馬と鹿 歌詞 意味。 米津玄師「馬と鹿」の歌詞の意味は??ドラマ「ノーサイド・ゲーム」のタイアップ曲

【馬と鹿】米津玄師の新たな神曲&真骨頂!歌詞の意味を真剣考察

馬と鹿 歌詞 意味

MVでは、赤い服装を身に纏った米津さんが千鳥足で歩き、妖艶に踊る姿が収録されています。 「Flamingo」というタイトル名だけあって フラミンゴを意識しているのでしょう。 2:00以降の振り付けなんて まさにそうですよね。 そして、同じ景色をループするMV。 曲感としては、随所に見える言葉遊び感、韻、それに合わせた狂言や演歌みたいな歌い方が特徴的に感じます。 ループするMV• 狂言や演歌のような、 日本の歴史、伝統を彷彿させる歌い方 ここは、下記に述べていく歌詞解釈でも 重要なポイントとなってくるので、 是非、抑えて頂きたいです。 聴いてて癖になるフレーズは 「歌詞のサビ以外はイ段で終わる」 という統一感からきているのでしょうか。 本当に聴けば聴くほど中毒されていきます。 それでは、本題の歌詞に迫っていきます。 歌詞 宵闇に 爪弾き 悲しみに雨曝し 花曇り 枯れた街 にべもなし 佗びしげに鼻垂らし へらへらり 笑えないこのチンケな泥仕合 唐紅の髪飾り あらましき恋敵 触りたいベルベットのまなじりに 薄ら寒い笑みに あなたフラミンゴ 鮮やかなフラミンゴ 踊るまま ふらふら笑ってもう帰らない 寂しさと嫉妬ばっか残して 毎度あり 次はもっと大事にして 御目通り 有難し 闇雲に舞い上がり 上滑り 虚仮威し 口遊み 狼狽に軽はずみ 阿呆晒し 愛おしいその声だけ聴いていたい 半端に稼いだ泡銭 タカリ出す昼鳶 下らないこのステージで光るのは あなただけでもいい それはフラミンゴ 恐ろしやフラミンゴ はにかんだ ふわふわ浮かんでもうさいなら そりゃないね もっとちゃんと話そうぜ 畜生め 吐いた唾も飲まないで 氷雨に打たれて鼻垂らし あたしは右手にねこじゃらし 今日日この程度じゃ騙せない 間で彷徨う常しえに 地獄の閻魔に申し入り あの子を見受けておくんなまし 酔いどれ張り子の物語 やったれ死ぬまで猿芝居 あなたフラミンゴ 鮮やかなフラミンゴ 踊るまま ふらふら笑ってもう帰らない 寂しさと嫉妬ばっか残して 毎度あり 次はもっと大事にして スポンサーリンク 歌詞の意味・解釈 前提として ここの解釈では、本楽曲の背景は 「花魁」と「客」の話である と仮定して進めていきます。 花魁 おいらん とは、遊廓の遊女で位の高い者のことを言います。 ちなみに、 遊郭というのは大雑把に言えば、 江戸時代の風俗といったところです。 なぜそのような解釈になるのか、 歌詞を細かく考察して、述べていきます。 1番 宵闇に 爪弾き 悲しみに雨曝し 花曇り 枯れた街 にべもなし 佗びしげに鼻垂らし へらへらり 宵闇とは 月の出が遅くなる、 陰暦16日ごろから20日ごろまでの、宵の暗さ。 を指します。 つまり、この物語の時節は 「秋の夕暮れ」 爪弾きとは 人さし指や中指を親指の腹に当て、 強くはじく動作のことで、嫌悪・軽蔑・非難などの気持ちを表すしぐさ。 主人公の心情は、 鬱を纏っていることがわかります。 花曇りとは、春にサクラの咲くころの曇天。 という本来の意味ですが、 上で述べたように花魁との関係を歌っているのだとすれば、その花魁との関係が上手くいっていない。 もしくは、花魁のせいで気持ちに雲がかかっているという解釈ができます。 にべもないとは、愛想がないこと。 侘しいとは、 ひどくもの静かで寂しいということ。 遊女のサービス時間を終えた後の 主人公 客 の心模様を表しています。 空っぽになった心で 帰り道を歩いていく描写が連想されます。 笑えないこのチンケな泥仕合 唐紅の髪飾り あらましき恋敵 触りたいベルベットのまなじりに 薄ら寒い笑みに 唐紅の髪飾り あらましき恋敵 相手は遊女であるために、 当然他にも馴染みの客がいます。 自分以外の男性からの贈り物の 簪 かんざし 唐紅の髪飾り を 身につけていたのでしょう。 江戸時代でいう、 簪を贈る行為は 「あなたの髪を乱したい」 という男性の独占欲を表す意味を持つよう。 他の客達も、自分と同じように 花魁に気に入られるべく、贈り物をしている。 その不毛な争いのことを、 笑えないこのチンケな泥試合 他の客たちのことを、 あらましき恋敵 と言っているのかも知れません。 ベルベットとは、なめらかなということ。 眥 まなじり とは、目尻のこと。 気品あるあなたに触れたい という、欲望が描かれています。 サビ1 あなたフラミンゴ 鮮やかなフラミンゴ 踊るまま ふらふら笑ってもう帰らない 寂しさと嫉妬ばっか残して 毎度あり 次はもっと大事にして• 赤い着物を身に纏うあなた 花魁• 唐紅の簪が鮮明に記憶に残った• 色んな人 客 を相手する ふらふらしている あなた• 気品あって美しいあなた それらの意味を統一して あなたはフラミンゴ と、言っているのかも知れません。 寂しさと嫉妬ばっか残して毎度あり 別れの時の寂しさ。 他の客もいるから嫉妬。 お金を払うから毎度あり。 そんな、憂鬱だけが残りながらも 次はもっと と、何回も繰り返す 会いに行く のです。 そのさまが、 ループするMV と相関しているのではないでしょうか。 続いて、2番に移ります。 2番 御目通り 有難し 闇雲に舞い上がり 上滑り 虚仮威し 口遊み 狼狽に軽はずみ 阿呆晒し 御目通りとは、貴人にお目にかかること。 花魁のあなたを前にして、喜びの気持ちを隠せない。 しかし、高揚するあまり空回り。 虚仮威しとは、見栄を張ること。 軽はずみとは、 よく考えないで調子に乗って物事をすること。 自分を大きく見せようと、見え透いた嘘を並べては、ボロが出てしまい、結局はアホをさらす結果となってしまう。 愛おしいその声だけ聴いていたい 半端に稼いだ泡銭 タカリ出す昼鳶 下らないこのステージで光るのは あなただけでもいい 泡銭とは、正当でない方法で手に入れたお金は身につかず、泡のように消えてしまうということ。 無理にでも集めたお金。 それをすべて花魁に溶かしていきます。 昼とんびとは、 昼間、人家にしのび入り金品をぬすむ者を表す。 もしかすると、 花魁に会うためのお金は、 盗みから得ていたのかも知れません。 主人公の邪な部分が見えると同時に、 あなた 花魁 にすべてを捧げているさまが分かります。 こちらの考察のおかげで、ぼんやりとしていた情景がより鮮やかになりました。 ありがとうございます。 他にもFlamingoの考察を読みましたが、私としてはこちらの考察が一番しっくりきました。 一点、読ませていただきつつ感じたことがあるのですが、 宵闇に 爪弾き 悲しみに雨曝し 花曇り 枯れた街 にべもなし この部分は、当時、好みの花魁の馴染みになるには最低でも3回は通う必要があって、その都度たくさんのご祝儀が必要だったというような話から、 秋の夕暮れには爪弾きにされた (梅雨又は夏)の雨に晒され悲しみ 花曇りの頃も冬枯れの街も にべもない という感じで、想いを抱えている期間が非常に長い事を表現しているのではないかと感じました。 以上、乱筆乱文のほど、ご容赦願います。 今後も読みごたえのある記事を楽しみにしております。

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米津玄師の『馬と鹿』の歌詞の内容とその魅力とは

馬と鹿 歌詞 意味

今回も彼のインタビューを参考にしていきます。 彼はこの曲を作っている時に「馬鹿みたいな曲」と思ったからこのタイトルをつけたそう。 ここでの「馬鹿」は「 馬鹿になって何かに夢中になる」という意味に近いと思います。 「海の幽霊」でずっと好きだったアニメの主題歌を務め夢を叶えた彼は燃え尽き症候群になったと言います。 そこで彼は「 我を忘れる」ということを大切にしました。 これはラグビーのドラマ『ノーサイドゲーム』の主題歌であったので、スポーツについて描かれています。 私はこの歌は 『 スポーツの美しさ』 を描いているのではないかと思いました。 「春」と聞くと花が咲いて美しいイメージですが、ここでは 辛い時期の象徴として描かれています。 どれだけ傷ついても「麻酔を打って」 痛みから逃げようとせず、受け止めます。 「 生き足りない」 その渇きが前へと進む原動力になっています。 むしろ逆で、 普段は地味で単調にも思えるような練習の積み重ねがほとんど。 喜びは一瞬です。 もう「噛み終えた」と捨ててしまわずに、その単調できつい練習に耐えながらまだ続けます。 ひとつひとつ要らない物を無くしてようやく残ったものは何なのか? それが次で明らかになります。 チームを「 花」に例えています。 蕾である期間のほうが長いかもしれませんが、 その努力が実った時何よりも美しいものとなります。 そしてそれは呼吸が止まるほど嬉しく輝かしい瞬間です。 まさに スポーツの「美しさ」を表しています。 チームを愛しているからこその場合もあるかもしれません。 チームを愛しているからこそ、自分の心に抱えている 辛さ を吐き出せない。 それなのに八つ当たりしてしまう。 これは「気付いてほしい」というSOSサインなのかもしれません。 1番では人間の「力強さ」を描いていますが、2番では 人間の「弱さ」も描いています。 夜露は 先が見えない暗い中流した涙の例えではないでしょうか? 「もうダメかもしれない」 冷静になれずそんなことを思っている時、支えてくれるのはいつもチームの言葉でした。 チームを守ることだけでよかったと。 大きな「夢」。 絶対に叶えよう。 そう心に強く誓います。 これは スポーツでの「勲章」とも言えるのではないでしょうか? まだ「花」は咲いていません。 それでも、 希望が見えなくてもひたすら前に進んでいこう。 苦しみを乗り越えてさらに強く羽ばたこうとする選手の強さが描かれています。 その 「止まない」夢が選手をさらに上、さらに上へと突き動かしていきます。

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米津玄師「馬と鹿」「君と僕」

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元はハチというボカロPとして活動していましたが、その後本名の「米津玄師」として活動するようになります。 今回紹介するのは米津玄師さんの「馬と鹿」という曲です。 このタイトルに込められた意味と歌詞の意味、またMVにはどういった意味があるのかを考察していきます。 米津玄師「馬と鹿」ってどんな曲?? 本気の勝負に、手に汗握り、胸熱くなりました!! — REISSUE RECORDS reissuerecords 「馬と鹿」は米津玄師さんが2019年9月11日に発表した楽曲です。 タイトルの意味は動物の馬と鹿の文字を組み合わせると「馬鹿」という言葉になります。 馬鹿には「 愚かなこと、利口でない、社会の常識に欠けている」という意味があります。 そしてそれぞれの文字にも注目してみます。 「馬」は昔移動の手段であり、馬は高貴な人たちが使っていました。 「鹿」は仏教の中で「ハーモニー、幸福、平和」という意味があります。 TBS日曜劇場「ノーサイドゲーム」の主題歌を担当させて頂きました。 「馬と鹿」という曲です。 大泉洋さん演じる君嶋が、逆境の中をひとつひとつ進んでいく様をどうにか音楽にできないかと探っていった末にこの曲ができました。 素敵なドラマとご一緒できて嬉しいです。 どうかよろしくお願いします。 君嶋は出世レースの先頭に立ち幹部候補とまで言われていたが、上司が主導する企業買収に異を唱えた結果、左遷人事で府中工場に総務部長として赴任することに。 意に染まない異動だが、これもサラリーマンの宿命。 やるせない思いで赴任先の工場に赴いたところ、トキワ自動車ラグビーチーム「アストロズ」のゼネラルマネージャーを兼務するよう命じられる。 かつては強豪チームだったアストロズだが、いまは成績不振にあえいでいた。 こうして知識も経験もない君嶋にチーム再建という重荷が課せられた。 低迷するラグビー部と出世の道を絶たれた君嶋の、再起をかけた戦いが始まる。 となっています。 タイトルの説明でもしましたが、「馬」の出世コースまっしぐらの時期もありましたが、左遷されてからは出世コースから外れてしまい、無理難題を突きつけられてしまいます。 出世をするためには周りを蹴落とさないといけないのですが、弱小ラグビーチームを強くするためには周りとの意思の疎通など様々な協調が必要になってきます。 チームが一丸となることから「鹿」の幸福や安寧の大切さを知っていくこととなります。 ドラマ「ノーサイドゲーム」の最終回では米津玄師さんの「馬と鹿」のジャケットイラストが登場したことでも話題となりました。 米津玄師「馬と鹿」のMVは何を意味するのか?? このMVで印象に残ったのは創作ダンスと振り子のように揺れる炎です。 創作ダンスは内に秘めたる感情をダンスとして表すものですが、この曲の中では一人一人が寄り添っていくことの大事さと、それぞれが何かと戦って傷つきながらも立ち上がる力強さを感じました。 儀式的な感じもする聖杯や振り子のように揺れる炎は、自分は他の誰でもない自分自身ということや、誰かに依存してしまっている人間の2面性を表現しているのかもしれません。 そして、その中心にいる米津玄師さんは「苦悩や葛藤にもがきながらも歩き進んでいく」という周りの人たちから解き放たれた唯一無二の象徴なのでしょう。 米津玄師「馬と鹿」の歌詞の意味は?? それでは米津玄師さんの「馬と鹿」の歌詞の意味を、 ドラマ「ノーサイドゲーム」視点で意味を考察していきたいと思います。 歪んで傷だらけの春 麻酔も打たずに歩いた 体の奥底で響く 生き足りないと強く 春といえば出会いの季節でもあり、何かが始まる季節ですが、この物語の主人公にとってはそうじゃないようです。 心に傷を負っていて逆境の中にいることがわかります。 麻酔とは本来痛みを和らげるものとして使われますが、あえて使わないことでその痛みに対して逃げないということを表現しているのだと受け取りました。 痛みを感じることで体のそこからもっと生きていたいと感じるためなのかもしれません。 ドラマがラグビーの内容ということで選手のことで当てはめてみると、「逆境の中にいても自分たちの努力が報われる」ということで勝利に対して強い執念を感じます。 また味わうさ 噛み終えたガムの味 冷めきれないままの心で ひとつひとつなくした果てに ようやく残ったもの 味がないガムは普通の人であれば吐き出してしまいますよね。 噛み終えたガムは挫折のことの比喩表現であり、主人公にとって大事なものでもあります。 挫折を乗り越えた先に待っているのは自分が今までした努力の証です。 諦めきれない=冷めきれないままの心 ドラマの中ではラグビーが選手一人一人にとって大事なものであり、大泉洋さん演じる監督にとっては今までの人生とは一転、左遷されてしまったことで一から作り上げていくといったもののこと。 そこから生まれた絆というのが何度も挫折した後に残った大事なものではないでしょうか。 これが愛じゃなければなんと呼ぶのか 僕は知らなかった 呼べよ 花の名前をただ一つだけ 張り裂けるくらいに 鼻先が触れる 呼吸が止まる 痛みは消えないままでいい ドラマではラグビーチームのアストロズの再建を目的としています。 選手や監督一人一人が何かしらの犠牲を払ってまでやり続けたいと思った気持ちは『愛』そのものです。 花の名前はただ一つだけという言葉から、誰一人同じ人はいない。 それぞれに良さがあって他に代わりはいないという表現。 『鼻先が触れる 呼吸が止まる』は選手たちがスクラムを組んでいる状態です。 ラグビー日本代表のシンボルとなる桜の花もこの部分の歌詞とかけているのかもしれません。 日本を背負って勝利を掴み取るという強い意思も感じ取ることができます。 疲れたその目で何を言う 傷跡隠して歩いた そのくせ影をばら撒いた 気づいて欲しかった 満身創痍の主人公は誰にも自分の気持ちを伝えることができませんでした。 自分と同じような気持ちを知ってほしいということを「影をばらまいた」という表現で表していますが、決して前向きな気持ちではなく、やらなければいけないという使命感にかられた精神状態が伺えます。 周りからの後押しを待っているのかもしれません。 まだ歩けるか 噛み締めた砂の味 夜露で濡れた芝生の上 はやる胸に 尋ねる言葉 終わるにはまだ早いだろう 倒れ挫折を味わったとしても同じような気持ちの仲間と出会うことで、 「まだやれる!倒れるにはまだ早い!」と自分自身を鼓舞しています。 自分一人であれば限界を迎えてやめてしまっているかもしれませんが、仲間同士で支え合うことで限界を越えることができているのかもしれません。 誰も悲しまぬように微笑むことが 上手くできなかった 一つ ただ一つでいい 守れるだけで それでよかったのに あまりにくだらない 願いが消えない 誰にも奪えない魂 みんなが幸せならそれが一番いいですよね。 周りに合わせれば自分が嫌だと思っていても丸く収まることは多々あります。 今までは自分にとって大事な気持ちを守れればそれで良かったのに、 今では 自分を押し殺してまでその気持ちにはなれなくて、 お互いに高めあいたいという気持ちが強くなってしまった。 このみんなで勝利を勝ち取りたいという執念の願いを果たしたいという誰にも負けない気持ちが、 「誰にも奪えない魂」として出てきているのでしょう。 何に例えよう 君と僕を 踵に残る似た傷を 晴れ間を結えばまだ続く 行こう花も咲かないうちに ここで出てくる「君」とはラグビーのことでもありチームメイトのことでもあると思います。 練習で同じ傷を作ってきたかけがえのない仲間と共に、 未来のことがわからなくてもチームメイトと一緒に大好きなラグビーをやりたいと心からの願いだと思います。 米津玄師「馬と鹿」の歌詞の意味は??ドラマ「ノーサイド・ゲーム」のタイアップ曲 まとめ いかがだったでしょうか?? 米津玄師さんの「馬と鹿」の歌詞の意味とドラマ「ノーサイドゲーム」などについてお伝えしていきました。 米津玄師さんの逆境と戦う意思の強さが歌詞にもあらわれていました。 いつも米津玄師さんの世界観には驚かされます。 もし自分にも同じように逆境に立ち向かわないといけない時はこの歌詞をみて勇気付けられることがあるかもしれませんね。

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