バロック ダンス。 バッハの神学文庫 » 1. 神のダンス

バロックダンスの魅力〜 樋口 裕子のオフィシャルサイト

バロック ダンス

岩佐 樹里先生のバロックダンス講座へ参加してきました。 今日は、 【サラバンド】という 3拍子の優雅なダンスです。 バッハやヘンデル、ラモー、フランソワ・クープランなど多くの作曲家が残している、スペイン発祥のダンスです。 同じサラバンドでも2種類のサラバンドがあります。 その為に、 演奏者が踊りを体験するということは、大変重要になります。 (岩佐先生が、衣装やバロックダンスの歴史について分かりやすくお話しして下さいました。 ) お子様から大人の方まで一番親しみやすい踊りは、メヌエットかもしれません。 11月7日(土)13:00-15:00に高円寺【メヌエット】の講座を岩佐先生とバロックヴァイオリンの天野先生と企画しました。 実際に、 スピネット(小型のチェンバロ)とバロックヴァイオリンの生演奏と共に、メヌエットを踊る会です。 また、 ご参加頂く皆様に演奏をして頂き、実際に他の方が踊ることも体験します。 ダンサーと踊りやすいテンポを相談して決め、演奏することは貴重な体験となります。 バロックダンスは、静かで優雅なダンスですので、お子様から大人の方まで親しんで頂けます。 まだ踊ったことのない方に、是非体験して頂きたいです。 演奏する時の大きなヒントになると思います。 演奏する際に、 強拍 Down beat と弱拍 up beat を体感していると、ガラリと変わります。 どこが大事な拍か分からずにただ音符を弾いていても、スタイル(様式)が分かっていない演奏に聞こえてしまうのは残念です。 東京で気軽にバロックダンスを学べる機会を私自身探していたこともあり、5月のオペラで岩佐先生が優雅に舞台で踊られる姿、 またチャーミングで気さくな雰囲気から、意気投合して是非一緒にやりましょうということになりました。 是非、皆様お気軽にご参加下さい。 All Rights Reserved.

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平山 絢子 チェンバロ, バロック・ダンス

バロック ダンス

神のダンス バッハの組曲はテキスト講解の対象からは外れる。 しかし組曲という形に纏められたバロックのダンスについては、短い言が必要とされるであろう。 とりわけてバッハの組曲はダンスに用いられて踊りの背後に響きながら、その本質において昇華されたダンスの哲学、ダンスの神学を語り伝えるからである。 その要点を拾えば以下のようになるであろうか。 バロックのダンスは突然にフランス宮廷で生み出されたものではない。 恐らくあらゆる民族の宗教儀礼にダンスは欠かせない。 しかし、これはあらゆる民族の宗教儀礼に音楽が不可欠であるのと同一の神と人との関わりにおける一現象であって、その一事に従ってバッハの組曲を測れるわけではない。 ダンスは既に古代ギリシアにおいて、哲学と宇宙論の交錯する思索の中で捉えられていた。 その意味でダンスは宇宙の調和を人の身体によって視覚化するものであった。 視覚化されたものの中に、視覚化されるべきものを強く響かせたのがバッハの組曲である。 バッハの組曲は実際のダンスの用に供され得る、にも拘わらず、通例は独立した器楽曲として奏される。 それによってダンス化されるべきものを、ダンスに優って明確に表現し得ると判断されるからである。 ヨーロッパの基礎構造を形成して決定的であったのはキリスト教であった。 厳格な教会の規律はダンスを好まない、と思われるのが一般的思考であろう。 キリスト教の基体である聖書の中に、しかしダンスは二つの領域に亘って記されている。 ひとつは人のダンス。 いまひとつは天空の、宇宙のダンス。 何れもその目的とするのは改める迄もない、神讃美である。 古代ギリシアの哲学と宇宙論は、イタリアのルネサンスにおいて再認識され、キリスト教の宇宙創造論とも重なり一体化されて、宇宙の法則が人体の動く美の中に表されることになった。 人の身体は宇宙を映し出す小さなコスモス=ミクロ・コスモスであり、踊ってダンスはときに宇宙の星辰の軌道を地上に描き、また別のときには星辰の働きを受けて踊る人の魂の軌跡を他者に伝えた。 パートナーと組んで踊って、ふたりの身体は、その魂は、二つの星辰の軌道の干渉し合う様を示してしばしば占星術の領域に立つことになった。 今日では一方の王の光が余りに強く輝いて他を圧している。 ルイ十四世はヴェルサイユに在り、キリストは天空に座している。 聖書に言う義の太陽、不滅の太陽、キリスト。 バッハの組曲には太陽の、ふたりの王がその中心点をなして在り、当然の帰結として、バロック芸術を特質づける二つの中心点を持つ楕円軌道を描いている。 バロックのダンスに人は自らの身体を委ねて在ることの喜びに触れ、また魂の愉悦に酔って踊る歩を刻む。 その人々の、足取りを超えて存在のダンスに誘う、響く宇宙の楕円軌道の中心点に屹立する二つの美の高峰こそが、リュリとバッハだからである。 この組曲の調性を成すハ短調は『マタイ』と『ヨハネ』の二つの受難物語に共通してキリスト・イエスの埋葬を悼む調性である。 調性のロ短調はバッハの作品において、しばしば「十字架の調性」と呼ばれる『ロ短調ミサ』の調性である。 譜例1 ふたりの演奏者によってそれぞれに選択された二つの組曲に同一の事柄の告知が響くことになったのは偶然とは言い難い現象であろう。 また更に、バロック期に活用された上記の figura という観点からしても、バッハの創作の世界において、共通のfiguraに依据するその創作法からして、器楽曲と声楽曲との、いわゆる世俗音楽と教会音楽との間の、本質的相違点は存在しないと判断されるのであって、これは例えば教会の典礼に用いられる公的典礼文書と、個人が私的に捧げる祈りの際に用いられる私家版の祈祷書との関係に対応するものであると言うのが正しいであろう。 バロック期に踊られたダンスは改めるまでもなく宮廷ダンスである。 とは言え、これは単なる宮廷の娯楽ではなく、既述のように宇宙・世界観の表彰であった。 今後に、更に掘り下げられて論じられることになるであろう、ここに言う、宮廷ダンスをコスモスという、宇宙論・世界秩序に関する問題領域から捉える作業に関しては、これを巡る文献が近年相次いで出版されていることもその必要性を裏付けている。 神讃美・神聖なものと人との対峙の際の想念は凝縮されて典礼の形態の中に、また同時に、人間の存在の根源から湧き上がる讃美・感謝のリズムに衝き動かされる身体の動き、即ちダンスによって表明されるからである。 この事実がバッハの創作の、あるいは「マタイ」という個的作品の背後に存在することは改めるまでもない。 これもバッハにおける事実であって、バッハの筆になる楽譜それ自体がこのことを表明している。 「マタイ」の第1曲は8分の12というダンスの音楽として記されている、とは言えそのダンスのリズムをどのようなダンスとして判読するのか。 そこに問題が存在しないわけではない。 シチリアーノであれパストラーレであれ、キリストを巡るダンスの音楽であることに変わりはない。 従って「マタイ」第1曲のダンスの性格を規定し得るのは「マタイ」において、更には「マタイ」と深く結びついた「ヨハネ」においてバッハが捉え表明したキリスト論であって、それ以外のものではない。 今回のダンスは、神学文庫の連続講義の中で追求されているバッハの思い描いたキリスト論に立って決定された。 言い代えれば、ヨハネ黙示録第4章に記された天上の主、栄光のキリストを表す「神の小羊」 Agnus Dei に関する神学的思索が音楽となって響いたのがバッハの作品であるということになるであろう。 受難曲は、そのAgnus Deiが地上に在って十字架を受けられた出来事を描くものであって、天上の Agnus Dei と無関係に在り得るものではない。 今回の「マタイ」のダンスは、この、地上において十字架を担われた栄光の主Agnus Deiに捧げる讃美の念を基にまとめられた。 テンポは、壮麗な天の王を飾るに相応しいものでなければならない。 くり返して言えば、ダンスは単なる身体上の美を誇示するものではなく、宇宙の秩序と、その秩序の基である宇宙の創造者についての思索を表明すべきものである。 恐らく規定して言うならば、今回の「マタイ」のダンスは栄光に包まれる Agnus Dei と、崇高なるものへと高まり行く讚美を歌ってジグと名付けられるであろうか。 なお「マタイ」第1曲を始めとするバッハ作品とギリシア悲劇におけるコロスとの関係、聖書における Reigentanz 等の問題に関しては、を参照。 マタイ・第1曲のテンポ変更に関するメモ ー 今回のゼミコンサートで用いられた実験用の演奏の成立は以下の視点に基づく。 1 今日一般に行われているバッハ作品の演奏テンポの是非を問うために、図書館ゼミ・マタイ連続講義 I の際に第1曲のテンポ変更を実験的に行った。 変更は電子音楽作曲家の馬場隆君に依頼。 数種のテンポ変更をコンピュータで施し、バッハ・テンポに相応しいと判断される事例が採られることになった。 2 バッハの自筆譜に記された通りに、第1曲のコラールは、これもコンピュータの操作によって、オルガンで奏される形が採られた。。 講義のための実験演奏で明確化された、第1曲の舞曲の性格をより明瞭に提示するべく、これにバロック・ダンスの振りを付けて視覚化の試みが今回のゼミ・コンサートで行われることになった。 振り付けと実際のダンスはチェンバロ演奏・表現法とバロック・ダンスを長く研鑽されている臼井先生に依頼。 ここに公開されることになった。 単なる身体の動きの追求ではなく、既に「神のダンス」として記述されたように、神聖宇宙の秩序の視覚化としてのダンスによって、バッハが『マタイ』で、或いは他の諸作において追求した宇宙のハルモニアと、聖なる創造への讚美・感謝の念は空間化されてひとつの形象として提示され得たと判断される。 実験のために労を惜しまず協力して頂いた臼井・馬場の両君には感謝の一語が相応しいであろう。 記・丸山桂介 マタイ受難曲第1曲のテンポ変更 サンプルにはヘレヴェッヘ盤とメンゲルベルク盤を用い、舞曲 ジグ らしさを出すためにテンポを速めることとした。 これはテンポに換算するとサンプルの1. 64倍に相当する。 マタイ受難曲第1曲のコラールパートへのオルガン音の付与 マタイ受難曲第1曲のバッハの自筆譜ファクシミリでは、オルガンで演奏されるべく記されたコラール旋律のみ赤インクで書かれてこのパートの重要性を物語っている。 今日の実際の演奏では、通例用いられる新バッハ全集のスコアに従ってこのパートは少年合唱が担当することになっているのに対して、本コンサートでは実験的にオルガンが担当する。 4[dB] : 3. 8[dB]の割合で混ぜることでスペイン水平管の音色を再現した。 このように作成したオルガンパートと、テンポ変更したサンプルを、音量比-2. 5[dB] : 1. 1[dB] ヘレヴェッヘ盤 、-1. 8[dB] : 0[dB] メンゲルベルク盤 で混ぜ合わせた。 La Chapelle Royale, Collegium Vocale Gent, Philippe Herreweghe, 1984 Harmonia Mundi: HMX2901155 東京音楽大学付属図書館の請求番号:または• Concertgebouw Orchestra, Amsterdam Toonkunst Choir, Willem Mengelberg, 1939 Naxos Historical: 8. 110880-2 東京音楽大学付属図書館の請求番号:• 記・馬場隆 マタイ受難曲第1曲目『Chorus』のバロックダンス振付に関して この曲の既存のテンポは、パヴァーヌではないか。 恩師フランソワーズ・ドニオとパリで話したことがある。 バロックダンサーにとって、一定リズムを持つ曲は全てがダンスとして捉え得るということだった。 この話から数年経った今年、マタイ受難曲第1曲目の『Chorus』をダンスとして振り付けてみようという企画がなされた時に、私は師との会話を思い出したのである。 前述の「パヴァーヌ」はルネサンス時代のダンスであり、それは「歩く」ことを基本とした、振付に多様性の乏しいダンスであるため、かつバッハの表現意図の観点からして、テンポを速めてバロックダンスとして捉えることにした。 バロックダンスの舞曲の中では速い踊りに相当する「ジグ」のテンポに変更された 変更操作は馬場隆氏記述参照。 フランス風ジグのダンスのリズムとして、8分の12拍子であるこの拍子を2分割し、譜例2の音型Aを音型Bでユニットを捉えた。 18世紀のボーシャン・フィエシステムのバロックダンスの振付表に従って振付し、振付の組み合わせはバロック時代当時の振付家フィエやペクールの舞曲振付を参考にしながら独自に自由に組み合わせた。 ステップのフィギュール 軌跡 = 図1参照 は当時のバロックダンス曲によくみられる曲線と垂直及び水平線を交えながら音楽の盛り上がりと一致するよう考えられた。

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バロック ダンス

イングリッシュ・カントリーダンス [ ] この時代ので現在まで残っているものの多くは()で、たとえばの『』の多くの版の中にある。 プレイフォードの本にはダンスのフロア・パターンだけ書かれていて、ステップの指示は書かれていない。 しかし、のダンス・マスター、やロランが書いたような、この時代の他の文献は、少なくともこの時代のステップに使われた単純な歩き方より複雑なステップが指示されている。 イングリッシュ・カントリーダンスはバロック時代を超えてよく生き残って、最終的にヨーロッパおよびその植民地、そしてあらゆる社会階級に、様々な形で広がった。 (詳細はを参照) フレンチ・ノーブル・スタイル [ ] クーラントのバールのための記譜(「ボーシャン=フイエ記譜法」) のダンスの革新はのフランス宮廷で起こり、そこにクラシカル・バレエ()のスタイルの明らかな原型を見つけることができる。 社交の場でも、宮廷バレエや一般の劇場で演じられたシアトリカルダンスでも、同じ基本テクニックが使われた。 このダンスのスタイルを現代の研究家たちは一般に「 フレンチ・ノーブル・スタイル( French noble style)」またはフランス語で「 ベル・ダンス( belle danse)」(美しいダンス、の意)と呼んでいるが、バロック時代には他にもシアトリカルダンス、社交ダンスが存在したるにもかかわらず、くだけて「バロックダンス」として言及されることが多い。 主要な文献の中には、「ボーシャン=フイエ記譜法」() の300以上の振付の他にも、フランスのものではラウール=オージェ・フイエやピエール・ラモー()の入門書、のものではKellom Tomlinsonやジョン・ウィーバー()の入門書、のものではゴットフリート・タウベルトの入門書がある。 これらから現代の研究家やダンサーはバロックダンスのスタイルを再現することができたが、まだまだ論争は絶えない。 その中でもスタンダードな入門書とされるのはウェンディ・ヒルトンのものである。 フランスのダンス・タイプには以下のようなものがある。 カナリオまたはカナリー(Canario or Canary• (Chaconne)• (Courante)• またはフォルラーナ(Forlane or Forlana)• (Gavotte)• またはジーグ、ジーガ(Gigue or Giga)• (Loure) - スローなジグ。 (Minuet or Menuet)• (Musette)• (Passacaglia or Passacaille)• (Passepied)• (Rigaudon)• (Sarabande)• (Tambourin) イングランドはこれに自分たちのスタイル「」を加えている。 これらのダンスのタイプはでより知られていて、とくに有名なものは、の様式化されたであろう。 しかし、バッハの組曲の中のは同時代のフランスのダンス形式とは一致していない。 シアトリカルダンス [ ] フレンチ・ノーブル・スタイルは、社交の場でも、プロのダンサーたちによるや宮廷での娯楽のような劇場上演でも踊られた。 しかし、のシトリカルダンスは少なくとも2つの異なるスタイルを持っていた。 「コミック」あるいは「グロテスク」と、「セミ・シリアス」である。 他の社交ダンスのスタイル [ ] たとえばこの時代のやのダンスは、多かれ少なかれイングリッシュ・カントリーダンスかフレンチ・ノーブル・スタイルのどちらかに学んだものだった。 17世紀という時代は、後期ルネサンスダンス()に近いスタイルが広まったが、時代が進むと、メヌエットのようなフランスの(社交ダンス)が宮廷に広まっていった。 それ以上のダンス・スタイルの進化と交配はなお研究中の分野である。 現代の復元 [ ] 1960年代と70年代のバロック音楽リバイバルは、17世紀・18世紀のダンス・スタイルへの関心を生じさせた。 「ボーシャン=フイエ記譜法」に残されていた300以上のダンスがあったが、学問が真剣に記譜の解読とダンスの復元を始められることは20世紀中頃までなかった。 おそらく、現代のバロックダンス復元のパイオニアは、1950年代に数冊の歴史的ダンスの本を出したイギリスのMelusine Woodだろう。 ウッドの研究は、教え子のBelinda Quirey、それにパブロワ・カンパニーのでのメリー・スキーピング(1902年 - 1984年)に譲られた。 スキーピングは後に1960年代のロンドンの「バレエ・フォー・オール・カンパニー」のためにバロックバレエを復元したことで知られている。 歴史的ダンス研究の第2世代の指導的人物には、Quirey の教え子ウエンディ・ヒルトン(1931年 - 2002年)がいる。 ヒルトンはWoodの業績をさらに自身の研究で補った。 イギリス人のヒルトンは1969年にアメリカに渡り、1972年にはの学部に参加し、1974年にはで自身のバロックダンス・ワークショップを開設し、それは25年間以上続けられた。 1964年、フランスのダンス史家フランシーヌ・ランスロ(。 1929年 - 2003年)は歴史的なフランスのダンス様式に関する膨大な研究に着手した。 1980年、大臣の提案で、ランスロはバロックダンス・カンパニー「リ・エ・ダンスリー」を設立した。 1986年のの『アティス』(。 )の画期的上演におけるランスロの振付は、国をあげてのリュリ没後300年記念の一環だった。 この上演でとの名も上がった。 1993年頃に「リ・エ・ダンスリー」は解散したが、このカンパニー出身の振付家たちがそれぞれの仕事を続けた。 ベアトリス・マサン率いる「フェット・ギャラント」、マリー・ジュヌヴィエーヴ・マッセ率いる「L'Eventail」などがその中にいる。 1996年、フランシーヌ・ランスロのバロックダンスのカタログ・レゾネ()『La Belle Dance』が出版された。 1976年、キャサリン・トゥロシー(1952年生。 ダンス史家シャーリー・ウェインの教え子)はアン・ジャコビーとともに「ニューヨーク・バロックダンス・カンパニー」を設立し、国際的なツアーを催した。 トゥロシーは『ボレアド』()初演の振付を行った(その作品は作曲者が生きている間上演されたことがなかった)。 フランス後援の上演はラモー生誕300周年を祝うもので、指揮はだった。 トゥロシーはフランス政府からを授与され、さらに「New York BESSIE award for Sustained Achievement」も受賞した。 脚注 [ ]• Little, Meredith Ellis and Marsh, Carol G. La Danse Noble, An Inventory of Dances and Sources, Broude Brothers Ltd, 1992• Hilton, Wendy, Dance and Music of Court and Theater: Selected Writings of Wendy Hilton Pendragon Press, 1997• Little, Meredith and Jenne, Natalie. Dance and the Music of J. Bach Indiana University Press, 1991, 2001• Fairfax, Edmund. The Styles of Eighteenth-Century Ballet Scarecrow Press, 2003• Harris-Warrick, Rebecca and Brown, Bruce Alan, editors. The Grotesque Dancer on the Eighteenth Century Stage The University of Wisconsin Press, 2005• Wood, Melusine, More Historical Dances, Imperial Soc. Dancing, 1956.

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