海 の 幽霊。 米津玄師 海の幽霊

鳴ってる通り曲を作る天才、米津玄師

海 の 幽霊

塩が効くのではなく、塩のもつ「陽イオン」の性質が、霊気(何らかの情報をもった「気」)に影響するからです。 「イオンのバランス」という観点でみると、海水と塩では性質がまったく違います。 固形の塩は「陽イオン」として存在しますが、海水の塩は「陽イオンと陰イオンの分離した状態」なんです。 霊現象は電気とかかわり合いが深いのはご存知だと思いますが、霊気に陽イオンが触れると、中和(もしくは拡散)するからだと考えています。 その証拠となるかは不明ですが、霊に効くものはすべてイオンと深い関係があります。 炭・・・場に陰イオンを発生させます。 竹炭を置くと霊現象は少なくなります。 パワーストーン・・・多くのミネラル(鉱物)は陽イオンの性質を持ちます。 水場・・・水そのものが、周囲のイオンのバランスに影響します。 ちなみに自分は霊気に触れて、情報を受け取れますが、霊気とは「なんらかの情報を持った「気」の塊)」です。 また、電気や磁気は「無機質(感情的な情報をもたない)「気」」です。 イオンは人の精神(心地よい、不快etc... )にも影響を与えますので、もしかしたら「霊気と呼ばれるもの=イオンが淀んだ状態そのもの」という可能性もあるんじゃないかと思います。

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『』の内「源氏夕顔巻」([明治19年] ) 『』「」の巻を下敷きとした「半蔀」「夕顔」を素材とした作品。 夕顔がのに憑り殺された屋敷を訪れた僧の前に、の花の中から現れた夕顔の霊は、最後には僧の供養によって成仏を遂げる。 幽霊というのは、『』でも、『』でも「幽霊」の項目に、の幽霊との幽霊が並置する形で扱われている。 このように、洋の東西を問わず世界に広く類似の記載はあり、にも にも 、また、陸域のみならず世界のにもいるとする記述がある。 西洋でも、(日本同様に)人間の肉体が死んでもが死なずに現世でうろついたり、家宝を守ったり、現世への未練から現世にとどまったりする話は多くあり、霊が他人や動物にのりうつることもあるといわれる。 現代の科学においては、その存在は物理的に肯定されない。 日本 [ ] 幽霊は何かを告知したり要求するために出現するとされていた。 しかし、次第ににもとづくやのために出現していると考えられるようになり、「幽霊は凄惨なもの」という印象が強められていった。 「は化けて出ない」とのもあるが、凄惨な最期の姿を留めて出没する戦死者のの話は多く、の亡霊 はその典型であろう。 幽霊の多くは、非業の死を遂げたり、この世のことがらに思いを残したまま死んだ者の霊であるのだから、その望みや思いを真摯に聴いてやり、執着を解消して安心させてやれば、姿を消すという。 日本の仏式(仏教葬儀)で、、死後の、などを行うのは、ある意味で、死者が幽霊と化すのを防ぎつつ、成仏しやすいように促す整えといえる。 歴史 [ ] 男女の/『』の1図。 には「」や「」、「幽霊松」(切られるとを流す)などの話がある。 日本はであるためなのか、など、の幽霊の話も多い。 その内容とは例えば、が現れて、幽霊が「を貸してくれ」というが、それを渡すとその柄杓で水を汲んで水(水してゆく船)にされてしまうといい、幽霊には柄杓の底を抜いてから渡さなければならない、とする。 (現・)に伝わる話では、幽霊船が出たら、かまわずぶつかってゆけば消えてしまうとされる。 以降、幽霊はやのテーマとしても扱われるようになった。 後期の・が7年()に語ったところでは、 にかならず、のの幽霊が、(現・)にあるに参集したという。 出遭った時点では幽霊と気づかず、実はすでに亡くなった人物であったと後になって気づくという話も、古今の別なく様々に語られている。 においては『』9年条(西暦の条)の記述を、においては『』巻之五(7年〈〉)に記載されている亡くなった小侍の話がある。 伝承される文化・芸術として [ ] 幽霊は、以前からという形でされ、江戸時代にはなどが大流行した。 「」「」「」などといった名作が創られ、また、や、、、などで盛んに描かれた。 現在も題材として新作から古典の・・などに用いられ、その他の様々な媒体で登場し紹介される。 8年 ()にの「」でが初公演されたことに因んで、は「幽霊の日」となっている。 『』「幽霊」/安永5年()の作。 描かれているのは、夜の墓場のの間から現れ出た女の幽霊で、を額に着け、を纏っている。 誰かを呼び止めているのであろうか、その腕は生者のごとく力強く掲げられている。 つまりこの幽霊は、定型化される前の過渡期にある造形と言える。 幽霊の姿かたち、現れる場所、時刻 [ ] 日本では幽霊は古くは生前の姿で現れることになっていた。 歌謡などの中でそうされていた。 年間(-間)に刊行された『お伽はなし』では、幽霊はみな二本足があることになっていた。 しかし、17年()刊行の『』では、幽霊の腰から下が細く描かれている。 享保年間(1716-36年間)のうちに下半身を朦朧とした姿で描くようになっており、さらに時代を経ると肘を曲げつつ手先を力なく垂れる姿で描くようになってゆく。 こうように、江戸時代前期から中期を迎えるまでの間に、今日定型化されている日本の幽霊の造形()が形成されていったと考えられる。 もっとも、がしたの俳文集『』(7-8年〈-〉刊行)に「腰から下のあるものもないものもある」と書かれている ことから窺えるように、江戸時代後期に差し掛かってもまだ完全には定着しきっていなかったと思われる。 また、日本の幽霊は、や川べりのの下などといった場所に現れるとすることが多く 、丑三つ時(午前2時ごろ)といった特定の時刻に出現するともいわれている。 古くは物の怪の類は真夜中ではなく、日暮れ時(、昼と夜の境界)によく現れ、場所も町はずれの(町と荒野の境界)など「境界」を意味する領域で現れるとされていたが、江戸時代を通じて現代にまで及ぶステレオタイプが形成されたと思われる。 定型化した"死装束の幽霊"、"足のない幽霊" [ ] の中判錦絵揃物『芳年略画』の内「応挙の幽霊」/(明治15年)の作。 に重きを置く天才・の描く幽霊は、真に迫ること極まりて絵から飛び出したという。 ・の人気・月岡芳年は、有名なこの逸話「応挙の幽霊」を、芳年一流のユーモアでもって視覚化してみせた。 描いていた応挙自身が、今まさに紙から抜け出して迫り来る女の幽霊に気付くや、腰を抜かさんばかりに吃驚仰天しているのが、面白おかしい。 「乱れ髪に天冠(三角頭巾)、死装束の足がない女性」という、やなどでもおなじみの定型化した姿、いわば「日本型の幽霊」は、やの影響が大きいと言われている。 から出版された『渡る世間は「間違い」だらけ』(〈平成7年〉刊)によると、の舞台「」の演出で幽霊の足を隠して登場したものが起源であるとしている。 江戸時代にの題材として描かれてから定着したものであるともいう。 『』の影響があるともいう。 の・(1733-1795年)のの影響もあったとされる。 ただし、「足の無い幽霊を最初に描いたのは円山応挙である」とする説については、あるいは不正確な説との指摘がある。 実際には、応挙が生まれる60年前の元年()に同じ京都で刊行された の本『花山院后諍 (かざんのいん きさきあらそひ)』(別名:花山院きさきあらそひ)に、足の無い幽霊のが掲載されており、この時代の、少なくとも京都にはすでに、「幽霊には足が無いもの」という概念があったようである。 なお、係る日本の定型化した幽霊と対比する形で、「海外の幽霊は足があるものが多い」と解説されることがある。 幽霊の中でも「」のお露のように、の音を響かせて現れる者もいるが、これは時代になっての怪異譚を参考にされたものである。 近年 [ ]も死者の霊が登場するが多く語られているが、外見上生きている人間と区別がつかない幽霊も多く、「を着た足の無い幽霊」が「出現」することはほとんど無い。 心霊主義における日本の幽霊 [ ] 20世紀および21世紀の日本の者(スピリチュアリスト)の中には、性質別に「」「」「」「」「」「」などといった用語で説明する人がいて、幽霊を、特定の場所に現れる"地縛霊"と、そうでない浮遊霊に分けて説明することがある。 季語 [ ] としての 幽霊(ゆうれい。 :いうれい)は、の季語である。 が『現代俳句歳時記』でこの語を採録しているが 、他ので採録しているものは少ないということを、協会会員が公式ブログで語っている。 『海賊の本』(1903)において描かれた、の幽霊 西洋の原語では、では あるいは phantom 、では ファントーム などと言う。 やはり死者の魂が現世に未練や遺恨があり、現世に残り、生前の姿で可視化したもの、と考えている のであり、希望を実現しないまま死んだ人、責任を果たしきれないままに死んだ人などが幽霊になって出ると考えられる。 婚約したまま死んでしまった女性は幽霊になって花婿のもとを訪れ 、出産時に死んでしまった女性の幽霊は乳児のベッドの横に立つ。 生前自分が行った行為が良心に咎めて死にきれない者も生者のもとに現れるとされる。 殺された人、された人、望みを果たさないまま無念に死んだ人たちの幽霊は、生者が慰め、その願いを代わりに叶えてやることで消え去るものともされている。 幽霊の姿、現れる場所、時刻 [ ] 幽霊の現れる時の姿は、生前の姿のままや、殺された時の姿、あるいは骸骨、首なし、透明な幻、あるいは白い服を着た姿で現れる。 また火の玉や動物の姿でも現れるとされる。 現れる場所としては、、殺された場所、、の跡、、街の、などが多い。 現れる時刻は、基本的には真夜中の0時から1時あたりが多く 、この時間帯が幽霊時などと呼ばれるくらいであり 、夜明けを告げるが鳴くと姿を消すとされる。 ただし、日中に現れるという記述もある。 例えば、やによって呼び出された霊である。 特定の場所に現れる特定の幽霊は迷える魂などではなく、過去の出来事が空間に情報として記録されたものの断片が、何らかの条件によって見えてしまう現象とする説もある。 では11月2日のには、幽霊たちが列をなして現れ、Frau Holle(ホレばあさん)に引率され、さびしいやの供養に参加する。 その夜になると墓場にが見えるのは、彼らが来ているしるしなのだと言われている。 村上計二郎は著書『幽霊の実在と冥土通信』にて、幽霊が夜現れ、昼間に現れないのは、彼らが光線を受けて溶解するためだという。 また、幽霊が赤子や犬など特定の生き物に見えることや、幽霊固体が勝手に移動すること、固体重量が変化すること、固体が浮揚すること、楽器の弾奏が行われることを心霊現象として紹介している。 歴史 [ ] とその父の幽霊(1780年の絵画)。 父の幽霊は17世紀風の鎧を身に着けている。 では、街の地下に死者の霊が住んでいると信じられ、地下にその住居をつくったり住居の出入り口をふさぐ幽霊石を祭りの日にだけあけて自由に出入りさせる、ということが行われていた。 人々は生者を守る霊の力は借りようとし、反対に危害を加えるような霊については警戒したり、祈祷文によって遠ざけようとした。 後半には幽霊物語が発展し、その草分けとしての『オトラントの城』(1764)が知られている。 その後、や、らの作品が多くの人々に読まれた。 これらの作品は、単なる架空の話として読まれたわけではなく、人々は幽霊が実在していると見なして読んでいたのである。 西洋のでは、も行われていた。 においても、は都会においても行われている。 では、事件も(個々の事件によりはするが)心霊のしわざだと見なしている例も多々ある。 (それに対して、超心理学者たちは、ポルターガイストは若者の偶発的な超能力によるのだと説明していることがある ) 今日でも、イギリスなどでは幽霊が現れる住宅も存在している。 ただ日本と異なるのは、イギリス人たちは無類の幽霊好きで自分の家に幽霊が出ることを自慢しあう。 「幽霊ファン」のような層がいて、幽霊見学ツアーなどが行われている。 全国世論調査会社 NOP が2000年に行った調査では、イギリス人の約42パーセントは幽霊や亡霊の存在を信じており、中でもスコットランドや北イングランドの回答者の3分の2は実際に幽霊を見た、もしくは気配を感じた事があると回答している。 イギリスの歴史的に由緒がある住宅などでは、歴史上の人物が幽霊として現れる建物も知られている。 例えば、イギリスで「最も多く幽霊が出る街」とも呼ばれるにある、トレジャラーズ・ハウスに出没するローマ軍人の幽霊は「最も寿命の長い幽霊」としてに登録されている。 近代の心霊研究はイギリスを中心に発展した が、その理由は、ひとつにはイギリス人の気質が知的な探究心が旺盛なため、幽霊が現れるとされればそれを怖がったりせず積極的に知的に調べてみたがるためとも言われている。 幽霊が出没することを英語では「haunted ホーンテッド」と言い、幽霊が出没する建物は「(この場合のマンションは「豪邸・邸宅」を意味する本来の用法であり、日本でのみ定着している「大規模な共同住宅」を意味する誤用ではない)」「ホーンテッド・ハウス」などと言う(日本語では)。 幽霊を自分の目で見てみたいと思っているイギリス人も多いので、イギリスでは幽霊が出るとの評判が高い住宅・物件は、通常の物件よりもむしろ高価で取引されていることもある。 日本では、幽霊が出る建物となると、悪い噂になるなどと考えて、隠蔽しようと策を弄する のとは対照的である。 幽霊に関連するもの [ ] 文化財・資料• - 幽霊画で有名 幽霊の付く言葉・人 幽霊に直接係わる若しくは模したもの。 - 日本やヨーロッパに伝承される、幽霊が乗船している船。 - 幽霊が出没するとされる建物。 幽霊の日:。 作が初演された文政8年(1825年)7月26日を記念する日。 - 坂の地名。 由来は諸説あるが、「幽霊が出た、出そうだ」とされ命名された。 - 日本で伝承される民話。 - 日本で幾つか翻訳された塔を舞台とした外国の推理小説。 - 内弁慶の外幽霊ともいい、外面と内面の差が激しい性格のたとえ。 - 初期の電車など、歌舞伎や時代劇における幽霊の効果音のような走行音(励磁音)を出すを指した俗称。 とは無関係。 - イカの一種。 発光器があり、かなり強い光を出す。 - 蛛形綱クモ目ユウレイグモ科の節足動物の総称。 薄暗いところを好み、カラダが白っぽく、やせて華奢な姿をしていることから。 ユウレイタケ - の別名。 実体のないことの例え(幽霊は肉体がないので)• -在籍しているが部に参加していない部員• - 貨車・客車・炭水車など、本来動力装置を持たないはずの車両に動力装置が付与されたの俗称。 - の小説• ここでいう「平家武者」は、に限らない。 また、は武者とは限らない。 ここで言及しているのは、戦死した平家武者のみである。 元資料は言及していないが、「7月13日」はに基づく日付であると常識的に解釈し、そのように記載した。 ただ、旧暦との混用は専門家の文にすら散見される誤表記であり、新暦に換算された日付である可能性が、非常識ながら存在する。 「幽霊の日」の根拠となっている日付(を換算した日付)「1825年7月26日」からの日付を逆算した。 京都の人で、で活躍した。 フランス語版ウィキペディア "" の定義文の周辺にもフランス語でそうだと簡潔に書いてある。 日本で言うところのなどに相当することになる。 の英語の講座でも、イギリスのある一般市民夫婦がたまたま古い民家に住むようになったところ、奥さんが二階の階段のところに男性の幽霊が立っているのが見えて驚いたが、後日旅行していたところ(偶然あるいは何らかの必然で)あるギャラリーでその男性(幽霊)と顔がまったく同じ肖像画を見つけたことでその人物の名を知り、後日歴史を調べてみたところまさにその男性が数百年前にその民家に住んでいたことが判り、「それまで幽霊を信じていなかったが、その出来事以降は信じるようになった」と、放送大学のカメラに対してその夫婦らが誇らしげに語っていた回がある。 ただし、米国では、ある人が幽霊が現れる物件を販売しようとした時に、購入希望者に幽霊が出るという事実を説明せず、新しい所有者がそれを知らないまま購入したものの後で幽霊が出ることに気づき納得がゆかず裁判に訴え、裁判所がそれを事実と認定し、物件の値下げを命ずる判決を出した事例は1件ある(それは公式の裁判記録として残っている)。 出典 [ ]• 広辞苑第五版「死者が成仏し得ないで、この世に姿を現したもの。 小学館『日本大百科全書』• 391。 623。 クリエイティブ・スイート『世界の海賊 伝説と謎』PHP文庫、2010• 『西鶴と浮世草子研究 第二号 特集[怪異]』付録(1)怪異物挿絵大全 近藤瑞木・佐伯孝弘編 笠間書院• 『人はなぜ生まれいかに生きるのか』、ハート出版 2001年10月25日、 『あの世の話』(佐藤愛子との共著、青春出版社1998年11月、[文春文庫] 文藝春秋2001年12月10日) など。 現代俳句協会ブログ. 現代俳句協会. 2018年2月15日閲覧。 11-17,256-260.. 村上計二郎「幽霊の実在と冥土通信」日本書院出版部1927年11月18日• ウィリアム・ロル『恐怖のポルターガイスト』坂斉新治訳 ボーダーランド文庫、角川春樹事務所(1998年)• 406• 参考文献 [ ]• , 『【幽霊】の項』小学館、1994年、初版、p. 391。 , 妹尾幹『【幽霊】の項』平凡社、1988年、初版、p. 623。 『近代スピリチュアリズムの歴史』講談社、1994年。 関連文献 [ ] は列挙するだけでなく、などを用いてしてください。 記事のにご協力をお願いいたします。 ( 2015年5月)• 『幽霊を見た10の話』岩波書店、1984、• 『幽霊 ゴースト のいる英国史』集英社新書、2003、• 三浦晃子『オラリロレラ ポルトガルの伝説集』文芸社、2010、• 『幽霊』 岩波文庫、1996• クリエイティブ・スイート『世界の海賊 伝説と謎』PHP文庫、2010• 『幽霊』作品社、2007 (幽霊物語集)• 『幽霊城 サイモン・マースデン写真集』河出書房新社、2005、• 『幽霊が多すぎる』創元推理文庫• 『知っておきたい世界の幽霊・妖怪・都市伝説 なるほど! BOOK 』西東社、2008、• 『日本の幽霊』中公文庫BIBLIO、 2004• 『日本怪談集 幽霊篇 』中公文庫BIBLIO、2004• 今野圓輔『日本怪談集 幽霊篇』中公文庫BIBLIO、2004• 造事務所 『「幽霊・妖怪」がよくわかる本』PHP文庫、2007、• 『私は幽霊を見た 体験者は語る』潮文社1995、• 、『怪異の民俗学〈6〉幽霊』2001• 三木孝祐『幽霊がいる場所、教えます』竹書房、2007、• 小池壮彦『幽霊物件案内 2 』ホラージャパネスク叢書、同朋舎、2001、• 関山守弥『日本の海の幽霊・妖怪』 中公文庫BIBLIO、2005、• 深見法弘『幽霊と霊界と地球と人間の秘密』プラシス、2007、• 松岡光治(編訳)『ヴィクトリア朝幽霊物語(短篇集)』アティーナ・プレス、2013、 関連項目 [ ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するメディアがあります。 ウィキメディア・コモンズには、 に関連するメディアがあります。 外部リンク [ ]• - 加治屋健司、広島市立大学.

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海の幽霊

海 の 幽霊

伝承 [ ] ひしゃくで水を汲みいれてを沈没させるなどと信じられた幽霊。 で他界した人の成れの果てといい、人間を自分たちの仲間に引き入れようとしているという。 その害を防ぐためには、をに投げ入れたり、底の抜けたを用意したりするなどの方法が伝えられている。 土地により亡者船、ボウコ、などとも呼ばれる。 同様に海の怪異として知られるも、地方によってはではなく船幽霊の一種とされる。 その姿は地方や伝承によっていくつかに大別され、船と亡霊が水上に現れるもの、帆船など船そのものが亡霊として現れるもの(いわゆる)、人の乗っている船の上に亡霊だけが現れるもの、やとして現れるもの、山や断崖などの幻影や怪音現象として現れるものなどがあり、以上の現象のいくつかが組み合わさった例も見られる。 海上での伝承が多いが、海のない地方でも河、湖、沼に現れたともいう。 に伝わるの一種・も船幽霊と見なされることがある。 現れるのは雨の日や新月または満月の夜 、時化の夜や霧のかかった夜が多い。 船として現れる場合は、船幽霊自体が光を発しているので、夜であっても船の細部まで確認できるという。 また盆の十六日に操業していると死者が船縁に近づいてき船を沈めようとする。 ほかにも霧の濃い晩に船を走らせていると目の前に絶壁、あるいは滑車のない帆船が現れ、慌てて避けると転覆したり暗礁に乗り上げるので、構わず真っ直ぐ突き抜けると自然に消えてしまう。 船を沈ませようとする以外にも、高知県では船のコンパスを狂わせるといい 、ではへ行く漁船に船幽霊が乗り移って、乗員の首を締め上げるという。 では船幽霊に遭ったとき、それを避けて船の進路を変えると、座礁してしまうという。 また、かつては悪天候の日には船が遭難しないよう、陸地でかがり火を焚いたというが、船幽霊が沖で火を焚いて船頭の目を迷わせ、この火に近づくと海に飲み込まれて溺死してしまうという。 船幽霊を追い払う方法も土地によって様々な伝承があり、では船幽霊が現れたとき、こちらの船を止めてじっとにらみつけると消えるとされる。 竿で水をかき回すと良いともいう。 海に物を投げ込むと良いという説も多く、では香花、線香、団子、洗米、水など 、高知ではや49個の餅 、前述の高知の大月町では土用豆 、では苫、、燃えさしの薪を投げこむという。 また高知では、「わしはだ」と言って自分が船幽霊の仲間と言い張ることで追い払うことができるともいう。 愛媛では、マッチに火をつけて投げることで船幽霊を退散させたという。 古典 [ ] 竹原春泉画『』より「船幽霊」 江戸時代の奇談集『』では、西海に現れるという船幽霊を一門の死霊としている(画像参照)。 平家はで滅びたことで知られるが、の・間(早鞆)の沖では甲冑姿の船幽霊が現れ「提子をくれ」と言って船に取りついてきたといわれる。 ひしゃくを貸すと船に水を汲み入れられるので、船乗りはこの海を渡るにあたり、椀の底を抜いて供えておき、船幽霊にはそれを渡して凌いだという。 あるときに霊を憐れんだ法師が法会を行い、この怪異は失せたという。 の知識人・は海上に火の玉や亡霊が現れる船幽霊についてものを例に持ち言及しており、恨みを抱いて死んだ人が復讐を果たしてなおを残している例をいくつか挙げ、「かやうの事つねに十人なみにあることには待らねども、たまたまはある道理にして、もろこしの書にもおりおり見え待る」と結論している。 煙は手に取れないが、積もって煤になれば手に取れる。 気は質のはじめであり、気が滞って、形を成したり声を生じたりするのをと呼ぶ。 もっともこの幽霊も滞った気が散っていくにしたがって消えうせるとしている。 近年の事例 [ ] に戦後最大の海難事故とされるが起きた後、事故後に就航した連絡船のに奇妙な傷跡が見つかるようになり、事故の犠牲者が船幽霊となってスクリューに爪を立てているという噂が立った事例がある これは後に電蝕による傷と判明した。 この船幽霊は海ばかりか陸にも現れたといい、の七重浜で夜中にタクシーに乗った全身ずぶ濡れの女性が、目的地に着くと姿を消し、洞爺丸の幽霊と噂されたという。 またでは、宿直室で寝ていた職員が窓ガラスを叩く音で目を覚ましたところ、窓ガラス越しにずぶ濡れの手が見え、「洞爺丸の犠牲者が救いを求めている」と慌てて逃げ帰り、翌朝にはその窓ガラスに手形が残っていたという。 またにはの海で、白い人影のようなものが目撃されて「ひしゃくを下さい」と声が聞こえたといわれ、大学のヨット部の遭難した部員が、沈んだヨットから水を汲み出したがっているといわれた。 民俗学からの観点 [ ] 民俗学者・によれば、船幽霊の出現は風雨や濃霧の晩、急に天候が悪化したときに多く、こうした状況下では事故が発生しやすく話に現実味が加わり、不気味さや不安感をかきたてるため、僅かの怪異も伝承の枠の中に組み入れて幻影・幻想を現実として語ったりするとされる。 出現時期に盆が多いのはのイメージと重なるためとされる。 しかしその根底には、祀られることの無い水死者の霊が浮遊していて船幽霊に化して現れる死霊信仰があり、盆や大晦日あるいは特定の日などの禁漁日に海に出てはならない、また近づいてはならない海域に出現する、などの禁忌を犯した場合の戒めにあるとしている。 正体についての学説 [ ] 船幽霊が船に取り憑いて動きを阻むともいわれるが 、これは現代ではある程度の科学的な説明がなされており、内部波による現象とされている。 例えば、大河の河口に近い海域ではその影響によりの小さい水域ができるが、塩分濃度の低い水は比重が軽いので通常の海水の上層部(海面)に滞留し、しかも双方の水は簡単に混じり合わず、はっきりした境界面を形成する。 その境界面付近に船のスクリュープロペラがある場合、いくら回転させてもエネルギーは水の境界をかき乱し、内部波を作るだけに消費されて、結果として船が進まなくなるというものである。 極地方で氷が溶けて海水中に流れた場合にも同様の現象が起こることは極地探検家のも記録している。 このように、塩分、水温、水圧などによる海水の密度の変化に伴う内部波が船の前進を妨げるという説が唱えられている。 各地の船幽霊 [ ] いなだ貸せ(いなだかせ) 沿岸。 「いなだ(ひしゃく)貸せ」と船上の人に話しかける。 「いなだ」とは船で用いられるひしゃくのことで、これに穴をあけて渡さないと、たちまち船に水を入れられて沈没させられてしまう。 ムラサ 都万村(現・)。 この地では、潮の中に夜光虫が光っている様子をニガシオというが、その中にボーっと光りながら丸く固まっているものがムラサである。 船が上に乗りかかるとパッと散らばってしまう。 また、夜に突然にして海がチカッと光って明るくなることがあるが、これはムラサにとりつかれたためであり、竿の先端に刀や包丁をつけて海面を数回切るとよいという。 夜走り(よばしり) (現・)。 船が白い帆をまいて走ると、一緒に走って来る。 灰をまいて音をたてると退散する。 ウグメ 、などの地方。 船がこれに取り憑かれると航行が阻まれるといい、平戸では風もないのに突然帆船が追いかけて来るともいう。 九州西岸地方では船や島に化けるともいう。 この怪異を避けるために平戸では灰を放り込むといい、御所浦島では「錨を入れるぞ」と言いながら石を投げ込み、それから錨を放り込むという。 煙草を吸うと消えるともいう。 淦取り(あかとり。 船底にたまる水を取る器)をくれといって現れるともいい、淦取りの底を抜いて渡さないと船を沈められるという。 迷い船(まよいぶね) 、同県。 時期の月夜の晩、海に帆船の姿となって現れるもの。 怪火が現れたり、人の声が聞こえることもあるという。 亡霊ヤッサ(もうれんヤッサ) 、(現・)。 霧の深い日や時化の日に漁船のもとに現れる船幽霊で、海難事故の水死者の霊が仲間を増やそうとしているものといわれる。 「モウレン、ヤッサ、モウレン、ヤッサ、いなが貸せえ」との声が船に近づき、突然海から「ひしゃくを貸せ」と手が飛び出すが、やはりひしゃくを貸すと船を沈められるので、底を抜いたひしゃくを渡すという。 「モウレン」は亡霊、「いなが」はひしゃくの意味で、「ヤッサ」とは船を漕ぐ掛け声。 妖怪漫画家・の著書での表記は「猛霊八惨」(もうれいやっさん)であり 、水木の出身地・ではこの猛霊八惨を鎮める祭礼も開催されている。 詳細は内部リンク先を参照。 福岡県などでは船幽霊の一種とみなされている。 なもう霊(なもうれい) 宇部村小袖(現・)に伝わる海に出没する黒い船とともに現れる妖怪で、(しけ)の時などに(かい)をよこせと無理をいうが、返事をしたり、櫂を貸してはならないとされる。 日本以外の類似怪異 [ ] 『桂林漫録』(12年)の記述として、「覆溺(ふくでき)して死せる者の鬼(ここでは幽霊を指す)を 覆舟鬼ということ」、「海外怪妖記に見たりと」とあり、日本人によって船幽霊に当たる怪異が中国にもあったことが記されている。 また、中国には、「鬼哭灘(キコクタン)の怪」という怪異の伝承があり、はげた怪物が舟を転覆させようとするとされる(こちらは海坊主に近い)。 船幽霊にちなんだ作品 [ ] 小説• 『船幽霊』(に収録) 脚注 [ ] []• 298• , p. 209• 『妖怪画本 狂歌百物語』編、、2008年、291頁。 250• 172• 漆間元三「海と信仰」『富山県史』民俗編、中沖豊他編、、1973年、306頁。 山口常助「」『伊予の民俗』第5号、伊予民俗の会、1975年3月、 5頁、。 830-831• 宗優子. 2009年4月20日時点のよりアーカイブ。 2014-11-31閲覧。 32-34• 『』昭和30年度号、 民俗学研究会、1956年。 2014年11月3日閲覧。 『竹原春泉 絵本百物語 桃山人夜話』多田克己編、国書刊行会、1997年、75頁。 田中聡『江戸の妖怪事件簿』〈〉、2007年、149頁。 244• 「妖怪プロファイリング」『』vol. 0024、郡司聡他編、〈カドカワムック〉、2008年、241頁。 桜田勝徳「」『島』昭和9年前期号、一誠社、1934年4月、 217頁、 、 2014年11月3日閲覧。 2008年2月14日閲覧。 2001年. 2008年2月14日閲覧。 他『綜合日本民俗語彙』第1巻、民俗学研究所編、監修、、1955年、105頁。 , p. 1565. , p. 1703. 333-334• , p. 1491. 櫻田勝徳「船幽霊など」『旅と伝説』5巻8号(通巻56号)、三元社、1932年8月、 22頁、。 , p. 322. 『アニメ版 ゲゲゲの鬼太郎 完全読本』1週間編集部編、、2006年、31頁。 2004年3月22日. 2009年1月31日閲覧。 千葉幹夫『妖怪お化け雑学事典』講談社、1991年、64頁。 大藤時彦他『綜合日本民俗語彙』第3巻、民俗学研究所編、柳田國男監修、平凡社、1955年、1126頁。 参考文献 [ ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するカテゴリがあります。 他『綜合日本民俗語彙』第4巻、民俗学研究所編、監修、平凡社、1955年。 佐々木正興他『愛媛県史』民俗上、伊賀貞雪他編纂、、1983年。 高木啓夫他『高知県史』民俗編、溝渕増巳他編纂、、1978年。 『幻想世界の住人たち』IV、〈〉、1990年。 他『昔話・伝説小事典』他編、みずうみ書房、1987年。 『現代民話考』3、〈〉、2003年。 編著『妖怪事典』、2000年。 『本当にいる日本の「現代妖怪」図鑑』、2007年。 『日本の妖怪百科』2、監修、、2000年。 『民俗採訪』昭和39年度号、 民俗学研究会、1965年。

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