アイヌ 民族 支援 法。 アイヌ施策推進法に抗議 道内のアイヌ民族男性:朝日新聞デジタル

アイヌ支援新法の成立が賛否両論を呼んでいる【ネット上の意見まとめ】

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アイヌ政策の概要 アイヌの人々• アイヌの人々は、日本列島北部周辺、とりわけ北海道に先住し、独自の言語、宗教や文化の独自性を有する先住民族です。 平成25年に北海道が実施したによると、北海道内の市町村が調査対象者として把握しているアイヌの人々の人数は、16,786人です。 政府のアイヌ政策• アイヌの人々の民族としての誇りが尊重され、地位の向上が図られる社会の実現を目指し、アイヌ文化の振興やアイヌの伝統等の知識の普及・啓発、アイヌの人々の生活の向上を図るための施策を推進しています。 アイヌ文化の振興と普及啓発• 平成8年4月の「ウタリ対策のあり方に関する有識者懇談会」のを受け、平成9年7月に(アイヌ文化振興法)が施行されました。 国土交通省及び文部科学省では、指定法人であるの事業を支援し、アイヌ文化の振興等の施策を推進しています。 アイヌに関する総合的かつ実践的な研究の推進• アイヌの社会や文化に関する研究・出版物の作成に対する助成 アイヌ語の振興• アイヌ語指導者の育成、アイヌ語教材の作成• アイヌ語講座、弁論大会 等 アイヌ文化の振興• テーマ毎のマニュアル等の作成、実践講座、口承文芸の視聴覚資料の作成• 文化交流活動等の助成、学校・文化団体等への文化活動アドバイザーの派遣• 伝統工芸作品の復元・展示会開催の助成、工芸作品コンテスト• 文化フェスティバルの開催、アイヌ文化賞 等 アイヌの伝統等に関する普及啓発• リーフレット、ポスター、ホームページ等による広報情報発信• 小中学生向け副読本の作成・配布• 幼児向け絵本の作成・配布• セミナー・講演会の開催 等 アイヌの伝統的生活空間(イオル)の再生• アイヌ文化活動の拠点となる空間の形成、伝承活動等に必要な自然素材の栽培• 一般の方々を対象としたアイヌ文化の体験活動 アイヌの人々の生活向上• 北海道では、昭和49年度以降、「北海道ウタリ福祉対策」や「アイヌの人たちの生活向上に関する推進方策」を実施し、アイヌの人々の社会的・経済的地位の向上を図るための施策を推進しています。 国は、この対策の円滑な推進のため、北海道が実施する「生活の安定」、「教育の充実」、「雇用の安定」、「産業の振興」などの施策を支援しています。 平成07年03月• 「ウタリ対策のあり方に関する有識者懇談会」設置• 平成08年04月• 「ウタリ対策のあり方に関する有識者懇談会」が官房長官に提出• 平成09年05月• 制定(同年7月施行)• 平成09年11月• アイヌ文化振興法の指定法人としてを指定• 平成19年09月• 国連総会において「先住民族の権利に関する国際連合宣言」採択• 平成20年06月• 衆参両院において「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」採択• 平成20年07月• 「アイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会」設置• 平成21年07月• 「アイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会」が官房長官に提出• 平成21年12月• 「アイヌ政策推進会議」(座長:官房長官)発足• 平成22年03月• 「民族共生の象徴となる空間」「北海道外アイヌの生活実態調査」両作業部会設置• 平成23年06月• 両作業部会から提出• 平成23年08月• 平成26年06月• 『アイヌ文化の復興等を促進するための「民族共生の象徴となる空間」の整備及び管理運営に関する基本方針について』• 平成29年06月• 『アイヌ文化の復興等を促進するための「民族共生の象徴となる空間」の整備及び管理運営に関する基本方針について』の一部変更• 平成31年02月• 「アイヌの人々の誇りが尊重される社会を実現するための施策の推進に関する法律案」• 令和元年05月• 「アイヌの人々の誇りが尊重される社会を実現するための施策の推進に関する法律の施行期日を定める政令」 「アイヌの人々の誇りが尊重される社会を実現するための施策の推進に関する法律施行令」• 令和元年09月• 「アイヌ施策の総合的かつ効果的な推進を図るための基本的な方針」 アイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会• 平成19年9月13日、「先住民族の権利に関する国際連合宣言」が国連総会において採択されました。 また、平成20年6月6日、「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」が衆参両院で全会一致で採択されたことを受け、同日、内閣官房長官は、次の談話を発表しました。 「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」に関する内閣官房長官談話• 本日、国会において「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」が全会一致で決定されました。 アイヌの人々に関しては、これまでも平成8年の「ウタリ対策のあり方に関する有識者懇談会」報告書等を踏まえ文化振興等に関する施策を推進してきたところですが、本日の国会決議でも述べられているように、我が国が近代化する過程において、法的には等しく国民でありながらも差別され、貧窮を余儀なくされたアイヌの人々が多数に上ったという歴史的事実について、政府として改めて、これを厳粛に受け止めたいと思います。 また政府としても、アイヌの人々が日本列島北部周辺、とりわけ北海道に先住し、独自の言語、宗教や文化の独自性を有する先住民族であるとの認識の下に、「先住民族の権利に関する国際連合宣言」における関連条項を参照しつつ、これまでのアイヌ政策をさらに推進し、総合的な施策の確立に取り組む所存であります。 このため、官邸に、有識者の意見を伺う「有識者懇談会」を設置することを検討いたします。 その中で、アイヌの人々のお話を具体的に伺いつつ、我が国の実情を踏まえながら、検討を進めて参りたいと思います。 アイヌの人々が民族としての名誉と尊厳を保持し、これを次世代へ継承していくことは、多様な価値観が共生し、活力ある社会を形成する「共生社会」を実現することに資するとの確信のもと、これからもアイヌ政策の推進に取り組む所存であります。 その後、これまでのアイヌ政策を更に推進し、総合的な施策の確立に取り組むため、内閣において、「アイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会」が開催されました。 有識者懇談会では、アイヌの方も委員として参画し、アイヌの歴史や先住民族としての意義、アイヌ政策の新たな理念及び具体的政策の在り方について総合的な検討が行われ、平成21年7月に検討結果を取りまとめました。 有識者懇談会報告では、アイヌの人々の意見を政策推進等に反映するための協議の場の設置が提言されました。 これを受け、政府では、内閣官房長官を座長とする「アイヌ政策推進会議」を開催し、アイヌ委員を含む委員14名で総合的・効果的なアイヌ政策を推進しています。 平成22年3月からは、アイヌ政策推進会議の下に、「民族共生の象徴となる空間」、「北海道外アイヌの生活実態調査」両作業部会を開催し、平成23年6月に報告書が取りまとめられました。 また、平成23年8月からは、「政策推進作業部会」を開催し、• 「民族共生の象徴となる空間」の具体化• 「北海道外アイヌの生活実態調査」を踏まえた全国的見地からの施策の展開• 国民理解を促進するための活動(戦略的広報) について検討を行い、平成24年7月、アイヌ政策推進会議に検討状況が報告されました。

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アイヌから奪われた「先住民の権利」とは何か

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縄文人と古代アイヌ 岡井盛夫 縄文人と古代アイヌ プロローグ 1 つい最近まで、縄文土器は存在しても縄文人の生活を想像することはできなかった。 つまり、縄文時代(BC.5500〜BC.3OO)は,年表の上ではほとんど空白の期間であった。 三内丸山遺跡の発掘(1994年)は、日本古代史にとどまらず世界史にも及ぶ、ビック・ニュースであった。 2 アイヌとは、善良な性質と行為を代表するアイヌ(アイヌ・ネノ・アン・アイヌ)を意味している。 現在、アイヌ語を日常語とし狩猟生活をする人達はいないが、アイヌを自称しアイヌ民族と呼ばれることに誇りを持っている人達がいる。 3 縄文人もアイヌも日本列島の先住民 原日本人 であった。 しかし学説によれば、彼らは現代日本人の祖先であるとは言えない。 4 縄文人もアイヌも、弥生人も現代日本人も、モンゴロイドを同一のルーツとしている。 しかし、モンゴロイドは人種として地球人口の約60%を占めている。 その生活領域は、アジア・南北アメリカ大陸・太平洋諸島の広範囲に及んでいる。 その上、それぞれ異なった移動の時代、風土との関わり、混血の仕方などがあって、多種多様の人種に分布し進化している。 5 縄文人の生活の跡は、三内丸山遺跡の他にも日本列島の各地で発見されている。 アイヌの生活の遺跡は形として発見され難いが、彼らの生活領域は、北海道、サハリン、千島、カムチャッカ半島南部であった。 一部は、本州北端にも足跡を残している。 第二次世界大戦後、北海道だけが唯一のアイヌの居住地になっている。 6 縄文人と古代のアイヌは、同じ古代を別々に特徴的に生活した。 前者は主として集団・定住生活、後者は狩猟・漁猟・移動生活であった。 生活様式は違っても、体質・体型的には、両者は似ていたのではないだろうか。 7 個人的なイメージかもしれないが、縄文人の生活は見えてもその人物像は見えてこない。 それに反してアイヌには遺跡は少くないが、その人物像は何やら見えてくる。 おそらくそれは、アイヌの生活が古代から今世紀まで引き継がれてきたことに関係する。 彼らは基本的に伝統を守りつづけて、その人物像や原始的な生活様式が映像記録や画像として残されているからだろうか。 平安中期において,蝦夷(えぞ)と呼ばれるようになった。 1. 縄文人は、主に定住生活であった 1 三内丸山は巨大集落の遺跡であった。 縄文人は主に定住生活をした。 共同生活(専業・分業)、上下身分関係、優れた技術(クリの巨木の建築・漆やヒスイの加工)などがあった。 2 ヒョウタン・マメ・ゴボウ・ニゴマ・アサ・クリなどの栽培、魚介類の採取、野性のヒエの痕跡から、縄文人の食生活の概要が分かっている。 3 ヒスイ(新潟)・コハク(岩手)・アスファルト(秋田)・黒曜石(北海道)の発掘は、三内丸山を中心とした交流・交易範囲を証明している。 4 櫓、墓、盛土、土偶・装身具などの存在は、縄文人の生活様式だけでなく、彼らの精神性の一部をうかがわせている。 土器、漆器、骨、歯類からは、縄文人の生活レベルが推測されている。 (テキスト:『三内丸山の世界』(岡田康博・小山修三編)) 2. 古代アイヌの生活 1 アイヌは主に狩猟の民であった。 アイヌの生活を遺跡によって裏付けることは困難である。 その情報量は極めて乏しい。 その最大の理由は、彼らが狩猟の民であったことに関係している。 しかし同時に、彼らが狩猟の民であったからこそ、彼らの「心」を推し量る手掛かりが残されている。 ところで、日本の北方四島の帰属について「固有の領土」という言い方がある。 領土とは、一国の統治権の及ぶ範囲の地域をいう。 近世アイヌの歴史は、その集団的な生活圏を幕府や国の都合で一方的に決められてきた。 しかしもともと、アイヌの生活領域は狩猟生活を中心に移動していたから、「和人」のような土地所有意識を持たなかった。 彼らの間に基本的に、土地や獲物の争いごとはなかった。 森や川は<恵みの>神そのものであった。 生きてゆくための動物捕獲であったから乱獲はなかった。 アイヌが遺跡を残していないことには、もう一つの理由があった。 彼らには、使い古した食器や道具を神の国に帰すという風習があった。 それ故に遺品が極端に少ない。 (2)アイヌの遺跡は乏しくても、少なからず足跡を残している。 北海道の地名のほとんどにアイヌ語の痕跡が残されている。 彼らの生活は川に依存していた。 川にはサケやマスがいた。 川はまた交通路でもあった。 (3)縄文人とアイヌとの交流はわずかではあるが、その交流をうかがい知ることができる。 北海道各地からも多くの縄文土器が出土していること、古墳から、アイヌの木器が発見されることがある。 縄文人とアイヌは少なからず接触していた。 (4)ニマというアイヌ独特の木器(シラカバの皮の碗)は、その単純素朴さ故に発生の古さが類推されている。 古代のアイヌ社会は豊富な肉(クマ・シカ)と魚に恵まれていた。 時代は定かではないが、ヒエやアワの粥も食べていた。 食器は30種類、木器が中心で日本本土から漆器や鉄鍋が持ち込まれている。 (テキスト:国民百科事典) 3. アイヌ民族に関する文献 アイヌ民族に関する文献は、少なくない。 例えば古代については、宋書、日本書紀などである。 但し、蝦夷の定義あるいは、蝦夷とアイヌの区別は必ずしも明瞭ではないから、アイヌ民族を特定することが困難。 中略 4. 近世アイヌの概史 近世の「和人」はアイヌ民族を虐待した。 その後更に、明治政府の開拓政策及び同化政策によって、彼らの固有の習慣や文化の多くが失われた。 明治政府の開拓政策も同化政策も、そして日本政府の国土開発も、アイヌの生活域と伝統文化の放棄を強要した。 例えば森林伐採権・狩猟権の否定(1897年・国有未開地処分法)は、アイヌにとっては死活問題であった。 平成9年、アイヌ文化の振興並びにアイヌの伝統等に関する知識の普及及び啓発に関する法律」 アイヌ文化振興法 が成立しだ。 この法律の欠陥は、肝心のアイヌ民族の先住性の位置づけが盛り込まれていないことであったが、北海道旧土人保護法(1899年)を廃止しての新法であって、先住性の歴史的事実、北海道ウタリ福祉対策への支援の充実などは画期的なことであった。 但し、遅きに失したものであった。 なぜなら、それまでの「和人」支配によって、アイヌの外堀(生活圏)は埋め尽くされていた。 少数民族が文明社会に抗して生き残ることは難しい。 特に、旧土人保護法の目的がアイヌ民族の「保護」であっっても、「土人」とは人道的に時代錯誤であった。 その法律の今世紀末までの存続こそ、少数民族に対する空白の歴史(差別・無策・傍観)を暴露している。 国のレベルの伝統や文化の尊重は、遺跡や遺物が「認定」されたり博物館に陳列されることではない。 それまでの努力と経過と実績が評価される。 もう一点、わが国の先住民に対する基本的な認識は先進国並みではない。 我々の常識は、文明(経済・先進技術)だけを優先している。 (テキスト:『アイヌ民族の歴史と文化』田端宏・桑原真人監修) 5. 日本人のルーツの分析 ところで、江戸時代の「和人」を逆上ると「倭人」になる。 倭人は弥生時代から、対外的にもそう呼ばれている。 そのことと関連して、日本人のルーツについて、二つの対立した学説がある。 その一つ(A説)は、現在日本人は縄文人(南アジア系モンゴロイド)と弥生人(北方系モンゴロイド)の混血である、という。 もう一つ(B説)は、「日本民族の出発点は弥生人」だという。 後者は、稲作をする人の移住・人骨の外形的分析結果・日本語の特徴などを列挙している。 更に「縄文文明は忽然と消えた。 その原因は、気候変動・民族大移動・食料難・疫病の可能性」がある、と発表している。 (テキスト:『堂々日本史』(NHK・取材班)・『三内丸山の世界』(岡田康博・小山修三編)) 上記A説は、従来の考古学や人類学を踏襲している、ところが、1990年代に入って、歴史研究は遺伝子学・生物学(HLA・ヒト白血球抗原分析)などを無視しては論じ得なくなっている。 いわゆるハイ・テクノロジーの人類追跡は、いずれもB説を裏付けている。 (テキスト:『モンゴロイドの道』科学朝日編) 弥生人の先住民として縄文人があった。 その縄文人と接してアイヌも同様に先住民があった。 その上で上記ハイテク科学は、アイヌと縄文人は同じ血族であった 彼らは極めて近い関係にあった と報告している。 更にその科学的データーは、縄文人、弥生人、現代日本人の血族関係を明らかにしている。 つまり、AグループとBグループとの間には、決定的な差異が認められている。 具体的には、ミトコンドリアDNAから推定されている。 標本として古人頭蓋骨や歯が研究対象であった。 但し、縄文人と近世アイヌとのデーターには、約2000年のギャップがある。 白血球抗原 (Human Leucocyte Antigen =HLA)などのキャリア追跡も研究成果であった。 2 「日本人の祖先集団(モンゴロイド)は、少なくも三つないし四つあり、それぞれ異なったルートから日本列島に渡ってきた」と言われている。 アイヌと縄文人の祖先は、同一ルートは辿ってはいないが、遺伝子やHLAの関係では極めて近い関係にあった。 (テキスト:『モンゴロイドの道』科学朝日編) エピローグ 1 日本列島の先住民 縄文人もアイヌも、まぎれもなく日本列島の先住民であった。 但し、縄文人と弥生人の更なる先のルーツ(大陸での人類的系統)は明らかでない。 日本列島での縄文人とアイヌの先住性と民族性は、正しく認識されているとは言えない。 なかでもアイヌは少なくとも現存しているから、彼らの民族としての帰属意識、誇り、尊厳、更に伝統文化の意味などが、現在日本人に厳しく問われている。 彼らに文字がなくても、アイヌの「心」は上記口承によって確かに伝えられている。 神は自然そのものであった。 しかも、神とアイヌとは対等であった。 アイヌは、伝承の物語から生活上の知恵を受け継いだ。 人間と人間がお互いを助け合うこと。 自然を愛すること。 生き物をむやみに殺してならないこと、などを伝統的に学び取りかつ実践した。 関連法の整備、財政的な支援などが進んでいる。 それは世界の良識が、20世紀末の急激な文明化(経済発展・ハイテク)とその代償の大きさ(損失の貴重さ)を直視しているからに他ならない。 失ったものは取り返しがつかないが、それにしても、海や山、森や川や湖、そこに生息する生態系などの地球環境の犠牲は大きい。 自然の損失は良心の損失を伴い、人心は荒廃する。 だから尚更、先住民の心と彼らが守りつづけた生活の知恵の意味が、殊更クローズ・アップされているのかる知れない。 (2000年9月).

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アイヌの歴史とは?民族と差別の実態をわかりやすく解説【年表付き】

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アイヌがアイヌとして生きていける社会へ TOKYO人権 第63号(平成26年8月29日発行) 特集 ここから本文です アイヌがアイヌとして生きていける社会へ 独自の言語や文化をもつ日本の先住民族アイヌ。 首都圏に北海道に次ぐ数のアイヌの人々が暮らしていることはほとんど知られていません。 そこで、現在、内閣府に設置された「アイヌ政策推進会議」において議論が進む新たなアイヌ政策について紹介します。 アイヌ民族のたどった歴史 アイヌ民族は北海道及び樺太・千島・本州北端に先住し、固有の文化を発展させてきました。 しかし明治時代になると、蝦夷地と呼ばれていた島は「北海道」と改称され、開拓が本格化し、大勢の和人(注)が本州から移り住みました。 政府はアイヌ語や生活習慣を禁止し、伝統的に利用してきた土地を取り上げ、サケ漁や鹿猟も禁止しました。 こうした和人社会への同化政策の結果、アイヌの人々は貧窮を余儀なくされました。 1899(明治32)年に制定された「北海道旧土人保護法」(以下:旧土人保護法)は、アイヌに土地を与えて農民化を促し、「日本的」教育を行うことでそうした窮状から抜け出させようというものでした。 しかし生活文化を否定し、和人の開拓民に比べて圧倒的に狭く、農耕に適さない土地を与えるなど、アイヌの人たちの立場に立った法制度ではありませんでした。 1984(昭和59)年、アイヌの人々は、先住民族としての権利回復を求める「アイヌ民族に関する法律」案を作りました。 この時期、国際的にも先住民族の権利をめぐる議論が本格化していました。 東京で大規模なデモ行進を行うなど、政府や国会に働きかけた結果、1998(平成9)年に「アイヌ文化の振興並びにアイヌの伝統等に関する知識の普及及び啓発に関する法律」(以下:文化振興法)が成立し、「旧土人保護法」はようやく廃止されました。 なぜ今、新たなアイヌ施策が求められているのか アイヌ政策推進作業部会メンバー 札幌大学教授 本田優子さん 2008(平成19)年、国会において「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」が全会一致で採択されました。 日本政府が公式にアイヌ民族を先住民族と認めたこの決議を契機として、内閣官房長官を座長とする「アイヌ政策推進会議」が発足しました。 この会議を通じて国立のアイヌ文化博物館(仮称)を2020年の東京オリンピックに合わせて建設することが閣議決定されました。 しかしなぜ今、新たな施策が検討されているのでしょうか。 同会議の作業部会メンバーで札幌大学教授の本田優子(ほんだゆうこ)さんはその理由を次のように言います。 「文化振興法は国がアイヌ文化の振興に責任をもつという意味では評価できます。 しかしそれだけでは不十分なのです」。 2007(平成18)年、国連総会において採択された「先住民族の権利に関する国際連合宣言」は、奪われた土地・資源の回復、政治の場で意見を言うことなどの基準を示していますが、文化振興法は、文化の面を取り上げたものであり、アイヌの人々が求める先住民族政策にどのように近づけていけるかが課題だと言えそうです。 首都圏にも多くのアイヌの人々が暮らしている 北海道に住むアイヌの人口は2013(平成25)年の調査によれば6,880世帯、16,786人です。 しかしアイヌの人々は北海道にだけ暮らしているのではありません。 1989(昭和64)年の東京都の調査によれば、都内には2,700人が暮らしており、首都圏全体では5,000人程度とみられています。 これらの調査は自己申告であったため、もっと多い可能性があります。 (本田さん) アイヌ政策推進会議メンバー 関東ウタリ会会長 丸子美記子さん 北海道外に暮らすアイヌとして政策推進会議のメンバーを務める、関東ウタリ会会長の丸子美記子(まるこみきこ)さんは、北海道美幌町で両親が共にアイヌである家系に生まれました。 子どもが差別の対象にならないようにと母親はアイヌ語や民族文化を教えることはなかったと言います。 道外に出ればアイヌ差別はないと、家出同然で上京。 そして和人の男性と結婚して家庭を持ちました。 しかし「本州の人はアイヌのことをまったく知りませんから、私を見て外国人だと思うのです。 日本国籍をもち、日本語で育ち、納税もしているのに、日本人として扱われない」(丸子さん)。 そんな現実に東京で直面したのです。 道内と道外で差別する国のアイヌ政策 首都圏に暮らすアイヌの人々が求めていることの一つに「道内と道外の不平等の解消」があります。 しかし、「アイヌにとって生活館は活動の拠点として大切な場所ですが道外にはありません。 住宅資金貸付も進学資金も道外に暮らす私たちは全く受けられないのです」(丸子さん)。 なぜなら北海道と国が予算支出するこの対策の対象は、北海道に暮らすアイヌに限定されてきたからです。 「すべての国民は法の下に平等であるはずなのに、アイヌに対する施策は道内と道外を差別しているのです」。 (丸子さん) 推進会議で実施した道外アイヌの実態調査によれば、年収や生活保護受給率は一般に比べ高率で、大学への進学率は低く、経済的理由による進学断念や中退が多いことが明らかになりました。 これは道内のアイヌのおかれた状況と同じだと言います。 こうした結果を踏まえて、国は道外アイヌに対する相談事業をはじめとした新たな施策を始めています。 「でもね、私はアイヌに生まれたことは誇りです。 かわいそうと思う前に、アイヌのおかれた現状の理不尽さを理解してほしいのです。 和人の理解と協力がなければ、現状は変えられないのですから。 日本人に同化することが幸せなことだといわれ、土地も文化も言語も奪われ、アイヌは端に追いやられた。 残ったのは無知で野蛮な民族という差別だけ。 アイヌは日本の近代化の犠牲者です。 国はアイヌが失った権利を回復する責任があるのです。 アイヌを先住民族と認めたのに、国はアイヌのことを教えようとしないし、日本人は知ろうとしないのです」。 (丸子さん) 「アイヌは縄文人にルーツを持つことや、大陸や本州と活発に交易をしてきた側面は知られていません。 「自分はアイヌを差別をしていないと言う人がいます。 しかし、私たちは日本語を母語として当たり前のように話すことができるのに、アイヌの人たちはそれができない状況が続いている。 享受している権利が全く違うのです。 私たちはこの〈無自覚の特権〉に気づかないといけません。 差別をなくすことは当たり前です。 そのうえで、アイヌがアイヌとして生きていける状況を日本社会は保障する責任があるのです」。 (注)和人:アイヌ以外の日本人のこと インタビュー/林 勝一(東京都人権啓発センター 専門員) 編集/脇田 真也 アイヌの方々のための相談事業 (公財)人権教育啓発推進センター 全国のアイヌの方々のための相談 電話のほか、来訪によるご相談も可能です。 詳しくはこちらをご覧ください。 東京都人権プラザ 人権相談 アイヌの人々「電話」及び「面談」でお受けしています。 詳しくはこちらをご覧ください。 東京都人権プラザ展示室 企画展 宇井眞紀子写真展 アイヌときどき日本人 TOKYO 1992-2014 会期: 2014年8月1日(金)から11月28日(金)まで 詳しくはこちらをご覧ください。

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