倉田 まり子。 倉田まり子がハメられた「巨額詐欺事件」の黒い闇

【麻原彰晃?】中江滋樹が死亡?アイドル:倉田まり子は愛人?

倉田 まり子

気づけば冬から紫陽花の季節に 皆さん お元気ですか? お変わりありませんか? 気がつけば、1月に故郷で楽しいことがあったと皆さんにご報告したまま、6月になろうとしています。 ご無沙汰しすぎで、もしかして、いつもこのメッセージを楽しみにしてくださっている方々には余計なご心配をおかけしたかもしれません。 私自身は何も変わりませんが、世界中が大きく様変わりしました。 卒業式、卒業旅行、入学式、新入式、春の選抜甲子園、オリンピック…数えあげたらキリが無いくらい沢山の我慢と変更を強いられてきました。 歯がゆい、悔しい思いの深さは、人それぞれだと思いますが、それでも、ときはずっと静かに流れて、今日にいたるのですね。 当たり前だと思っていたことが、突然何もかもがストップしてしまったことで、私、物事をオーバーに考えてしまうようになったかもしれません。 緊急事態宣言が全国で解除されました。 今後は段階的な自粛解除とのことです。 嬉しい、でも大丈夫?など、またいろんな気持ちがもたげてきます。 1月にルンルン気分でメッセージを更新したときには、こんな状況になるなんて夢にも思っていませんでした。 私だけではなく、きっと皆さんもそうだと思います。 気をつけながら生活してきた中で、発見したことがいくつかあります。 家中の断捨離をして、モノを見つけたわけではなく、自分自身の意外な一面とでもいいますか。 ふーん、意外!って、自分のことを感心したり、がっかりしたことが何度かありました。 はっきり変わったこともあります。 髪の毛を昨日、思いっきり短くしたこと。 中身は何も変わりませんが、『新しいやり方で、いつもの日常を取り戻していくために』、上手に呼吸しながら過ごすための心の準備ができたような気がします。 そうそう、私の大好きな紫陽花が咲いているのを昨日、美容院の帰りに見つけました。 先週は大学の近くで蕾が大きく膨らんでいるのを見つけ嬉しくなりましたが、季節もまさに変わろうとしているのですね。 冬から春を通り越して梅雨の季節へ、そんな気がするほどです。 今、私は変わらないものはこれからも大事にしながら、変えるべきことは行動だけでなく意識まで大胆に変えてみようと思い始めました。 たった一度の人生ですもの。 自分を大事に、そして私の周りの全てに感謝して日々を生きる。 皆さんと、あの場所、この場所で、また会える日を心から楽しみにしています。 皆さんもどうぞ心身共に健やかにお過ごしくださいませ。 坪田まり子.

次の

倉田まり子…投資ジャーナル事件から現在までの転身に衝撃!?

倉田 まり子

今も昔も、スキャンダルによって人生を狂わされたアイドルは多い。 ここに取り上げる倉田まり子も、スキャンダルの疑惑をマスコミによって煽られ、痛くもない腹を探られた結果、芸能界からの引退を余儀なくされた一人である。 長崎県出身の倉田は、地元で行われた視聴者参加型の歌謡番組に出場した際、スカウトマンにその実力を認められて高校1年のときに上京。 1979年に『グラジュエイション』でデビューすると、日本レコード大賞新人賞を受賞するなど、順調なアイドル人生をスタートさせた。 その後も、サードシングル『HOW! ワンダフル』が江崎グリコの人気商品、ポッキーのCMソングに起用されて大ヒットし、人気を不動のものにする。 また、歌手以外にも、テレビドラマ出演や声優などの活動をマルチに行い、人気アイドルの一人に数えられていた。 しかし、80年代に入り、倉田は松田聖子などの新世代アイドルに押され、落ち目となっていく。 そこへ降って湧いたのが85年の「投資ジャーナル事件」で、これにより倉田の芸能活動は完全に断たれてしまうのだ。 中江は雑誌上で利用者から金を徴収して銘柄を紹介したほか、保証金を追加すれば預り金の10倍以上の融資を受けられるとした。 しかし、実際は預かり証を渡すだけで株式の引き渡しは行われず、数百億円を詐取したとされている。 この中で取り沙汰されたのが、中江と倉田の関係だ。 事件の渦中で、写真週刊誌『FRIDAY』が、中江に肩を抱かれている倉田とのツーショット写真を掲載。 奇しくも、この時期に倉田が目黒区に7000万円ともいわれる豪邸を建てていた事実も相まって、マスコミは倉田が中江の愛人で、詐取された金がこの豪邸に流れているのではないかと追及したのだった。 この件について、倉田は完全に否定したものの、中江が自社の社員を金で口説いた逸話を掲載する週刊誌もあり、さも中江と倉田の関係は既成事実のように報じられた。 これによって倉田は芸能界から身を引くことを余儀なくされたのだった。 最終的に税務署の調査によって、倉田が豪邸の資金を借金で賄ったことを証明する借用書が見つかり、この疑惑は解消されたが、時すでに遅く、豪邸も税務署の差し押さえにより失うはめに…。 もともと、この中江と倉田の接近は、中江に出資させることで事務所からの独立を果たそうとしていたマネジャーが、自ら画策したものだったとされており、ある意味で倉田が芸能界引退に追い込まれたことは、こうした独立の動きへの制裁であったとの見方をする関係者も多い。 後年、中江自身もこの疑惑について、4〜5回デートしただけで肉体関係はなかったことを週刊誌の取材で告白している。 倉田は芸能界引退後、法律事務所の秘書や資格試験予備校の執行役員などを務めた後に、キャリア・カウンセラーとして独立し、2015年には東京学芸大学の特命教授となっている。 ある意味、キャリアの重要性を痛いほど知る倉田が、この職を選んだのは当然だったと言えるのかもしれない。

次の

坪田まり子からのメッセージ

倉田 まり子

今も昔も、スキャンダルによって人生を狂わされたアイドルは多い。 ここに取り上げる倉田まり子も、スキャンダルの疑惑をマスコミによって煽られ、痛くもない腹を探られた結果、芸能界からの引退を余儀なくされた一人である。 長崎県出身の倉田は、地元で行われた視聴者参加型の歌謡番組に出場した際、スカウトマンにその実力を認められて高校1年のときに上京。 1979年に『グラジュエイション』でデビューすると、日本レコード大賞新人賞を受賞するなど、順調なアイドル人生をスタートさせた。 その後も、サードシングル『HOW! ワンダフル』が江崎グリコの人気商品、ポッキーのCMソングに起用されて大ヒットし、人気を不動のものにする。 また、歌手以外にも、テレビドラマ出演や声優などの活動をマルチに行い、人気アイドルの一人に数えられていた。 しかし、80年代に入り、倉田は松田聖子などの新世代アイドルに押され、落ち目となっていく。 そこへ降って湧いたのが85年の「投資ジャーナル事件」で、これにより倉田の芸能活動は完全に断たれてしまうのだ。 中江は雑誌上で利用者から金を徴収して銘柄を紹介したほか、保証金を追加すれば預り金の10倍以上の融資を受けられるとした。 しかし、実際は預かり証を渡すだけで株式の引き渡しは行われず、数百億円を詐取したとされている。 この中で取り沙汰されたのが、中江と倉田の関係だ。 事件の渦中で、写真週刊誌『FRIDAY』が、中江に肩を抱かれている倉田とのツーショット写真を掲載。 奇しくも、この時期に倉田が目黒区に7000万円ともいわれる豪邸を建てていた事実も相まって、マスコミは倉田が中江の愛人で、詐取された金がこの豪邸に流れているのではないかと追及したのだった。 この件について、倉田は完全に否定したものの、中江が自社の社員を金で口説いた逸話を掲載する週刊誌もあり、さも中江と倉田の関係は既成事実のように報じられた。 これによって倉田は芸能界から身を引くことを余儀なくされたのだった。 最終的に税務署の調査によって、倉田が豪邸の資金を借金で賄ったことを証明する借用書が見つかり、この疑惑は解消されたが、時すでに遅く、豪邸も税務署の差し押さえにより失うはめに…。 もともと、この中江と倉田の接近は、中江に出資させることで事務所からの独立を果たそうとしていたマネジャーが、自ら画策したものだったとされており、ある意味で倉田が芸能界引退に追い込まれたことは、こうした独立の動きへの制裁であったとの見方をする関係者も多い。 後年、中江自身もこの疑惑について、4〜5回デートしただけで肉体関係はなかったことを週刊誌の取材で告白している。 倉田は芸能界引退後、法律事務所の秘書や資格試験予備校の執行役員などを務めた後に、キャリア・カウンセラーとして独立し、2015年には東京学芸大学の特命教授となっている。 ある意味、キャリアの重要性を痛いほど知る倉田が、この職を選んだのは当然だったと言えるのかもしれない。

次の