君 の 膵臓 を たべ たい 小説。 君の膵臓をたべたい(キミスイ):あらすじと感想(ネタバレあり)

住野よる『君の膵臓をたべたい』彼女が教えてくれた「生きること」への問いかけ【キミスイ実写化】

君 の 膵臓 を たべ たい 小説

映画「君の膵臓をたべたい」の映画のCMがバンバン流れている時に 「ラスト、きっとこのタイトルに涙する—」 ってキャッチコピーがすんごい気になってた。 かなりインパクトのあるタイトルだから、とりあえずタイトルの意味だけでも知りたくて、ネタバレサイトとか検索したんだけど、いまいちハッキリと書いてくれている記事が見つからない。 それで、とりあえず漫画「君の膵臓をたべたい」を読んでみた。 その上で、このタイトルの意味をいまいち理解できなかった人のために、解説していきたいと思う。 物語序盤で、同じ図書委員になった主人公「僕」と桜良が会話をしている際、桜良が 「君の膵臓をたべたい」と突然言い出す。 その時、桜良の口からその言葉の意味が説明される。 「昔の人は、どこか悪いところがあると他の動物のその部分を食べたという。 肝臓が悪かったら肝臓、胃が悪かったら胃を食べて・・・。 そうすると病気が治ると信じられていたらしい。 だから私は君の膵臓をたべたい」 つまり、この物語はサイコパスな嗜好のある主人公の猟奇的な話ではなく、 病気のヒロインが神にもすがる思いで病気を治して生きたいと願う気持ちを表している。 だけど、 「病気を治して生きたい」 ってタイトルよりも、 「君の膵臓をたべたい」 ってタイトルのほうが確実に人の興味を引きますよね。 これは作者の発想勝ちだな~と思います。 私なら絶対にこんなタイトル思いつかないもん・・・。 「僕」が桜良に送ったメールの文面「君の膵臓をたべたい」の意味は? 実は、この物語の一番最初のシーンは、桜良がすでに死んでいるところから始まる。 そして、「僕」が桜良に送った最後のメールの文面 「君の膵臓を食べたい」 彼女に届いたのだろうか・・・? と主人公「僕」がもう届くことのない質問を投げかけるところから、時間を遡る形で物語がスタートする。 そして、終盤の桜良が通り魔に刺殺される日。 桜良と待ち合わせをしていた僕は、桜良とメールで会話をしていて、 「私のことを褒めて」 と言われて、どんな言葉を入れようかと考える。 そこで彼女に送った言葉が、 「君の膵臓を食べたい」 ここまでの流れで、僕は自分と正反対である桜良に対して強い憧れを持ち、ずっと彼女のようになりたいと願っていた自分の気持ちに気づく。 つまり、この言葉は 「君のようになりたい」 という意味合いを表したものだと考えられる。 実際、この言葉を選ぶ直前に「君の爪の垢を煎じて飲みたい」という文面を打ち込んで、もっと適した言葉はないかと考えた末に、メールを打ち直している。 「爪の垢を煎じて飲みたい」は優れた人を模範として、あやかりたいという意味であるため、それに近い意味を持って「君の膵臓を食べたい」という言葉を使ったと思われる。 そして、桜良からの遺書に残された最後の言葉もまた、 「爪の垢を煎じて飲みたい。 ううん、そんな言葉じゃダメだよね。 やっぱり私は、 君の膵臓を食べたい」 というものだった。 二人が同じ言葉を使ったことで、二人が運命的に惹かれあうべくして惹かれあったという感じが強調されている。 そしてなにより、地味な僕がクラスの人気者である桜良に憧れていたのは当たり前のことだが、みんなから羨まれる存在だった桜良のほうもまた、僕に対して憧れていたという種明かしが、最高に衝撃で感動的だったのだ。 桜良が僕に憧れていた理由については、こちらの記事で詳しく説明しています。 「ラスト、きっとこのタイトルに涙する—」の意味は? だから、たぶんラストにこのタイトルの意味にハッとして驚いて感動するのは、 桜良が僕に憧れを抱いていた理由にびっくりするからって意味なんじゃないかなと思う。 桜良が僕に対して恋心を抱いているのは、ずっと行動からわかっていたけど、その理由がわからなかったから。 普通に考えれば、クラスの人気者でモテモテで目立つタイプの1軍女子が、地味で根暗で友達もいない僕を相手にするはずがないのに、病気という秘密を知ったからって、どうしてこんなにも関わってくるの? いつから、なんで好きになったの?っていう疑問が終始浮かんでいた。 だけど、桜良の理屈はすごく納得できるもので、だけど普通の人間はそんなことには気づかない。 「他人がいないと成立しない魅力」なんてね。 一人の人間として成立している僕に対する憧れかぁ~・・・ 深いっ!! 確かに、これは衝撃的なラストだった。 ちなみに、冒頭の 「僕の最後のメールは彼女に届いていたのだろうか?」 という疑問の答えは・・・ 届いていた!! 彼女は、メールを読んでから通り魔事件に巻き込まれていました。 だから、桜良は最後に僕が自分と同じ気持ちを抱いていたことを知ってから死んだということになる。 最後に、両思いだと知って死んだのかぁ・・と、読者にとってもちょっと救いのある終わり方になっている。 だけど、まあタイトルの意味がちょっとわかりにくかったのも事実。 だって、最初に言ったように「君の膵臓を食べたい」っていう意味が、「そうすることで病気が治るから」って位置づけだったからね。 桜良が旅行中に 「人に食べてもらうとね、その人の中で魂が生き続けるんだって。 私生きたい、大切な人たちの中で」 と話すシーンがあるので、やっぱりラストの「君の膵臓を食べたい」の意味は、「病気を治す」という意味ではなくて、「自分の中で君に生き続けてほしい」っていう意味合いが強いのかなって思います。 でも、やっぱりちょっとわかりづらかったかな~っていうのは正直な感想。 あのキャッチコピーからすると、東野圭吾のミステリー小説みたいに、ラストでバチーンと全ての伏線回収ーーー!!みたいなスッキリ感と驚きがあるのかな~なんて期待してたから。 あれ・・・?ん~っと、どうゆう意味・・・? みたいになったのは事実。 だけど、何回か読み返して、よく熟考して、他の人とも語り合ったりして、こうゆう結論にたどり着いた。 だけど、いい作品って、読んだあとに誰かと話したくなる作品だと私は思ってる。 誰がどう解釈してもこうゆう意味だよね、っていう簡単なものよりも、どうゆう意味だと思う!?と思わず人の意見を聞きたくなるような難しさがあるほうが、余韻が残るし、読後にその世界観にずっと浸れて私はいいかなとも思う。 そして、私は映画はまだ観ていないので、映画のほうだともっとラストにバチーン!と衝撃が来るような作りになっているのかな?なんてちょっと期待。 でも、レビュー読んだ限りでは「タイトルの意味がわからなかった」という人がけっこういたから、漫画と同じ感じなのかな・・・? でも、映画では原作にない僕や恭子が大人になってからの話が描かれているみたいだから、いつか見てみたいなと思う。 追記 原作の小説も映画のほうも見ました。 映画は原作の小説や漫画とは違うラストになっていて、私的には映画がとっても良かった! もちろん原作もすっごく良かったんだけど、そうゆう場合、たいてい実写化に不満が出るもの。 ミステリー小説なので恋愛の要素はストーリーとは関係ないのですが、私的にはそこが結構気になっていた(笑) 映画版では木村拓哉さんと長澤まさみさんなので、ラブストーリー要素も意識した配役だと思うし! 続編の「マスカレード・ナイト」では、二人の関係がどうなったのかを知りたくて読みました! むしろそこだけでいいから早く知りたくて!! (笑) こちらでは「マスカレード・ナイト」の新田浩介と山岸尚美の恋愛要素にだけ着目してネタバレを書いていきたいと思います。 (でも、結果的にちょっとだけストーリーのネタバレにも触れることになるので、ご注意くださいね!! ) 「ラプラスの魔女」見てきました~! 感想書きま~す! まずはストーリーの内容をネタバレしない程度に感想を書きます。 まだ映画を見ていない方も安心して読んで下さい。 (後半ではネタバレ全開で感想書いてます) さてさて、では全体的な感想から。 なんと私、映画館で映画を見たのはかれこれ7年ぶりくらい…! 」って言ったら、「おーすごいじゃん! どうだった? 」と聞かれ… 「え、う~ん…そうだねぇ…」 って、なんともすんなり感想が出てこないこと…!! 映画館にいること自体にドキドキしてしまって作品に集中できなかった感は否めませんが、それを差し引いてもちょっとなぁ~…。 「すごく良かったよ! 」でもないし、かといって「めちゃくちゃつまらなかった」でもない。 可も不可もなく、5段階で言ったら3くらいの超中途半端な感じっていうか、まぁハッキリ言って「微妙」ってやつです…!! ゴメンネ、翔くん!!

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小説「君の膵臓をたべたい」のネタバレ感想!感動の結末に号泣!

君 の 膵臓 を たべ たい 小説

まえがき 時間は過ぎ去っていく。 学生時代に先生や仲間と過ごした時間も、淡い初恋の記憶も、今にして思えばあっという間だった。 現在、僕は書店員として、目の前で日々膨大な量の本が入荷して手元を過ぎていくが、いまとなっては作品名すらうろ覚えの本があるのも事実だ。 それなのに、忘れようとしても、頭の片隅に留まって、消えない存在がいる。 また、どう頑張ったって、どうあがいたって、なれない人種というものがある。 私には、そんな存在がいる。 この世にはもういないけれども。 話をしたい人がいる。 僕の心に残って消えない存在。 それは彼のこと。 僕は昨年、親友を失った。 大親友を。 彼とは、中学生時代から思い出を共有し、大切な時間を一緒に過ごした。 ふざけあったし、喧嘩もたまにした。 社会人となっても、愚痴りたい出来事や嬉しい感情も語り合って、2人で乗り越えてきた僕と彼。 それなのに早すぎる旅立ちは突然だった。 事故だった。 僕は悲しみの知らせを聞いたとき、信じられなかった。 信じたくもなかった。 涙しか出なかった。 なにも考えられなかった。 いまになって振り返れば、「心にぽっかり穴が空く」という表現の意味を、理解できる。 僕は、彼が共に戦ってくれたからこそ頑張れていたのだ。 親友であると同時に、戦友であり、同じ目標に向かって突き進んだ仲間だった。 悲しみ。 切なさ。 楽しさ。 それらを夜を明かして語り合った存在がいなくなったのだ。 いつしか涙も枯れ果てていた。 書店員ですらなくなっていた。 そんなときに巡り合ったのは小説。 それは、「小説を読む」という行為をしている訳ではない。 その延長線上にある、「作者の力を借りることで『自分』と対話」しているのだ。 「青春、恋愛、闘病」というジャンルの枠組みを超えて、訴えかける本作。 あなたがこれから読む、もしくはすでに読んだ本作キミスイについて、住野よる先生が作品に込めた「問いかけ」とはなにかを考えてみたい。 僕の、あなたの、そしてみんなの心に突き刺さるキミスイの魔法を一緒に見つめてみたい。 愛称「キミスイ」こと『君の膵臓をたべたい』あらすじ 偶然、僕が病院で拾った1冊の文庫本。 タイトルは「共病文庫」。 それはクラスメイトである山内桜良が綴っていた、秘密の日記帳だった。 病を患う彼女にさえ、平等につきつけられる残酷な現実。 【名前のない僕】と【日常のない彼女】が紡ぐ、終わりから始まる物語。 全ての予想を裏切る結末まで、一気読み必至! 本書は、【僕】とそのクラスメート山内桜良が出会い、同じときを過ごし、僕がある想いに気づくまでの記録。 純粋でいて、なおかつ。 傍から見ると根暗で地味な【僕】とは不釣り合いな彼女とどうして時間を共有したのか。 豪快な笑い声の絶えない芯の強い彼女の胸の内は。 今回は『問いかけ』を考えるにあたって、5つのキーワード「見かけと内面」「読書と文字」「作家」「福岡」「タイトル」を基に本作「君の膵臓をたべたい」をご紹介していく。 「大切なのは外側ではなく中身だ。 」 「外見を気にする奴になるな。 」 これは幼少期にうちの父親が口をすっぱくして言っていたことだ。 彼はいわゆるボンボンだったにも関わらず、この口癖を片手にして、もう片方の手には自分の趣味には資本投下する棍棒を持ち合わせていた。 そのクセ、人を見る目はなかった。 育ってきた環境がこんなだからか、人を見る目はない……かもしれない。 けれども幸いにして作品にである力はある(と信じている)。 本書で触れられる表題は、意外なところで再び綴られている。 物語の連動性のひとつとして気にかけていただきたい。 小説を読むこと。 想いを文字にすること。 最近読書の日記をつけることと、手紙を書くことにハマっている。 いまさらながら。 自分の中で第何次ブームかはさておき「なぜ小説を、書籍を読むのか」と聞かれたら、冒頭に書いたような自問自答するためと答えるかもしれない。 その一方で他者と共有できたときの鼓動の高鳴りも捨てがたいことは書店員として体感している。 本書で【僕】はよく小説を読んでいる。 そして桜良は「共病文庫」を日々綴っている。 それは自分が向き合っていることなのか。 与えられた草舟なのだろうか。 はたまた。 ちなみに昨日までの君の膵臓をたべたいの告知コーナー。 私個人は、なろうに入り浸る傾向にはございませんで…。 なおかつラノベも正直書籍ジャンルの中で最も縁遠い分類でございまして……(担当として)。 書籍化にあたって、文芸作品として素晴らしいものに仕上がっているのはひとえに住野さんとご編集の方のお力によるところだと思います。 話は少し変わりますが作家と編集者の関係性って非常に面白いですよね。 インタビュー記事などはありますが、最近読ませていただいた『 』という作品は興味深く拝読しました。 こちらの感想も書きたいな……と思っておりますがはたしていつになるやら。 それはさておき。 僕だけの夢想ではなく、双葉社様の仕事が重なり素晴らしい商品になります。 より多くの人に売り、届けたい、そんな双葉社様の熱い想いがあってのこと、ご理解いただけますと嬉しいです。 熱い想いによるセコンドを受けた「キミスイ」は小説の神様に微笑まれた、その筆の力が新人離れしておりますね。 公式プロフでは、「兼業作家」さんだそうですが、軽妙で機知に富む会話の応酬、巧妙に重ねられた伏線の張り方は、何度も「本当に新人作家さんなのか……」と疑ってしまうレベル。 状況描写や心境を伝える筆の進み具合は私の好みにぴったしハマっております。 会話のテンポもまさにツボ。 作品内容で言えば、「女子が男子に読んでほしい恋愛小説No. 1」の『 』、「昔の恋人に電話したくなる本 No. 1」の『 』、今年急上昇で「読書メーター」「文庫の読みたい本ランキング第1位」の『 』。 これら作品を好きな方は、きっと気に入る確率も高いハズ。 SF要素がない分、より読者層を広げられるかもしれない。 そして実際、女性客層だけではなくて男性層にも食い込んでいる。 ラノベ界隈との親和性もあると思われます。 320万部を超えたあの、セカチューこと『 』を上回る、そんな謳い文句もあながち煽りフレーズには聞こえないほど、2人の絆を垣間見ることができる。 『セカチュー』からほぼ15年。 次は『キミスイ』だ!!と、いうことで文芸書コーナーに今年もっとも注目の『君の膵臓をたべたい』お試し版をご用意しております。 「ラーメン」やら「県下一の繁華街」、あの「商業施設」を書いていただければ、元県民としてもとてもイメージを喚起しやすく拝読できました(笑) 福岡という地名をほのめかすことで、「学問の神様」という存在が浮き出て、ひいては物語の方向性に一定の影響も与えています。 詳しくはP87あたりが要チェックやで。 SNSを通じても、店頭で見かけても。 ただ思っているようなホラー系作品ではない。 というよりもホラー要素は皆無。 有名どこのアンソニーポプキンスの怪演も光るあの『 』や貴志祐介先生の『 』、ラノベだと『 』あたりか。 グロテスクな表現は絶無だとお伝えしておこう。 住野さんがなろうで公開した当時は「食べたい」だったみたいだけども、単行本のタイトルは「君の膵臓を食べたい」や「君の膵臓が食べたい」はなくて「たべたい」なんだからねっ! 君の膵臓をたべたい 最近よくこのタイトルを目にするのですが、最初はグロテスクでスプラッターなものと思っていました。 しかし周りの反応や表紙から、どうもそういったものではないらしく、どんな作品なのか今とても興味が沸いています。 — 消す kesukasi 他の作品だとタイトルは個別の認識用名称みたいな感じだし「01号」とかそんな名前でもいい気もするのだが、「君の膵臓をたべたい」においてはタイトルは作品が読者を感動させたりする上で欠かせない、作品の一部だと思う。 タイトルまで含めて作品が完成する作品は他に、なかなかないだろうなぁ。 — 柚季 蒼 リディア yudukiao14 「君の膵臓をたべたい」まとめ 私と君の歩む道。 それは、「君」を別の人に置き換えたとしても考えられる。 家族、恋人、親友、親戚、知り合い、同僚、上司、恩師、愛犬愛猫など。 それぞれ歩いていく道のりは違っていたとして、出会いも日常も偶然ではなく、わたしは自分の意思で選んでここにいるのだ。 そして間違いなく言えることがひとつだけある。 「桜は咲くべき時を待っている」 彼女が教えてくれたこと。 作品を手に取ることで、『キミスイ』の桜と心通わせることで。 変わらぬ日常の証明はたわいもないところにある。 毎年桜の咲く季節。 私は思い出す。 春の陽光に誘われて、桜の木の下であの人と話をしたことを。 芝生に寝転がって語ったどうでもいいことを。 作品を読み終えて「外を眺めていた」。 私はきっと思い出すだろう。 大切な記憶とリンクするこの作品を。 わたしのための作品ではない。 私たちのための作品なのだ。 若き2人の会話や「生きること」に向けて繰り広げられた懸命な彼らの葛藤に、作品に含まれる言葉から、あなたの名言をみつけてほしい。 blog. fc2. blog. fc2. もちろんステマのように作品が推されるものもなくはない。 1点だけ指摘するとすれば、版元のブランドネームによるところが大きい。 そう、超大手ということ。 詳細までは今後の書店員人生のために伏せるが(笑) そしてまた本作品でもそのような残念な指摘をされる方も見かけた。 幾多の新刊の中からおすすめすることの大事さ。 と同時におすすめすることの責任も痛感している。 それでもあえて言おう。 この場で決意表明しよう。 『君の膵臓をたべたい』は感情を揺さぶられる、こころ動かされる作品であることは間違いない、と。 人生の歩き方、大切な人との過ごし方に迷ったらきっと読み直す作品である、と。 本屋としておすすめする作品である、と。 合言葉は「キミスイ」!!「君の膵臓をたべたい」に込められた想いを知ったとき。 それは自分との対話、「生きること」への問いかけが込められているハズだ。 (追記)本屋大賞ノミネートとミヤボン受賞とキノベス入賞 本屋大賞のノミネート作品が発表されました。 その中でキミスイも10作品に含まれておりました!めでたい!ぱちぱちぱち!!あわせて、宮脇書店さんの『ミヤボン』選出と『キノベス』第三位という嬉しいニュースが飛び込んできております。 宮脇書店大賞「ミヤボン」は、住野よる『君の膵臓をたべたい』(双葉社)に決まった。 「今、あなたに一番読んでほしい本」を全従業員が選び、1182件の推薦があった。 社内の選考委員が上位10作品を選定、全国の直営店165店でフェアを展開している。 来年2月29日まで 【 1位】『羊と鋼の森』(宮下奈都、文藝春秋) 【 2位】『ホワット・イフ?』(ランドール・マンロー/吉田三知世(訳)、早川書房) 【 3位】『君の膵臓をたべたい』(住野よる、双葉社) 紀伊國屋書店「キノベス!2016」発表 — 積読書店員ふぃぶりお fiblio2011 (追記)本屋大賞第2位 4月12日に発表された本屋大賞でキミスイが第2位!住野先生おめでとうございます!!(惜しい!けども羊さんとキミスイを推している僕としては嬉しさと複雑さで少々ドギマギしておりました汗) なにはともあれ、本屋大賞をきっかけにより多くの方に手に取っていただけますように。 会場にて作品の飾り付けがありました。 桐原さんは優しく温かみのある絵柄、少女の可愛さや性格などの設定描写に強みのある漫画家さんで、これまで『』や『』などの作品があります。 8月発売の10月号から連載開始していますが、『』にてすでに表紙カラー2度目となっていることからも、いかに双葉社さんがキミスイに力を入れていることが分かります。 単行本化は実写映画の公開時期あたりに合わせてくるのではないでしょうか。 映像化に関連したニュースの内容をチェックしてみました。 映画の主要キャストのうち3人をみてみましょう。 W主人公のうち【僕】を演じるのは、俳優であり歌手でもある北村匠海さん。 このキミスイ記事中でも名前を挙げた『 』の主人公奥田浩介の幼少期を演じてた彼! なんという偶然なのでしょうか。 個人的には『』の出水正役でを覚えています。 成長して、よりイケメンぶりに拍車がかかっていますね……(羨ましい) W主人公でのクラスメイト、山内桜良を演じるのは、新鋭の女優である浜辺美波さん。 清楚で清潔感があり、肌も白く、目力の強さもある浜辺さんは、桜良のイメージである人気者で芯の強い女の子を体現してくれる期待が高まります。 12年の時間軸を経て、【僕】が成長した姿を演じるのは、俳優小栗旬さん。 『』が公開され、『』の実写化も控える彼は、コミックの映像化をものすごい数を演じていますね。 観た中では、『』花沢類役や『』南波六太(ムッタ)役あたりが好きなところです。 小説の作中では登場しない役柄なこともあって、どういうキャラに【僕】が育っているかは気になりますね。 ちなみにDAIGOさんとの結婚で2016年は話題となった北川景子さんがどんな役柄になるかはいまいち分かりません……。 続報を待ちたいと思います。 住野さんがツイートしている内容を見ると、キミスイの題材を使ったスピンオフみたいなイメージかもしれないと思う方もいらっしゃるようですが、パラレルワールドみたいな位置づけでしょうか。 いずれにせよ、2017年夏に予定される実写映画の公開が待ち遠しい! キミスイの映画なのですがスピンオフと思われてる方の呟きを拝見したので説明させていただきます。 小説と繋がった、未来や過去の話というわけではありません。 言わば同じ題名同じテーマ同じ登場人物を使って作られた別の話くらいの感覚の方がよろしいかと思います。

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【小説】「君の膵臓をたべたい」を読んだ【感想ネタバレ有】

君 の 膵臓 を たべ たい 小説

今回鑑賞したのは、公開初日の最終回。 何度も映画館で目にした予告編からは、良くある難病物で確実に泣ける映画、そんな印象しか無かった本作。 ただ、そのある種「不穏な」タイトルから、いわゆる「胸キュン恋愛映画」では無いかも?そんな不安を胸に抱きながら鑑賞に臨んだのだが、果たしてその内容とはどんな物だったのか? 予告編 ストーリー 高校時代のクラスメイト、山内桜良 浜辺美波 の言葉をきっかけに、母校の教師となった「僕」 小栗旬。 彼は図書館の蔵書の整理作業中、教え子と話すうちに、彼女と過した数ヶ月を思い出していく。 膵臓の病を患う彼女が書いていた「共病文庫」 =闘病日記 を偶然に見つけたことから、「僕」 北村匠海 と桜良は次第に一緒に過す時間が増えていくことに。 だが、残された日々を懸命に生きる彼女の人生は、ある日突然終わりを告げる・・・。 桜良の死から12年。 結婚を目前に控えた彼女の親友の恭子 北川景子 もまた、「僕」と同様に桜良と過した日々を思い出していた。 そして、ある事件をきっかけに、桜良が12年の時を超えて伝えたかった本当の想いが二人に明かされる・・・。 主演の二人の純粋さに泣ける!そして小栗旬が素晴らしい! 原作未読で鑑賞に臨んだ本作だが、これは良かった! 本作が、これ程自然に観客の心の中に入り込んで来る要因は、なんといっても高校時代の二人を演じた、北村匠海と浜辺美波の魅力!これに尽きるだろう。 その中の一つ、それは本来原作には登場しない主人公の12年後の姿が描かれるということ。 ただ、ネットでの反応は概ね好評の意見が多く、実際今回の映画化においては、現在の登場人物を演じるキャストと、高校時代を演じるキャスト達との間に違和感が無いため、12年の歳月を経ての再会シーンでも、観客には一目で同一人物だと分かる程だ。 本作に漂う違和感と疑問、それはXXが一切登場しないこと! 前述した通り、今回の映画化においての原作からの大きな改変は、12年後の現在の「僕」の姿が描かれること、それに原作ではラストまで明らかにされない「僕」の名前が、早い段階で明らかにされること、の2点。 確かに映画版では、原作に無い現在の描写=母校の教師として勤務する「僕」と、結婚式を控えた恭子の姿、が冒頭から描かれるため、彼らの名前を隠したままでは、あまりにストーリーが不自然になってしまう。 「あれ、親とか先生が一切登場しないぞ?」 そう、映画で描かれる高校時代のシーンでは、終盤に至るまで二人の親や学校の先生など、彼らよりも年長者の登場人物が一切登場しないのだ! 確かに気付かなければ、そのまま最後まで見てしまいかねない要素なのだが、たまたまそこに気付いてしまうと、もはやその異常さが気になってしょうがない。 もちろんこれは意図的なものであり、何かしらの意味と効果を狙ったのは間違い無い筈! 一応念のため、鑑賞後に原作小説も読んでみたのだが、原作では冒頭から「僕」の母親が登場し、図書室のシーンでも先生との会話がある。 更に二人が旅行に行った先では、偶然会った「おばちゃんグループ」とのエピソードも登場するなど、少なくとも原作小説には、映画版の様な不自然すぎる描写や設定は無かった。 では、何故映画版において主人公たちの親や年長者が、桜良の死後まで登場しないのか? もちろん、これは意図的なものであり、その証拠に咲良の死後 葬式のシーン から、二人の親を始め年長者の存在が映画の中に登場し始める。 これは「桜良の死」によって、いままで他人に興味が無かった「僕」の狭い世界が、広がり動き出すことの象徴だとも言える。 この効果が効いてくるのは映画の終盤、遂に登場した咲良の母親が、「僕」に日記を手渡すシーンだ。 実は、ここで始めて姿を表す母親こそ、咲良が生きていればこうなっていた姿であり、この時「僕」は母親の中に未来の桜良の姿を見たのだ。 今まで他人に興味が無く、他人を遠ざけて生きて来た「僕」の目には、きっと大人という価値の無い存在は見えていなかったのだろう。 桜良との交流により人生の大切な部分を教えられた彼には、今まで見えなかった大事な存在が見えている、そう考えることが出来ないだろうか。 実はこの辺の描写は、後述する「星の王子さま」とも通じる点なのだが と同時に、二人よりも年長者の存在は「未来」を象徴する物であり、1年後に死ぬであろう桜良が、今を記憶に止めるために生きようとしている現在を強調するためには、大人や親は敢えて排除した方がより効果的だと判断したためかも知れない。 注:これはあくまでも個人の見解です、念のため これから鑑賞される方は、是非ご自分なりの答えを見つけて頂ければと思う。 桜良が「僕」に貸してくれた大切な本なのだが、実は映画の内容とも密接に関係している。 例えば、「星の王子さま」の主人公である操縦士も、特定の名前で呼ばれることは無く、「ぼく」で統一されている。 『君の膵臓をたべたい』で主人公が「僕」としか呼ばれていないのも、実は「星の王子さま」からの引用によるものなのだ。 中でも特に重要なのは、「星の王子さま」におけるキツネとの対話のシーンからの引用だろう。 悲しみに暮れる王子の元に現れたキツネは、「仲良くなる」とはどういうことか?を通じて、友情や愛情という物を王子に教える。 映画でも「僕」が桜良からのメールを読んで、「そうか僕たちは仲良くなってたんだ」とつぶやくシーンがあったり、キツネとの別れのシーンで王子が、「相手を悲しくさせるのなら、仲良くなんかならなければ良かった」と言うシーンなどは、桜良が親友の恭子を悲しませないために、病気の事を徹底して秘密にしていることにも繋がる。 「星の王子さま」の冒頭部分にある、「おとなは、だれも、はじめは子どもだった。 (しかし、そのことを忘れずにいるおとなは、いくらもいない。 )」や、主人公の「ぼく」が子供の心を持ち続けようとしていたり、王子さまが行く先々で出会うのが、いずれもその愚かさを誇張されて描かれる大人であったり。 これらの大人に対する痛烈な批判を踏まえて、映画版からは主人公達よりも年長者の姿が消された?そんな仮説も立てられるのではないだろうか。 この様に、本作における「星の王子さま」からの影響は非常に大きいため、映画をより深く楽しむためには、是非一読をオススメする。 最後に 実は他にも、死に対するブラックな部分や「通り魔」に関する記述が削られるなど、原作からの変更点が少なからず見受けられる本作。 しかし本作が素晴らしいのは、その映画独自の改変が見事に成功している点だ。 実際、ネットでの感想やレビューにも、それらを好意的に受け取る物が多い。 特に脇役の恭子の比重を重くし、映画独自のクライマックスとサプライズへと繋げた点は実に見事! これ程の大幅な改編が観客に支持されている理由、それはやはり「登場人物たちのその後の物語が見たい!」という、ファンの願いを叶えたからではないだろうか? 原作で描かれなかった12年後の登場人物を見せてくれるのは、それだけでファンにとっては嬉しいことだし、12年という長い年月を経て真実が判明する展開と、そこに待つサプライズでの感動は、てっきり原作のままだと思われた方も多かったのでは? 原作を未読の方は、出来れば映画を鑑賞後に読まれた方が、こうした映画独自のアレンジをより楽しめるかも知れない本作。 昨年の『君の名は。 』並に泣ける作品として、全力でオススメ致します! 文:滝口アキラ 関連記事 ・ ・ ・ ・ ・.

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