やまゆり 園 植松。 「植松被告」に死刑判決でも事件が不可解な理由

植松被告、やまゆり園障害者19人殺害を「正義」だと確信…強烈な欲求不満と他責的傾向

やまゆり 園 植松

やまゆり園で障害者19人が殺害された相模原障害者施設殺傷事件の犯人の植松聖さんの主張が正論だと話題になっています。 神奈川県の障害者施設「やまゆり園」で、19名が殺害された大量殺人事件の植松聖容疑者をヒーロー視する声が後を絶たない。 神奈川県警には「いつ植松に面会できますか?」という問い合わせが重なっており、その中に「労いの言葉をかけたい」とか「応援してるので、差し入れしたい」といったことを述べる者がいたというのだ。 事件は、就寝中の重度障害者を次々に刺し殺すという残忍極まりない犯行だが、ネット上でも植松容疑者をたたえる声は見られた。 では「よくやった」などと信じがたいつぶやきが続出、「遺族は自分で面倒見きれないから、金を払って施設に押し付けてたんだろ。 殺してくれた植松に感謝すべき」「人に危害を加える重度障害者に、人権なんて与えなくていい。 犯人はよくやったと思う」「植松はぶっちゃけ、障害者という税金食い潰すだけのやつらを殺処分した英雄」と、目も覆いたくなる発言があった。 このあたりは匿名をいいことに無責任に書く幼稚な言動とも思えるが、植松容疑者は事件前、心身障害者20万人を殺害したとされるの思想に共感すると発言していたことが伝えられており、これが同様に短絡的な思考の持ち主の共感を呼んでしまったのだろうか? ただ、中には「による犯罪被害者」で、心情の深い部分で植松容疑者を支持してしまう人もいる。 数年前、重度のに顔面をカッターで傷つけられ、いまも鼻の下からにかけて傷跡が残る20代女性は「心情的に、どうしても植松容疑者を支持してしまう」と語っている。 女性は通勤途中にの男性が泣きながら歩いているのを見かねて声をかけたところ、カッターで顔を切られた。 しかし、男性は「者の行為は、罰しない」などと規定される刑法39条に沿った刑事の喪失と判断され、無罪になったというのだ。 「せめてで教育を受けさせるとかにはなると思っていましたが、IQ30前後の重度で行動制御能力がないって判断でした。 さらに裁判官には、私が声をかけたことで感情を興奮させ、攻撃的衝動につながったとまで言われてしまいました……」 女性は女優のにも似た美人だが、顔に大きな傷を負ったことから「コンプレックスになって仕事も辞め、恋愛もできず引きこもりになってしまい、を憎むようになった」という。 による犯罪でが争われた裁判では、殺人、放火、強盗、強姦など重大犯罪が多いためか、女性の事件は小さなローカルニュースでしか取り上げられなかったことも「同情の声が届いたりすることもないから、孤独感が増した」と女性。 その被害はあまりに気の毒なのだが、だからといって植松容疑者のような凶行を肯定するのは極論すぎる話だ。 「それはわかってます。 わかってはいるんですけど、本音がどうしても『を殺してくれてよかった』って思っちゃうんです」(同) 女性は今でも、街中でを見かけると「怖くて逃げ出してしまう」というが、その反動からかでは「植松はヒーロー」と書いてしまった。 大事件の犯罪者が英雄視される傾向はほかでもあり、海外では30年代にカで強盗や殺人など無法の限りを尽くしたボニーとクライドがダークヒーローとなり、のちに何度も映画化されているのは有名で、現代は多くの犯罪者をヒーローに祭り上げるサイトが存在。 日本でもやの加藤智大らをカリスマと呼ぶネットの声が散見され、収監中の凶悪犯にラブレターを出すような者もいる。 ただ、植松容疑者の場合は病院の精神科に強制的にした経緯があり、本人もまたを疑われている。 ほぼ神奈川県の(時給905円)で重労働の介護職に就いていたことで精神を病んでしまったのではないかと同情する声もあり、こちらも刑事の有無を調べる鑑定留置の実施が検討されている。 メンタルカウンセラーの野村高一氏は「事件前の言動は正気とは思えないものが多々あり、さらにの陽性反応が検出されていたことなどから犯行時の精神状態が慎重に判断されることになるでしょうが、正常者と変わらない会話自体が成立し、日常生活も送れていたのならがないとまでは判断されないのでは」と話している。 いずれにせよ、この事件を語る上では、容疑者を英雄視する人々などといった安易なテーマではなく、をめぐるさまざまな視点から議論されるべきかもしれない。 (文=/NEWSIDER Tokyo) 植松さんの主張 植松さんははさせるべきだという考え方の持ち主で以下のような主張をしています。 が人間ならば、彼らが罪を犯した時同様に裁かれるはず。 は、彼らが人間ではないことを証明している。 氏名が公表されず遺影もない追悼式、彼らが人間として扱われていない証拠と考えております。 私はで数年現場で働いてきた。 、そして使われる膨大な費用、を見てきた。 あなた方はなぜ、施設に足を運んだことすら無いのに、現場論をさも正論のように述べることができるのか。 あなた方は、1度でも介護に携わったことがあるか? 少しでも現場を知れば、介護は綺麗ごとだけでは無いことが分かるはずだ。 知的障害を理由に裁かれないという事実 重度のを持っている人は「」と判断され、何をしても無罪になるとで定められています。 第39条• 者の行為は、罰しない。 耗弱者の行為は、その刑をする。 この前のの警官が刃物で刺され拳銃を奪われた事件でも、逮捕された犯人飯森が2級の手帳を持っていたため無罪かになる見込みです。 犯人がで無罪になった事件の被害者や遺族の方々の中には文頭に載せた記事の引用の女性のように植松さんをヒーローと思っている人も多いことでしょう。 障害者の犯罪率の高さ によると、障害者犯罪率は軽犯罪では低いものの殺人や放火などの犯罪率はかなり高いです。 殺人事件のうち13. 4%、放火はなんと18. 7%です の調査で日本のは約4パーセントであることを考えるとの殺人率は普通の人の3倍以上、放火は4. 5倍以上です。 普通の人より殺人や放火をする危険な人でたちを野放しにして、彼らが犯罪をしても無罪というのはライオンやトラを街中に野放しにしているのと同じことではないでしょうか。 彼らが家族や周囲に与える苦しみ 植松さんが言う、彼らが家族に与える苦しみというのは事実です。 そもそも彼らがに預けられているといことは、彼らの家族は彼らを介護することを国に押し付けているわけです。 つまり、障害者の家族も障害者とかかわりたくないのです。 今回の事件の遺族の中には植松さんに感謝している人も少なくないでしょう。 実際、植松さんは風呂場で発作を起こして溺れそうになった入所者を助けたものの、 家族からお礼を言われることがなかったときに、家族が本当は障害者に死んでほしかったことに気づいたそうです。 遺族は障害者の家族だとばれることを嫌がった 障害者が家族に与える苦しみは介護だけではありません。 障害者の家族は周りに障害者の家族であるとばれると差別されるのです。 そのため、今回の事件では遺族が被害者の実名公表をやめさせました。 上の画像はいまいち日本語がよくわかりませんが、新聞に「死者に障害があり、遺族が望んでいない」と書かれていることから「この国には優勢思想的な風潮が根強くありますし、すべてに命は存在するだけで価値があるということが当たり前ではないので、(障害者の家族であると周りにばれると差別されるから、)とても公表することはできませんということなのでしょう。 このようなことから、植松さんの「氏名が公表されず遺影もない追悼式、彼らが人間として扱われていない証拠と考えております。 」という主張も正論であることがわかります。 職員が置かれている過酷な労働環境 植松さんが犯行前に勤務していて、事件の現場となった障害者施設「やまゆり園」の労働環境はかなり酷かったようです。 神奈川県の障害者施設「やまゆり園」で刃物を持った男が入所者を次々殺傷した事件をめぐり、同施設の求人情報がネットで話題を集めている。 業務内容や条件はさまざまだが、夜勤の時給は神奈川県のである905円だった。 介護業界の労働問題に改めて注目が集まる中、「安い、かわいそう」「ほんと何とかしてほしいよ福祉職の待遇」と同情の声が寄せられている。 905円は「低すぎ」か(画像は同施設の求人情報。 の公式サイトより) 18時から翌朝8時半まで働き、休憩は2時間 事件の起こった「やまゆり園」は、医師や看護師などの専門職を除き、入所者のやといったパート労働者をで7月31日まで募集している。 の業務内容は入所者の食事づくり支援や清掃など。 勤務時間は午前7時から午前10時、午前7時半から13時半、13時半から19時半の3パターンを選べる「日勤」だ。 休憩時間は設定されておらず、賃金欄には「基本給(月額平均)又は時間額970円~1070円」とある。 対するは、就業時間が18時~翌朝8時半までの「夜勤」だ。 業務の内容は「グループホ-ム夜勤業務」。 ちなみに、15年10月18日から神奈川県のは905円となっている。 報道を見る限り、殺人未遂と建造物侵入の容疑で逮捕された同施設の元職員、植松聖容疑者(26)は警察の調べに「辞めさせられて恨みがあった」と語っていると報じられている。 植松容疑者は当時ので「自主退職」と投稿しているが、障害者に危害を加えるような言動が原因で退職と同時に「」になったとされる。 植松容疑者の勤務や、待遇や業務内容に不満があったどうかなど、動機との関係は不明だ。 しかし、事件が報じられて以降、「やまゆり園」の求人情報が上に拡散し 「何で夜勤でこんな低賃金なんだよ」 「求人条件が、酷過ぎる」 「安い、かわいそう」 といった声が相次いでいる。 また、事件をきっかけに、障害者施設の労働問題への関心も高まっており、 「働けば心が病む福祉・介護職の労働環境ってどうなってるんだろうな」 「なんで介護って低賃金なんだろう」 「介護職や福祉関連職はもっと尊重されるべきで待遇や給料も改善すべき」 などといった意見が目立っている。 は生きたいと思っているのか 話すことのできないほどのは生きたいと思っているのでしょうか。 生きていて幸せなのでしょうかそうでないなら、させたほうが本人も幸せなのではないでしょうか。 周りに苦しみを与える人をさせることが本人も幸せならのように思えます 周囲の評判はよかった植松さん このような植松さんの評判から植松さんは優しすぎたがために遺族の苦しみを心配し、酷い労働環境に怒りを覚え、このような犯行に及んでしまったという意見もあります。 主張は正論だが実行の方法がマズかった 植松さんの言っていることは理にかなってはいますが、実行の方法がまずかったのですね。 法律は守らないといけません。 障害者をさせるなら、そういう法律を作って実行しなければいけません。 やが地動説を唱えたときも最初は反対する人が多かったですが今は地動説が当たり前になっています。 数十年後には障害者はさせるのが当たり前になっているかもしれません。 植松さんは「障害者から国民を守る党」という政党でも作って障害者をさせる制度を作ればよかったのかもしれません。 の意見 この事件の特徴的なところは、現役のや介護経験者、障害者の家族にも実は植松被告に対する理解を示す方がかなり多いという事と、彼の言い分が完全な正論で誰も感情論以外の反論ができていないという点なんですよね。 当然やつは現代法なら死刑だ じゃあ20年前だったら? 『正論』ぶって、主張の拳で先制パンチで勝った気でいるやつさ、お前らが好きなで踏まえて植松全否定してみろよ。 俺は5割しか否定できないね。 今すぐ出てきてS級害者殲滅してくれや。

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「みんなしゃべれます」泣き叫ぶ職員 やまゆり園での犯行詳細が明らかに 相模原殺傷

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相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で利用者ら45人を殺傷したとして、殺人罪などに問われた元同園職員の植松聖(さとし)被告(29)に対する裁判員裁判の第2回公判が10日、横浜地裁で行われ、事件当日に勤務していた職員の供述調書などから詳細な犯行状況が明らかになった。 暴れて退廷を命じられ、被告不在で行われた初公判とは一転、植松被告は時折目を伏せ、静かに着席していた。 検察側が読み上げた調書によると、植松被告に拘束された女性職員は利用者の女性が就寝していた部屋に連れ込まれ、「こいつは話せるか」と聞かれた。 その女性はダウン症で話すことが困難で、「しゃべれない」と答えると、被告はその女性の首付近を3回刺した。 職員は「しゃべれない人を狙っている」と気付き、その後は、各部屋に連れ回されて被告に問われる度に「しゃべれます」と答え続けた。 ところが、「しゃべれます」と答えても、被告は「しゃべれないじゃん」と刺すようになる。 職員が「みんなしゃべれます」と泣き叫ぶと、被告は「面倒なやつだ」と言い、廊下の手すりに縛り付け、去った。 その後、警察が到着して解放された職員は、襲撃された利用者に駆け寄ってほおを触ったが、既に冷たかったと回想。 調書の中で「被害にあった利用者に申し訳なく、自分を責める日々が続いている」と語った。 審理では、被害者の死因やけがの状況も説明された。 説明は人数の多さから1時間以上が費やされた。 多くの被害者の傷は首付近の上半身に集中していた。 また、別の職員の調書により、唯一実名で臨んでいる被害者の尾野一矢さん(46)が負傷しながらも、拘束された職員に携帯電話を渡し、110番通報につながったことが明らかになった。 審理終了後に取材に応じた父剛志さん(76)は「よく頑張ったと思う。 息子を本当に褒めてやりたい」と話した。 初公判に続き傍聴した津久井やまゆり園の入倉かおる園長も取材に応じ、「息が詰まりそうな一日だった」と振り返った。 被告の様子について「最初は神妙な感じがあったが、途中からは落ち着きがない仕草が目立った。 罪の深さをちゃんと重ね合わせて聞けているのか、全く分からない」と述べた。 また時折言葉を詰まらせながら、「夜勤職員も大変だったと改めて思った」と語った。 【国本愛、樋口淳也】.

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やまゆり園事件、植松被告に死刑判決 横浜地裁 [やまゆり園事件]:朝日新聞デジタル

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その人(人間)にとって大切なのは、自分とかかわりのある人の命であり、例えばブラジルの53歳ニートのおじさんが車にひかれて天国に旅立ってもおそらく、ぼくたちは悲しくない。 マザーテレサでもガンジーでもない、凡人なぼくらはだ。 やまゆり園の事件は、命が大切だから間違っているという話ではない。 もちろんぼくは命が大切だという立場をとる、それが腹落ちしていなくても良識ある社会人としてのマナーくらいの立場だと思ってくれればいい。 ぼくが、今回のやまゆり園の事件で感じるのは、家族の愛情の否定を感じるからすごく悲しくなり、そして間違っていると思っているのだ。 悲しいかな、Twitterなどでは、医療職で植松被告の気持ちがわからないでもないというそちらに共感を示す人も少数ながらいる。 ほんとうに恥ずかしい話をしよう、20代前半のぼくならたぶんその少量の共感をしていたと思う。 病院や施設で重度の障害のある方をなんども見る機会があった、正直にいうとなんのために生きているのかぼくにはわからなかった。 この人はなんのために生きているんだろうか? この人はなんのために生きているんだろうか? 愚かなぼくは、神のような目線でそのようなことを考えていた。 訪問リハの世界に飛び込み、いろいろな本当に沢山の住居に家庭に住まいに伺い、多様な家族関係におののき、そして、たくさんの愛情を溢れる家庭をみてきた。 そう、彼らは家族から愛されているのだ。 もしくは愛されていたのだ。 ぼくが、家族を愛するように、友人を大切に思うように、両親に感謝するように彼らはその人生の中で愛情を受けて生きているのだ。 生産性がないから、動けないから、自分で意思表示できないから生きている意味がない。 なんと傲慢なそして、悲しい考え方なのだろうか。 その考えの延長線上には、例えばあなたの大切な人が認知症になったら大切ではなくなるのですか?という問いが生まれるとぼくは考える。 それは飛び切りリハビリテーション的ではない考えである。 ぼくにとっての事件の本質は、家族の愛情の否定と受け取った。 植松被告は間違っているし、ぼくたちは社会は彼に1mmの共感をする必要はないと強く断ずる。 最後に、家族から愛されていないのなら、生きている価値がないと短絡的に考えないでほしい、あなたと同じように彼らもぼくたちも誰かに祝福されて生まれてきたのだ。 彼らが人間的に扱われなかったときに、おそくらはその祝福した人はすごく悲しい気持ちになるだろう。 それは間違いなのだ。 何度も言う、ぼくたちは職業倫理上、社会通念上、道徳上、すべての規律模範を総動員して、今回の事件の背後にある思想を否定するべきだとぼくは考える。 強く考える。

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