おちゃのじかんにきたとら。 おちゃのじかんにきたとら|絵本ナビ : ジュディス・カー,晴海 耕平 みんなの声・通販

お茶の時間にきた意外なお客さん『おちゃのじかんにきた とら』|ほっこりっち

おちゃのじかんにきたとら

ソフィーとおかあさんがお茶の時間にしようとしていると、玄関のベルが鳴り、おなかをすかせた大きなとらがやってきて、礼儀正しくごあいさつ。 ソフィー達はとらと一緒にお茶をいただくことになりましたが…。 お茶の時間に予期せぬ訪問客。 それが体の大きなとらで、しかも「おなかがすいている」と言われたら、いくら礼儀正しく頼まれても、家に招き入れられるものではないですよね。 でもソフィーのおかあさんは「もちろんいいですよ」とにこやかに受け入れます。 そこからが嵐のよう。 とらは、お茶の時間で思いつく食べ物だけではなく、つくりかけの夕飯から水道の水(!)まで、全部を食べつくし、飲みつくして、去って行きます。 平和なはずのお茶の時間が、とんでもない展開でかき回されているのですが、不思議と物語は平和な雰囲気のまま。 まるでおかしな冗談でも聞いているようなのです。 おかあさんだけではなくソフィーもこの慇懃で傍若無人なとらを歓迎。 次々と家の食料を食べ尽くしていく横で、ふっくらしたとらの毛並みを気持ちよさそうに撫でているのです。 また、絵本らしいくり返しの定型を踏んでいるところも話に安定感をもたらしています。 懐の深いおかあさんと、人懐こく動じないソフィーのふたりは、十分魅力的ですが、そこにおとうさんが帰ってきて、この家族は完璧な輪になります。 留守中にとらが家中の食べ物を食べてしまう大事件が起き、もちろん夕飯もありません。 ですが、おとうさんは落ち着き払って「レストランに行こう」と、この事件を現実的な解決策で平和裏に終わらせるのです。 不思議で圧倒的な闖入者によってかき回された家。 でも家族の心はまったく乱されず、ユーモアすらただよっています。 そんなごく普通の家族こそ、何物にも侵されないすばらしいものだという思いを感じます。 作者のジュディス・カーさんは、父親がユダヤ人で、第二次世界大戦中にナチス・ドイツから逃れ、のちに渡英したという経歴の持ち主。 その来歴を思いながら読み返すと、また違った味わいがあることでしょう。

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イギリスのティータイムに現れた腹ぺこのトラのお話「おちゃのじかんにきたとら」

おちゃのじかんにきたとら

ソフィーという女の子と、そのお母さんが、台所でお茶の時間にしようとしていました。 すると、突然、玄関のベルが鳴りました。 いったい誰かしら? ソフィーがドアを開けると、そこにはなんと、大きくて毛むくじゃらの、縞模様のとらがいました。 「ごめんください。 ぼく とても おなかが すいているんです。 おちゃのじかんに ごいっしょさせて いただけませんか?」 早速、台所に入り、テーブルにつくとら。 お母さんは「サンドイッチは いかが?」と進めると、なんとびっくり! お盆の上のたくさんのサンドイッチを、一口で飲み込んでしまいます。 まだ、とらはお腹が空いてそうだったので、お盆の上のパンを差し出すソフィー。 しかし、これまたお皿の上のパンを全部たいらげてしまいます。 さらに、ビスケット、ケーキ、ミルクポットの牛乳、ティーポットのお茶まで全部なくなってしまいます。 作りかけの夕ご飯、冷蔵庫の中身、戸棚の缶詰など、そして終いには 水道の水まで全部なくなってしまいます。 「すてきな おちゃのじかんを ありがとう。 ぼくは、そろそろ おいとまします。 」 トラは満足して帰ります。 お父さんの夕ご飯がなくなってしまい、水道の水もなくなったのでお風呂にも入れない。 そのとき、お父さんが帰宅。 全てをお父さんに話します。 するとお父さんは 「いいかんがえがあるよ。 コートをきて、レストランへいこう。 」 レストランで食事をし、買い物にもでかけ、食べ物をたくさん買います。 ついでに、またとらがいつでも来れるように、タイガーフードの大きな缶詰も買います。 しかし、とらは、あれから一度も現れませんでした。 (さようなら…さようなら…さようなら…さようなら…さようなら) 感想.

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おちゃのじかんにきたとら

ソフィーとおかあさんがお茶の時間にしようとしていると、玄関のベルが鳴り、おなかをすかせた大きなとらがやってきて、礼儀正しくごあいさつ。 ソフィー達はとらと一緒にお茶をいただくことになりましたが…。 お茶の時間に予期せぬ訪問客。 それが体の大きなとらで、しかも「おなかがすいている」と言われたら、いくら礼儀正しく頼まれても、家に招き入れられるものではないですよね。 でもソフィーのおかあさんは「もちろんいいですよ」とにこやかに受け入れます。 そこからが嵐のよう。 とらは、お茶の時間で思いつく食べ物だけではなく、つくりかけの夕飯から水道の水(!)まで、全部を食べつくし、飲みつくして、去って行きます。 平和なはずのお茶の時間が、とんでもない展開でかき回されているのですが、不思議と物語は平和な雰囲気のまま。 まるでおかしな冗談でも聞いているようなのです。 おかあさんだけではなくソフィーもこの慇懃で傍若無人なとらを歓迎。 次々と家の食料を食べ尽くしていく横で、ふっくらしたとらの毛並みを気持ちよさそうに撫でているのです。 また、絵本らしいくり返しの定型を踏んでいるところも話に安定感をもたらしています。 懐の深いおかあさんと、人懐こく動じないソフィーのふたりは、十分魅力的ですが、そこにおとうさんが帰ってきて、この家族は完璧な輪になります。 留守中にとらが家中の食べ物を食べてしまう大事件が起き、もちろん夕飯もありません。 ですが、おとうさんは落ち着き払って「レストランに行こう」と、この事件を現実的な解決策で平和裏に終わらせるのです。 不思議で圧倒的な闖入者によってかき回された家。 でも家族の心はまったく乱されず、ユーモアすらただよっています。 そんなごく普通の家族こそ、何物にも侵されないすばらしいものだという思いを感じます。 作者のジュディス・カーさんは、父親がユダヤ人で、第二次世界大戦中にナチス・ドイツから逃れ、のちに渡英したという経歴の持ち主。 その来歴を思いながら読み返すと、また違った味わいがあることでしょう。

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