ミッド サマー 考察。 映画「ミッド・サマー」を観る前にあらすじと見所をチェック!衝撃作品の監督アリ・アスターの作品を無料で観る!

ミッドソマーあらすじネタバレ!ミッドソマーのペイガニズムとは?

ミッド サマー 考察

映画『ミッドサマー』ネタバレ考察。 出典: ここからは本作の考察をネタバレを含み解説していきます。 細かい点まで徹底的に考察していくのでお付き合いください。 『ミッドサマー』のホラーの中のジャンルは? ホラー映画には様々なジャンルが存在する。 『ミッドサマー』はどのようなジャンルに含まれるのだろうか。 第一に本作がカルト系の映画であることは間違いない。 カルトという言葉自体には反社会的で常人には受け入れられないような悪しき習慣や習性を持った集団の意味が現在では強く根付いている。 元々はネガティブなイメージはなかったが時代の流れとともに否定的なイメージが定着していったと言われている。 『ミッドサマー』にはカルト的と取れる描写が多数見受けられた。 そして本作では90年に一度行われる祝祭がテーマとされているため、これらは古来から続いている伝承 フォークロア をもとに執り行われているといえる。 古くからの言い伝えはホラー映画によく使われるテーマである。 アリ・アスター監督の前作『ヘレディタリー』も伝承をテーマにした作品であった。 ミッドサマーとは一体なに?五月祭・夏至祭について ミッドサマーの起源はそもそも五月祭に存在する。 五月祭は古くからヨーロッパ古代ローマ帝国で行われてきた祭りに由来しており、5月1日 メイデー に豊穣の女神マイアを祭り、夏の豊穣を予祝して行われる祭りでいわば祝祭だ。 女神マイアにはいくつもの供物が捧げられる。 この祭りはキリスト教がヨーロッパ各地に伝来するよりも以前に起源を持っていることも重要なポイントだ。 そして『ミッドサマー』の舞台となっているスウェーデンで行われる祝祭は夏至祭のことである。 基本的には聖ヨハネの日に行われる。 スウェーデンを含む北欧の地域では五月祭の頃は気候の影響で樹々や花が乏しいため、夏至の頃に行うようになったとされている。 スウェーデンでは毎年6月19日から26日の間の、夏至に最も近い土曜日Midsommardagen(ミッドソンマルダーゲン)とその前日Midsommarafton(ミッドソンマルアフトン)と合わせて2日間が祝日となる。 2020年は6月24日がそれにあたり、クリスマスと同じぐらい重要な行事とされている。 このMidsommardagenが本作『ミッドサマー Midsommar 』のタイトルの由来である。 また、本作に登場する祝祭にはヨーロッパの様々な国の五月祭、夏至祭の要素が混合しているといえる。 物語の舞台スウェーデンにおける白夜について 本作のキャッチコピーは「明るいことが恐ろしい」であった。 この明るさは超自然現象ではなく、自然現象の一つである。 その明るさの原因は白夜に存在する。 白夜とは真夜中になっても薄暗いまたは、薄明るい状態が続く現象のことである。 この白夜は地球が太陽の周りを公転していることと、地軸を傾けて自転していることが要因である。 これは北欧諸国やグリーンランド、ロシアやカナダの北部、また南極大陸の大部分で観測される現象である。 本作の劇中でも夜でも明るいまたは薄明るい状態が続いていた。 北欧諸国では6月下旬前後にこの白夜の状態になる。 これは夏至祭の期間と重なる。 また季節性感情障害という精神疾患の患者数は北欧諸国で多い傾向にあるが、これは白夜が関係しているのではないかと指摘されている。 患者の症状には「意識低下や、思考阻害」が確認されている。 メイポールの役割について 本作ではスウェーデンの奥地に暮らす集団のシンボル的存在としての印象が強かったメイポール。 これは実際の五月祭にも使われ、重要な役割を果たしている。 元々は豊穣を祝う行事でもあるため、このメイポールもその要素が強い。 古くから人々は樹木の霊魂は太陽の光や雨をもたらし農作物を育て家畜を増やすと信じられていた。 このメイポールを中心として手を繋ぎダンスを踊ることで農作物の収穫を祝い、子孫繁栄につながるとされています。 劇中でも実際にダニーが女性の住民と共に踊りを踊っていた。 ミッドサマーにおける食事について 『ミッドサマー』では食事のシーンが多用されていた。 これらは先ほど紹介した夏至祭や五月祭に習っている。 本来の夏至祭ではニシンの塩漬けやイチゴなどが振舞われるという。 本作でもダニーがメイポールの下での踊りの戦いに勝利して女王となったのちの会食でニシンを丸呑みにさせられそうになっていた。 また、ダニーたちがスウェーデンの奥地に到着した際にはすぐにイチゴが振る舞われていた。 9にまつわる言い伝え 『ミッドサマー』には9という数字が多用されていたことに気がついた方も多かっただろう。 物語に登場したのは• 90年に一度の9• 生贄の人数が内部の4人+外部の4人+1人の9人• 祝祭の期間が9日間• Midsommarのアルファベットの文字数が9 また、劇中のホルガ村に住む人々は生と死をサイクルとして捉えており生まれてから18歳までを春、18歳から36歳までを夏、36歳から54歳までを秋、54歳から72歳までを冬として捉えている。 これは18の倍数でのサイクルですが18の約数は9ですから、9という数字が隠されていると言える。 その他にも、スウェーデンではミッドサマーの夜に9種類の草花を枕の下に敷いて寝ると将来の結婚相手を夢見ることができると言われている。 このように9という数字に固執していることには数が持つパーワーへの人類の恐れが反映されているといえる。 日本人でも4や9といった数字からあまり良いイメージを持たず、避ける人もいるだろう。 日付や時間を数で捉えている以上、数字からは様々な出来事が連想できるため、数字が人々の感情に及ぼす影響は大きいといえる。 これは先ほどの年齢のサイクルに従い、72歳となった老人が自ら命を絶っている。 集団の中ではこの行為はポジティブに捉えられている。 強烈な映像だったが観客は耐えられただろうか。 その言葉についてはジョシュのみが理解していたが、劇中のみならず実際にその言葉は存在する。 これは先史時代から北欧で儀式的な殺人が行われていた場所につけられた名前で言い伝えによると、高齢者が自らの存在意義を見失った際に体を投げ捨てた場所とされている。 タペストリーについてについて 本作では物語のファーストカットから大きなタペストリーが表示されるが、このタペストリーはこれから起こることを予言していたとされている。 mupan. jpg このタペストリーは左側の冬と右側の夏に分かれ物語の展開を示唆している。 冬の場面ではダニーとその家族が亡くなってしまった描写が、そしてダニーが泣いているところを慰めるクリスチャンとそれをそっと見守るペレ。 そして右側ではスウェーデンの奥地で行われたミッドサマーでの会食やメイポールでのダンスなどの様子が描かれている。 ちなみにこのタペストリーはMu Pan氏によって描かれている。 劇中にはMu Pan氏が描いたタペストリーがいくつか登場する。 A post shared by mupan1911 on Jul 25, 2019 at 1:16pm PDT そしてもう一つ物語の途中にホルガ村で登場したタペストリーがこれだ。 出典: このタペストリーもその後に起こる出来事を予言している。 タペストリーには女性が自身の陰毛を食事の中に入れ、それを食べた男性と結ばれるという一連の流れが絵画として描かれている。 実際、クリスチャンが陰毛の入ったミートパイを食べることになった。 聖ヨハネの聖水について 出典: 劇中、ダニーがメイポールの下でダンスをする直前に黄色い花をすりつぶした物を水の中に入れてかき混ぜただけの飲み物を飲んでいる。 この花が何の花なのかは定かではないが、おそらくセイヨウオトギリであると考えられる。 キリスト教が夏至祭と結び付けられて以降は聖ヨハネの生誕日である6月24日は聖ヨハネの日として祭日となっている。 ヨハネの聖水には必ずセイヨウオトギリが入れられるという。 このセイヨウオトギリソウの成分は統合失調症を患っている人では薬物併用によって精神病症状を悪化と関連があるとも言われている。 ダニーももしかしたらこれが原因で足から草が生えてくるような幻覚を見てしまった可能性もある。 近親相姦について 物語の一つのポイントとなったルビンは障害を抱えて生まれてきた。 このルビンの障害は意図的に発生したものである。 ホルガ村では障害を持ったものは世の中との繋がりが薄いため神聖であるとされていた。 そしてホルガ村は聖書ルビ・ラダーへの書き込みを継続させるためにそのような人物を必要としていた。 そのため、意図的に近親相姦を行い障害者を生み出したのである。 本来、ホルガ村では近親相関を基本的にタブー視している。 加えて、外部からの血が必要であったためにクリスチャンが巻き込まれ、ホルガの赤毛の美女との肉体関係を反強制的 薬物 に迫られている。 近親相姦によって障害を持った子供が生まれやすい要因の一つとして、血縁関係が近いためにその可能性が高まるからと言われている。 ルーン文字について 本作では見たことのない古代文字のようなものが多数出現する。 これはルーン文字と呼ばれ、2世紀から3世紀ごろに出現した実際に存在する文字である。 古くゲルマン人が用いた文字で、呪術や儀式に使われた文字だという認識が強いが、実際には日常的に使われていたという記録も存在する。 本作でルーン文字が使われている箇所にはメイポール、神殿の部屋の内装、服、石板などだ。 それぞれ、パワーや進化、自己犠牲、死などの意味があるとされている。 メイポールはホルガ村での祝祭のシンボル的存在として登場した。 主人公のダニーがラリった状態でダンスバトルをした際にはポールを中心として踊りを踊っていた。 このメイポールの上部にはルーン文字が配置されている。 羊や牛が起源となっており、富や資産を意味している。 原義は車輪で、旅や成長、進化を意味している。 意味は愛情だ。 意味は戦士や、導き。 意味は主に保護だ。 秘密や伝授を意味している。 特にダニーがメイポールの周りでダンスを行った際に着ていたシャツだ。 意味は変革や夜明けだ。 「槍」などの意味がある。 ペレに関する推測 本作において重要な論点となっているのがペレという男の存在である。 彼はもともとホルガ村の住人であるうえ、ダニーとクリスチャンの状況を最も理解している人物でもある。 これは先ほど紹介したタペストリーに描かれていたダニーとクリスチャンを上から見守るペレの姿からも推測できる。 また、物語の幕開けに登場するタペストリーに描かれている一コマである以上、ペレという存在の意味はとても深いと考えられる。 果たして、ここで一つの疑問が浮かび上がってくる。 それはペレがこれからホルガ村で実際に起こることを分かっていたか分かっていなかったかに関する問題だ。 結論から述べると、ペレ自身はこの状況に陥ることを想定できたはず。 つまり分かっていて村へ友人を連れていった黒幕的存在である可能性がある。 そもそもペレは交換留学としてスウェーデンからアメリカにやってきているだけなので村のしきたりや儀式などについては熟知しているはずだ。 そしてそれをわざと隠していたことは、オリの中に閉じ込められていた熊を見た時にただの熊だと発言したことからも怪しさが醸し出されていた。 しかし、一方で、ペレの両親は幼い頃に炎に包まれて亡くなったと語られている点にも注目したい。 ペレは大学生であるため、年齢的に両親が生贄にされたとしてもミッドサマーの90年に一度の頻度とは異なるためホルガ村では他にも猟奇的儀式が行われている可能性も拭えない。 ここから推測するに、 そもそも『ミッドサマー』の90年に一度の祝祭ということ自体が真っ赤な嘘であるという壮大な予想を展開することができる。 つまり、祝祭そのもののスパンが一年ないしは数年に一度のスパンで行われていた可能性が否定できない。 これには他にも根拠もいくつか存在する。 例えば歴代のメイクイーンの写真の数が非常に多いことだ。 これだと大昔の写真という技術がない時代の写真が存在してしまう。 また、劇中で赤ん坊の鳴き声を何度も耳にしたはずだ。 近親相姦に注意を払っていると主張していたのにもかかわらずあのような小さなコミュニティに対する赤ん坊や子供の数が明らかにおかしい 多すぎる。 また定期的に外部の血を取り入れるとも語っていたがこれも90年に一度のスパンで祝祭が行われていないという裏付けである。 そもそも幻覚作用を引き起こすようなドラッグが常用されていることもおかしな点である。 ホルガ村は明らかにおかしなカルト宗教団体で、外部のものは完璧にはめられたのだ。 ホルガ村が外部の血を欲しがるが故に、はめられたとするとダニーとクリスチャンの関係は好ましくない。 そのためドラッグによって判断力や思考力を鈍らせ最終的にクリスチャンの性行為をダニーに見せつけることによって2人の関係を引き裂いたのだ。 この推測が正しいとして、祝祭が数年のサイクルで行われていたとすると歴代メイクイーンの数からして、あのコミュニティは比較的歴史の浅いホルガ村を拠点とした新興宗教団体なのかもしれない。 映画『ミッドサマー』アリ・アスター監督がラストで伝えたかったこととは。 果たして、本作が伝えたかったことはいったい何なのだろうか。 アリ・アスター監督が語るに、本作はホラー映画というジャンルには含まれないのだという。 本作を読み解く上で最もわかりやすい手法はやはり、ダニーの立場に立って考察することだ。 物語の序盤のスウェーデンに渡る以前からダニーは集団の中で完全に孤立した状態であることが示されていた。 ダニーは家族を失い、唯一のよりどころであるクリスチャンとの関係もほとんど崩壊しかけていた。 アリ・アスター監督は家族に対する捉え方に非常に慎重であり、本作では自身の経験も投影して描いているという。 それを踏まえた上で物語の一つのキーワードとして恋愛という言葉が浮かび上がってくる。 ダニーとクリスチャンの関係はひとつひとつの行動によってそれを事細かに影響し合うようなデリケートなものとなっていた。 ダニーは終盤でクリスチャンの性行為によってほとんど感情が崩壊した。 ホルガ村の住人たちの共感力の強さもそのデリケートな感情を際立たせていたといえる。 また、物語が進むにつれダニーは日常社会でのコミュニティから、ホルガ村のコミュニティへと自分の居心地の良さが遷移していっていた 結局はこれもホルガ村にとって思う壺だったのかもしれない といえる。 こうしたことから最終的に生贄の選択としてクリスチャンを選び、最後は笑みを浮かべるという究極のカタルシスが実現した。 本作が伝えたかったこと、というよりはアリ・アスター監督が感じて欲しかったことはラストのカタルシスであり、心のどこかで残る不気味さであるといえる。 表面的にはカタルシスではあるが、先ほど紹介したペレに関する考察を受け入れればこの不気味さも解消されるだろう。

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【ミッドソマー】映画のあらすじ&感想:自然崇拝カルト

ミッド サマー 考察

家族に災難が起こって壮絶なトラウマを抱えた女子大生ダニーは、民俗学を学ぶ大学生クリスチャンと恋人同士。 実際にはクリスチャンはダニーへの恋心が消え、別れを切り出そうとしていましたが、ダニーがトラウマに苦しむ中別れを言えずに過ごしています。 正直、もう彼女のことなどどうでもいい感じ。 ある日ダニーは、クリスチャンが友人3人と決めたスウェーデンの田舎町ハルガを訪れる計画にゴリ押しで加わります。 その年、ハルガでは90年に1度の "夏至祭" が行われるからで、クリスチャンは専攻している民俗学的な観点からも心そそられていました。 ところがその祭りは「祝祭」とは異なるもの。 ペイガニズムに則った「恐怖の祭り」だった! 原題の "Midsommar" は、スウェーデン語で "夏至祭" を意味します。 でもこの物語での "夏至祭" は祝祭を意味しない。 ペイガニズム(自然崇拝等)に則った、狂気の "生贄フェスティバル" なのです! めくるめく情景の数々はウットリする程美しいのですが、そこここに物語の伏線となるモチーフが散りばめられていて、伏線回収と共にジワジワと "不気味な恐怖" を運んできます。 時に目を覆いたくなるようなグロテスク描写、強烈な性描写も出てくるので、人によっては見るに当たって心構えが必要ですよ! 一緒に来た友人たちが、無残にも生贄になっていきます。 でも物語は奥が深くて芸術性も高く、タマらなく引き込まれる魅力が詰まっています。

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映画『ミッドサマー』ネタバレ考察。ラストで本作が伝えたかったこととは。【感想】

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大学生のダニ( フローレンス・ピュー)と大学院生のクリスチャン( ジャック・レイナー)のカップルは、その冷え切った関係に終止符を打てないでいる。 別れを切り出したいクリスチャンであったが、ダニの身に突如降りかかった最悪の不幸によって、その願いも遠のいていくことに。 以来、表面的には交際を続けていた二人であったが、人類学専攻のクリスチャンは、3人の友人と研究も兼ねたスウェーデン旅行を、傷心のダニ抜きで計画。 しかしその計画もダニにバレてしまい、最終的に彼女も同行することが決まった。 そして、その期待を裏切らない展開が冒頭から炸裂していきます。 躁鬱を患っていたダニ( フローレンス・ピュー)の妹が、なんと 実の両親を巻き込んで無理心中。 ホースが口に固定された状態で二酸化炭素中毒死を遂げた妹の姿は、あまりにも無残。 言いようの無い 強烈な気持ち悪さが、内からこみ上げてくるのを私は感じていました。 前作『』でもそうでしたが、アリ・アスター監督は、この手の不快感を観客の腹の底から沸き立たせるのが本当に上手いんですよね。 プロット自体は伏線も散りばめられていて非常に分かりやすく、 なんなら先も読めるのに、なぜかゾクゾクしてしまう。 吐き気に近い気持ち悪ささえ感じる。 生理的な嫌悪感というのかな。 初めから全てを物語る絵 それは本作が、前作同様《 儀式》を中心に進行していくからでしょう。 《儀式》はそれ自体が仲間内のものである為、 自ずと物語には得体の知れない奇妙さが付き纏います。 ハルガのコミューンに属していない登場人物(や私たち観客)は、いわば部外者。 「郷に入れば郷に従え」ではないけれど、コミューンに足を踏み入れた彼ら(そして私たち)には、おとなしくそこの掟に従うという選択肢しか残されていないのです。 逃げ場のない恐怖。 美しい大平原に延々と降り注ぐ太陽のもと、《儀式》の全貌を目の前で堂々と見せられ、 暗闇や茂みに隠れることを許されない状況は、まさに生き地獄そのもの。 中盤で登場する 初老カップルの 投身自殺場面も、見たくないのに思いっきり見せられショックを受ける方は多いと思います。 私も二人が死ぬことは予測できていましたが(下記 *参照)、 あんなに間近で細部まで見せられるとは思っていなかったので、なかなかの衝撃でした。 「2発目要る!?」と思わずにはいられないトドメの木槌攻撃や、「名シーンをじっくり振り返ってみよう!」と言わんばかりの逆再生&スローモーション映像によって、更に得体の知れない恐怖に取り込まれていく感覚を覚えました。 何より眩い自然風景の映像がとても美しく、 その場で見せられる残虐性とのミスマッチが対比としてうまく働いていたのが、不気味ながらも印象に残っています。 * 前日、ペレがジョッシュ(ウィリアム・ジャクソン・ハーパー)に「ハルガでは人生を季節に準える」と説明している。 0〜18歳は春、18〜36歳は夏、36〜54歳は秋、54〜72歳は冬の4区分。 横で会話を聞いていたダニは 、「72歳になったら何が起こるの?」とペレに尋ねるが、ペレはこれに死を意味する首切りのジェスチャーで答える。 ダニはジョークと捉えて鼻で笑うだけであった。 そんなのアリ・アスター!? (とダジャレも漏れる) 例えば、ダニの彼氏クリスチャンがドラッグを飲まされ、ペレの妹マヤとの性交を強いられるシーン。 マヤと文字通り一心同体の裸女性軍団の大活躍によって、「一体何を見せられているのだろう?」と困惑、からの笑いが襲ってくる瞬間です。 そして、クリスチャンの行為を目撃し泣き崩れるダニを、これまた別の女性陣が一緒になって悲しむ場面が続きます。 共感の嵐、嵐、嵐。 意図はわかる。 それでも初めて見る光景だったので、 やかましいわと 動揺を隠せませんでした。 その後、事が終わり我に返ったクリスチャンが(追い打ちをかけるように) 裸一丁で外へ猛ダッシュ。 無防備な彼を不憫に思う一方で、あまりの絵面のおかしさにもう一笑い。 アスター監督も役者さんもいたって真剣なのでしょうが(いや、監督に関しては眉唾ですが)、やっぱり恐怖と笑いは隣り合わせだと感じた瞬間でした。 アスター監督の作品は、そういった点からもエンターテイメント性に富んでいて好みです。 また(まだあるんかい)、最後に 熊の着ぐるみを着せられるクリスチャンにいたっては、変な白い粉を吹きかけられ全く動けないものだから、余計置物(ぬいぐるみ)のようで可愛らしく、なんだか 滑稽にさえ見えましたね。 実はアスター監督、私生活で実の弟さんを亡くしているのですが、当時長く付き合っていた彼女ともその後破局をしています。 つまりこのことから、 ダニ=アスター監督、クリスチャン=元彼女であることは想像に難くない訳で、事実、監督はダニを自身に準えていることを明らかにしています。 「この映画はダニのもので他者(クリスチャンら他)のものではない」というでの発言通り、本作はアスター監督を主人公とした《 喪失と再生》の物語と言えそうです。 それは喪失によるトラウマを抱えるダニが、ハルガのメイクイーンに選ばれたことをきっかけに、クリスチャンに見切りをつけ立ち直ることを決意したように。 もちろん、 ダニ以外は生かしてもらえません。 映画作りを通して、内に渦巻くいろんな想いを外へと発散・昇華させているアスター監督。 彼にとって映画作りは、まさに 自己セラピーなんでしょうね。 私も辛い失恋の経験はあるので、ダニの気持ちは痛いほどに伝わってきました。 ただ、喪失という点においては監督の実体験とは比べられないので、「すごい共感できた!」とはいかず、爽快感は得られず。 エンディングなんて、口ポカーンでフィニッシュ! 私たち観客がそれぞれ歩んできた道によって、ダニとクリスチャンのどちらにより共感を覚えるか異なるのも、また興味深いところです。 視点によっては、ホラーにもコメディにもなり得てしまう。 ただ個人的に一番興味があるのは、元ネタとなった 監督の元カノの反応ですね。 向こうからしたら、恐怖以外のなにものでもなかろうに・・・これは、もはや 壮大な復讐劇と呼ぶべきかもしれません。 監督、優しそうな顔して考えることは結構えげつないのかも・・・なんて。 ジョッシュを演じたウィリアム・ジャクソン・ハーパーも、脇がびっしょり汗で濡れてしまったとか。 ダニを演じたフローレンス・ピューも、本作撮影において相当な心的ストレス(トラウマ)を体験したことを、自身ので明かしていました。 いかがでしたでしょうか? アリ・アスター監督には、今後も引き続き変わった作風を期待していきたいと思います。 YOU MAY ALSO LIKE・・・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・.

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