]• Stephen King. 2017年12月10日閲覧。 Dery, Mark 1999. Grove Press. 2016年5月1日閲覧。

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殺人博物館〜ジョン・ウェイン・ゲイシー

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殺人博物館〜ジョン・ウェイン・ゲイシー ジョン・ウェイン・ゲイシー John Wayne Gacy (アメリカ) ジョン・ウェイン・ゲイシー 何故かこの男は人気があるのだ。 たしかに、ピエロに扮装したり、ヘタクソな絵を書いたりと、子供たちに受ける要素が揃っている。 しかし、彼がしたことに眼を向けると胸糞が悪くなる。 こいつは 33人もの少年を犯し、拷問して無惨に殺害したのである。 彼をアイドル視する風潮には、私は賛成できない。 1978年12月11日、イリノイ州シカゴ近郊の町、デ・プレインでの出来事である。 15歳の ロバート・ピーストが、近所のファーマシーで改築工事の寸法取りをしていた男に「うちでアルバイトしてみないか?」と誘われて出掛けたまま行方不明になった。 深夜の11時を過ぎても帰って来ない。 心配した両親は警察に届け出た。 ロバートを誘い出した男の名は ジョン・ウェイン・ゲイシーであることはすぐに判った。 この町でリフォーム会社を経営している。 彼の前科をシカゴ警察本部に問い合わせた刑事は、ロバートが事件に巻き込まれたことを確信した。 ゲイシーには少年に性行為を強要したかどで服役した過去があったのだ。 ゲイシーは知らぬ存ぜぬで押し通したが、彼の家に足を踏み入れた刑事はかすかな異臭に気づいた。 それは殺人現場でたびたび嗅いだことのある臭いだった。 令状を取って床板を剥がすと、出るわ出るわ、最終的に 28体にも及ぶ腐乱死体が発掘された。 更に 5体がデ・プレイン川に投げ込まれていた。 その中にはロバート・ピーストの遺体も含まれていた。 ジョン・ウェイン・ゲイシー ジョン・ウェイン・ゲイシーは1942年3月17日、イリノイ州シカゴに生まれた。 高圧的な父、ジョン・スタンリー・ゲイシーが後の大量殺人鬼の製造に一役買ったことはまず間違いないだろう。 病弱だった一人息子(上と下は娘)を彼は虐待し続けた。 怒鳴りつける、鞭を振う等の他にも、精神的に息子を痛めつけた。 如何に期待はずれの息子であるかを当人の前で滔々と語った。 息子の癲癇を仮病だと決めつけ、 「このままだと、お前はいつかホモになっちまうぞ」 などと罵った。 こんなこともあった。 6歳のころのゲイシーはパルという名の雑種犬を可愛がっていた。 ところが或る時、息子の腑甲斐なさに腹を立てた父親は、見せしめにパルを射殺した。 後にゲイシーの精神を鑑定した医師は、彼のことをこのように述べている。 「人から非難された時、彼は決まって云い逃れをしようとする。 どんなに不利な状況でも責任を転嫁し、自分をよく見せるために真実をねじ曲げてしまう」 この性格は幼少の頃から培われたものなのだ。 彼は成人するまで父から謂れなき非難を浴び続け、その云い逃れをしながら生きてきたのである。 父に認められることが彼の行動原理のすべてだったと云っても過言ではない。 自警団や市議会議員の選挙運動に積極的に参加したのはその現れである。 しかし、父は彼のことを決して認めようとはしなかった。 床下は屍体でいっぱい 成人し、靴のセールスマンとしてかなりの成績を修めたゲイシーは、1964年9月にマリリン・マイヤーズと結婚する。 彼女の父親は地元ではかなり成功した実業家で、ゲイシーはケンタッキー・フライドチキンのフランチャイズ店の経営を任せられた。 青年商工会議所でも積極的に活動し、1男1女にも恵まれ、あんなに否定的だった父も彼のことを認め始めた。 なにもかもが順風満帆かに思われた。 ところが、そんな或る日のこと、彼は少年に性行為を強要したかどで逮捕されてしまう。 まさに青天の霹靂だが、彼の男色癖は今に始まったことではなかった。 18の時にガールフレンドと初めてそういう関係になったゲイシーは、ペッティング中に癲癇の発作を起こして気を失ってしまう。 それ以来、彼は女性に対してある種の恐怖心を抱くようになった。 そして、セールスマン時代に酔った勢いで同僚と男色関係を結び、そっちの世界にのめり込んで行く。 フライドチキンの店長になってからは、アルバイトの少年たちに常習的に手を出すようになっていたのだ。 この件でゲイシーは、妻子をはじめ、今まで積み上げてきたものを何もかも失った。 彼に一目置くようになった父親も、失意のうちに死亡した。 ゲイシーの落書きはプレミアがついていたりする 1970年、出所したゲイシーはデ・プレインでリフォーム業を始めた。 かつてのセールスマンとしての腕前は健在で、会社は順調に売り上げを伸ばして行った。 地元の民主党支部にも積極的に顔を出し、 ポゴという名のピエロに扮して小児病棟や孤児院を慰問した。 1972年6月にはハイスクール時代からの知り合いのキャロル・ホフと再婚し、第2の人生は順風満帆かに思われた。 ところが、キャロルとの結婚の7ケ月前に、彼は既に最初の殺人を犯していたのだ。 そして、1976年3月に離婚してからは、毎月のように殺し始めた。 時には1日に2人殺すこともあったという。 最後の5体を川に棄てたのは、もう床下に埋める場所がなくなってしまったからなのだ。 床下での発掘作業は凄惨を極めたという。 掘り進めるうちに地下水が滲み出し、床下は泥の海となった。 ポンプで排水しようとしたが、屍蝋化した肉塊がじきに管を詰まらせてしまう。 仕方がないのでバケツで汲み出したわけだが、寒い寒い12月のことである。 今度は凍りついてしまった。 悪臭と地下水と凍てつく寒さのトリプルパンチで、発掘にあたった捜査官は地獄の日々を送ったそうである。 1980年3月13日、ゲイシーは死刑を宣告され、1994年5月10日に薬物注射により処刑された。 その際に手違いが生じたのか、ゲイシーは窒息するまで意識を失わず、絶命するまで18分もかかった。 つまり、彼は苦しみながら死んだのである。 この件について、検察官のウィリアム・カンクルはこのようにコメントしている。 「被害者の多くはもっと苦しみながら死んだのだ。

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