即位 礼 正殿 の 儀 イラスト。 即位礼正殿の儀に参加していた神々や天照大御神の服装、天候などにについて│赤い空

2019年10月22日が祝日に決定!「即位礼正殿の儀が行われる日」とは?

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皇居・宮殿で22日に行われる「即位礼正殿の儀」は、天皇の国事行為である「即位の礼」の中心儀式だ。 国内外の代表が参列する中、天皇陛下が即位を公に宣言されるが、その場は、皇室の長い歴史を伝える装束や調度品で華やかに彩られる。 伝統の品々の由来や特徴、見どころをまとめた。 皇室の伝統 最新技術でみせる 上皇さまの譲位により、5月1日に第126代天皇に即位された天皇陛下。 即位当日にも儀式はあったが、皇位継承から約半年を経て、いよいよ即位礼正殿の儀に臨まれる。 儀式は、皇室の伝統に根ざしながら、現代的な工夫も取り入れられて挙行される。 儀式が行われるのは宮殿で最も格式の高い「松の間」。 束帯や十二単(ひとえ)を着用した皇族方が並ばれ、三権の長らも定められた位置につくと、午後1時、黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)に身を包んだ陛下が、歴代天皇に伝わる三種の神器のうち天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)の複製品と八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)、公務で使われる天皇の印章「御璽(ぎょじ)」、国の印章「国璽(こくじ)」とともに、「高御座(たかみくら)」と呼ばれる玉座に昇段される。 続いて、十二単姿の皇后さまも「御帳台(みちょうだい)」と呼ばれる御座に昇られる。 陛下が高御座から即位を宣言する「お言葉」を述べられた後、安倍晋三首相がお祝いの「寿詞(よごと)」を述べて万歳三唱し、参列者も唱和。 儀式は約30分で終了する。 PR 松の間の前には、昭和まで即位式が行われた京都御所の正殿「紫宸殿(ししんでん)」を模して、18段の大階段が設置され、中庭に皇室の歴史を感じさせる調度品が並ぶ。 両側に色鮮やかな、のぼり旗が計26本立つほか、伝統楽器が飾られ、古装束姿の職員らが参列する。 宮殿内には、約2千人の賓客が両陛下の姿を見られるように、大小のモニター30台が設置される。 モニターは薄型となり、平成のときより15台増えた。 宮内庁幹部は「最新の映像技術で、両陛下の姿を詳しくみてもらいたい」と話している。 漆芸、金工…匠の技輝く高御座 即位礼正殿の儀で、陛下が昇られる高御座は、遅くとも奈良時代から即位式で使われていたとされる。 平安以降の資料や江戸時代の絵図が残っており、明治42年に制定された「登極令(とうきょくれい)」の附式には高御座の形状が詳しく規定された。 現在のものは、皇后さまの「御帳台」とともに、大正2年に復元されたものだ。 PR 「即位礼正殿の儀」で使われる「高御座」(左)と「御帳台」=19日、皇居・宮殿「松の間」 (代表撮影) 天蓋(てんがい)もある高御座の高さは約6・5メートル、重さ約8トン。 御帳台とあわせて、約3千の部品からなる。 麒麟(きりん)や鳳凰(ほうおう)が描かれた台座の上に、八角形の床板を2段に重ね、周囲を朱色の欄干(らんかん)がめぐらされている。 八角形の天蓋の頂上と外周に飾られた計9羽の鳳凰が金色に輝く。 平成の即位の礼の後、宮内庁は高御座と御帳台を解体して、京都御所の紫宸殿で保管してきたが、昨年9月、再び京都から皇居内へ陸送。 前回から約30年が経過し、漆塗りの木材は色あせ、金具にも劣化が見られたため、宮内庁は希少な国産漆や純度の高い金箔(きんぱく)を用いて修復。 改めて松の間に組み立てられたものは、鏡のような光沢を放つまでに仕上がった。 高御座をめぐっては、天孫降臨神話を想起させるという理由から、国事行為の即位礼正殿の儀に使うことに批判的な声も一部にある。 平成の際には過激派の攻撃対象となり、京都から皇居への輸送に陸上自衛隊のヘリが使われた。 だが、高御座は皇室の伝統文化に根ざした調度品でもある。 修復には国内トップ級の職人らが携わり、漆芸や金工など伝統工芸を継承する機会にもなっている。 PR 平成の即位礼正殿の儀で、儀式を終えて退出される黄櫨染御袍の束帯姿の上皇さまと、十二単姿の上皇后さま =平成2年11月12日 天皇陛下の「黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)」は、平安時代、嵯峨天皇が天子の御服と定めて以来、天皇のみが着用できる色の装束として伝わってきた。 即位礼正殿の儀だけでなく、宮中祭祀(さいし)でも身につけられる。 頭にかぶられる「立纓(りゅうえい)の御冠(おんかんむり)」も天皇を象徴する冠だ。 皇嗣(こうし)秋篠宮さまは皇太子の装束である「黄丹袍(おうにのほう)」を着用される。 「昇る朝日の色」ともいわれ、儀式では陛下から譲り受けた歴代皇太子に伝わる「豊後国行平御太刀(ぶんごのくにゆきひらおんたち)」を携えられる。 PR 皇后さまをはじめとする女性皇族方は「五衣(いつつぎぬ)・唐衣(からぎぬ)・裳(も)」という、いわゆる十二単を身につけられる。 十二単のご着用は即位儀礼とご結婚の際に限られるため、女性皇族方にとっても貴重な機会だ。 既婚と未婚で長袴の色が異なるという。 そのほか、宮内庁幹部や中庭に整列する職員らも古装束を身につける。 こうした和様装束を天皇が即位式で着用するようになったのは、実は比較的新しく、明治天皇以降のことだ。 江戸時代までの長い期間、即位式は中国文化を色濃く反映した古代からの形式がそのまま受け継がれていたため、「礼服(らいふく)」という中国風の装束や冠が用いられていた。 皇室文化に詳しい京都産業大名誉教授の所功氏(77)は「束帯や十二単は日本の風土に合わせて発展してきた独自の装束。 王政復古を目指した明治維新を機に中国風から和風装束となったのは長い皇室の歴史の中でも大変革だった」と話す。 また、今回は高齢の皇族方に配慮して、洋装も可能とする柔軟な対応が取られた。 荘厳・壮麗 儀式彩る「和の色」 「式全体が荘厳に行われ、特にカラーコンビネーションがすばらしく壮麗であった」 PR.

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10/22は祝日で休み。「即位礼正殿の儀」とは

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いよいよ明日、 即位礼正殿の儀(そくいれいせいでんのぎ)が行われる。 即位した天皇が日本国の内外に即位を宣明する儀式であり、 即位の一連の儀式の中心をなすものだ。 平成の時は、テレビのない生活をしていたし、 忙しい思いをしていたころなので、全く見ていない。 私にとっては、正に一生に一度。 ゆっくり拝見させていただこうと思う。 予備知識として、情報を仕入れてみた。 会場 : 皇居宮殿正殿・松の間 参加者 : 天皇 皇族 内閣総理大臣ら 174か国の国家元首ら 来場者数 : 約2500人 式次第 : 三権の長、皇族、天皇、皇后の順 に 正殿松の間に参入する。 天皇 、皇后が高御座、御帳台に昇る。 参列者が鉦の合図により起立する。 高御座、御帳台の帳が開けられる。 参列者が鼓の合図により敬礼する。 内閣総理大臣が高御座前に参進する。 天皇の「おことば」がある。 内閣総理大臣が寿詞を述べる。 内閣総理大臣が即位を祝して万歳 を三唱する。 参列者が唱和する。 万 歳三唱後、北の丸公園で自衛隊による 21発の皇礼砲が撃たれる。 内閣総理大臣が所定の位置に戻る。 参列者が鉦の合図により着席する。 高御座、御帳台の帳が閉められる。 天皇、皇后が高御座、御帳台から降りる。 天皇、皇后、皇族、三権の長の順に退出する。 式中における立ち位置や動きも明確に定められている。 例えば、成年男性皇族が高御座左側、 成年女性皇族が御帳台右側に、侍立する。 三権の長は、男性皇族のさらに後方に侍立する。 参列者の座席については今回から、 荒天の場合を考慮して豊明殿、春秋の間、石橋の間 及び中庭を取り囲む廊下に全座席を設営することになった。 明日は、生憎の雨模様。 タイムリーな決断だった。 装束についても、こと細かに定められている。 天皇(徳仁):御束帯(黄櫨染御袍) 皇后(雅子):御五衣・御唐衣・御裳 皇嗣:束帯(黄丹袍、帯剣) 皇嗣妃:五衣・唐衣・裳 親王:束帯(帯剣)(これにより難い場合には、燕尾服(勲章着用)とする。 ) 親王妃、内親王、及び女王 : 五衣・唐衣・裳(これにより難い場合には、ロングドレス(勲章着用)とする。 ) 宮内庁長官、宮内庁次長、侍従長、侍従次長、侍従、皇嗣職大夫、皇嗣職宮務官長、式部官長及び式部副長:束帯 女官長及び女官:五衣・唐衣・裳 威儀の者及び衛門:束帯(帯剣、弓) 威儀物捧持者、司鉦司鼓及び鉦鼓の係員:束帯 参列者 男子:燕尾服、モーニングコート、紋付羽織袴又はこれらに相当するもの 女子:ロングドレス、デイドレス、白襟紋付又はこれらに相当するもの・勲章着用 礼砲を行う自衛官:甲武装 明日は、雨の予報だ。 参列者は屋内に席が用意されるのだが、 この人たちはそうもいかないのではないか。

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歴史伝える「即位礼正殿の儀」

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古代の日本において、天皇の即位や新年の祝賀行事では大極殿に多数の「宝幢(ほうどう)」が飾られた。 「銅烏幢」は、広場に面した天皇の正面に建てられた。 その両脇に置かれた「日像幢」と「月像幢」は、太陽と月を象ったものであり、太陽を示す金の円盤には八咫烏、月を象徴する銀の円盤には蛙と兎が描かれていた。 7個の輪は相輪とよばれ、仏教の象徴でもある。 その外側に「四神旗」が掲げられた。 四神は東西南北を守護する霊獣であり、それぞれ青龍、白虎、朱雀、玄武である。 これらの意匠は、中国の皇帝が使用したシンボルの影響を強く受けていた。 明治42年、皇室令第1号として「登極令」が制定され、皇室の儀式が法制化された。 「登極令」附式により、即位礼を装飾する旗の旗の細目が定められた。 この法令による最初の儀式となったのは、大正天皇の即位(大正4年)である。 天皇の正面には日像纛旛(にっしょうとうばん)、月像纛旛(げっしょうとうばん)が掲げられ、その後方には三足の烏を描いた頭八咫烏大錦旛(やたがらすだいきんばん)と金の鵄を描いた金鵄大錦旛(きんしだいきんばん)が飾られた。 烏と鵄は日本神話において初代天皇を導いたとされる重要な鳥である。 万歳旛(ばんざいばん)も古式に則り復元され、大礼の総裁をつとめた伏見宮貞愛(さだなる)親王が筆耕した。 さらにその後方には、5色の菊花章中錦旛・小錦旛が掲げられた。 これらの旛は戊辰戦争でかかげられた錦旗を模して考案されたと伝えられる。 これらの旗は若干の修正を加えられ、昭和天皇の即位礼(1928年)でも使用された。 戦後、皇室令は全廃され、天皇の儀式の細目を定めた法令は無い。 しかし憲法の認める範囲で従来の様式が踏襲されており、上皇の即位に関する儀式は登極令に則り実施された。 平成の即位礼(1990年)では政教分離の原則に従って、国家主催の儀式から神道に由来する意匠を除去することが求められた。 先帝の時代にあった神道に由来する二羽の鳥は金の菊花紋章に取り替えられ、万歳旛にあった鮎と甕は姿を消した。 今年の今上天皇即位儀式でもこれらの旛が使われる。 主な参考文献 西本昌弘「日出処・日本の元日朝賀と銅烏幢」『日本的時空観の形成』(2017)所載 猪熊兼樹「有職文様」日本の美術 509 至文堂(2008)pp. 22-28 条里制・古代都市研究会『条里制・古代都市研究』 34 (2019) K. 20-23.

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