映画館 三好。 対応映画館

MOVIX三好 上映スケジュール

映画館 三好

概要 [ ] モデルは北米発祥の マルチプレックス multiplex または シネプレックス cineplex と呼ばれる映画館である。 劇場構造はそれに準じた作りになっており、ロビー、チケット売場、、映写室等の設備を複数のスクリーンで共有している。 世界的に見ると メガプレックス megaplex と呼ばれる20スクリーン以上の例もある。 の(30スクリーン、約5700席、1996年12月13日開館)を始めとする、複数のメガプレックスが、上映スクリーン数としては最多の30を有する。 また、座席数はの(25スクリーン、約9200席)が最も多い。 日本国内の場合、7 - 12スクリーン程度を1つの映画館内に集約していることが多い。 これは、日本の主要な映画配給チェーンが13しかないため 、メジャー作品はおおよそ14作品以上同時に配給されない事情によるものである。 各スクリーンの客席数は80 - 500席程度で、大小組み合わせることが多く、集客力の見込める作品は客席数の多いスクリーンで上映し、封切りから時間の経った作品や、集客力の落ちた作品は客席数の少ないスクリーンで上映する方式をとる。 ただし、作品を抱き合わせた2 - 3本立てでの興行は通常は行われず、完全入替制を採用しているため、単一または複数の作品を退場せずに連続して見ることはできない。 大抵の場合、のとして運営されているか、などが併設されている。 これは、ショッピングセンターとシネマコンプレックスの双方の集客効果を狙ったものである。 また、ショッピングセンターのが利用出来るため、シネマコンプレックスはで来場する客層の取り込みに成功した。 一方で、シネマコンプレックスの利用者は、ショッピングセンターでの購買率が低いとの調査結果もあり、相乗効果を疑問視する声もある。 日本に、現代型のシネマコンプレックスが登場したは、に設置されることが多かったが、に入ってからは従来の館を置き換える形でに作られることも多くなってきた。 シネマコンプレックスの登場に伴い、1億2千万人前後で推移していた日本の映画人口は、1億6千万人以上にまで回復した。 一方で、2001年以降はシネマコンプレックスが増加しているにもかかわらず、映画人口は横ばいとなっているため、飽和状態になっているとも言われている。 なお、本項では慣例に基づき映画館(施設)内に設置された上映室を「スクリーン」と記述する。 また、単一または複数のスクリーンを包括する映画館を「サイト」と記述する。 特徴 [ ] 定義 [ ] シネマコンプレックスについて法令等での明確な定義はなく、統計や書籍によって条件が異なっている。 例えば、が1998年(平成10年)にまとめた『映像産業活性化研究会報告書』では、• 6以上のスクリーンを有する、• 3以上のスクリーンを共有する映写室がある、• チケット販売窓口やロビー等を共有する、• 総入れ替え制を採用して立ち見なし と定義されている。 また、が毎年1月に発表する日本映画産業統計 では、• 同一運営組織が同一所在地に5スクリーン以上集積して名称の統一性(1、2、3…、A、B、C…等)をもって運営している映画館 とされている。 このように様々な定義があるが、おおよそ共通する条件として下記のようなものが挙げられる。 複数のスクリーン(5以上)を同一の施設内に集約していること。 ロビーや売店、チケット売場、入口(もぎり)、映写室等を複数のスクリーンで共有していること。 映画館としての名称は1つであるか、もしくは複数のスクリーンで統一性を持っていること。 完全入替制を採用し、定員制か全席指定席制を併用することで立ち見がないこと。 なお、シネマコンプレックスという言葉自体はから使用されており 、1990年代前半までは複数のスクリーンを持つことだけを条件にシネマコンプレックスとしていた。 1990年代後半以降、マルチプレックスと同義とみなされるようになり、前述のような定義で使われること が多くなってきている。 そのため、本項でも歴史的な記述を除きそれに従って述べる。 従来館との相違点 [ ] シネマコンプレックスは、前述の定義以外にも従来の劇場と比べて次のように異なる点がある。 ただし以下に挙げる事項は、全てのシネマコンプレックスに当てはまるものではない。 逆に、従来館でもこれらの特徴を取り入れた例もある。 劇場構造 従来館に比べて、劇場の床の傾斜が大きいスタジアムシートを採用している。 また従来館では、劇場の扉を二重扉にして遮光をすることが多かったが、シネマコンプレックスでは扉の前に壁を設けたり、扉をスクリーンに対して垂直に設置したりして遮光をしている。 二重扉の場合、2つの扉が同時に開くとスクリーンに余計な光が入ることがあるが、シネマコンプレックスの構造だと、どのような場合でもスクリーンに余計な光が届くことがない。 これらの構造と全席座席指定を採用することにより、シネマコンプレックスでは快適性を謳っている。 なお、地域の火災予防条例や関連の制約により、異なる構造のシネマコンプレックスもある。 収益構造 従来館の場合、入場料収入を主な収入源としているが、シネマコンプレックスは入場料だけでなく、飲食物にも収入源としてのウェイトを置いている。 具体的には飲食物の客単価が従来館は152円程度である一方、シネマコンプレックスは250円程度と1. 6倍以上に見積もっている。 そのため、従来館では市販の菓子類を販売し、飲食物の持ち込み制限も緩やかな場合が多かったが、シネマコンプレックスでは、できたてのや、お菓子の量り売りなど、市販の菓子とは差別化できる物を販売しており、シネマコンプレックス以外の飲食物持ち込みが禁止されている。 また、座席にカップホルダーを設置し、売り上げ向上を図っている。 上映設備 シネマコンプレックスで多かったノンリワインド映写機の例 従来の映画館は2台を自動で切り替える全自動映写機を採用することが多かった。 それに対し、シネマコンプレックスは映写機1台で上映を行うを採用する場合が多かった。 シネマコンプレックスの場合、立ち見を許していないため、1スクリーンの座席数以上の集客が見込める上映作品では入場できない観客が出る恐れがある。 そこで、複数スクリーンで1つのフィルムを同時上映する「インターロック」と呼ばれる仕組みが採用された。 インターロック上映に対応しているのがノンリワインド映写機だったため、シネマコンプレックスでの採用が多くなったと考えられる。 現在は、デジタルシネマプロジェクターが普及したため、このようなノンリワインド映写機を設置していない劇場も多い。 上映スケジュール は従来、週末や特別興行のみに行われていたが、シネマコンプレックスでは年間を通して行っている場合が多い。 従来館の場合、駐車場が設けられていないこともしばしばあった上に、繁華街に建設されることが多かった。 そのため、による公共交通機関の運行時間帯を超える深夜上映スケジュールは、編成しづらい環境であった。 しかし、シネマコンプレックスはショッピングセンターとしての駐車場が併設されており、また、郊外にあり利用客の住居に近い立地でもある。 そこで、終電の時間に縛られない上映時間の設定を行うようになった。 現状 [ ] 2000年に映画製作者協会でシネコンのスクリーン数の統計を別途記載するようになった時点では4割強だったスクリーン数が2002年には5割を超えた。 2009年以降、スクリーン数においてシネマコンプレックスは日本国内の映画館の8割以上を占めている。 一方で、1993年の海老名(現海老名)の開業以降18年連続増加を続けていた日本国内のスクリーン数は、2011年には減少に転じた。 1990年代において新しい手法であったシネマコンプレックスも目新しさをなくし、既に飽きられているという指摘もある。 観客の映画館離れが深刻だとも言われており、商業施設の集客設備として開業していたシネマコンプレックスは曲がり角に差し掛かっている と言われたが、2019年3月発表時点で2011年から250スクリーン増加している。 サイト数・スクリーン数 [ ] 2016年12月末現在、日本の全映画館のスクリーン数は3472。 うち、シネマコンプレックスは275サイト、3045スクリーンである。 日本で最も多くのスクリーンを運営する映画興行会社はイオングループ傘下の企業を統合したであり、同一ブランドのシネマコンプレックスとしてはイオンシネマが最も多い。 一つの施設としてスクリーン数が最多なのは、の内にある(旧AMCホリデイ・スクエア18)で、18スクリーンを有する。 各社のサイト数・スクリーン数(2016年12月末日現在) シネマコンプレックス名称 運営企業 サイト数 スクリーン数 備考 イオンシネマ 85 719。 2013年3月にを統合 TOHOシネマズ、他 65 617 系。 提携館および同社運営主幹の共同事業のサイトを含む。 (上記以外の東宝系) 1 5 東宝の完全子会社による運営サイト。 ユナイテッド・シネマ、 シネプレックス 35 331 傘下。 MOVIX、他 25 259 系。 同社運営主幹の共同事業のサイトを含む。 19 175 系。 同社運営のを含む。 T・ジョイ 17 163 系。 同社運営主幹の共同事業のサイトを含む。 コロナシネマワールド 13 129 佐々木興業株式会社 13 99 運営・経営 [ ] TOHOシネマズが撤退したのシネマコンプレックス(現ユナイテッド・シネマトリアス久山) シネマコンプレックスを運営する各社の資本関係は大きく変わりつつある。 2009年9月30日に松竹マルチプレックスシアターズの資本からが撤退し、の完全子会社になった。 2011年3月1日には同社に松竹が映画興行事業を移管した。 これにより9大都市ロードショー館は松竹、ローカル館は松竹マルチプレックスシアターズと言う体制から他社と同様に全国を同一会社で運営することになった。 2013年2月28日にはワーナー・マイカルからタイム・ワーナー(現)グループが資本を撤退し、の完全子会社となった。 同年7月1日にはワーナー・マイカルを存続会社とし同じくイオンの完全子会社であるを合併し、イオンエンターテイメントとなった。 また、屋号もからイオンシネマに変更した。 日本上陸当初は多くの外資系のシネマコンプレックスが存在していたが、これにより外資系資本は全て撤退したことになる。 2012年3月9日にはがから投資会社の傘下のユナイテッド・エンターテインメント・ホールディングス株式会社(以下、UEH)に売却された。 2013年3月29日には株式会社が同じくUEHに売却され 、同年6月1日にユナイテッド・シネマ株式会社を存続法人として合併した。 これにより、ユナイテッド・シネマはイオンエンターテイメント、TOHOシネマズに続く第3位のスクリーン数を持つ興行会社となった。 ユナイテッド・シネマはその後2014年8月にがグループ内で(ローソンチケット)やCD・DVDソフト販売店()を運営しているの子会社を通じて株式を取得し、ローソングループに入っている。 2001年以降、映画人口は1億6千万から7千万人程度でほぼ横這いの状態が続いている一方で、2010年までスクリーン数が増加し続けたこともあり、各社の経営状態は厳しくなった。 各社はこれに対応するためオペレーションの見直しによる人件費の削減を行なっている他、家賃の見直しも進んでいる。 出店競争が激化していた時期は出店条件が吊り上がり、中小興行会社は出店出来ない状況が続いていた。 一方、これらの時期に出店を進めた大手各社は固定費削減のため、2008年頃から家賃の値下げ交渉を進めた。 ディベロッパー側の収益にも関わるため難しい交渉となっているが、シネマコンプレックスの初期の劇場は特に収益性が悪化しているため、場合によっては撤退も視野に入れて進めている。 また、劇場の不動産自体をグループ会社が所有する企業にとってこの施策は不動産事業の収益悪化にもつながるため困難を極めた。 この課題の解決のため、東宝の不動産経営部の専務であるが2010年から2012年までTOHOシネマズの社長を兼務するなどの人事も見られた。 これらの見直しや後述する設備のデジタル化を見送り従来の興行会社が撤退した映画館では、集客のためにディベロッパー自身が事業主となって経営し、興行会社に運営委託する例も現れてきた。 例えば、2010年1月31日に閉館したMOVIX六甲の跡地はが事業主となった。 が番組編成業務を受諾し、子会社のオーエス・シネブラザーズ株式会社が運営を行いシネウェーブ六甲として2010年7月31日に再開館した。 また、2012年8月31日に閉館したTOHOシネマズトリアス久山の跡地はラサール不動産投資顧問株式会社が経営し、ユナイテッド・シネマが運営を受諾し2013年3月1日に再開館した。 ユナイテッド・シネマは同劇場をローコストオペレーションのモデルケースとしたいとしている。 しかし、これらの経営も順風ではなく、シネウェーブ六甲は2011年11月30日に閉館している。 サービス・設備 [ ] クリスティー社製のデジタルシネマプロジェクターの設置例 近年は前述のコスト削減のための見直しや、新たな観客獲得のための動きが見られている。 また、急速にが普及した。 コスト削減の例としてチケット販売の自動券売機化が進んでいる。 TOHOシネマズでは2012年5月から6月にかけて自動券売機の導入を本格的にすすめた。 また、ユナイテッド・シネマもトリアス久山に自動券売機を5台導入し、有人窓口は設置しない方向である。 これにより効率化を図るとしている。 しかし、前売券の取り扱いもあるため、完全な無人化は難しいのが課題となっている。 その後、前売り券の多くがムビチケカードとなり、ウェブ予約と劇場での自動券売機の双方での使用が可能となっている。 新たな観客層獲得のため、試験的に鑑賞料金を変更する動きも見られる。 ワーナー・マイカルは2010年1月9日から4月9日まで海老名と釧路の2サイトで1000円均一とした。 しかし、従来の契約のままだと値下げにより配収が減少する可能性がある。 結果、配給契約の条件が折り合わず『』や『』が上映中止となった。 また、TOHOシネマズは2011年4月(一部3月)から2012年春までの予定とし、7サイトで試験的な料金変更を行った。 一般料金を1500円、18歳未満を1000円に値下げする一方、シニア割引を60歳から65歳に引き上げる、レイトショーを廃止するなど、複雑な割引をやめ料金を均一化した。 その後、2013年6月1日より高校生料金を1000円とする料金変更のみ全国に広げている。 また、ティ・ジョイはTOHOシネマズの試験サイトと競合する広島、鹿児島の2サイトで、2011年4月7日から翌年3月31日まで高校生料金を1500円から1000円に値下げした。 デジタルシネマプロジェクターは当初、ワーナー・マイカルやティ・ジョイを中心に導入されたが、コスト負担が大きくそのペースは遅かった。 しかし、現在では35mmフィルムのノンリワインド映写機から置き換わってデジタルシネマプロジェクターが主流となった。 導入の進んでいたティ・ジョイは主要各社では一番早く、2010年7月までに全スクリーンへの導入を完了した。 TOHOシネマズは、2011年3月17日に開館したTOHOシネマズ甲府ではデジタルシネマプロジェクターのみを設置するなどの施策をとり、2011年に全劇場のデジタル化を完了した。 2012年には定期借地等、運営期間の限りがあるものや一部の小規模興行会社を除き、おおよそのシネマコンプレックスでは導入が完了している。 2013年3月5日に開館したワーナー・マイカル・シネマズ春日部(現イオンシネマ春日部)のようにデジタル化により映写室を廃止した劇場も現れてきた。 この背景にはバーチャル・プリント・フィー(以下、VPF)による導入スキームの変化があったことが要因として挙げられる。 映画館のデジタル化により配給会社はプリント代や輸送費が削減できメリットを受ける一方、興行会社は機材入れ替えのコスト負担が大きくデメリットが大きかった。 しかし、VPFの導入により興行会社の負担が軽減されたため上映機材のデジタル化が進んだ。 ただし、それでも一定のコスト負担はあるため、導入を見送り閉館を選択する劇場もある。 設備のデジタル化により、上映コンテンツ自体の変化も現れている。 Other Digital Stuff(以下、ODS)と呼ばれる映画以外のコンテンツを上映することも増えてきた。 TOHOシネマズやティ・ジョイではや舞台演劇の上映が行われている。 に全国上映としては日本初のフル3D実写映画『』が公開されて以降、などのデジタル3D映画の上映も増えた。 2009年公開の3D映画である『』のヒットにより一気に普及に弾みがついている。 ただ、2010年頃までは3D映画は一定の興行成績をあげていたが、近年の興行では期待ほどの成績をあげておらず陰りを見せている。 2010年代後半以降、3D映画の3D上映はIMAX・4D・ドルビーシネマといった特別なスクリーンでの公開が殆どとなり、それ以外の一般スクリーンでの3D版公開は大幅に削減されている。 歴史 [ ] マルチプレックスの発祥である北米では、主にから複数スクリーン化の傾向が見られた。 日本でも映画館の複数スクリーン化傾向は古くからある。 当初はこれらの映画館をシネマコンプレックスと呼んでいたため、いくつかの映画館が日本初のシネマコンプレックスを名乗っている。 以下、シネマコンプレックスとマルチプレックスの歴史について記述する。 1930年代 - 1992年 [ ] 日本におけるシネマコンプレックスの発祥 キネカ大森がある西友大森店 (2019年8月4日撮影) 日本では1930年代に大劇場時代が到来すると、その地下や高層スペースにもう1つの劇場を設置する映画館が現れはじめた。 例えば、の地下にニュース映画専門館として1935年12月30日に開館した第一地下劇場などがそれである。 これらは当時新興勢力であったの経営手法であったが、良いものは真似をするという姿勢でにも取り入れられていった。 だが、一般的には「1つの映画館(施設)に、スクリーンは1つ」であった。 になると映画館の全盛期が到来し、映画館の新設や建て替えが多数発生した。 これに伴い、「1つの施設内に、複数のスクリーンを持つ」劇場が徐々に増えてきた。 また、1000席程度のスクリーンの中に壁を入れて左右に仕切ったり、1階席と2階席との間に床を入れて上下に仕切ったりすることで、複数のスクリーンに分割するケースも見られた。 これらの運営システムは、個々の建物として存在する従来の映画館と変わりがない。 入替制は導入しておらず 、それぞれのスクリーンには独立した館名が付けられ、配給チェーンとスクリーンが固定化されており、「複数の映画館が1つの建物の中にある」状態だった。 に「シネマコンプレックス日本初登場」と銘打ってキネカ大森が開館する。 設立した文化事業部によれば、欧米の映画館の動向を調査した結果、動員で上映館を入れ替えられたりインターロック上映をすることが出来たりする複合映画館の形態に行き着いたとしている。 同館は流通系店舗のテナントであること、入替制を採用していることなど現在のシネマコンプレックスに近い。 一方で、スクリーン数が3と少ないこと、、、アート系と言うように各スクリーンの特色を定めている ことなどが、現在のシネマコンプレックスとは異なる。 また、現在は上映作品の傾向からと認識されることが多い。 この時期から同館と同様にのに、複数のスクリーンを持つ映画館をテナントとして迎え入れるところが現れはじめた。 また、シネマコンプレックスという言葉も使われはじめるようになる。 複数スクリーンを持つ映画館の例 施設名称 開館日 所在地 スクリーン数 備考 (改装日) 4 (改装後) 開館の名古屋宝塚劇場を何度かにわたり、分割、増築して複数スクリーン化。 5月に再改装し、以降3スクリーン。 4 「映画のデパート」 と称す。 に改装し、以降5スクリーン。 1956年 4 老朽および地下鉄副都心線建設のため2003年閉館・解体。 5 「日本で初めて5館をパックした映画館ビル」 と称す。 3 「日本初のシネマコンプレックス」 と称す。 に小牧コロナシネマワールドへ改装。 3 大森店内に設置。 「シネマコンプレックス日本初登場」 と銘打って開館。 5 12月に改装し、以降6スクリーン。 に「グランドシネマサンシャイン」(12スクリーン)へ移転開業。 5 スクリーン数は「チネグランデ」を除く。 「日本初のシネマ・コンプレックス」 と称す。 シネシックス 6 当時唯一のアメリカ型ショッピングセンターとされた 内に設置。 2004年7月にTOHOシネマズ船橋ららぽーとへ改装。 他にも後年になってからではあるが、小牧コロナ会館とチネチッタが日本初のシネマコンプレックスを称している。 小牧コロナ会館は、スクリーンで統一された名称が付けられていないこと 、入替制が導入されていないこと などが、現在のシネマコンプレックスの概念とは異なる。 なお、同館を運営するコロナグループはこの時期に同様の劇場を愛知県 、(1983年3月19日開館)、(1986年7月26日開館)、(1989年7月15日開館)にも展開している。 チネチッタは「総合映画館ビル」として開館当時のメディア には紹介されている。 やはり入替制が導入されていないこと 、複数フロアに渡っているためロビーなどが共有されていないことなどが、現在のシネマコンプレックスの概念とは異なる。 しかし、ごろから同社の企業沿革や地元自治体の広報誌 などを中心にいくつかの文献で同館を「日本初のシネマ・コンプレックス」とする記述が見られるようになった。 また、シネマサンシャイン(後のシネマサンシャイン池袋)についても、開館時の雑誌記事ではシネマ・コンプレックスと言う用語を用いて紹介しており 、一部の関係者が日本初のシネマコンプレックスと見ることもあった。 しかし、これも映写室などが共有されておらず、配給チェーンとスクリーンを固定化した運営を行っており、現在シネマコンプレックスと呼ばれる映画館とは異なる。 さらには、シネシックスを日本初とする例も見られるが 、スクリーンごとに東宝と松竹という別々の経営母体で運営されており、集客に応じてスクリーンを変更できる柔軟性がなかった。 いずれにせよ、後述するマルチプレックスが日本国内に上陸する以前から、日本独自のスタイルでこれに近い形の興行形態が存在しており、当初はこれら複数スクリーンを持つ映画館をシネマコンプレックスと呼んでいた。 ただ、1990年代に見られるような爆発的な普及は起こらなかった。 その要因の1つとして「入場者数の改竄を懸念して同一窓口で複数作品のチケットを扱うことを配給会社が嫌っていた」とも言われるように、因習に縛られ運営システムを変えるまでには至らなかったことが挙げられる。 また、当時の映画館が主に建てられていた市街地は地価が高く、収益を上げるのが難しいと考えられていた点も挙げられる。 さらには、、、の3法とそれに付随する条例が現在より厳しく、スクリーンの増設がコスト的に難しかったことも挙げられる。 そこで、全国興行生活衛生同業組合連合会が1990年頃からこれらの規制緩和を求め各法の所管省庁に対して働きかけを行った。 その結果、1992年に規制緩和の方針が決定し、先行してから東京都では建築安全条例と火災予防条例が改正されている。 だが、そのころには既に旧来型のシネマコンプレックスの時代ではなく、外資系を中心とした後述のマルチプレックスの普及に一役買うことになるという皮肉な結果となった。 北米におけるマルチプレックスの発祥 エルジンシアター (2005年10月30日撮影) 一方、北米初の2スクリーンを持つ映画館は、にの首都に開館した。 ナット・テイラーが築20年の施設を拡張したエルジンシアターである。 他にも1960年代中盤から後半にかけて2スクリーンの映画館が開館している。 1965年、イーストポイントに開館したマーチンズ・ウェストゲート・シネマズなどが挙げられる。 ナット・テイラーは、マルチプレックスの発明者とされる。 後の1979年4月19日にを設立し、同年中に、当時世界最大であった18スクリーンの(2001年3月閉館)を開館している。 にマルチプレックスの先駆者となるアメリカン・マルチ・シネマ(現AMCシアターズ)のスタンリー・ダーウッドは各映画の上映開始時間を慎重に管理し複数スクリーンを数名で運営する方法を確立した。 1960年代はテレビの普及に伴い、アメリカであっても映画人口は減少気味であった。 しかし、1970年代これらマルチプレックスがショッピングセンターに併設される形で各地に展開されたことで、再び上昇に転じた。 マルチプレックスがショッピングセンターでの購買につながるかどうかについては当初から疑問視する考え方もあったが、ショッピングセンターを認知させる効果があると認められ、コア施設の扱いを受けた。 以来、複数スクリーンの映画館が北米では当たり前のものになり、多くの従来館は複数のスクリーンに改装されていった。 複数スクリーンが1つのロビーを共有する形態であった。 1スクリーンの映画館(従来館)は市場からほとんど撤退した。 残った従来館は一般に、アート系映画や小規模製作の映画、映画祭などの上映に使用されている。 例えば、の市街地にあるクレストシアターなどが挙げられる。 この流れはヨーロッパにも広まっていく。 にはアルバート・バートとローズ・クライズによって、トリオスコープハッセルト(現キネポリスハッセルト、当時3スクリーン)が開館した。 現在、同サイトを経営するキネポリスはこれをヨーロッパ初のマルチプレックスとしている。 また、1981年には10スクリーン(当時)を備えるキネポリスヘントが開館した。 定義により異なるが、通常20スクリーン以上のマルチプレックスはメガプレックスと呼ばれる。 一般的に、世界初のメガプレックスはにのに開館した(25スクリーン、7,500席)であると考えられる。 アメリカ初のメガプレックスは1988年に改装したの(20スクリーン、6,000席、閉館 )である。 、ではが設立。 にマルチプレックスに参入し、5年間で約1200スクリーンから1. 5倍に増加させた。 世界規模で展開する興行会社が次に参入を考えたのが日本市場であった。 、ワーナー・ブラザース・インターナショナル・シネマズはと合弁で日本にワーナー・マイカルを設立する。 1993年 - 2002年 [ ] 日本市場への各社の参入 ワーナー・マイカル・シネマズ海老名 (2008年11月23日撮影) に日本初の本格的マルチプレックスであるワーナー・マイカル・シネマズ海老名が開館した。 同社は北米やイギリスと同様にマルチプレックスという用語を用いていたが、日本市場では以前から存在する複数スクリーンの映画館と同様に、シネマコンプレックスと呼ばれた。 そして、シネマコンプレックスの定義自体が後にマルチプレックスのことを指すようになる。 そのため、現在では同館を日本初のシネマコンプレックスとすることが多い。 日本国内のスクリーン数は減少傾向であったが、この1993年を底に増加に転じた。 ワーナー・マイカルの進出当初は業界内では失敗するものと思われていた。 従来館が既に撤退していた海老名には大きすぎる映画館だと考えられていたからである。 その後開館した同社のサイトについても同様であった。 しかしながら、ワーナー・マイカルは主要他社が参入する1996年までに7サイトを開館し、年商は44億円以上、1スクリーン当たりの興行収入も当時の全国平均を上回る9200万円という成功を収めた。 この成功を機に外資の参入が相次ぎ、国内各社もシネマコンプレックスの建設に取りかかる。 外資系のとユナイテッド・シネマ ・インターナショナル・ジャパン(以下、UCIジャパン)は1996年、東宝と松竹は1997年、東急レクリエーションは1998年にそれぞれ自社系列のシネマコンプレックスを開館させた。 1999年にはさらにヴァージンシネマズ・ジャパンが参入し外資系シネマコンプレックスは4社に増えている。 ユナイテッド・シネマ ・インターナショナル・ジャパン株式会社 7 天神東宝 (後の本館、閉館) 6 MOVIX六甲 (後の、閉館) 株式会社松竹マルチプレックスシアターズ 7 との合弁。 109シネマズ港北 株式会社東急レクリエーション 神奈川県横浜市 7 ヴァージンシネマズトリアス久山 (後のTOHOシネマズトリアス久山、現ユナイテッド・シネマトリアス久山) ヴァージンシネマズ・ジャパン株式会社 (現TOHOシネマズ株式会社) 7 イオンシネマズ株式会社 7 T・ジョイ東広島 株式会社ティ・ジョイ 6 各社の出店戦略は様々であった。 AMCエンターテインメントは当初九大都市ロードショー地域を中心にメガプレックスを計画していたが、後に地方都市の郊外型ショッピングセンターにも出店するようになった。 UCIジャパンは地方の県庁所在地クラスの都市を中心に出店を計画していった。 また、ワーナー・マイカルは親会社のショッピングセンターに併設する形で計画を進め、九大都市ロードショー地域である本牧の出店はマイカル松竹に譲り大手映画会社との摩擦を避けた。 後に親会社自体が駅前再開発に参画していった ため駅前立地型も増えていく。 東宝グループは有楽町マリオンやシネシックスでの成功を元に、番組編成のしやすい東宝邦画系と洋画系の1・2番手の3スクリーンで組み合わせる劇場展開にこだわり続けた ため出遅れた。 1997年頃からこの方針を転換し、5 - 6スクリーンのシネマコンプレックスを展開しはじめたが 、そのころ開館した天神東宝は当初は定員入替制の導入をしておらず立ち見を出していたり 、浜大津アーカスシネマはスタジアムシートを導入しておらずフラットな床だったり、サービス面で見劣る部分があった。 1998年12月5日にやっと本格的な郊外型のシネマコンプレックスとされる鯖江シネマ7を開館させたが 、ワーナー・マイカルにスクリーン数で国内1位の座を明け渡し、外資系他社の買収を模索するようになる。 一方、松竹は国内興行会社としてはマルチプレックスへの対応が早かった。 1990年から海外情報の収集を進め、1995年4月にはマルチプレックスシアター開発委員会を設立。 二条駅周辺区画整理事業用地内(現) への1号店進出を計画した。 1996年5月には松竹マルチプレックスシアターズを設立し、2000年までに10地区100スクリーン、国内のスクリーン数が3000を越えた時点で1割に当たる300スクリーンの目標を掲げた。 しかしながら、ノウハウ吸収を目的として合弁契約をしたシネマーク・インターナショナルとは開発スタンスの違いが原因で合弁契約を解消したり、競合会社の増加によりテナント契約が困難を極めたりしたため、出店計画に若干の遅れが発生した。 東宝系の興行各社や松竹マルチプレックスシアターズは、新設される地方のショッピングセンターを中心に出店計画を立てていった。 当時各地で開発していたイオン系のショッピングセンターも多く含まれた。 逆に、ヴァージンシネマズ・ジャパンは初期に計画されたを除き、イオン系のショッピングセンターへの出店計画は行っていない。 ジャスコ久御山ショッピングセンター(現)の出店決定が目前と思われていたにも関わらず、同社と同一のコンセプトで子会社のイオンシネマズを出店させたからとされる。 また、後に関東、関西の駅ビルを中心に出店計画を行っていくようになった。 一方、イオンシネマズは親会社のショッピングセンターに併設する形で計画を進めていった。 UCIは、と合弁で新法人ユナイテッド・シネマ株式会社を設立し、1999年10月1日開館のユナイテッド・シネマ岸和田以降に開館したサイトはUCIジャパンではなく同法人での運営とした。 住友商事は1985年にの設立にも参画しているため、この合弁で製作・配給から興行まで関わる企業となっている。 また、AMCエンターテインメントは1999年7月に日本法人の株式会社日本AMCシアターズを設立し、劇場運営を移管している。 各地の状況 シネマコンプレックスが各地に展開していくにあたり、従来その地方で興行を行っていた企業の反発を招いたり、シネマコンプレックス間での競争が発生したりしはじめた。 ワーナー・マイカルの進出にあたって従来館からの激しい反発があった。 地元の興行団体だけでなく全国興行生活衛生同業組合連合会まで反対運動を行ったが、1994年9月23日にワーナー・マイカル・シネマズ弘前(現イオンシネマ弘前)は開館した。 結果的に、開館当時8館あった従来館のうち6館が1996年までに閉館するだけでなく、ワーナー・マイカルも興行的に苦戦を強いられた。 ワーナー・マイカルは開館後、へ参加するなど、地域に根付くための活動を行っている。 1996年9月にが1998年に進出予定のワーナー・マイカルにスクリーン数の削減を申し入れた。 1997年4月にはフォーラム側は3万人以上の市民の署名も集めている。 また、新聞にはフォーラムの閉館を危ぶむ声が投書されるなど、映画館同士としての問題だけでなく地元住民の反発まで招いた。 ここまで至ったのはロードショー上映で収益をあげ、それを原資にミニシアター作品を上映していたフォーラムの手法が支持されていた背景がある。 に基づいた調整を申請したが通産省および厚生省に却下され 、福島フォーラムは1997年4月12日にフォーラム5、6を増設。 ワーナー・マイカルは1998年3月1日にワーナー・マイカル・シネマズ福島(現イオンシネマ福島)を予定通りのスクリーン数で開館させ、物別れにおわった。 しかしながら、両者とも興行的には共存している。 前述の通り1996年6月29日のへのシネマコンプレックスの出店はマイカル松竹が行い、マイカルは大手映画会社との摩擦を避けた。 しかし、3年後の1999年9月10日、地区への出店はワーナー・マイカルが行った。 この地域では周辺の従来館が優先的に新作配給を受けたため、ワーナー・マイカル・シネマズみなとみらい(現イオンシネマみなとみらい)の開館時には旧作ばかりが上映される事態となった。 しかし、同年12月11日にが『』や『』を封切りと同時に配給し、これを機に同館には順次各社から新作の配給がされるようになった。 なお、これらの作品を自社チェーンで上映していた松竹、東宝はソニー・ピクチャーズに対する制裁措置とも言われる数週間での打ち切りやムーブオーバーを行っている。 1996年11月2日に開館したUCIジャパンのOTSU7シネマと1998年4月23日に開館した東宝直営の浜大津アーカスシネマ(現大津アレックスシネマ)は直線距離で1. 2kmしか離れていない。 外資系と国内大手の初の直接対決として注目された。 同地域では配給会社によってどちらの劇場に配給するかが別れた。 配給作品はOTSU7シネマを優先に、東宝邦画系作品は浜大津アーカスシネマを優先に配給された。 結果的にそれ以外の上映権を巡って両劇場で争うことになった。 1996年4月20日にが九大都市ロードショー地域である福岡県福岡市にAMCキャナルシティ13を開館した。 上映作品や料金設定など具体的な内容を開館直前まで発表せず、地元興行会社からはその手法から黒船と恐れられた。 これに対抗して松竹マルチプレックスシアターズが同地域に進出する報道もあった が、最終的には断念した。 東宝九州興行は同地域の映画館を再編し、東宝系初のシネマコンプレックス天神東宝を1997年3月15日に開館させている。 なお、当初AMCキャナルシティ13には邦画系を中心に配給されないことが懸念されたが、結果的には配給が行われた。 当時は大津市や横浜市の例に見られるように、配給会社から配給を受ける上映権を得るために争うことが多かった。 しかしながら、従来は7割程度を占めていた従来館中心のロードショー館の興行収益比率がシネマコンプレックス中心のローカル館に押され、2000年には5割近くまで落ち込んでいた。 このため配給会社はシネマコンプレックスにも配給を行うようになり、洋画系については2000年以降、おおよその地域ではこのような争いは見られなくなっていった。 そして、大半の競合地域では、単純に集客力を争っていくようになり、後に邦画3社が従来館中心からシネマコンプレックス中心へと軸足を動かす要因にもなっていく。 日本での急増とアメリカでの破綻 アメリカでの元ロウズ社の劇場 AMC Loews 600 North Michigan 9 1999年から2001年1月の間にシネマコンプレックスは急増する。 この2年1ヶ月の間に主な興行会社だけで、ワーナー・マイカルが24サイト、ユナイテッド・シネマが7サイト、松竹マルチプレックスシアターズが7サイト、東宝および東宝系の六部興行が6サイト、ヴァージンシネマズ・ジャパンが5サイトの出店をしている。 これは、1998年に「」が成立したため、旧法である「」の基準で計画されたショッピングセンターが旧法の期限である2001年1月までに駆け込み出店したためである。 ショッピングセンターに併設されるシネマコンプレックスは結果的に急増する形になった。 2001年1月18日にはが二条の二条駅周辺区画整理事業用地内 に出店することが京都市より発表された。 外資系シネマコンプレックスとして5社目の参入だったが、同年2月15日に同社は日本の民事再生法にあたるを申請し破綻。 参入は実現しなかった。 アメリカで連邦倒産法第11章を申請したのはロウズ社だけではなかった。 アメリカでは1990年代にシェア獲得のためメガプレックスの出店競争が加熱した一方、年間観客数は14億人程度と横ばいであったため、採算性が悪化していた。 各社とも不採算スクリーンの閉鎖を行ったが、出店の資金負担に耐えられず1999年から2001年の間に相次いで連邦倒産法第11章を申請することになった。 日本でも前述の通りシネマコンプレックスが急増していたため、先行きが不安視されるようになる。 連邦倒産法第11章を申請した主な米興行会社 興行会社 申請日 備考 Mann Theatres 1999年9月17日 後にコロラド・シネマズとカーマイク・シネマズに買収される。 カーマイク・シネマズ Carmike Cinemas 2000年8月8日 再建後独自ブランドを維持。 エドワーズ・シネマズ Edwards Cinemas 2000年8月28日 後に Regal Entertainment Group 傘下に統合。 ユナイテッド・アーティスツ・シアターズ United Artists Theatre Circuit 2000年9月6日 後にリーガル・エンタテインメント傘下に統合。 ゼネラル・シネマ General Cinema Corporation 2000年10月11日 後に AMC Theatres 傘下に統合。 Loews Cineplex Entertainment 2001年2月15日 後にAMCシアターズ傘下に統合。 しかしながら、日本での急増の流れは一旦歯止めがかかる。 AMCエンタテインメントはアメリカでの厳しい状況に対応するため、アメリカ国内への投資に集中させた。 そのため、日本での出店は2000年に開館したAMCイクスピアリ16以降、全く行われなくなった。 また、2001年9月14日にマイカルがを申請、同年11月22日にはへと申請を切り替えた。 この影響での神奈川県の川崎駅北口地区第3西街区(現)への出店など、子会社ワーナー・マイカルの複数の出店計画が白紙撤回された。 このため、これ以降約3年間、同社は移転を除き新規出店を行うことはなかった。 他の各社も大規模小売店舗立地法が施行されショッピングセンターの開発が減少したため、特に郊外型の出店数は落ち着くようになった。 2001年以降になると、邦画3社がシネマコンプレックス中心に大きく舵を切り、郊外型に代わり大都市のロードショー館が続々シネマコンプレックスのスタイルへ変化していくことになった。 京都では、SY松竹京映、京都ピカデリーが2001年11月22日に閉館し、翌日MOVIX京都が開館。 東京では、日劇東宝、日劇プラザが2002年3月2日に日劇PLEX(後の)に、大阪の北野劇場、梅田スカラ座、梅田劇場は2002年11月23日にナビオTOHOプレックス(現)に生まれ変わっていった。 一方、邦画3社がシネマコンプレックスへと舵を切ったことで、系列館として番組配給を受けていた従来館は閉館を余儀なくされる状況に追い込まれていった。 例えば、2003年3月6日の札幌シネマフロンティアの開館に当たっては、やニコー劇場を経営していた天野興業株式会社が同年2月末で番組提携契約を打ち切られ 、同年9月5日に自己破産を申請している。 外資系シネマコンプレックスとの競争にさらされながらも生き残っていた従来館は、これ以降各地から姿を消していくことになった。 設備とサービスの変遷 予約システム シネマコンプレックスの場合、定員制をとっているため、見たい映画が完売して見られないと言うリスクが利用客にある。 そのため、インターネット普及以前はワーナー・マイカルの一部などいくつかのシネマコンプレックスで電話予約が行われていた。 しかし、映画館側の運用が煩雑で、需要が高い繁忙期に対応しきれない問題があった。 このため、1997年頃までに電話予約は廃止された。 代わって2002年にヴァージンシネマズ・ジャパンがインターネットチケット販売システムVitを導入したのを皮切りに、インターネットでの販売が主流になっていった。 座席指定 ワーナー・マイカルやAMCエンターテインメントは、座席指定を行わない定員入替制を採用していた。 また、一部を指定席にし一般料金より高めの料金設定をする劇場も見られた。 しかし、1996年11月にUCIジャパンが開館したOTSU7シネマは全席指定制を採用した。 そのため、1998年9月26日公開の『』からワーナー・マイカルは全席指定制を部分採用する形に切り替えた。 これ以降、シネマコンプレックスでは全席指定制が主流になっていった。 さらに、1999年4月23日に開館したはプレミアスクリーンとして座席幅を広くし、サイドテーブルのあるシートを採用した高付加価値のスクリーンを設置した。 これにより単なる全席指定制では差別化が図れなくなり、各社とも特徴のあるサービスを行うようになっていった。 2003年 - 2009年 [ ] 業界再編 2003年以降になると、外資系シネマコンプレックスの撤退を引き金に業界再編がはじまる。 外資系各社の攻勢でワーナー・マイカルが337スクリーンを保有していたのに対し、東宝グループは284スクリーンと劣勢に立たされていた。 この状況に際し、東宝は他社の買収を模索していたとされる。 2003年4月4日、の仲介により100億円でヴァージンシネマズ・ジャパンを買収し、シェアトップの座に返り咲いた。 買収されたヴァージンシネマズ・ジャパンは改称しTOHOシネマズとなった。 東宝は同社系列の興行会社をこれ以降再編していく。 2006年10月1日に東宝直営館をTOHOシネマズに移管し、続いて2008年3月1日に東宝東日本興行、中部東宝、東宝関西興行、九州東宝をTOHOシネマズに吸収合併させた。 各興行会社が運営していたTOHOプレックスをはじめとするシネマコンプレックスは、改装しTOHOシネマズのブランドに変わった。 また、TOHOシネマズ高槻、浜大津アーカスシネマ、鯖江シネマ7と言った地方のサイトの一部は独立系の興行会社に事業譲渡された。 2004年4月22日にはマイカルと松竹の合弁であったマイカル松竹シネマズ本牧が松竹ニューセレクトに事業譲渡されることが発表された。 同年4月30日以降、同サイトは改装しMOVIX本牧として運営された。 また、2004年9月にUCIが撤退し、同社保有分のユナイテッド・シネマの株式を住友商事と角川グループに売却した。 さらに、2005年にはAMCエンターテインメントが撤退をする。 AMCイクスピアリ16を除いた4サイトと日本法人の日本AMCシアターズがにユナイテッド・シネマに売却された。 AMCイクスピアリ16はを運営すると家賃を巡って係争中であったが、にそのオリエンタルランドに事業譲渡された。 同サイトはデジタル3D映画システムの導入などを行い、2006年3月1日に同社の直営のシネマイクスピアリとなっている。 再度の急増 内にある札幌シネマフロンティア この時期になると、大都市ロードショー館のシネマコンプレックス化が加速した。 この動きの中では(TOHOシネマズ、松竹、ティ・ジョイの共同経営)や、大阪の、(松竹、ティ・ジョイの共同経営)等、日本国内の大手映画会社による、共同経営もみられた。 ただし、横浜で計画されていた共同運営の劇場開発からTOHOシネマズが撤退する事例もあり、完全に足並みがそろっているわけではない。 動員もシネマコンプレックスが主体となっていった。 からまでのが年間観客動員数日本一に、は観客動員数はMOVIXさいたま、興行収入はTOHOシネマズが日本一になった。 大規模小売店舗法の下での駆け込み出店が行われた影響もあり、大規模小売店舗立地法が施行された後、しばらくは郊外型シネマコンプレックスの出店ペースは落ち着いていた。 前述の通り、大都市ロードショー館のシネマコンプレックス化はあったが、従来館の置き換えであるため、スクリーン全体としては微増であった。 2000年に2524スクリーンだったものが2003年末までに2681スクリーンになっただけで、157スクリーンしか増えていない。 しかし、大規模小売店舗立地法自体が郊外型ショッピングセンターの出店を行いやすい法体系であったため、2004年以降、増加傾向に拍車がかかった。 さらに、2006年にが改正され、郊外型ショッピングセンター新設に抑制がかけられたため、再び駆け込み出店が行われることになった。 結果的に2006年には従来館も含めると3000スクリーンを突破し、2007年には3221スクリーンとなった。 これは1970年頃のスクリーン数とほぼ同じである。 当時の映画人口は2億5千万人程度であったが、2001年以降、映画人口は1億6千万から7千万人程度でほぼ横這いの状態が続いており 、飽和状態になったとも言われる。 観客数が横ばいでありながら各社の出店が続いていること、映画ソフトのレンタルやテレビでの放映までの期間が近年では短くなってきていること、インターネットによるも増えていることなど、シネマコンプレックスの経営は年々厳しくなっていった。 また、後述する競合他社との差別化のための設備投資の結果、1998年頃は平均座席占有率 が10. 結果的に、興行収入からの営業利益は4. 従来館を含めると2006年には3000スクリーンを突破しているが、3000スクリーンの経営を成立させるには1億8千万人の映画人口が必要との試算もある。 このため、入場者の安定確保と共に飲食物など売店収入の増加などが鍵になるとされた。 各地の状況 閉館した「ワーナー・マイカル・シネマズ東岸和田」 (2007年7月23日撮影) シネマコンプレックスの同士での競合商圏内での出店が増えたため、再編、閉館などの動きが見られるようになった。 運営の高槻シネマルート170(2000年7月21日開館)とTOHOシネマズ運営のTOHOシネマズ高槻(2004年2月21日開館)の2サイトが、約2km程度の距離に存在した。 2007年6月28日にTOHOシネマズ高槻が閉館し、営業譲渡されたジョイプラザが同一施設で同年6月30日から高槻ロコ9シネマ(現高槻アレックスシネマ)として運営している。 また、同日に高槻シネマルート170は閉館し、同地域のシネマコンプレックスは1館に再編された。 同地域に東宝の出店予定はなかったが、買収したヴァージンシネマズの出店計画が進んでおり出店せざるを得なかった。 無駄な競合を避けるため、TOHOシネマズ高槻の開館後に再編をした とされる。 1993年4月29日が開館した。 さらに1999年10月1日岸和田が開館し、2サイトとなった。 岸和田市は高槻市より商圏人口で劣りながらも共存していたが、ワーナー・マイカル・シネマズ東岸和田が老朽化を理由に2008年2月3日をもって閉館した。 これは、国内初のシネマコンプレックスの閉館とされる。 ユナイテッド・シネマ橿原 (2019年10月26日撮影) 総人口12万5千人程度の都市でありながら、中心部の近鉄を中心に半径約2km圏内に橿原シネマアーク(1999年7月24日開館、5スクリーン)MOVIX橿原(2001年6月開館、9スクリーン)TOHOシネマズ橿原(2004年4月1日開館、9スクリーン)の3サイトが存在したが、シネマアークは2009年4月30日に閉館した。 MOVIX橿原が入居するもシネマコンプレックス以外の入居店舗が大幅に入れ替わっているため苦戦を強いられ、松竹マルチプレックスシアターズは長期間に渡る家賃の削減等の交渉をディベロッパー側と行なっていたが 、2014年6月4日に、同年8月31日をもって閉館することを発表した。 その後2015年12月18日、MOVIX橿原の跡地にユナイテッド・シネマ橿原がオープンしている。 1993年4月24日にワーナー・マイカル・シネマズ海老名(現イオンシネマ海老名)が開業した9年後、2002年4月19日にヴァージンシネマズ海老名(現TOHOシネマズ海老名)が開業した。 双方の映画館はわずか400mしか離れていない。 しかし、この状況を逆手にとって、2002年から海老名商工会議所が中心となり、を開催し、海老名市を「シネマコンプレックス発祥の地」としてアピールした。 2000年11月16日にワーナー・マイカル・シネマズ熊谷(現イオンシネマ熊谷)が開業した。 従来館のを運営していた鷹の羽興業は2003年9月30日に同館を閉館させ、2004年11月20日にシネマコンプレックスのを開業させた。 熊谷市の人口は20万人程度であるが、それぞれの立地(ワーナー・マイカルはショッピングセンター併設型、鷹の羽興業は駅前立地型)を活かし、共存した。 設備とサービスの変遷 シネマコンプレックス間での差別化を図るため、サービスや設備の個性化が進んだ。 コンテンツの差別化という点では、チェーンによる独占上映が行われた。 にユナイテッド・シネマと東急レクリエーションが独自の番組編成を目的に提携したことを発表 し、『』など複数の作品が2社の劇場を中心に上映された。 2007年にはティ・ジョイ、東急レクリエーション、ユナイテッド・シネマ、ワーナー・マイカル4社に拡大した「オープン・コラボレーション」という提携を発表 し、『』などが4社で独占上映されることになった。 顧客サービス面の差別化ではTOHOシネマズの「ママズ クラブ シアター」などが挙げられる。 小さな子供を持つ親を優先にした上映回を設定し、周りの観客に気兼ねなく鑑賞できるようにした。 サービス面の向上を図った結果、各地のシネマコンプレックスで導入されたサービスもある。 例としてインターネット予約は各社で導入された。 また、ポイントサービスはTOHOシネマズのシネマイレージをはじめ、各社とも導入を行った。 一般にポイントサービスはヘビーユーザー向けの物だが、ワーナー・マイカルは「」と提携し、劇場であまり見ない層の集客を図っていた。 しかし、にこのサービスは終了した。 座席幅が広かったりサイドテーブルが付いていたりする付加価値の高い座席も導入するところも増えた。 TOHOシネマズでは「プレミアスクリーン」として、1スクリーンを全て高付加価値のシートとしているほか、新宿ピカデリーではプライベートルーム型で3万円の「プラチナルーム」を設置している。 他にもワーナー・マイカル・シネマズ(現イオンシネマ)の「ゴールドクラス」、109シネマズの「エグゼクティブシート」、シネマメディアージュの「スーパープレミアシート」などが挙げられる。 一方で、改装時に高付加価値のスクリーンを撤去する動きもある。 東日本大震災による影響 [ ] 後、東北、関東地方の多くの映画館が営業休止に追い込まれた。 2週間以上営業休止に追い込まれた劇場は40サイト近くにのぼる。 ここでは特に半年以上再開が滞ったり、休閉館したサイトについて述べる。 柴田郡大河原町のシーズンズウォークフォルテ2階にあるシアターフォルテが東日本大震災の被害で休館し、復旧に時間がかかった。 同施設は映画館のある2階部分の被害が特に大きくその補強工事とデジタル化に向けた工事が必要となっていた。 当初は2012年3月に再開する予定であったが、、シアターフォルテ跡地にユナイテッド・シネマが入居することが発表され、同年、ユナイテッド・シネマ フォルテ宮城大河原として再開館した。 東日本大震災の影響で閉館したシネマックス鴻巣 内にあったが東日本大震災の影響で閉館した。 このショッピングセンターはディベロッパーが破綻したため、地権者が中心となる鴻巣駅東口A地区市街地再開発組合の手によって2008年5月23日に開業させたもの。 しかし、劇場は出店予定のワーナー・マイカルが親会社の意向で撤退したため 、千葉興行が2009年7月15日に開館させた経緯がある。 再開発組合では被害復旧費用の目処が立たず売却を計画したため、賃貸借契約の継続が困難になり2011年12月15日に閉館が発表された。 その後、劇場は鴻巣市所有となり、が運営する、市民ホール併設のこうのすシネマとして2013年7月5日に再開館した。 「」も参照 が経営し、に運営を委託していたシネリーブル千葉ニュータウンも東日本大震災で大規模な被害を受け、復旧に時間がかかった劇場の1つである。 東京テアトルは復旧に多くのコストが掛かるとして運営再開を断念したため、日活は運営委託先をシネマックスなどを展開する千葉興行に変更した。 座席を撤去した上で足場を組んで天井を復旧するなどの修復作業を行い、音響面や上映設備のデジタル化などの変更なども加えられた。 名称もシネマックス千葉ニュータウンと変更し、下層階にあった6スクリーンは2011年7月9日に、上層階にあった4スクリーンは同年11月26日にそれぞれ営業を再開した。 その後に名称をUSシネマ千葉ニュータウンと改め現在に至る。 「」も参照 なお、にを中心に発生したでは、同県のグランパレッタ熊本内にあるシネプレックス熊本が「」と改称して2016年に再開館。 同県の内にある「イオンシネマ熊本」がに営業再開 と、復旧に半年以上の時間がかかっている。 商圏と各地の状況 [ ] 商圏の変化 [ ] シネマコンプレックスが国内に参入した当初は映画館の存在しない地域での設置が多かった。 しかし、1997年頃から地方都市の駅前立地型が増え始め、2001年頃からは大都市ロードショー館の置き換えとしてシネマコンプレックスが設置されるようになった。 「映画館数は商圏人口に比例する」と1950年代から言われており、シネマコンプレックスも例外ではない。 シネマコンプレックスが併設されることが多いショッピングセンターは、およそ20 - 30kmが商圏と言われている。 シネマコンプレックス自体の商圏は、かつてそれより広い50km程度と言われていた時期もあった が、近年ではショッピングセンターより狭く、車で30分程度とすることが多くなった。 また、商圏人口もかつては50万人程度必要と言われていたが、近年では40万人程度にまで下げ、かつてより狭い商圏での開発が行われている。 結果的に出店競争が過熱し、競合する商圏内での設置が増えていった。 2009年以降になると、シネマコンプレックスの新規開業も1桁台が続いており、落ち着きを見せている。 近年の状況 [ ] 近年は新たな出店が落ち着いてきたが、不採算サイトの撤退が見られている。 また、地域活性化のための出店など新たな動きもある。 2007年12月22日、足利市内活性化の原動力となるよう期待されつつ、あしかがハーヴェストプレース内にが開館した。 しかし、わずか1年3ヶ月後の2009年2月27日に閉館した。 同市内に競合となるようなシネマコンプレックスは存在しなかったが、広域的に見ると佐野市に1サイト、後述の群馬県太田市に2サイト存在しており、地域間での集客競争が激化していた。 結果、想定の半数程度しか動員が伸びず、業績不振に至ったとされる。 その後、地元からの要請もあり、同ショッピングモール内にが2016年3月1日に開業した。 2012年3月31日に太田コロナシネマワールドが閉館している。 同劇場は2003年12月3日に後発のイオンシネマ太田が開館して以降、動員数が減少しており閉館に至った。 コロナでは立て続けに4サイトの閉・休館を決めており、経営的に抜本的な見直しを図っているとされる。 また、残ったイオンシネマも商圏としては伊勢崎市や埼玉県羽生市と競合しているとされ、地域間での集客競争が激化している。 外房にあるシネマサンシャイン茂原は1997年7月12日に開館し、直接の競合となるシネマコンプレックスはない状態であった。 しかし、15年の賃貸借契約が満了タイミングで契約を終了し、2012年9月2日に閉館した。 契約を延長し今後も営業を続けるためにはデジタル化をする必要に迫られたが、VPFを活用したとしても設備導入や継続的な運営に一定の投資が必要となる。 この地域ではデジタル化の投資回収が難しいと見られ、閉館するに至った。 109シネマズMM横浜があったGENTO YOKOHAMA は集客力のある地域だが、1999年にワーナー・マイカル・シネマズみなとみらい(現イオンシネマみなとみらい)が開業して以降、2004年には暫定商業施設(10年程度の運営を予定)の内に109シネマズMM横浜、2010年には前の複合商業ビル・(現ヒューリックみなとみらい)内にがオープンしている。 また、建設計画自体が中止となったが2011年に開業を目指していたの複合にもシネマコンプレックスを導入する計画があった。 狭い商圏内に乱立したため、周辺に存在する比較的設備の古い劇場には影響が出ている。 相鉄は2005年に閉館が検討されたが、109シネマズを運営する東急レクリエーションが継承し回避された。 一方、MOVIX本牧は商圏の競合により2011年1月16日を以って閉館となっている。 なお、109シネマズMM横浜も2015年1月25日に閉館しているが、こちらは商圏の競合が原因ではなく、前述の通り当初より設定されていたGENTO YOKOHAMAの土地借用期間満了に伴う完全閉鎖のためである。 神奈川県 2000年11月9日、つきみ野サティ(現「」)開業と同時にワーナー・マイカル・シネマズつきみ野(後に「イオンシネマつきみ野」に改称)が開館したが2018年2月28日に閉館、商圏の競合ではなくイオンつきみ野店の建て替えの為に閉館した。 その後、西隣りのににイオンシネマが移転オープンした。 富士地区にある富士ショッピングセンターパピー内の富士シネ・プレーゴは1998年に開館し、直接の競合となるシネマコンプレックスはない状態であった。 しかし、入居する商業施設自体が2008年5月31日に閉店し、営業を続けていたが、建物の老朽化による耐震性の問題が浮上し、2010年4月16日に閉館した。 その後、北隣りのにがオープンし、イオンシネマが併設された。 天文館シネマパラダイスのロビー(2013年8月撮影) 衰退しつつあるの活性化を図るために、2006年10月11日までに閉館した従来館の代わりとなるコア施設として、商店街が中心となりシネマコンプレックスが計画された。 近隣には鹿児島ミッテ10(ティ・ジョイととの共同運営)、TOHOシネマズ与次郎もあり、計画段階から地元では需要に対して疑問の声や映画館以外を要望する声もあった。 また、国の補助金が事業仕分けの対象となったことから計画を縮小したが、総事業費約16億円、6億円を国や市からの補助金とし建設が進められた。 当初は興行会社への業務委託が検討されたが、最終的には株式会社天文館が自主運営し、と業務支援契約、TOHOシネマズと番組編成契約を結ぶ形とした。 2012年5月3日にが開館。 開館後の動員は低迷しており、目標の4分の1程度にとどまっていたが 、配給作品を皮切りに大作映画を相次いで上映するようになってからは、観客もかなり持ち直すようにはなっている。 各社シネマコンプレックス [ ] に関しては、映画会社系列のシネマコンプレックスは、複数同業者共同運営および、他社との共同運営によるものしかなく、従って、映画会社系列シネコン運営会社の単独運営は存在しないが、興行会社系列シネコン運営会社の単独運営は存在する。 大手中堅興行会社・映画会社系列 [ ]• - 北海道• - 大阪府大阪市• MOVIX倉敷 小規模興行会社・独立系 [ ]• - 、• - 北海道• - ・内。 - 青森県、、、、• - 山形県• - 、、、、。 - ・内。 - 栃木県小山市・内。 - ・内。 - 千葉県千葉市・内。 - 千葉市• - 千葉県 ・内。 - 千葉県• - 埼玉県・内。 - 東京都• - 神奈川県、東京都、千葉県• - 静岡県・内。 - 静岡県・内• - 静岡県静岡市葵区• - 静岡県・内• - 、• - 富山県富山市(により9月閉館 )• - 長野県・内。 - 長野県• - 長野県• - 長野県・内• - ・内。 - ・内、・内。 - 、、、• - 大阪府大阪市• - 大阪府• - ・内、内。 - 兵庫県・内。 - ・内。 - ・内。 - ・内。 - ・内。 - ・内。 - ・内。 - ・LAZO表参道内。 - ・内、・内、・向かい。 脚注 [ ] [] 注釈 [ ]• 映画館名簿2013年版を元に、それ以降に各社から発表された開閉館情報を加えた。 の被害で2012年末時点で休館中の劇場は映画館名簿2013年版から削除されているため集計から除いている。 日本映画製作者連盟の統計同様に5スクリーン以上をシネマコンプレックスとし集計としている。 5スクリーン以上のサイトに付随して別棟が存在し、実質的に同一サイトとして運営されている場合は1サイトとしてスクリーン数にも含めた。 TOHOシネマズ株式会社運営のTOHOシネマズサイトの他、TOHOシネマズ錦糸町、お台場シネマメディアージュ、の3サイトを計上。 松江東宝5の1サイトを計上。 MOVIXの他、、なんばパークスシネマ、大阪ステーションシネマの3サイトを計上。 T・ジョイ蘇我のプライベートルームを除く。 多目的ホール兼用のこうのすシネマのシアター1を含む。 厳密には1947年1月からがにて全席指定制を実施したのを皮切りに定員入替制や全席指定制が広まった時期があった。 しかし、これは一時的な流れにとどまり後に従来の流し込み制に戻っている。 商業施設に映画館を併設するという考え方自体は古くから存在し、例えば、1930年代には既に百貨店である日本橋のに映画館の白木劇場が併設されるなどの動きがある。 また、1980年代に商業施設に併設された映画館にはも多く含まれる。 特別な記述がない限り開館当時のスクリーン数。 施設内に映画館が開館した日。 併設のパチンコ店は1980年に開業している。 1997年の改装まで「小牧シネマ1 - 3」「小牧ロマン」「小牧コロナ1 - 3」等の名称で運営されていた。 1997年の改装時に入替制を導入。 1926年に開館した新盛座(後に新盛館に改称)を起源に1977年に2スクリーン、1985年に4スクリーン、1994年に6スクリーンと増設している。 なお、新盛館は江南コロナ開設後もである「江南シネマ」を併設して存続していた(江南コロナでカバーできない作品を上映する補完的な役割を持っていた)が、2002年に江南シネマと共に閉館している。 そのため、テナントの選定が再度行われ、2001年にロウズ社が出店する計画となった。 しかし、ロウズ社も破綻したため、ヴァージンシネマズ・ジャパンに計画変更。 さらにヴァージンシネマズ・ジャパンも東宝に買収されたため、最終的には2005年にTOHOシネマズ二条が開館している。 ただし、この報道を東宝側は認めていない。 前述の通りみなとみらい地区等の劇場と競合し、後の2011年1月16日に閉館している。 上映1回当たりの平均入場者数を全座席数で除した割合。 出典 [ ]• 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対応映画館

映画館 三好

映画館での映画鑑賞と言えば、出来立てのポップコーンやチュロス、ホットドッグなどを片手に…。 という方も少なくないでしょう。 この映画館での飲食について、常に問題になるのが「外からの持ち込み」です。 今では鑑賞マナーとして『シアター内への飲食物の持ち込み禁止』というのが定着していますが、この理由ってわかりますか? 劇場のロビーではアナウンスが流れ、シアター内でも本編前に鑑賞マナーとして持ち込み禁止についての映像が上映されますよね。 ここまで徹底して『持ち込み禁止』にするには、もちろんキチンとした理由があります。 今日は、意外と知られていない『映画館への飲食物の持ち込み禁止』について、 劇場運営の視点から本当の理由をお話します。 今まで売店を利用してくれていた方も、実は持ち込みしていた方も、その理由をしっかりと理解して映画館へ出かけて頂ければ幸いです。 この記事の目次• まずは各社の公式アナウンスを見てみましょう。 まずは、この「飲食物の持ち込み禁止」について、それぞれの映画館がどういったアナウンスをしているのか確認してみましょう。 他店からの飲食物の持込はご遠慮ください。 引用: 当劇場のコンセッション(売店)でご購入いただいたご飲食物のみシアター内にお持ち込みいただけます。 それ以外でお買い求めのご飲食物の持ち込みはご遠慮いただきますようお願いいたします。 引用: 劇場売店以外の飲食物の持ち込みは、ご遠慮いただいております。 劇場売店以外の商品は、においや音が気になる場合があり、お持ち込みをご遠慮いただいております。 劇場売店商品は、お持ち込みいただけますので、ご利用ください。 引用: 当劇場の売店でご購入いただいた商品のみ、劇場内にお持込みいただけます。 それ以外の飲食物のお持込みはご遠慮ください。 引用: 他店でお買い求めいただいた飲食物の場内へのお持ち込みはご遠慮いただいております。 予めご了承ください。 引用: 各社似たような表現で、この持ち込み禁止についてしっかりとアナウンスされていますね。 そして、どこの映画館も「ご遠慮」という、あくまでもお客様の善意に一任する表現を取っています。 マナーですから、こういった表現で伝えるのが最適という事なんでしょう。 実際、現場レベルではどうか。 では、実際の現場ではどういった運営をしているのかお話していきましょう。 というケースが恐らく大半で、カバンの中身をチェックするなどの厳重な体制は取っていません。 悪い言い方をすると「黙認」している劇場が多いです。 実際に私が勤務していた劇場も全て、そうでした。 せっかく楽しみに映画館に来て頂いたお客様の気分を害したくはないですし、何よりトラブルを避けたいというのが劇場側の本音です。 お客さん側からしても、持ち込み禁止はわかっているけどペットボトルぐらいは…という考えの方も多いでしょう。 その気持ちは、個人的にも十分理解できますし、そこまで徹底的に取り締まるつもりもありません。 では、なぜ「持ち込み禁止」なのか。 映画を観に来るお客さんの希望もわかる。 劇場側としても、そこまで強く取り締まる事はしない。 じゃあ、なぜ映画の鑑賞マナーとして「飲食物の持ち込み禁止」を謳い続けるのか。 ズバリその理由は、この3つです。 映画館が利益を得るため。 ゴミ処理の簡素化と、処理費用を軽減するため。 お客様を守るため。 映画館が利益を得るため よく色んなところで噂にもなっていますが、まさにその通りで、これが持ち込み禁止の最大の理由です。 映画館の収入は、大きく分けると「チケット売上収入」「売店売上収入」「グッズ売上収入」「PR関連での収入」の4つです。 ここでは、この収入について多くは語りませんが、 「売店売上」以外の収入は、ほとんど劇場には入ってきません。 なので、大ヒット映画が公開されて映画館が混雑していても、アニメの作品が公開されてグッズが飛ぶように売れても、売店を利用してくれるお客さんが少ないと、劇場は利益をあげる事が出来ません。 逆に、映画が不毛であっても、売店が好調であれば利益を出せるという仕組みなんですね。 映画館も含めて、商業用のゴミというのは、たいていの場合「重さ」「大きさ」「袋の数」などで処理費用が決まります。 ポップコーンやホットドッグなど売店商品の入れ物は、 処分する時の事まで考えて作られています。 ちゃんと重ねて捨てる事で、幅を取らないようになっているんですね。 こうする事で「重さ」は変わりませんが、「大きさ」「袋の数」は減らす事が出来て、結果的にゴミ処分の費用を抑える事が出来ます。 もし、持ち込みを許可してしまうと、決してこうはいきませんよね。 劇場のゴミ箱はすぐにいっぱいになり、それに比例してゴミ袋の消耗も激しくなります。 そこから派生して、分別が必要な容器が持ち込まれた場合は、さらに人件費が必要になってきます。 考えただけでも大変です… これだけだと、結局利益のため…となってしまいますが、もう1点あります。 もし、全員がバラバラの容器で食べ物を持ち込んだら、とてもじゃないですがスムーズに処理出来ません。 シアターの出口が混雑して、帰りたくても帰れないイライラした状況を作ってしまうかも知れません。 劇場のゴミ箱がすぐにいっぱいになる事も防いでくれている、実は非常に優れた容器なんです。 お客様を守るため この表現は、ちょっと大袈裟かも知れませんが、こういう意味合いも持っています。 例えば、映画を楽しみにして朝からお弁当を作って、それをシアター内に持ち込んだとしましょう。 もし、食中毒やアレルギーなどで体調を崩しちゃった場合、外から持ち込まれたものを食べていると原因の究明に時間が掛かってしまい、対応が遅れる可能性もあります。 売店で売られている商品は、 原材料の製造元やアレルギーについて、しっかりと管理されていますので、購入された商品のどこに問題があったのかすぐに判断が出来ます。 もう1点は、 お客様同士のトラブルから守るという側面もあります。 同じように、シアター内にお弁当を持ち込んだとしましょう。 劇場スタッフの目はくぐり抜けても、映画を観ている時は近くに別のお客さんがいますよね? 「自分たちは持ち込みしてないのに、なんであの人はお弁当を持って来てるの?」というトラブルにも発展し兼ねませんね。 他にも、臭いの問題や、音も問題があります。 お客様同士のトラブルを起こさないためにも、持ち込みはやめましょう。 でも、そんなの関係ねぇ。 という方へ それでも金銭的な面、メニューのラインナップなどで「映画館の売店なんて使いたくない!」という方もいらっしゃるでしょう。 そんな方へ、最後に1つだけお伝えしたい事があります。 つまり、カフェやレストランと同じ立ち位置にいるという事です。 スポーツバーでサッカーの試合を見ながらお酒を飲んだり、ディズニーランドでパレードを見ながらポップコーンを食べるのと同じなんです。 映画館なら映画、スポーツバーならスポーツ、その場で提供している本来のコンテンツにプラスアルファで楽しむものです。 是非とも、その場のルールに則って楽しんでほしいものです。 最後に 映画館がシアター内に飲食物の持ち込みを禁止している理由をご紹介してきました。 少しだけ映画館側の事情もご理解頂ければ嬉しいです。 あなたがいつも行く映画館、初めて行った映画館。 どこの映画館も映画を観てもらうだけでは存続が難しいです。 あなたの思い出の映画館を守るためにも、是非とも映画を観る時は売店をご利用くださいね。 ちなみに、実際に外で買った飲食物を持ち込もうとすると、 「ロビーで食べてから入場」か「上映中はお預かり」のどちらかになります。 いずれにせよ、真っ向から持ち込みは出来ないという事です。

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松竹グループの映画館

映画館 三好

概要 [ ] モデルは北米発祥の マルチプレックス multiplex または シネプレックス cineplex と呼ばれる映画館である。 劇場構造はそれに準じた作りになっており、ロビー、チケット売場、、映写室等の設備を複数のスクリーンで共有している。 世界的に見ると メガプレックス megaplex と呼ばれる20スクリーン以上の例もある。 の(30スクリーン、約5700席、1996年12月13日開館)を始めとする、複数のメガプレックスが、上映スクリーン数としては最多の30を有する。 また、座席数はの(25スクリーン、約9200席)が最も多い。 日本国内の場合、7 - 12スクリーン程度を1つの映画館内に集約していることが多い。 これは、日本の主要な映画配給チェーンが13しかないため 、メジャー作品はおおよそ14作品以上同時に配給されない事情によるものである。 各スクリーンの客席数は80 - 500席程度で、大小組み合わせることが多く、集客力の見込める作品は客席数の多いスクリーンで上映し、封切りから時間の経った作品や、集客力の落ちた作品は客席数の少ないスクリーンで上映する方式をとる。 ただし、作品を抱き合わせた2 - 3本立てでの興行は通常は行われず、完全入替制を採用しているため、単一または複数の作品を退場せずに連続して見ることはできない。 大抵の場合、のとして運営されているか、などが併設されている。 これは、ショッピングセンターとシネマコンプレックスの双方の集客効果を狙ったものである。 また、ショッピングセンターのが利用出来るため、シネマコンプレックスはで来場する客層の取り込みに成功した。 一方で、シネマコンプレックスの利用者は、ショッピングセンターでの購買率が低いとの調査結果もあり、相乗効果を疑問視する声もある。 日本に、現代型のシネマコンプレックスが登場したは、に設置されることが多かったが、に入ってからは従来の館を置き換える形でに作られることも多くなってきた。 シネマコンプレックスの登場に伴い、1億2千万人前後で推移していた日本の映画人口は、1億6千万人以上にまで回復した。 一方で、2001年以降はシネマコンプレックスが増加しているにもかかわらず、映画人口は横ばいとなっているため、飽和状態になっているとも言われている。 なお、本項では慣例に基づき映画館(施設)内に設置された上映室を「スクリーン」と記述する。 また、単一または複数のスクリーンを包括する映画館を「サイト」と記述する。 特徴 [ ] 定義 [ ] シネマコンプレックスについて法令等での明確な定義はなく、統計や書籍によって条件が異なっている。 例えば、が1998年(平成10年)にまとめた『映像産業活性化研究会報告書』では、• 6以上のスクリーンを有する、• 3以上のスクリーンを共有する映写室がある、• チケット販売窓口やロビー等を共有する、• 総入れ替え制を採用して立ち見なし と定義されている。 また、が毎年1月に発表する日本映画産業統計 では、• 同一運営組織が同一所在地に5スクリーン以上集積して名称の統一性(1、2、3…、A、B、C…等)をもって運営している映画館 とされている。 このように様々な定義があるが、おおよそ共通する条件として下記のようなものが挙げられる。 複数のスクリーン(5以上)を同一の施設内に集約していること。 ロビーや売店、チケット売場、入口(もぎり)、映写室等を複数のスクリーンで共有していること。 映画館としての名称は1つであるか、もしくは複数のスクリーンで統一性を持っていること。 完全入替制を採用し、定員制か全席指定席制を併用することで立ち見がないこと。 なお、シネマコンプレックスという言葉自体はから使用されており 、1990年代前半までは複数のスクリーンを持つことだけを条件にシネマコンプレックスとしていた。 1990年代後半以降、マルチプレックスと同義とみなされるようになり、前述のような定義で使われること が多くなってきている。 そのため、本項でも歴史的な記述を除きそれに従って述べる。 従来館との相違点 [ ] シネマコンプレックスは、前述の定義以外にも従来の劇場と比べて次のように異なる点がある。 ただし以下に挙げる事項は、全てのシネマコンプレックスに当てはまるものではない。 逆に、従来館でもこれらの特徴を取り入れた例もある。 劇場構造 従来館に比べて、劇場の床の傾斜が大きいスタジアムシートを採用している。 また従来館では、劇場の扉を二重扉にして遮光をすることが多かったが、シネマコンプレックスでは扉の前に壁を設けたり、扉をスクリーンに対して垂直に設置したりして遮光をしている。 二重扉の場合、2つの扉が同時に開くとスクリーンに余計な光が入ることがあるが、シネマコンプレックスの構造だと、どのような場合でもスクリーンに余計な光が届くことがない。 これらの構造と全席座席指定を採用することにより、シネマコンプレックスでは快適性を謳っている。 なお、地域の火災予防条例や関連の制約により、異なる構造のシネマコンプレックスもある。 収益構造 従来館の場合、入場料収入を主な収入源としているが、シネマコンプレックスは入場料だけでなく、飲食物にも収入源としてのウェイトを置いている。 具体的には飲食物の客単価が従来館は152円程度である一方、シネマコンプレックスは250円程度と1. 6倍以上に見積もっている。 そのため、従来館では市販の菓子類を販売し、飲食物の持ち込み制限も緩やかな場合が多かったが、シネマコンプレックスでは、できたてのや、お菓子の量り売りなど、市販の菓子とは差別化できる物を販売しており、シネマコンプレックス以外の飲食物持ち込みが禁止されている。 また、座席にカップホルダーを設置し、売り上げ向上を図っている。 上映設備 シネマコンプレックスで多かったノンリワインド映写機の例 従来の映画館は2台を自動で切り替える全自動映写機を採用することが多かった。 それに対し、シネマコンプレックスは映写機1台で上映を行うを採用する場合が多かった。 シネマコンプレックスの場合、立ち見を許していないため、1スクリーンの座席数以上の集客が見込める上映作品では入場できない観客が出る恐れがある。 そこで、複数スクリーンで1つのフィルムを同時上映する「インターロック」と呼ばれる仕組みが採用された。 インターロック上映に対応しているのがノンリワインド映写機だったため、シネマコンプレックスでの採用が多くなったと考えられる。 現在は、デジタルシネマプロジェクターが普及したため、このようなノンリワインド映写機を設置していない劇場も多い。 上映スケジュール は従来、週末や特別興行のみに行われていたが、シネマコンプレックスでは年間を通して行っている場合が多い。 従来館の場合、駐車場が設けられていないこともしばしばあった上に、繁華街に建設されることが多かった。 そのため、による公共交通機関の運行時間帯を超える深夜上映スケジュールは、編成しづらい環境であった。 しかし、シネマコンプレックスはショッピングセンターとしての駐車場が併設されており、また、郊外にあり利用客の住居に近い立地でもある。 そこで、終電の時間に縛られない上映時間の設定を行うようになった。 現状 [ ] 2000年に映画製作者協会でシネコンのスクリーン数の統計を別途記載するようになった時点では4割強だったスクリーン数が2002年には5割を超えた。 2009年以降、スクリーン数においてシネマコンプレックスは日本国内の映画館の8割以上を占めている。 一方で、1993年の海老名(現海老名)の開業以降18年連続増加を続けていた日本国内のスクリーン数は、2011年には減少に転じた。 1990年代において新しい手法であったシネマコンプレックスも目新しさをなくし、既に飽きられているという指摘もある。 観客の映画館離れが深刻だとも言われており、商業施設の集客設備として開業していたシネマコンプレックスは曲がり角に差し掛かっている と言われたが、2019年3月発表時点で2011年から250スクリーン増加している。 サイト数・スクリーン数 [ ] 2016年12月末現在、日本の全映画館のスクリーン数は3472。 うち、シネマコンプレックスは275サイト、3045スクリーンである。 日本で最も多くのスクリーンを運営する映画興行会社はイオングループ傘下の企業を統合したであり、同一ブランドのシネマコンプレックスとしてはイオンシネマが最も多い。 一つの施設としてスクリーン数が最多なのは、の内にある(旧AMCホリデイ・スクエア18)で、18スクリーンを有する。 各社のサイト数・スクリーン数(2016年12月末日現在) シネマコンプレックス名称 運営企業 サイト数 スクリーン数 備考 イオンシネマ 85 719。 2013年3月にを統合 TOHOシネマズ、他 65 617 系。 提携館および同社運営主幹の共同事業のサイトを含む。 (上記以外の東宝系) 1 5 東宝の完全子会社による運営サイト。 ユナイテッド・シネマ、 シネプレックス 35 331 傘下。 MOVIX、他 25 259 系。 同社運営主幹の共同事業のサイトを含む。 19 175 系。 同社運営のを含む。 T・ジョイ 17 163 系。 同社運営主幹の共同事業のサイトを含む。 コロナシネマワールド 13 129 佐々木興業株式会社 13 99 運営・経営 [ ] TOHOシネマズが撤退したのシネマコンプレックス(現ユナイテッド・シネマトリアス久山) シネマコンプレックスを運営する各社の資本関係は大きく変わりつつある。 2009年9月30日に松竹マルチプレックスシアターズの資本からが撤退し、の完全子会社になった。 2011年3月1日には同社に松竹が映画興行事業を移管した。 これにより9大都市ロードショー館は松竹、ローカル館は松竹マルチプレックスシアターズと言う体制から他社と同様に全国を同一会社で運営することになった。 2013年2月28日にはワーナー・マイカルからタイム・ワーナー(現)グループが資本を撤退し、の完全子会社となった。 同年7月1日にはワーナー・マイカルを存続会社とし同じくイオンの完全子会社であるを合併し、イオンエンターテイメントとなった。 また、屋号もからイオンシネマに変更した。 日本上陸当初は多くの外資系のシネマコンプレックスが存在していたが、これにより外資系資本は全て撤退したことになる。 2012年3月9日にはがから投資会社の傘下のユナイテッド・エンターテインメント・ホールディングス株式会社(以下、UEH)に売却された。 2013年3月29日には株式会社が同じくUEHに売却され 、同年6月1日にユナイテッド・シネマ株式会社を存続法人として合併した。 これにより、ユナイテッド・シネマはイオンエンターテイメント、TOHOシネマズに続く第3位のスクリーン数を持つ興行会社となった。 ユナイテッド・シネマはその後2014年8月にがグループ内で(ローソンチケット)やCD・DVDソフト販売店()を運営しているの子会社を通じて株式を取得し、ローソングループに入っている。 2001年以降、映画人口は1億6千万から7千万人程度でほぼ横這いの状態が続いている一方で、2010年までスクリーン数が増加し続けたこともあり、各社の経営状態は厳しくなった。 各社はこれに対応するためオペレーションの見直しによる人件費の削減を行なっている他、家賃の見直しも進んでいる。 出店競争が激化していた時期は出店条件が吊り上がり、中小興行会社は出店出来ない状況が続いていた。 一方、これらの時期に出店を進めた大手各社は固定費削減のため、2008年頃から家賃の値下げ交渉を進めた。 ディベロッパー側の収益にも関わるため難しい交渉となっているが、シネマコンプレックスの初期の劇場は特に収益性が悪化しているため、場合によっては撤退も視野に入れて進めている。 また、劇場の不動産自体をグループ会社が所有する企業にとってこの施策は不動産事業の収益悪化にもつながるため困難を極めた。 この課題の解決のため、東宝の不動産経営部の専務であるが2010年から2012年までTOHOシネマズの社長を兼務するなどの人事も見られた。 これらの見直しや後述する設備のデジタル化を見送り従来の興行会社が撤退した映画館では、集客のためにディベロッパー自身が事業主となって経営し、興行会社に運営委託する例も現れてきた。 例えば、2010年1月31日に閉館したMOVIX六甲の跡地はが事業主となった。 が番組編成業務を受諾し、子会社のオーエス・シネブラザーズ株式会社が運営を行いシネウェーブ六甲として2010年7月31日に再開館した。 また、2012年8月31日に閉館したTOHOシネマズトリアス久山の跡地はラサール不動産投資顧問株式会社が経営し、ユナイテッド・シネマが運営を受諾し2013年3月1日に再開館した。 ユナイテッド・シネマは同劇場をローコストオペレーションのモデルケースとしたいとしている。 しかし、これらの経営も順風ではなく、シネウェーブ六甲は2011年11月30日に閉館している。 サービス・設備 [ ] クリスティー社製のデジタルシネマプロジェクターの設置例 近年は前述のコスト削減のための見直しや、新たな観客獲得のための動きが見られている。 また、急速にが普及した。 コスト削減の例としてチケット販売の自動券売機化が進んでいる。 TOHOシネマズでは2012年5月から6月にかけて自動券売機の導入を本格的にすすめた。 また、ユナイテッド・シネマもトリアス久山に自動券売機を5台導入し、有人窓口は設置しない方向である。 これにより効率化を図るとしている。 しかし、前売券の取り扱いもあるため、完全な無人化は難しいのが課題となっている。 その後、前売り券の多くがムビチケカードとなり、ウェブ予約と劇場での自動券売機の双方での使用が可能となっている。 新たな観客層獲得のため、試験的に鑑賞料金を変更する動きも見られる。 ワーナー・マイカルは2010年1月9日から4月9日まで海老名と釧路の2サイトで1000円均一とした。 しかし、従来の契約のままだと値下げにより配収が減少する可能性がある。 結果、配給契約の条件が折り合わず『』や『』が上映中止となった。 また、TOHOシネマズは2011年4月(一部3月)から2012年春までの予定とし、7サイトで試験的な料金変更を行った。 一般料金を1500円、18歳未満を1000円に値下げする一方、シニア割引を60歳から65歳に引き上げる、レイトショーを廃止するなど、複雑な割引をやめ料金を均一化した。 その後、2013年6月1日より高校生料金を1000円とする料金変更のみ全国に広げている。 また、ティ・ジョイはTOHOシネマズの試験サイトと競合する広島、鹿児島の2サイトで、2011年4月7日から翌年3月31日まで高校生料金を1500円から1000円に値下げした。 デジタルシネマプロジェクターは当初、ワーナー・マイカルやティ・ジョイを中心に導入されたが、コスト負担が大きくそのペースは遅かった。 しかし、現在では35mmフィルムのノンリワインド映写機から置き換わってデジタルシネマプロジェクターが主流となった。 導入の進んでいたティ・ジョイは主要各社では一番早く、2010年7月までに全スクリーンへの導入を完了した。 TOHOシネマズは、2011年3月17日に開館したTOHOシネマズ甲府ではデジタルシネマプロジェクターのみを設置するなどの施策をとり、2011年に全劇場のデジタル化を完了した。 2012年には定期借地等、運営期間の限りがあるものや一部の小規模興行会社を除き、おおよそのシネマコンプレックスでは導入が完了している。 2013年3月5日に開館したワーナー・マイカル・シネマズ春日部(現イオンシネマ春日部)のようにデジタル化により映写室を廃止した劇場も現れてきた。 この背景にはバーチャル・プリント・フィー(以下、VPF)による導入スキームの変化があったことが要因として挙げられる。 映画館のデジタル化により配給会社はプリント代や輸送費が削減できメリットを受ける一方、興行会社は機材入れ替えのコスト負担が大きくデメリットが大きかった。 しかし、VPFの導入により興行会社の負担が軽減されたため上映機材のデジタル化が進んだ。 ただし、それでも一定のコスト負担はあるため、導入を見送り閉館を選択する劇場もある。 設備のデジタル化により、上映コンテンツ自体の変化も現れている。 Other Digital Stuff(以下、ODS)と呼ばれる映画以外のコンテンツを上映することも増えてきた。 TOHOシネマズやティ・ジョイではや舞台演劇の上映が行われている。 に全国上映としては日本初のフル3D実写映画『』が公開されて以降、などのデジタル3D映画の上映も増えた。 2009年公開の3D映画である『』のヒットにより一気に普及に弾みがついている。 ただ、2010年頃までは3D映画は一定の興行成績をあげていたが、近年の興行では期待ほどの成績をあげておらず陰りを見せている。 2010年代後半以降、3D映画の3D上映はIMAX・4D・ドルビーシネマといった特別なスクリーンでの公開が殆どとなり、それ以外の一般スクリーンでの3D版公開は大幅に削減されている。 歴史 [ ] マルチプレックスの発祥である北米では、主にから複数スクリーン化の傾向が見られた。 日本でも映画館の複数スクリーン化傾向は古くからある。 当初はこれらの映画館をシネマコンプレックスと呼んでいたため、いくつかの映画館が日本初のシネマコンプレックスを名乗っている。 以下、シネマコンプレックスとマルチプレックスの歴史について記述する。 1930年代 - 1992年 [ ] 日本におけるシネマコンプレックスの発祥 キネカ大森がある西友大森店 (2019年8月4日撮影) 日本では1930年代に大劇場時代が到来すると、その地下や高層スペースにもう1つの劇場を設置する映画館が現れはじめた。 例えば、の地下にニュース映画専門館として1935年12月30日に開館した第一地下劇場などがそれである。 これらは当時新興勢力であったの経営手法であったが、良いものは真似をするという姿勢でにも取り入れられていった。 だが、一般的には「1つの映画館(施設)に、スクリーンは1つ」であった。 になると映画館の全盛期が到来し、映画館の新設や建て替えが多数発生した。 これに伴い、「1つの施設内に、複数のスクリーンを持つ」劇場が徐々に増えてきた。 また、1000席程度のスクリーンの中に壁を入れて左右に仕切ったり、1階席と2階席との間に床を入れて上下に仕切ったりすることで、複数のスクリーンに分割するケースも見られた。 これらの運営システムは、個々の建物として存在する従来の映画館と変わりがない。 入替制は導入しておらず 、それぞれのスクリーンには独立した館名が付けられ、配給チェーンとスクリーンが固定化されており、「複数の映画館が1つの建物の中にある」状態だった。 に「シネマコンプレックス日本初登場」と銘打ってキネカ大森が開館する。 設立した文化事業部によれば、欧米の映画館の動向を調査した結果、動員で上映館を入れ替えられたりインターロック上映をすることが出来たりする複合映画館の形態に行き着いたとしている。 同館は流通系店舗のテナントであること、入替制を採用していることなど現在のシネマコンプレックスに近い。 一方で、スクリーン数が3と少ないこと、、、アート系と言うように各スクリーンの特色を定めている ことなどが、現在のシネマコンプレックスとは異なる。 また、現在は上映作品の傾向からと認識されることが多い。 この時期から同館と同様にのに、複数のスクリーンを持つ映画館をテナントとして迎え入れるところが現れはじめた。 また、シネマコンプレックスという言葉も使われはじめるようになる。 複数スクリーンを持つ映画館の例 施設名称 開館日 所在地 スクリーン数 備考 (改装日) 4 (改装後) 開館の名古屋宝塚劇場を何度かにわたり、分割、増築して複数スクリーン化。 5月に再改装し、以降3スクリーン。 4 「映画のデパート」 と称す。 に改装し、以降5スクリーン。 1956年 4 老朽および地下鉄副都心線建設のため2003年閉館・解体。 5 「日本で初めて5館をパックした映画館ビル」 と称す。 3 「日本初のシネマコンプレックス」 と称す。 に小牧コロナシネマワールドへ改装。 3 大森店内に設置。 「シネマコンプレックス日本初登場」 と銘打って開館。 5 12月に改装し、以降6スクリーン。 に「グランドシネマサンシャイン」(12スクリーン)へ移転開業。 5 スクリーン数は「チネグランデ」を除く。 「日本初のシネマ・コンプレックス」 と称す。 シネシックス 6 当時唯一のアメリカ型ショッピングセンターとされた 内に設置。 2004年7月にTOHOシネマズ船橋ららぽーとへ改装。 他にも後年になってからではあるが、小牧コロナ会館とチネチッタが日本初のシネマコンプレックスを称している。 小牧コロナ会館は、スクリーンで統一された名称が付けられていないこと 、入替制が導入されていないこと などが、現在のシネマコンプレックスの概念とは異なる。 なお、同館を運営するコロナグループはこの時期に同様の劇場を愛知県 、(1983年3月19日開館)、(1986年7月26日開館)、(1989年7月15日開館)にも展開している。 チネチッタは「総合映画館ビル」として開館当時のメディア には紹介されている。 やはり入替制が導入されていないこと 、複数フロアに渡っているためロビーなどが共有されていないことなどが、現在のシネマコンプレックスの概念とは異なる。 しかし、ごろから同社の企業沿革や地元自治体の広報誌 などを中心にいくつかの文献で同館を「日本初のシネマ・コンプレックス」とする記述が見られるようになった。 また、シネマサンシャイン(後のシネマサンシャイン池袋)についても、開館時の雑誌記事ではシネマ・コンプレックスと言う用語を用いて紹介しており 、一部の関係者が日本初のシネマコンプレックスと見ることもあった。 しかし、これも映写室などが共有されておらず、配給チェーンとスクリーンを固定化した運営を行っており、現在シネマコンプレックスと呼ばれる映画館とは異なる。 さらには、シネシックスを日本初とする例も見られるが 、スクリーンごとに東宝と松竹という別々の経営母体で運営されており、集客に応じてスクリーンを変更できる柔軟性がなかった。 いずれにせよ、後述するマルチプレックスが日本国内に上陸する以前から、日本独自のスタイルでこれに近い形の興行形態が存在しており、当初はこれら複数スクリーンを持つ映画館をシネマコンプレックスと呼んでいた。 ただ、1990年代に見られるような爆発的な普及は起こらなかった。 その要因の1つとして「入場者数の改竄を懸念して同一窓口で複数作品のチケットを扱うことを配給会社が嫌っていた」とも言われるように、因習に縛られ運営システムを変えるまでには至らなかったことが挙げられる。 また、当時の映画館が主に建てられていた市街地は地価が高く、収益を上げるのが難しいと考えられていた点も挙げられる。 さらには、、、の3法とそれに付随する条例が現在より厳しく、スクリーンの増設がコスト的に難しかったことも挙げられる。 そこで、全国興行生活衛生同業組合連合会が1990年頃からこれらの規制緩和を求め各法の所管省庁に対して働きかけを行った。 その結果、1992年に規制緩和の方針が決定し、先行してから東京都では建築安全条例と火災予防条例が改正されている。 だが、そのころには既に旧来型のシネマコンプレックスの時代ではなく、外資系を中心とした後述のマルチプレックスの普及に一役買うことになるという皮肉な結果となった。 北米におけるマルチプレックスの発祥 エルジンシアター (2005年10月30日撮影) 一方、北米初の2スクリーンを持つ映画館は、にの首都に開館した。 ナット・テイラーが築20年の施設を拡張したエルジンシアターである。 他にも1960年代中盤から後半にかけて2スクリーンの映画館が開館している。 1965年、イーストポイントに開館したマーチンズ・ウェストゲート・シネマズなどが挙げられる。 ナット・テイラーは、マルチプレックスの発明者とされる。 後の1979年4月19日にを設立し、同年中に、当時世界最大であった18スクリーンの(2001年3月閉館)を開館している。 にマルチプレックスの先駆者となるアメリカン・マルチ・シネマ(現AMCシアターズ)のスタンリー・ダーウッドは各映画の上映開始時間を慎重に管理し複数スクリーンを数名で運営する方法を確立した。 1960年代はテレビの普及に伴い、アメリカであっても映画人口は減少気味であった。 しかし、1970年代これらマルチプレックスがショッピングセンターに併設される形で各地に展開されたことで、再び上昇に転じた。 マルチプレックスがショッピングセンターでの購買につながるかどうかについては当初から疑問視する考え方もあったが、ショッピングセンターを認知させる効果があると認められ、コア施設の扱いを受けた。 以来、複数スクリーンの映画館が北米では当たり前のものになり、多くの従来館は複数のスクリーンに改装されていった。 複数スクリーンが1つのロビーを共有する形態であった。 1スクリーンの映画館(従来館)は市場からほとんど撤退した。 残った従来館は一般に、アート系映画や小規模製作の映画、映画祭などの上映に使用されている。 例えば、の市街地にあるクレストシアターなどが挙げられる。 この流れはヨーロッパにも広まっていく。 にはアルバート・バートとローズ・クライズによって、トリオスコープハッセルト(現キネポリスハッセルト、当時3スクリーン)が開館した。 現在、同サイトを経営するキネポリスはこれをヨーロッパ初のマルチプレックスとしている。 また、1981年には10スクリーン(当時)を備えるキネポリスヘントが開館した。 定義により異なるが、通常20スクリーン以上のマルチプレックスはメガプレックスと呼ばれる。 一般的に、世界初のメガプレックスはにのに開館した(25スクリーン、7,500席)であると考えられる。 アメリカ初のメガプレックスは1988年に改装したの(20スクリーン、6,000席、閉館 )である。 、ではが設立。 にマルチプレックスに参入し、5年間で約1200スクリーンから1. 5倍に増加させた。 世界規模で展開する興行会社が次に参入を考えたのが日本市場であった。 、ワーナー・ブラザース・インターナショナル・シネマズはと合弁で日本にワーナー・マイカルを設立する。 1993年 - 2002年 [ ] 日本市場への各社の参入 ワーナー・マイカル・シネマズ海老名 (2008年11月23日撮影) に日本初の本格的マルチプレックスであるワーナー・マイカル・シネマズ海老名が開館した。 同社は北米やイギリスと同様にマルチプレックスという用語を用いていたが、日本市場では以前から存在する複数スクリーンの映画館と同様に、シネマコンプレックスと呼ばれた。 そして、シネマコンプレックスの定義自体が後にマルチプレックスのことを指すようになる。 そのため、現在では同館を日本初のシネマコンプレックスとすることが多い。 日本国内のスクリーン数は減少傾向であったが、この1993年を底に増加に転じた。 ワーナー・マイカルの進出当初は業界内では失敗するものと思われていた。 従来館が既に撤退していた海老名には大きすぎる映画館だと考えられていたからである。 その後開館した同社のサイトについても同様であった。 しかしながら、ワーナー・マイカルは主要他社が参入する1996年までに7サイトを開館し、年商は44億円以上、1スクリーン当たりの興行収入も当時の全国平均を上回る9200万円という成功を収めた。 この成功を機に外資の参入が相次ぎ、国内各社もシネマコンプレックスの建設に取りかかる。 外資系のとユナイテッド・シネマ ・インターナショナル・ジャパン(以下、UCIジャパン)は1996年、東宝と松竹は1997年、東急レクリエーションは1998年にそれぞれ自社系列のシネマコンプレックスを開館させた。 1999年にはさらにヴァージンシネマズ・ジャパンが参入し外資系シネマコンプレックスは4社に増えている。 ユナイテッド・シネマ ・インターナショナル・ジャパン株式会社 7 天神東宝 (後の本館、閉館) 6 MOVIX六甲 (後の、閉館) 株式会社松竹マルチプレックスシアターズ 7 との合弁。 109シネマズ港北 株式会社東急レクリエーション 神奈川県横浜市 7 ヴァージンシネマズトリアス久山 (後のTOHOシネマズトリアス久山、現ユナイテッド・シネマトリアス久山) ヴァージンシネマズ・ジャパン株式会社 (現TOHOシネマズ株式会社) 7 イオンシネマズ株式会社 7 T・ジョイ東広島 株式会社ティ・ジョイ 6 各社の出店戦略は様々であった。 AMCエンターテインメントは当初九大都市ロードショー地域を中心にメガプレックスを計画していたが、後に地方都市の郊外型ショッピングセンターにも出店するようになった。 UCIジャパンは地方の県庁所在地クラスの都市を中心に出店を計画していった。 また、ワーナー・マイカルは親会社のショッピングセンターに併設する形で計画を進め、九大都市ロードショー地域である本牧の出店はマイカル松竹に譲り大手映画会社との摩擦を避けた。 後に親会社自体が駅前再開発に参画していった ため駅前立地型も増えていく。 東宝グループは有楽町マリオンやシネシックスでの成功を元に、番組編成のしやすい東宝邦画系と洋画系の1・2番手の3スクリーンで組み合わせる劇場展開にこだわり続けた ため出遅れた。 1997年頃からこの方針を転換し、5 - 6スクリーンのシネマコンプレックスを展開しはじめたが 、そのころ開館した天神東宝は当初は定員入替制の導入をしておらず立ち見を出していたり 、浜大津アーカスシネマはスタジアムシートを導入しておらずフラットな床だったり、サービス面で見劣る部分があった。 1998年12月5日にやっと本格的な郊外型のシネマコンプレックスとされる鯖江シネマ7を開館させたが 、ワーナー・マイカルにスクリーン数で国内1位の座を明け渡し、外資系他社の買収を模索するようになる。 一方、松竹は国内興行会社としてはマルチプレックスへの対応が早かった。 1990年から海外情報の収集を進め、1995年4月にはマルチプレックスシアター開発委員会を設立。 二条駅周辺区画整理事業用地内(現) への1号店進出を計画した。 1996年5月には松竹マルチプレックスシアターズを設立し、2000年までに10地区100スクリーン、国内のスクリーン数が3000を越えた時点で1割に当たる300スクリーンの目標を掲げた。 しかしながら、ノウハウ吸収を目的として合弁契約をしたシネマーク・インターナショナルとは開発スタンスの違いが原因で合弁契約を解消したり、競合会社の増加によりテナント契約が困難を極めたりしたため、出店計画に若干の遅れが発生した。 東宝系の興行各社や松竹マルチプレックスシアターズは、新設される地方のショッピングセンターを中心に出店計画を立てていった。 当時各地で開発していたイオン系のショッピングセンターも多く含まれた。 逆に、ヴァージンシネマズ・ジャパンは初期に計画されたを除き、イオン系のショッピングセンターへの出店計画は行っていない。 ジャスコ久御山ショッピングセンター(現)の出店決定が目前と思われていたにも関わらず、同社と同一のコンセプトで子会社のイオンシネマズを出店させたからとされる。 また、後に関東、関西の駅ビルを中心に出店計画を行っていくようになった。 一方、イオンシネマズは親会社のショッピングセンターに併設する形で計画を進めていった。 UCIは、と合弁で新法人ユナイテッド・シネマ株式会社を設立し、1999年10月1日開館のユナイテッド・シネマ岸和田以降に開館したサイトはUCIジャパンではなく同法人での運営とした。 住友商事は1985年にの設立にも参画しているため、この合弁で製作・配給から興行まで関わる企業となっている。 また、AMCエンターテインメントは1999年7月に日本法人の株式会社日本AMCシアターズを設立し、劇場運営を移管している。 各地の状況 シネマコンプレックスが各地に展開していくにあたり、従来その地方で興行を行っていた企業の反発を招いたり、シネマコンプレックス間での競争が発生したりしはじめた。 ワーナー・マイカルの進出にあたって従来館からの激しい反発があった。 地元の興行団体だけでなく全国興行生活衛生同業組合連合会まで反対運動を行ったが、1994年9月23日にワーナー・マイカル・シネマズ弘前(現イオンシネマ弘前)は開館した。 結果的に、開館当時8館あった従来館のうち6館が1996年までに閉館するだけでなく、ワーナー・マイカルも興行的に苦戦を強いられた。 ワーナー・マイカルは開館後、へ参加するなど、地域に根付くための活動を行っている。 1996年9月にが1998年に進出予定のワーナー・マイカルにスクリーン数の削減を申し入れた。 1997年4月にはフォーラム側は3万人以上の市民の署名も集めている。 また、新聞にはフォーラムの閉館を危ぶむ声が投書されるなど、映画館同士としての問題だけでなく地元住民の反発まで招いた。 ここまで至ったのはロードショー上映で収益をあげ、それを原資にミニシアター作品を上映していたフォーラムの手法が支持されていた背景がある。 に基づいた調整を申請したが通産省および厚生省に却下され 、福島フォーラムは1997年4月12日にフォーラム5、6を増設。 ワーナー・マイカルは1998年3月1日にワーナー・マイカル・シネマズ福島(現イオンシネマ福島)を予定通りのスクリーン数で開館させ、物別れにおわった。 しかしながら、両者とも興行的には共存している。 前述の通り1996年6月29日のへのシネマコンプレックスの出店はマイカル松竹が行い、マイカルは大手映画会社との摩擦を避けた。 しかし、3年後の1999年9月10日、地区への出店はワーナー・マイカルが行った。 この地域では周辺の従来館が優先的に新作配給を受けたため、ワーナー・マイカル・シネマズみなとみらい(現イオンシネマみなとみらい)の開館時には旧作ばかりが上映される事態となった。 しかし、同年12月11日にが『』や『』を封切りと同時に配給し、これを機に同館には順次各社から新作の配給がされるようになった。 なお、これらの作品を自社チェーンで上映していた松竹、東宝はソニー・ピクチャーズに対する制裁措置とも言われる数週間での打ち切りやムーブオーバーを行っている。 1996年11月2日に開館したUCIジャパンのOTSU7シネマと1998年4月23日に開館した東宝直営の浜大津アーカスシネマ(現大津アレックスシネマ)は直線距離で1. 2kmしか離れていない。 外資系と国内大手の初の直接対決として注目された。 同地域では配給会社によってどちらの劇場に配給するかが別れた。 配給作品はOTSU7シネマを優先に、東宝邦画系作品は浜大津アーカスシネマを優先に配給された。 結果的にそれ以外の上映権を巡って両劇場で争うことになった。 1996年4月20日にが九大都市ロードショー地域である福岡県福岡市にAMCキャナルシティ13を開館した。 上映作品や料金設定など具体的な内容を開館直前まで発表せず、地元興行会社からはその手法から黒船と恐れられた。 これに対抗して松竹マルチプレックスシアターズが同地域に進出する報道もあった が、最終的には断念した。 東宝九州興行は同地域の映画館を再編し、東宝系初のシネマコンプレックス天神東宝を1997年3月15日に開館させている。 なお、当初AMCキャナルシティ13には邦画系を中心に配給されないことが懸念されたが、結果的には配給が行われた。 当時は大津市や横浜市の例に見られるように、配給会社から配給を受ける上映権を得るために争うことが多かった。 しかしながら、従来は7割程度を占めていた従来館中心のロードショー館の興行収益比率がシネマコンプレックス中心のローカル館に押され、2000年には5割近くまで落ち込んでいた。 このため配給会社はシネマコンプレックスにも配給を行うようになり、洋画系については2000年以降、おおよその地域ではこのような争いは見られなくなっていった。 そして、大半の競合地域では、単純に集客力を争っていくようになり、後に邦画3社が従来館中心からシネマコンプレックス中心へと軸足を動かす要因にもなっていく。 日本での急増とアメリカでの破綻 アメリカでの元ロウズ社の劇場 AMC Loews 600 North Michigan 9 1999年から2001年1月の間にシネマコンプレックスは急増する。 この2年1ヶ月の間に主な興行会社だけで、ワーナー・マイカルが24サイト、ユナイテッド・シネマが7サイト、松竹マルチプレックスシアターズが7サイト、東宝および東宝系の六部興行が6サイト、ヴァージンシネマズ・ジャパンが5サイトの出店をしている。 これは、1998年に「」が成立したため、旧法である「」の基準で計画されたショッピングセンターが旧法の期限である2001年1月までに駆け込み出店したためである。 ショッピングセンターに併設されるシネマコンプレックスは結果的に急増する形になった。 2001年1月18日にはが二条の二条駅周辺区画整理事業用地内 に出店することが京都市より発表された。 外資系シネマコンプレックスとして5社目の参入だったが、同年2月15日に同社は日本の民事再生法にあたるを申請し破綻。 参入は実現しなかった。 アメリカで連邦倒産法第11章を申請したのはロウズ社だけではなかった。 アメリカでは1990年代にシェア獲得のためメガプレックスの出店競争が加熱した一方、年間観客数は14億人程度と横ばいであったため、採算性が悪化していた。 各社とも不採算スクリーンの閉鎖を行ったが、出店の資金負担に耐えられず1999年から2001年の間に相次いで連邦倒産法第11章を申請することになった。 日本でも前述の通りシネマコンプレックスが急増していたため、先行きが不安視されるようになる。 連邦倒産法第11章を申請した主な米興行会社 興行会社 申請日 備考 Mann Theatres 1999年9月17日 後にコロラド・シネマズとカーマイク・シネマズに買収される。 カーマイク・シネマズ Carmike Cinemas 2000年8月8日 再建後独自ブランドを維持。 エドワーズ・シネマズ Edwards Cinemas 2000年8月28日 後に Regal Entertainment Group 傘下に統合。 ユナイテッド・アーティスツ・シアターズ United Artists Theatre Circuit 2000年9月6日 後にリーガル・エンタテインメント傘下に統合。 ゼネラル・シネマ General Cinema Corporation 2000年10月11日 後に AMC Theatres 傘下に統合。 Loews Cineplex Entertainment 2001年2月15日 後にAMCシアターズ傘下に統合。 しかしながら、日本での急増の流れは一旦歯止めがかかる。 AMCエンタテインメントはアメリカでの厳しい状況に対応するため、アメリカ国内への投資に集中させた。 そのため、日本での出店は2000年に開館したAMCイクスピアリ16以降、全く行われなくなった。 また、2001年9月14日にマイカルがを申請、同年11月22日にはへと申請を切り替えた。 この影響での神奈川県の川崎駅北口地区第3西街区(現)への出店など、子会社ワーナー・マイカルの複数の出店計画が白紙撤回された。 このため、これ以降約3年間、同社は移転を除き新規出店を行うことはなかった。 他の各社も大規模小売店舗立地法が施行されショッピングセンターの開発が減少したため、特に郊外型の出店数は落ち着くようになった。 2001年以降になると、邦画3社がシネマコンプレックス中心に大きく舵を切り、郊外型に代わり大都市のロードショー館が続々シネマコンプレックスのスタイルへ変化していくことになった。 京都では、SY松竹京映、京都ピカデリーが2001年11月22日に閉館し、翌日MOVIX京都が開館。 東京では、日劇東宝、日劇プラザが2002年3月2日に日劇PLEX(後の)に、大阪の北野劇場、梅田スカラ座、梅田劇場は2002年11月23日にナビオTOHOプレックス(現)に生まれ変わっていった。 一方、邦画3社がシネマコンプレックスへと舵を切ったことで、系列館として番組配給を受けていた従来館は閉館を余儀なくされる状況に追い込まれていった。 例えば、2003年3月6日の札幌シネマフロンティアの開館に当たっては、やニコー劇場を経営していた天野興業株式会社が同年2月末で番組提携契約を打ち切られ 、同年9月5日に自己破産を申請している。 外資系シネマコンプレックスとの競争にさらされながらも生き残っていた従来館は、これ以降各地から姿を消していくことになった。 設備とサービスの変遷 予約システム シネマコンプレックスの場合、定員制をとっているため、見たい映画が完売して見られないと言うリスクが利用客にある。 そのため、インターネット普及以前はワーナー・マイカルの一部などいくつかのシネマコンプレックスで電話予約が行われていた。 しかし、映画館側の運用が煩雑で、需要が高い繁忙期に対応しきれない問題があった。 このため、1997年頃までに電話予約は廃止された。 代わって2002年にヴァージンシネマズ・ジャパンがインターネットチケット販売システムVitを導入したのを皮切りに、インターネットでの販売が主流になっていった。 座席指定 ワーナー・マイカルやAMCエンターテインメントは、座席指定を行わない定員入替制を採用していた。 また、一部を指定席にし一般料金より高めの料金設定をする劇場も見られた。 しかし、1996年11月にUCIジャパンが開館したOTSU7シネマは全席指定制を採用した。 そのため、1998年9月26日公開の『』からワーナー・マイカルは全席指定制を部分採用する形に切り替えた。 これ以降、シネマコンプレックスでは全席指定制が主流になっていった。 さらに、1999年4月23日に開館したはプレミアスクリーンとして座席幅を広くし、サイドテーブルのあるシートを採用した高付加価値のスクリーンを設置した。 これにより単なる全席指定制では差別化が図れなくなり、各社とも特徴のあるサービスを行うようになっていった。 2003年 - 2009年 [ ] 業界再編 2003年以降になると、外資系シネマコンプレックスの撤退を引き金に業界再編がはじまる。 外資系各社の攻勢でワーナー・マイカルが337スクリーンを保有していたのに対し、東宝グループは284スクリーンと劣勢に立たされていた。 この状況に際し、東宝は他社の買収を模索していたとされる。 2003年4月4日、の仲介により100億円でヴァージンシネマズ・ジャパンを買収し、シェアトップの座に返り咲いた。 買収されたヴァージンシネマズ・ジャパンは改称しTOHOシネマズとなった。 東宝は同社系列の興行会社をこれ以降再編していく。 2006年10月1日に東宝直営館をTOHOシネマズに移管し、続いて2008年3月1日に東宝東日本興行、中部東宝、東宝関西興行、九州東宝をTOHOシネマズに吸収合併させた。 各興行会社が運営していたTOHOプレックスをはじめとするシネマコンプレックスは、改装しTOHOシネマズのブランドに変わった。 また、TOHOシネマズ高槻、浜大津アーカスシネマ、鯖江シネマ7と言った地方のサイトの一部は独立系の興行会社に事業譲渡された。 2004年4月22日にはマイカルと松竹の合弁であったマイカル松竹シネマズ本牧が松竹ニューセレクトに事業譲渡されることが発表された。 同年4月30日以降、同サイトは改装しMOVIX本牧として運営された。 また、2004年9月にUCIが撤退し、同社保有分のユナイテッド・シネマの株式を住友商事と角川グループに売却した。 さらに、2005年にはAMCエンターテインメントが撤退をする。 AMCイクスピアリ16を除いた4サイトと日本法人の日本AMCシアターズがにユナイテッド・シネマに売却された。 AMCイクスピアリ16はを運営すると家賃を巡って係争中であったが、にそのオリエンタルランドに事業譲渡された。 同サイトはデジタル3D映画システムの導入などを行い、2006年3月1日に同社の直営のシネマイクスピアリとなっている。 再度の急増 内にある札幌シネマフロンティア この時期になると、大都市ロードショー館のシネマコンプレックス化が加速した。 この動きの中では(TOHOシネマズ、松竹、ティ・ジョイの共同経営)や、大阪の、(松竹、ティ・ジョイの共同経営)等、日本国内の大手映画会社による、共同経営もみられた。 ただし、横浜で計画されていた共同運営の劇場開発からTOHOシネマズが撤退する事例もあり、完全に足並みがそろっているわけではない。 動員もシネマコンプレックスが主体となっていった。 からまでのが年間観客動員数日本一に、は観客動員数はMOVIXさいたま、興行収入はTOHOシネマズが日本一になった。 大規模小売店舗法の下での駆け込み出店が行われた影響もあり、大規模小売店舗立地法が施行された後、しばらくは郊外型シネマコンプレックスの出店ペースは落ち着いていた。 前述の通り、大都市ロードショー館のシネマコンプレックス化はあったが、従来館の置き換えであるため、スクリーン全体としては微増であった。 2000年に2524スクリーンだったものが2003年末までに2681スクリーンになっただけで、157スクリーンしか増えていない。 しかし、大規模小売店舗立地法自体が郊外型ショッピングセンターの出店を行いやすい法体系であったため、2004年以降、増加傾向に拍車がかかった。 さらに、2006年にが改正され、郊外型ショッピングセンター新設に抑制がかけられたため、再び駆け込み出店が行われることになった。 結果的に2006年には従来館も含めると3000スクリーンを突破し、2007年には3221スクリーンとなった。 これは1970年頃のスクリーン数とほぼ同じである。 当時の映画人口は2億5千万人程度であったが、2001年以降、映画人口は1億6千万から7千万人程度でほぼ横這いの状態が続いており 、飽和状態になったとも言われる。 観客数が横ばいでありながら各社の出店が続いていること、映画ソフトのレンタルやテレビでの放映までの期間が近年では短くなってきていること、インターネットによるも増えていることなど、シネマコンプレックスの経営は年々厳しくなっていった。 また、後述する競合他社との差別化のための設備投資の結果、1998年頃は平均座席占有率 が10. 結果的に、興行収入からの営業利益は4. 従来館を含めると2006年には3000スクリーンを突破しているが、3000スクリーンの経営を成立させるには1億8千万人の映画人口が必要との試算もある。 このため、入場者の安定確保と共に飲食物など売店収入の増加などが鍵になるとされた。 各地の状況 閉館した「ワーナー・マイカル・シネマズ東岸和田」 (2007年7月23日撮影) シネマコンプレックスの同士での競合商圏内での出店が増えたため、再編、閉館などの動きが見られるようになった。 運営の高槻シネマルート170(2000年7月21日開館)とTOHOシネマズ運営のTOHOシネマズ高槻(2004年2月21日開館)の2サイトが、約2km程度の距離に存在した。 2007年6月28日にTOHOシネマズ高槻が閉館し、営業譲渡されたジョイプラザが同一施設で同年6月30日から高槻ロコ9シネマ(現高槻アレックスシネマ)として運営している。 また、同日に高槻シネマルート170は閉館し、同地域のシネマコンプレックスは1館に再編された。 同地域に東宝の出店予定はなかったが、買収したヴァージンシネマズの出店計画が進んでおり出店せざるを得なかった。 無駄な競合を避けるため、TOHOシネマズ高槻の開館後に再編をした とされる。 1993年4月29日が開館した。 さらに1999年10月1日岸和田が開館し、2サイトとなった。 岸和田市は高槻市より商圏人口で劣りながらも共存していたが、ワーナー・マイカル・シネマズ東岸和田が老朽化を理由に2008年2月3日をもって閉館した。 これは、国内初のシネマコンプレックスの閉館とされる。 ユナイテッド・シネマ橿原 (2019年10月26日撮影) 総人口12万5千人程度の都市でありながら、中心部の近鉄を中心に半径約2km圏内に橿原シネマアーク(1999年7月24日開館、5スクリーン)MOVIX橿原(2001年6月開館、9スクリーン)TOHOシネマズ橿原(2004年4月1日開館、9スクリーン)の3サイトが存在したが、シネマアークは2009年4月30日に閉館した。 MOVIX橿原が入居するもシネマコンプレックス以外の入居店舗が大幅に入れ替わっているため苦戦を強いられ、松竹マルチプレックスシアターズは長期間に渡る家賃の削減等の交渉をディベロッパー側と行なっていたが 、2014年6月4日に、同年8月31日をもって閉館することを発表した。 その後2015年12月18日、MOVIX橿原の跡地にユナイテッド・シネマ橿原がオープンしている。 1993年4月24日にワーナー・マイカル・シネマズ海老名(現イオンシネマ海老名)が開業した9年後、2002年4月19日にヴァージンシネマズ海老名(現TOHOシネマズ海老名)が開業した。 双方の映画館はわずか400mしか離れていない。 しかし、この状況を逆手にとって、2002年から海老名商工会議所が中心となり、を開催し、海老名市を「シネマコンプレックス発祥の地」としてアピールした。 2000年11月16日にワーナー・マイカル・シネマズ熊谷(現イオンシネマ熊谷)が開業した。 従来館のを運営していた鷹の羽興業は2003年9月30日に同館を閉館させ、2004年11月20日にシネマコンプレックスのを開業させた。 熊谷市の人口は20万人程度であるが、それぞれの立地(ワーナー・マイカルはショッピングセンター併設型、鷹の羽興業は駅前立地型)を活かし、共存した。 設備とサービスの変遷 シネマコンプレックス間での差別化を図るため、サービスや設備の個性化が進んだ。 コンテンツの差別化という点では、チェーンによる独占上映が行われた。 にユナイテッド・シネマと東急レクリエーションが独自の番組編成を目的に提携したことを発表 し、『』など複数の作品が2社の劇場を中心に上映された。 2007年にはティ・ジョイ、東急レクリエーション、ユナイテッド・シネマ、ワーナー・マイカル4社に拡大した「オープン・コラボレーション」という提携を発表 し、『』などが4社で独占上映されることになった。 顧客サービス面の差別化ではTOHOシネマズの「ママズ クラブ シアター」などが挙げられる。 小さな子供を持つ親を優先にした上映回を設定し、周りの観客に気兼ねなく鑑賞できるようにした。 サービス面の向上を図った結果、各地のシネマコンプレックスで導入されたサービスもある。 例としてインターネット予約は各社で導入された。 また、ポイントサービスはTOHOシネマズのシネマイレージをはじめ、各社とも導入を行った。 一般にポイントサービスはヘビーユーザー向けの物だが、ワーナー・マイカルは「」と提携し、劇場であまり見ない層の集客を図っていた。 しかし、にこのサービスは終了した。 座席幅が広かったりサイドテーブルが付いていたりする付加価値の高い座席も導入するところも増えた。 TOHOシネマズでは「プレミアスクリーン」として、1スクリーンを全て高付加価値のシートとしているほか、新宿ピカデリーではプライベートルーム型で3万円の「プラチナルーム」を設置している。 他にもワーナー・マイカル・シネマズ(現イオンシネマ)の「ゴールドクラス」、109シネマズの「エグゼクティブシート」、シネマメディアージュの「スーパープレミアシート」などが挙げられる。 一方で、改装時に高付加価値のスクリーンを撤去する動きもある。 東日本大震災による影響 [ ] 後、東北、関東地方の多くの映画館が営業休止に追い込まれた。 2週間以上営業休止に追い込まれた劇場は40サイト近くにのぼる。 ここでは特に半年以上再開が滞ったり、休閉館したサイトについて述べる。 柴田郡大河原町のシーズンズウォークフォルテ2階にあるシアターフォルテが東日本大震災の被害で休館し、復旧に時間がかかった。 同施設は映画館のある2階部分の被害が特に大きくその補強工事とデジタル化に向けた工事が必要となっていた。 当初は2012年3月に再開する予定であったが、、シアターフォルテ跡地にユナイテッド・シネマが入居することが発表され、同年、ユナイテッド・シネマ フォルテ宮城大河原として再開館した。 東日本大震災の影響で閉館したシネマックス鴻巣 内にあったが東日本大震災の影響で閉館した。 このショッピングセンターはディベロッパーが破綻したため、地権者が中心となる鴻巣駅東口A地区市街地再開発組合の手によって2008年5月23日に開業させたもの。 しかし、劇場は出店予定のワーナー・マイカルが親会社の意向で撤退したため 、千葉興行が2009年7月15日に開館させた経緯がある。 再開発組合では被害復旧費用の目処が立たず売却を計画したため、賃貸借契約の継続が困難になり2011年12月15日に閉館が発表された。 その後、劇場は鴻巣市所有となり、が運営する、市民ホール併設のこうのすシネマとして2013年7月5日に再開館した。 「」も参照 が経営し、に運営を委託していたシネリーブル千葉ニュータウンも東日本大震災で大規模な被害を受け、復旧に時間がかかった劇場の1つである。 東京テアトルは復旧に多くのコストが掛かるとして運営再開を断念したため、日活は運営委託先をシネマックスなどを展開する千葉興行に変更した。 座席を撤去した上で足場を組んで天井を復旧するなどの修復作業を行い、音響面や上映設備のデジタル化などの変更なども加えられた。 名称もシネマックス千葉ニュータウンと変更し、下層階にあった6スクリーンは2011年7月9日に、上層階にあった4スクリーンは同年11月26日にそれぞれ営業を再開した。 その後に名称をUSシネマ千葉ニュータウンと改め現在に至る。 「」も参照 なお、にを中心に発生したでは、同県のグランパレッタ熊本内にあるシネプレックス熊本が「」と改称して2016年に再開館。 同県の内にある「イオンシネマ熊本」がに営業再開 と、復旧に半年以上の時間がかかっている。 商圏と各地の状況 [ ] 商圏の変化 [ ] シネマコンプレックスが国内に参入した当初は映画館の存在しない地域での設置が多かった。 しかし、1997年頃から地方都市の駅前立地型が増え始め、2001年頃からは大都市ロードショー館の置き換えとしてシネマコンプレックスが設置されるようになった。 「映画館数は商圏人口に比例する」と1950年代から言われており、シネマコンプレックスも例外ではない。 シネマコンプレックスが併設されることが多いショッピングセンターは、およそ20 - 30kmが商圏と言われている。 シネマコンプレックス自体の商圏は、かつてそれより広い50km程度と言われていた時期もあった が、近年ではショッピングセンターより狭く、車で30分程度とすることが多くなった。 また、商圏人口もかつては50万人程度必要と言われていたが、近年では40万人程度にまで下げ、かつてより狭い商圏での開発が行われている。 結果的に出店競争が過熱し、競合する商圏内での設置が増えていった。 2009年以降になると、シネマコンプレックスの新規開業も1桁台が続いており、落ち着きを見せている。 近年の状況 [ ] 近年は新たな出店が落ち着いてきたが、不採算サイトの撤退が見られている。 また、地域活性化のための出店など新たな動きもある。 2007年12月22日、足利市内活性化の原動力となるよう期待されつつ、あしかがハーヴェストプレース内にが開館した。 しかし、わずか1年3ヶ月後の2009年2月27日に閉館した。 同市内に競合となるようなシネマコンプレックスは存在しなかったが、広域的に見ると佐野市に1サイト、後述の群馬県太田市に2サイト存在しており、地域間での集客競争が激化していた。 結果、想定の半数程度しか動員が伸びず、業績不振に至ったとされる。 その後、地元からの要請もあり、同ショッピングモール内にが2016年3月1日に開業した。 2012年3月31日に太田コロナシネマワールドが閉館している。 同劇場は2003年12月3日に後発のイオンシネマ太田が開館して以降、動員数が減少しており閉館に至った。 コロナでは立て続けに4サイトの閉・休館を決めており、経営的に抜本的な見直しを図っているとされる。 また、残ったイオンシネマも商圏としては伊勢崎市や埼玉県羽生市と競合しているとされ、地域間での集客競争が激化している。 外房にあるシネマサンシャイン茂原は1997年7月12日に開館し、直接の競合となるシネマコンプレックスはない状態であった。 しかし、15年の賃貸借契約が満了タイミングで契約を終了し、2012年9月2日に閉館した。 契約を延長し今後も営業を続けるためにはデジタル化をする必要に迫られたが、VPFを活用したとしても設備導入や継続的な運営に一定の投資が必要となる。 この地域ではデジタル化の投資回収が難しいと見られ、閉館するに至った。 109シネマズMM横浜があったGENTO YOKOHAMA は集客力のある地域だが、1999年にワーナー・マイカル・シネマズみなとみらい(現イオンシネマみなとみらい)が開業して以降、2004年には暫定商業施設(10年程度の運営を予定)の内に109シネマズMM横浜、2010年には前の複合商業ビル・(現ヒューリックみなとみらい)内にがオープンしている。 また、建設計画自体が中止となったが2011年に開業を目指していたの複合にもシネマコンプレックスを導入する計画があった。 狭い商圏内に乱立したため、周辺に存在する比較的設備の古い劇場には影響が出ている。 相鉄は2005年に閉館が検討されたが、109シネマズを運営する東急レクリエーションが継承し回避された。 一方、MOVIX本牧は商圏の競合により2011年1月16日を以って閉館となっている。 なお、109シネマズMM横浜も2015年1月25日に閉館しているが、こちらは商圏の競合が原因ではなく、前述の通り当初より設定されていたGENTO YOKOHAMAの土地借用期間満了に伴う完全閉鎖のためである。 神奈川県 2000年11月9日、つきみ野サティ(現「」)開業と同時にワーナー・マイカル・シネマズつきみ野(後に「イオンシネマつきみ野」に改称)が開館したが2018年2月28日に閉館、商圏の競合ではなくイオンつきみ野店の建て替えの為に閉館した。 その後、西隣りのににイオンシネマが移転オープンした。 富士地区にある富士ショッピングセンターパピー内の富士シネ・プレーゴは1998年に開館し、直接の競合となるシネマコンプレックスはない状態であった。 しかし、入居する商業施設自体が2008年5月31日に閉店し、営業を続けていたが、建物の老朽化による耐震性の問題が浮上し、2010年4月16日に閉館した。 その後、北隣りのにがオープンし、イオンシネマが併設された。 天文館シネマパラダイスのロビー(2013年8月撮影) 衰退しつつあるの活性化を図るために、2006年10月11日までに閉館した従来館の代わりとなるコア施設として、商店街が中心となりシネマコンプレックスが計画された。 近隣には鹿児島ミッテ10(ティ・ジョイととの共同運営)、TOHOシネマズ与次郎もあり、計画段階から地元では需要に対して疑問の声や映画館以外を要望する声もあった。 また、国の補助金が事業仕分けの対象となったことから計画を縮小したが、総事業費約16億円、6億円を国や市からの補助金とし建設が進められた。 当初は興行会社への業務委託が検討されたが、最終的には株式会社天文館が自主運営し、と業務支援契約、TOHOシネマズと番組編成契約を結ぶ形とした。 2012年5月3日にが開館。 開館後の動員は低迷しており、目標の4分の1程度にとどまっていたが 、配給作品を皮切りに大作映画を相次いで上映するようになってからは、観客もかなり持ち直すようにはなっている。 各社シネマコンプレックス [ ] に関しては、映画会社系列のシネマコンプレックスは、複数同業者共同運営および、他社との共同運営によるものしかなく、従って、映画会社系列シネコン運営会社の単独運営は存在しないが、興行会社系列シネコン運営会社の単独運営は存在する。 大手中堅興行会社・映画会社系列 [ ]• - 北海道• - 大阪府大阪市• MOVIX倉敷 小規模興行会社・独立系 [ ]• - 、• - 北海道• - ・内。 - 青森県、、、、• - 山形県• - 、、、、。 - ・内。 - 栃木県小山市・内。 - ・内。 - 千葉県千葉市・内。 - 千葉市• - 千葉県 ・内。 - 千葉県• - 埼玉県・内。 - 東京都• - 神奈川県、東京都、千葉県• - 静岡県・内。 - 静岡県・内• - 静岡県静岡市葵区• - 静岡県・内• - 、• - 富山県富山市(により9月閉館 )• - 長野県・内。 - 長野県• - 長野県• - 長野県・内• - ・内。 - ・内、・内。 - 、、、• - 大阪府大阪市• - 大阪府• - ・内、内。 - 兵庫県・内。 - ・内。 - ・内。 - ・内。 - ・内。 - ・内。 - ・内。 - ・LAZO表参道内。 - ・内、・内、・向かい。 脚注 [ ] [] 注釈 [ ]• 映画館名簿2013年版を元に、それ以降に各社から発表された開閉館情報を加えた。 の被害で2012年末時点で休館中の劇場は映画館名簿2013年版から削除されているため集計から除いている。 日本映画製作者連盟の統計同様に5スクリーン以上をシネマコンプレックスとし集計としている。 5スクリーン以上のサイトに付随して別棟が存在し、実質的に同一サイトとして運営されている場合は1サイトとしてスクリーン数にも含めた。 TOHOシネマズ株式会社運営のTOHOシネマズサイトの他、TOHOシネマズ錦糸町、お台場シネマメディアージュ、の3サイトを計上。 松江東宝5の1サイトを計上。 MOVIXの他、、なんばパークスシネマ、大阪ステーションシネマの3サイトを計上。 T・ジョイ蘇我のプライベートルームを除く。 多目的ホール兼用のこうのすシネマのシアター1を含む。 厳密には1947年1月からがにて全席指定制を実施したのを皮切りに定員入替制や全席指定制が広まった時期があった。 しかし、これは一時的な流れにとどまり後に従来の流し込み制に戻っている。 商業施設に映画館を併設するという考え方自体は古くから存在し、例えば、1930年代には既に百貨店である日本橋のに映画館の白木劇場が併設されるなどの動きがある。 また、1980年代に商業施設に併設された映画館にはも多く含まれる。 特別な記述がない限り開館当時のスクリーン数。 施設内に映画館が開館した日。 併設のパチンコ店は1980年に開業している。 1997年の改装まで「小牧シネマ1 - 3」「小牧ロマン」「小牧コロナ1 - 3」等の名称で運営されていた。 1997年の改装時に入替制を導入。 1926年に開館した新盛座(後に新盛館に改称)を起源に1977年に2スクリーン、1985年に4スクリーン、1994年に6スクリーンと増設している。 なお、新盛館は江南コロナ開設後もである「江南シネマ」を併設して存続していた(江南コロナでカバーできない作品を上映する補完的な役割を持っていた)が、2002年に江南シネマと共に閉館している。 そのため、テナントの選定が再度行われ、2001年にロウズ社が出店する計画となった。 しかし、ロウズ社も破綻したため、ヴァージンシネマズ・ジャパンに計画変更。 さらにヴァージンシネマズ・ジャパンも東宝に買収されたため、最終的には2005年にTOHOシネマズ二条が開館している。 ただし、この報道を東宝側は認めていない。 前述の通りみなとみらい地区等の劇場と競合し、後の2011年1月16日に閉館している。 上映1回当たりの平均入場者数を全座席数で除した割合。 出典 [ ]• 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