横浜銀蝿 ラッツ&スター。 コロナを乗りこえて!ライブハウス「FRIDAY」応援プロジェクト!

横浜銀蝿/仏恥義理 前夜祭 DVD -横浜銀蠅30周年記念ライブ-

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この記事はなが全く示されていないか、不十分です。 して記事の信頼性向上にご協力ください。 かつては シャネルズ(CHANELS、後にSHANELSに変更)の名で活動していた。 4人のが、を歌っていた。 1987年から活動を休止しているが、正式なはしていない。 メンバー [ ]• (すずき まさゆき、 - ) : 担当。 当バンドのでもある。 1986年以降はソロとして活動中。 (たしろ まさし、1956年 - ) : 担当(シャネルズ時代はボーカルを担当)• 本名は田代政。 グループ時代は「田代マサシ」の名で活動することが多かった(田代まさし名義はソロで活動を行うようになってから)。 (さとう よしお、1956年 - ) : 担当• グループの活動休止後はに転身しを世に送り出したことでも知られる。 2016年現在は「」の社長。 、として活動。 (くぼき ひろゆき、1956年 - ) : トップテナー担当 顔を黒く塗っていたのは上記の4人である。 (くわの のぶよし、 - ) : 、、担当• グループの活動休止後はタレントとして活動。 鈴木のソロツアーにも参加。 顔を黒く塗っていないのは桑野が白人であるという設定のため。 ただしとしては、には顔を黒く塗るようになった。 (いずも りょういち、 - ) : (担当)、ボーカル担当• グループの活動休止後はとして活動する傍ら、音楽スクールの「MAR WEST MUSIC SCHOOL」で講師を務めている。 (しんぽ きよたか、1957年 - ) : 、ボーカル担当 元メンバー [ ]• (すがわ やすお、 - ) : 担当• 後にに入ったため脱退。 高橋進(たかはし すすむ、1960年 - ) : 担当• (やまざき ひろあき、 - ) : キーボード(、)担当• 1984年2月脱退。 概要 [ ] シャネルズ結成~アマチュア時代 [ ] 9月、鈴木が高校時代の仲間の田代、中学の時に同級生だった佐藤・久保木らとともに シャネルズを結成。 この他に結成当初から在籍していたのは新保と高橋で、主に近辺出身のメンバーが集まり、自分達の仕事と並行して演奏活動をスタートさせた。 バンド名は、憧れのグループであったのオールディーズバンド「(Sha na na)」とドゥーワップグループ「(The Channels)」からとって名付けたもので、バンド名の通り当初は「」のコピーバンドとして主に活動しており、顔も黒く塗っておらず衣装もにというスタイルであった。 にはのテレビ番組『』に出演。 その後一部メンバーの脱退が続いたが、その入れ替わりに鈴木の幼なじみである桑野と、中学時代は高橋と同級生だった須川が加入する。 、当時最高峰の・バンドコンテスト『'77』(主催・)に出場し、決勝大会まで進出して入賞を飾る。 同コンテスト決勝大会には、(入賞)、(優秀グループ)が出場していてプロへの足掛かりを作っている。 またとこのころ関係を持ち始め、同年大瀧がプロデュースしたアルバム『』には鈴木がソロを取り佐藤がコーラスを担当した曲と、メンバー全員で参加した曲の2曲が収録された。 なお、名義はそれぞれ 竜ヶ崎宇童と モンスターとなっている。 『EastWest'77』でサザンオールスターズを始めとする他のバンドに圧倒されたメンバーは、シャネルズをもっと強く印象づけられるものが何かないか探していた。 そんな時、田代が深夜にテレビで放送されていた映画『三匹の狸』()を観ている時にが演じていた黒塗りパンチパーマの詐欺師にヒントを得て、黒塗りの顔でステージに立ってみることを発案する。 話し合った結果、目立つようにメインボーカルの4人だけが顔を黒く塗ることに決め、衣装も黒い顔に似合うものを探して、の呼び込みが着ていた制服であるど派手なを安く仕入れた。 そして、鈴木の父が持っていた黒人音楽のレコードやジャケットを見て、衣装に合う振り付けを考え出した。 こうして『EastWest'78』にはレコードデビュー後のスタイルに近い形で出演し、その後の曲のレパートリーも本格的なドゥーワップが中心となっていった。 ただ、当時しばらくはがなかなか世間で認められず苦労するも、には早くから認められていた。 その後の「ルイード」で定期的に行っていたライブが次第に評判を得始め、アマチュアバンドの中では一、二を争う人気グループとなっていく。 このころ脱退したメンバーと入れ替わりにのアマチュアバンド「ダックテールズ」のリーダーだった山崎がメンバー入りし、更にその後サイドギター担当が抜けた後釜に出身の出雲が加入してデビュー後のメンバーが揃う。 レコードデビュー前にもテレビ出演を果たしており、例えば、の「」では中途から数回出演し、「」などのを披露している。 レコードデビュー [ ] 2月にメンバー10人でレコードデビュー。 デビュー曲「ランナウェイ」がを記録する大ヒット。 顔を黒塗りすることで、の雰囲気を出したことが話題となり、お茶の間でも一躍人気グループとなる。 また、「『ドゥ・ワップ』ってなんだろう? 」と音楽雑誌でも取り上げられるなど、日本にドゥーワップ・ブームを巻き起こす。 黒塗りメイクにはデビュー当時まで白髪染めを、以後は濃い色のファンデーションを塗っている(当時は靴墨を塗っているという説が一般的であったが、靴墨はファンがやっていたため自分たちも靴墨と言っただけで、靴墨は臭くてとても塗れないでしょうという趣旨のコメントを後に桑野が述べている)。 なお、デビュー後もしばらくの間は、メンバー全員がそれまでの仕事を続けていた。 同年、の名門ライブハウス「」に出演を果たした。 1月、一旦それまでの活動を休止し、全員が昼間は旋盤工などの仕事をして、夜に集まって練習をするという生活に戻った。 2ヶ月後に復帰し、この時に「CHANELS」のスペルを「SHANELS」と変えている。 の高級・(CHANEL)からの物言いがあったと言われているが、鈴木はスペルを改めた理由として「CHANELS」だと海外ではチャネルズと読まれてしまうためと述べている。 以後、シャネルズ時代の音源などが発売された時は、ジャケットなどの「CHANELS」の表記は全て「SHANELS」と変えられている。 バンド名を変更した理由はあまり明言されることがなく、ドゥーワップにとらわれないグループを目指すためと説明されることもあるが、スペル改名後もシャネルからのクレームが続いたためと言われることが多く、同業である化粧品会社()のCMソングを担当することになったためという説もある。 下町育ちのドブネズミ達がDoo-Wapを歌うとRATSがひっくり返りSTARになったというのが本義。 また、この年のには『ALL NIGHT NIPPON SUPER FES. '83』に出演し、大瀧詠一、サザンオールスターズと競演する。 最後は『』、『』をセッション。 その後、ピアノの山崎とベースの高橋が脱退して8人体制になる。 3月、系で週4回放送の5分間バラエティ『』に 大森笑劇研究会の名義でレギュラー出演し、コントを披露した。 同年11月からはの『RATS ENTERTAINMENT'85』がスタートした。 活動休止~その後 [ ] 、・のでメンバー5人が合同結婚式を行い、話題を呼ぶ。 結婚式当日は花嫁を引き連れてフジテレビ系『』の第1回目に出演。 後に須川が抜けて7人体制になるが、その後メンバーは一人一人が個人で活動していくようになる。 田代と桑野はの世界を主な活動の場とするようになり、鈴木はにソロ歌手としてデビューした。 、鈴木の実の姉であるの歌手デビューをサポート。 「」としてリリースした曲「」がヒットし、後にカラオケのデュエットソングの定番となった。 又、同時期にはのCMにもメンバー全員で出演した事もあった。 90年代に入るとそのような機会もほとんどなくなっていったが、にはフジテレビ系番組『』に緑のスーツを着て出演し、メドレーを披露している。 ネズミ年のにメンバーが再集結し、期間限定で活動を再開する。 その後全国ツアーを敢行し、同年、同曲で『』に初出場する。 1996年の再集結以降、桑野自身が日本テレビ系の音楽番組『』でグループの活動再開を明言していたが、により話が立ち消えになったようである。 しかし、それ以降も桑野は「解散したわけではなく、もし活動を再開するのであれば再結成ではなく再集結です」と述べている。 2000年以降 [ ] に、鈴木・佐藤・桑野の3人が、のメンバー(、)とのコラボレーションで「」としてアルバムをリリースした。 7月、が主要駅のに使用する楽曲を一般から募集した結果、のメロディに「夢で逢えたら」が採用され、同年に使用を開始した。 採用理由には、鈴木と桑野が同駅の所在する出身であること、グループを代表する楽曲であることの二つが挙げられている。 、田代が自らので鈴木・佐藤と会食し、鈴木が田代にラッツの30周年については困難な見解を示しつつも、互いに「ラッツは宝物だ」ということを確認しあい、「お前が真面目にやって宝物を磨いて俺たちの前に出すなら、俺もそれを出すよ」と語ったことを明かした。 翌3月、鈴木は新アルバム『Still Gold』の発表記念イベントで「再び、田代さんと歌う可能性はあるのか」との質問を受け、「彼も自分をもっと磨いてほしい。 そうしたら、オレも磨いたStill Gold(黄金の輝き)を彼の前に出したいと思います」と答えた。 2009年、にて、1996年発売のベストアルバム『』が鈴木雅之の"Martini"シリーズ『Martini Blend』とともに再発された。 2009年、下北沢のソウルバー「エクセロ」が25周年記念イベントを行った際に、田代も含めたラッツ&スターのメンバーが出演。 ひさしぶりにラッツ&スターのメンバーが顔をそろえた。 ステージでは「スタンドバイミー」を披露した(田代のブログより)。 、デビュー30周年を記念して、オリジナル・アルバム 9枚 ・初のB面集・レアトラック集の計11枚のCDとPV集+秘蔵映像のDVD1枚、その他豪華特典付きで、初のBOX『』が完全生産限定で発売。 楽曲について [ ] デビュー曲の『ランナウェイ』はが作詞を、が作曲を担当し、後もこの二人によって多くのヒット曲が作られた。 また、作詞家のが初めて詩を提供したのが麻生麗二名義によるシャネルズの『星屑のダンス・ホール』という曲で、後に『め組のひと』『今夜はフィジカル』『グラマーGuy』など多くの楽曲の作詞を担当した。 アルバム収録曲の大半や「憧れのスレンダー・ガール」などの一部のシングル曲は田代が作詞を、鈴木が作曲を担当している。 田代と鈴木の二人はやに楽曲を提供したこともある。 その他にはもグループの編曲に深く携わっている。 リードボーカルは基本的に鈴木が務めていたが、アルバムには田代がリードを取る曲が収録されていることが多く、その他にも佐藤・久保木・桑野・新保がそれぞれリードボーカルを担当する楽曲も存在する。 デビュー前から交流のある大瀧詠一は、当グループのデビュー曲用に『スパイスソング』と言う曲を書いており、「ペッパー」のCMソングとして使われる予定であったが、結局は使われなかった(ゴスペラッツのアルバムに収録された『星空のサーカス〜ナイアガラへ愛をこめて編〜』は、この曲と『星空のサーカス』のである)。 大瀧による同曲のデモバージョンは、アルバム『』に収められた。 シングル発売された『Tシャツに口紅』とそのB面曲『星空のサーカス』の作曲や、先述の2曲が収録されたアルバム『SOUL VACATION』のプロデュース、彼が作詞・作曲した『夢で逢えたら』をラッツがカバーした(オリジナルは)シングル製作時のスーパーバイザーでもあった。 関連書籍 [ ]• 単行本『シャネルズのラッツ&スター』 (八曜社、1981年5月10日)• 写真集『ザ・シャネルズ』 (、1981年9月30日) 脚注 [ ] [].

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横浜銀蠅は実は真面目で大学出身の高学歴!文武両道のツッパリ集団!|Tomo’s Walking Discovery

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おのれの生きざまを歌に託すアーティストは、ケンカにおいても負けることは許されない。 魂を揺さぶるような勝負の行方はどっちだ! 〈大学出たって馬鹿だから〉 〈儲かる話とクスリにゃ目が無い〉 〈ドラマの主役にゃ燃えている〉 やつぎばやに繰り出すのは、 桑田佳祐(58)が94年に発表した「すべての歌に懺悔しな!!」のフレーズ。 この歌詞の多くが 長渕剛(57)を揶揄したのではないかと騒動になり、ついには長渕自身が宣言した。 「俺は桑田を絶対に許さない!」 長渕は雑誌のインタビューで、かつてサザンオールスターズのライブで勝手に前座をやらされたことまで持ち出し、徹底抗戦の構え。 音楽評論家の富澤一誠氏は当時の状況を解説する。 「本来はプロデューサーが行きすぎた歌詞を抑えるべきだった。 実際、長渕の事務所やレコード会社の社長を歴任した後藤由多加氏も『桑田君のプロデューサーが止めるべき。 人のことを歌で言われても』と批判的でした」 桑田は「自分のことを歌った」と弁明したが、長渕は聞く耳を持たない。 ところが決着は、95年1月24日に大麻取締法違反で逮捕されたことであっけなくジ・エンド。 その長渕の兄貴格である 吉田拓郎(68)は歯に衣着せぬもの言いで知られる。 泉谷しげる(66)や 甲斐よしひろ(61)とつかみ合いのケンカに発展したこともある。 さらには85年に初めて 松山千春(58)と会うと、いきなりこう言った。 「俺はお前がデビューした時から気に入らなかった」 これには後輩でありながら千春も黙っていない。 「俺はお前が先にデビューした時から嫌いだった。 「すぐに『さだまさしが嫌い』とか『谷村新司が嫌い』って言い始める。 お客さんもいつものことと思って、キャラクターとしては許されるけど、内心はいい気分ではないですね」(前出・富澤氏) あわやグループ抗争に発展しそうだったのが、82年の ラッツ&スターと 横浜銀蠅である。 ともにヒット曲も多く、TBSの「ザ・ベストテン」では同じソファで座ることもあった。 「先にラッツが歌い終えてソファに座っていて、僕らを挟んで銀蠅の出番。 黒柳徹子さんが大学の話などを質問していたんですが、ラッツのメンバーが『へえ、不良なのに大学に行ってるんだ』ってひと言。 最後は 小室哲哉(56)と 槇原敬之(45)の意外な一戦である。 小室がホストを務めていた「TK MUSIC CLAMP」(フジテレビ系)では、吉田拓郎や岡村靖幸など、ゲストとの会話がまったくかみ合わないケースも多かった。 「あなたを嫌いな人って多いから、それを集めたら番組ができちゃうね」 拓郎は堂々と小室に言い放っている。 そして槇原も、表面上は穏やかながら、音楽理論の違いをのぞかせる。 そしてオンエアからしばらくたって、さる月刊誌に槇原の巻頭インタビューが載る。

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芸能界50年間の「壮絶バトル」を一挙公開!(2)仁義なき「激情アーティスト」

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プロジェクト本文 この度は、本プロジェクトをご覧いただき、まことにありがとうございます。 ドキュメンタリー映画「FRIDAY」の製作をしておりますガチンコ・フィルムと申します。 今回のクラウドファンディング企画についてご説明申し上げます。 「FRIDAY」は、横浜長者町で40年続く伝説のライブハウスであり、クレイジーケンバンドさんのファンの中では聖地としても有名です。 御年80歳のマスターが今も現役で店に立ち、クレイジーケンバンドさんをはじめ、宇崎竜童さん、ムッシュ吉﨑さん(クリスタルキング)、翔さん(横浜銀蝿)、Bro. この50席ほどのライブハウスに夜ごとに日本でもトップクラスのミュージシャンたちが集い、演奏を繰り広げている、知る人ぞ知る、ミュージシャンたちが憧れる伝説のライブハウスです! 昭和の雰囲気を漂わせた老舗ライブハウス。 横浜・長者町の危ない街の雰囲気と音楽が漂うライブハウスは唯一無二のものです。 初めて、我々がこのライブハウスに伺った際にその音楽とお客さん、お店の雰囲気、マスターの雰囲気に圧倒されたことを覚えています。 そして、生の音楽はこんなにも人の心に響くものなのか・・・と。 この伝説のライブハウス「FRIDAY」のドキュメンタリー映画を少しでも多くのみなさまに知っていただきたい!ドキュメンタリー映画の完成と上映にご協力をお願いしたい!ということでクラウドファンディングをさせていただくこととなりました。 ぜひ、プロジェクトをご覧になってご興味を持っていただけるようでしたら幸いです。 横浜・長者町の「FRIDAY」は、マスター磯原順一氏が40歳の時に立ち上げたライブハウスです。 横浜に縁の深いミュージシャンをはじめ数多くのミュージシャンが、この伝説のステージで演奏をしました。 それから40年、現在、御年80歳になるマスターは、現在でもオープンからクローズまで店に立っています。 このお店からブレイクしたミュージシャンも多く、クレイジーケンバンドさんはブレイクするまで長年をこのライブハウスで活動していました。 お客さまが少ないときは、マスター自身がお客さまに電話をかけて宣伝するということを続けてきました。 クレイジーケンバンドさんは、大きなホールを満杯にするライブを行うアーティストとなった現在でも、原点である「FRIDAY」のステージに月に1回、出演されています。 お店はインターネットでの予約を受け付けず電話での予約受付をしています。 ミュージシャンたちのブッキングはマスターが携帯電話で直接行っています。 そこには、昔ながらの「人と人のつながり」があります。 マスターを慕うミュージシャンとお客さまによって支えられている、温かいライブハウス、それが「FRIDAY」です。 音楽シーンがネットやデジタルに移行しつつある今だからこそ、このライブハウスの存在を多くの人に知ってもらいたいと思っています。 映画『FRIDAY』は、マスター磯原順一とミュージシャンたちとの交流&お客さまとの関係を軸にライブハウスで撮影した20曲の音楽と24名のインタビューから構成される「音楽ドキュメンタリー映画」です。 日本の音楽シーンを彩ってきた一流のミュージシャンたちの演奏を思う存分お楽しみいただける、映画館でライブハウス体験ができる映画です。 2020年2月に横浜にある映画館「シネマ・ジャック&ベティ」で上映後、各地での劇場公開を予定しています。 本プロジェクトでは少しでも多くのみなさまに本プロジェクトを知っていただき、映画を広めていただくことを目指していきたいとおもっております。 ぜひご支援にご協力ください。 監督:四海兄弟 『ぼくと、彼と、』(2019年11月29日~劇場公開|池袋HUMAXシネマズ)に続き、本作が長編ドキュメンタリー2作目となります。 現在、他に2本のドキュメンタリー作品の公開が控えています。 製作総指揮:飯塚冬酒 宗教音楽ゴスペルを日米で取材した『GOSPEL』(2014年|監督:松永大司)、日本を代表するミスコンテスト「ミス日本」の姿を2年半にわたり取材した『夢こそは、あなたの生きる未来』(2018年|監督:小野篤史)、ベトナム人青年と日本人青年の結婚式を追った『ぼくと、彼と、』(2019年|監督:四海兄弟)など丁寧なドキュメンタリー作品を製作してきました。 少しでも多くの人々にこの映画のことを知ってもらいたいと思っています。 みなさまからのクラウドファンディングでご支援いただいた費用は、広報・宣伝費として大切に使用させていただきます。 現場までの交通費はご自身の負担となります) 【50,000円】 ・監督からのお礼メッセージ(メール) ・本作の劇場鑑賞券 2枚 ・エンドロールお名前表記(協力名義) ・MA制作現場にご招待 MAスタジオで完成直後の映画『フライデー』のチェックを関係者とご一緒に行います(日時未定、12~1月の平日、夕方以降、東京都内を予定。 現場までの交通費はご自身の負担となります) 2019年 11月:ピクチャーロック 12月~2020年1月:MA作業 ~1月:完パケ 2月:劇場公開 人と人がつながる場所、そして、生の音、それがライブハウスの魅力だと思います。 本作では、「映画館でライブハウス体験」ができるような音や絵を目指し、そしてお店の魅力、マスターやミュージシャンの魅力にできる限り肉薄できるような作品つくりを心がけています。 「ザ・昭和」のライブハウスは決して昔のものではありません。 これからの時代だからこそ、必要な場所だと思います。 このライブハウスを、そして映画をもっとみんなに知ってもらいたい! ぜひ、上映ご支援にご協力ください! 本プロジェクトは「All-in方式」で実施します。 目標金額に満たない場合も計画を実行し、ご協力いただいた方にリターンをお届けします。 支援者:5人 お届け予定:2020年01月 このプロジェクトは、 All-In方式です。 FAQ Q. 支払い方法は何がありますか? A. クレジットカードの決済はいつ行われますか? A. 「All-or-Nothing」では募集期間中に目標金額を達成した場合、「All-In」では目標金額の達成・未達成に関わらず、プロジェクトは成立となります。 募集期間内にプロジェクトが成立した場合のみ、支援金の決済が実行されます。 募集期間内にプロジェクトが成立しない場合は、支援金の決済は実行されません。 その場合はプロジェクトオーナーに支援金は支払われず、選択したリターンの発送(履行)もありません。 プロジェクトに関する質問はどうすればいいですか? A. プロジェクト内容に関するご質問やご意見は、プロジェクトオーナーへCAMPFIREのメッセージ機能をご利用ください。 間違って支援した場合はどうなりますか? A. 選択したリターンの変更・キャンセル・返金は一切受け付けておりません。 リターンの変更・キャンセル・返金については、各プロジェクトオーナーへ直接お問い合わせください。

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