中村 玉緒 息子。 鴈龍

奥村真粧美|中村玉緒の長女で鴈龍の姉は元女優。結婚し旦那いる?

中村 玉緒 息子

俳優、勝新太郎さん(享年65)と女優、中村玉緒(80)の長男で俳優、鴈龍(がんりゅう)さんが急性心不全のため11月1日に名古屋市内で死去していたことが3日、分かった。 55歳だった。 玉緒の所属事務所などによると、鴈龍さんは同市で働いており、連絡の取れない知人が不審に思って訪ねたところ、亡くなっていたという。 一人暮らしだったこともあり、発見されるまで数日間がたっていた。 葬儀は玉緒の仕事のスケジュールを調整し、11月29日に近親者だけで行い、納骨も済ませた。 息子に旅立たれた玉緒は憔悴しきっており、長女が付き添っているようだ。 鴈龍さんは、勝さんが製作・監督・主演を務めた1989年公開の映画「座頭市」でデビュー。 だが、撮影中の88年に真剣を使用し、殺陣師の俳優を死亡させる事故を起こした。 同作は皮肉にも大ヒットしたが、90年には追い打ちをかけるように勝さんがハワイにコカインを持ち込み逮捕された。 鴈龍さんは謹慎生活を経て、端役で復帰し、その後は玉緒とドラマで親子初共演も。 勝さんが97年に他界した際には、葬儀で司会を務め、「父の名を辱めないように精いっぱいやる」などとあいさつをしていたが、2017年の舞台を機に姿を見なくなっており、今年5月には「女性自身」が鴈龍さんと玉緒の絶縁などを報じていた。

次の

中村玉緒の息子が真剣で事故を起こしていた?!今は働かないで孤独死?

中村 玉緒 息子

京都府京都市左京区出身。 父は大映映画の貴重な脇役でもあった歌舞伎俳優二代目中村鴈治郎。 夫は俳優の勝新太郎、長男は俳優の鴈龍(奥村雄大)、長女は奥村真粧美。 また、兄は歌舞伎役者の四代目坂田藤十郎、その子供に四代目中村鴈治郎・三代目中村扇雀兄弟がいる。 1953年、本名で松竹作品『景子と雪江』にて映画初出演を果たすものの、その後お呼びはかからなかった。 どうしても女優になりたかったため、親戚で大映の重役も兼ねていた長谷川一夫に頼み込んで1954年に大映へ入社。 初年度の給料2万円は当時としては破格で、ハイヤーで撮影所通いという優遇ぶりだったが、主役は回ってこなかった。 1960年代半ばまで、幼馴染の市川雷蔵や山本富士子、若尾文子らスターを支える脇役として活躍。 当時の玉緒は甲高く可愛らしい声をしており、純情な娘役を多く演じた。 1970年代にはテレビドラマの脇役として活躍。 不幸な母を演じさせたら右に出る者はいないと言わしめる程の痛々しく健気な母親役を得意とし、評価を得る。 1994年、明石家さんま司会のバラエティ番組『明石家多国籍軍』などにおいて、強烈な天然ボケキャラクターで人気を得る。 以降、さんまが司会を務める番組の常連出演者となった。 この頃より長者番付に名を連ね、主演ドラマや主演舞台もこなすようになった。 2011年、京都名誉観光大使に就任。 続きは次ページから!!.

次の

中村玉緒の息子鴈龍が死去!直前に絶縁を言い渡していた!

中村 玉緒 息子

・1962年誕生<第一子長女・娘> 奥村真粧美 ・1964年誕生<第二子長男・息子> 鴈龍太郎(本名: 奥村雄大) 特に、大俳優・ 勝新太郎に息子が生まれた! ということで、 鴈龍太郎さんが誕生した時には多くの 勝新太郎ファンだけでなく、日本中が将来の芸能界を牽引することになるであろう 新星の誕生に興奮を覚えていたようです。 芸能界のサラブレット! と言われ、 勝新太郎さんと 中村玉緒さんの長男・ 鴈龍太郎さんがどんな大物俳優になるか期待が大きく先行する状況だったようです。 長男・鴈龍太郎(奥村雄大)に対して幼少期、少年時代はドラマのような無茶苦茶な教育方針だった!学歴は英語を武器に 親子エピソードあり画像 鴈龍太郎さんの幼少期時代のエピソードには 「昭和」という時代を彷彿とさせる厳しい親子関係もあったようです。 画像: ぜん息もちだった 鴈龍太郎さんはその影響からあまり体力のない幼児だったのかもしれません。 勝新太郎さんはそうした体の脆弱さが目立つ息子・ 鴈龍太郎さんの心身を鍛える為といって、 水を張った洗面器に毎日のように顔を押し付けて体を鍛えようとしていたという話があります。 その習慣によって 少年時代の 鴈龍太郎さんは 中耳炎を起こしたこともあったほどだったそうです。 普通に考えて、現代だったら正直、問題と言われてもおかしくない種類の教育方針です。 息子よ、向こう側へいくんだ。 合理的な指導方針というよりは、こんな印象です。 さらに、高い所も苦手だった 鴈龍太郎さんは父・ 勝新太郎さんからこのような無茶苦茶な指令も受けていました。 僕は幼いころ、高いところが苦手だったのですが、それを知ったおやじは撮影所の照明台の最上部に僕を登らせ、下から 『よし、俺のところに飛んで来い!』と命じるんです。 無茶ですよ。 高さが10m以上あったんですから。 おやじが受け止められなかったら、間違いなく死にます。 だから飛びませんでしたよ。 引用元:gooニュース 合理的でない、 無駄で無謀に見える挑戦にこそ 本当の大きな価値は存在する。 日本タレント名鑑には1988年度版から 掲載されていました。 本名でデビューされたので奥村雄大で 掲載されていました。 ご冥福をお祈りいたします。 画像: そうした経験から 鴈龍太郎さんは英会話がとても得意だったと言われています。 マイケル富岡さんや 桐島ローランドさん、 村上大介さんも通われていた世田谷区にある学校のようです。 ここまでを見ていくと、とても無謀で強力な父の権力で教育をしてきた印象ですが、 鴈龍太郎さんが父親の 勝新太郎さんに対して持つ印象は想像とは全く別のものでした。 メチャクチャやさしかった。 引用元:gooニュース 勝新太郎さんは息子である 鴈龍太郎さんを鍛えようとはしていたようですが、怒ったり、叱ったりということは一切なかったと言われています。 また、なかなか簡単に写真をとることが出来なかった1960年代には頻繁に所属していた大映の現場へ生後間もない頃から息子を連れていきプライベート用の写真を撮らせていたそうです。 画像: 子供のころから関西の大物が客として集う高級クラブ 『ベラミ』へも連れていき、そのあとは一緒に日本酒をかけた蕎麦を一緒に食べたそうです。 勝新太郎さんがたっぷり注いだ息子・ 鴈龍太郎さんへの愛情が 鴈龍太郎さんの無垢で穏やかな人柄を形成したと語る人々もいるようです。 「勝さんと違い、素直なお坊ちゃんでした。 敵を作るようなタイプではありませんでした」(元勝プロ関係者) 引用元:gooニュース 勝プロモーションの関係者たちからも小さい頃から 鴈龍太郎さんはとても可愛がられていたという話です。 かなり意外。 おふくろ( 玉緒)は怖かったけれど。 朝、靴紐がうまく結べないだけで、おふくろから往復ビンタを食らったことがあります。 引用元:gooニュース 温厚なイメージしかない 中村玉緒さんの意外な一面といった印象です。 両家を背負う大事な長男を育てる使命を担った母親ということで 中村玉緒さんとしてもそのプレッシャーから力が入っていたのかもしれません。 画像: 甘やかせて育てたという話が多く流布している 中村玉緒さんの教育ですが、少年期の 鴈龍太郎さんの話からするととてもそんな風には思えないエピソードです。 あまりにも重過ぎる名前。 俳優としてデビューを果たす以前から悪名を流してしまった 鴈龍太郎(当時 奥村雄大)さんでしたが、この年齢で取引に関わるということ自体が不自然であり、 おそらくではありますが背景に父親・ 勝新太郎さんと関わる何らかの取引ルートがあったのではないか?と推測されます。 そして、おそらく1982年の逮捕が先にあったとしても、この事件さえなければ 鴈龍太郎さんのその夢はおそらく昭和という時代は許し、実現したはずでした。 naver. jp デビュー作とはいえ、映画 『座頭市』に出演した時の 鴈龍太郎さんは、1982年に付き人として 勝新太郎さんに 弟子入りしてからすでに7年の月日が経過していました。 親子といえども下積みとしてはとても長い年月だったと考えられます。 こちらの映画で長男の 鴈龍太郎さんは新人らしからぬ大役であった 「悪党・五右衛門一家の親分役」として出演し、世間からは 「親の七光り」と言われることとなりましたが、 実際の撮影現場においては 立ち回りにも光るものがあり、元々性格が穏やかで敵を作るタイプでないため、その 人柄があったことで現場でその起用をやっかむ声などは一切なかったそうです。 けれどもその順風満帆なスタートとなった映画 『座頭市』の撮影中において、大変な事故を起こしてしまうことになります。 【新文芸坐 座頭市 令和に甦る盲目の侠客】 『座頭市』 2003、北野武 『座頭市』 1989、勝新太郎 ひょっとすると『座頭市』の2本立ては世界初かもしれません。 89年版は暫く35mmフィルムでの上映はなかったので。 勝新座頭市の集大成的な作品と「たけし映画」として見事に復活した座頭市を是非。 その場で出てきた生のアドリブや 勝新太郎さんのイメージが最優先され、脚本や構成は無視されることが多く、 演出もその場その場で変化するのが恒例だったと言われています。 座頭市シリーズを支えてきた旧知のスタッフはそのことを熟知していたようですが、新規スタッフは戸惑うばかりで撮影は円滑に進まず、一苦労だったようです。 また、色々な意味でばたばたの撮影現場だったことが記録として残っています。 他の 勝新太郎さんの様々なエピソードを見ていくと、共通して 「生きて」「今ここで」「感じる」「今だけの」「生きた(ライブ)エネルギー」というものに対して最大の価値を置く、芸術肌だったことが伺えます。 それを映画 『座頭市』に対して入魂しようとしていたのは確かだと感じます。 エネルギーに満ちた映画を 命がけで作りたいという意欲があった。 com ここで起こった真剣による撮影中の事故。 父親の 勝新太郎さんの華々しい活躍の後を追い、 鴈龍太郎さんが大俳優の道を志したのは前述の通り18歳の時であり、その際に 鴈龍太郎さんが 勝新太郎さんに言われたことはこんなことだったそうです。 勝は「 お前は俺の一番弟子だ。 息子じゃない」と言って厳しく指導した 引用元:文春オンライン 息子にとって、父親というのは女児以上に 絶対的存在であることが多い気がします。 俳優・ 勝新太郎という大きすぎる姿を追って弟子入りし、親子以上に 師弟関係となった息子・ 鴈龍太郎さんにとって、父親の指示は 「絶対命令」だったと言えそうです。 必ず、父の期待に応え 納得させる演技をしなくてはいけない。 blogspot. html 父の言う事を聞いていれば 自分も父のような大俳優にきっとなれる。 そうして、 鴈龍太郎さんは迫真に迫る演技を披露します。 「 たけちゃん(鴈龍太郎)の演技は物凄く良かった。 勝新太郎さんとしても、常にサービス精神旺盛で裁判の時ですら傍聴人を観客と見立てて楽しんでもらえるように考えていたという話があるほどですから、 自分の愛息子の俳優デビューに際しては一層長い時間をかけて準備を重ね、 あっと驚かれるような 鮮烈なデビューをと考えていたに違いありませんでした。 『座頭市』の最大の見せ場でもある 「殺陣(たて)」は素手や武器を用いた格闘の立ち回りシーンのことで、映画のストーリー展開としては迫力ある演技が期待されるところです。 blog. html その最大の見せ場である 「殺陣シーン」の質を追求した現場の結果、という事だったのかもしれませんが、映画撮影中にスタッフが用意したとされる 模擬刀の中に、 真剣が混ざっていたということが大惨事の始まりとしてありました。 そして、用意された 真剣を撮影シーンで使用したのが、監督である 勝新太郎さんの実の息子で一番弟子であった 奥村雄大( 鴈龍太郎)さんだったのでした。 当時は亡くなった共演俳優の妻が涙ながらに会見をしていたと言われています。 同作の撮影中、立ち回りの場面において、斬られ役の俳優に誤って重傷を負わせた。 その後、俳優が亡くなったことから、 撮影現場関係者らと共に広島県警から事情聴取を受け、 奥村の使用した日本刀が撮影用の模擬刀などではなく 真剣であったことが判明した。 引用元: どうやら、 鴈龍太郎さんが使っていた日本刀が いつの間にか、 模擬刀から 真剣に入れ替わっていたということです。 そして、警察の事情聴取や捜査、裁判を経て 鴈龍太郎さんに 真剣を受け渡したのは 時代劇経験のない急遽集められた助監督だったと認定されたのだそうです。 画像:シネフィル ここまでの経緯をまとめると、 まだ芸名すら本名のままで、 「勝新太郎の息子」というだけで出演した立ち回りにも現場にも不慣れな24歳の若き青年が、脚本も構成もころころ変わる現場で突然、 迫力ある 「殺陣シーン」を求められ、無我夢中で望まれている演技をしようと熱演したところ、時代劇未経験の助監督によって、使っていたのが模擬刀ではなく 真剣にすり替わっており、大惨事の事故が起きた、という事のようです。 むしろ、状況だけ見ると 事故が起きるのが自然な印象。 この事件後、「真剣の使用における安全管理の問題」「重大事故の発生にも関わらず撮影を続行する製作姿勢」などが 一大スキャンダルとなり、映画 『座頭市』もお蔵入りになる危険があった中、そこで活躍したのが 『座頭市』旧知のスタッフの尽力と、 勝新太郎さんの得意の三味線の即興演奏だったそうです。 そうしてお蔵入りを免れた映画 『座頭市』は1999年に公開されることとなりましたが、 勝新太郎さんの息子・ 奥村雄大( 鴈龍太郎)さん は人命が失われる事故を起こしたということで謹慎生活を余儀なくされることとなりました。 画像: その期間、なんと 1994年までの5年間というものだったそうです。 若手俳優にとっては大変貴重な時間を経験を積むことすらできないまま年齢だけ重ねて過ごすこととなってしまいます。 勝新太郎さんが目指した長男の鮮烈なデビューは別の意味で鮮烈なものとなってしまいました。 デビュー作でいきなり謹慎生活。 blogspot. html また、当初から 勝新太郎の息子ということで俳優の活躍することを考えた時、当然父親の 勝新太郎同様 「殺陣シーン」の迫力を本来、観客からは期待されるところでしたが、 このような事故の後に 奥村雄大( 鴈龍太郎)さん相手として 「斬られ役」を買って出る人はまずいないでしょうから、そうした意味でも、最初から俳優として大きな可能性を潰すことになった事故とも言えます。 裁判の結果としては以下のような判断が下りました。 迫力を出すために スタッフが勝手に真剣を用意し、 奥村は真剣であることを知らなかったとされ、裁判でもその主張が認められた。 引用元:Wikipedia 結果としては、 罰金20万円の略式起訴という事だったようです。 とても違和感がある結論ですが、結局のところ、 これ以上の真理を裏付けするものが裁判上でなかったという事なのかもしれません。 裁判ではスタッフが迫力を出すために置き換え、 「真剣」であることを伝えていなかったことを主張し、それが認められた形となったようです。 そのスタッフとは前述のと通り、 時代劇経験がゼロだった助監督という事となるのでしょう。 経験ゼロの人間が 「迫力」の追及にそのような危険を犯すのか?というところがあまりに不自然ではあります。 今後も出てきた際には追記していきたいと思います。 画像:陣内孝則 この件に関して 「違和感」があると私が思った理由には主に2点がでした。 ひとつは 「真剣」と 「模擬刀」は素人でもすぐ分かるくらいに 持った時の体感が違うという情報があったからでした。 しかし、これについては調べていくと、このような意見もあるっことが分かりました。 blogspot. html この情報からすると、 制作側スタッフと俳優陣との間の連絡ミス、 真剣があった、 素人同然の若手俳優(鴈龍太郎氏)がそれを使用した、という異なる 3つのレアケースがたまたま重なった為の大惨事という見方もできるかもしれません。 画像:exciteニュース 勝新太郎さんの最後の映画となった 『座頭市』が、大惨事を起こしたにもかかわらず公開された直後の1990年、 勝新太郎さんはハワイで違法の ブツの所持により現行犯で捕まり、帰国後日本でも日本でも同容疑で逮捕されており、 懲役2年6か月・執行猶予4年の 有罪判決を受けています。 使用していた ブツは特に 中枢神経興奮作用によって快感得ることが分かっており、その 「快」の為に様々な ブツにこれまでも関係してきていたことを伺わせる事実も並びます。 ちょっとそれぞれが 独立した偶然の事件とは思えない。 この経緯から映画 『座頭市』の大惨劇を振り返った時、もちろんその後の裁判や対応などの精神的疲労から ブツに手を染めたとも考えられなくはないですが、 周辺の犯罪経緯からすると、既に1970年代の段階で、 「快」依存だったのではないかという事です。 総理大臣の代わりはいくらでもいるが、勝新の代わりはいない。 pasonica. blog. fc2. html? sp 余談ですが、この1990年の ブツ所持による逮捕で、製作費5億円もかけた キリンビールの「ラ党の人々」のCMはたった1日限りの放映で打ち切りとなり、CMの制作会社から損害賠償請求もされたようです。 息子には「石原プロモーション」事務所入りの話もあったが… そこから3年後、ハワイでの現行犯逮捕から6年後の 1996年には 中村玉緒さんの夫である 勝新太郎さんは 下咽頭癌を発病し、 約1年後の1997年6月に下咽頭癌でお亡くなりになります。 これによって、長男の 鴈龍太郎さんは俳優として大きな後ろ盾をひとつ失ってしまいました。 画像: 勝新太郎さんの告別式では、司会を務めたのは長男・ 鴈龍太郎さんでした。 父の名を辱めないよう、精一杯やらせていただきます。 引用元:文春オンライン 父・ 勝新太郎さんの死後には親友であった 石原裕次郎さんの設立した事務所である 「石原プロモーション」入りの動きも 鴈龍太郎さんには一時期あったようですが、新人をほとんど採らない状況となっていた時代の波の影響で、その話すらもろくも無くなってしまったようです。 今思えば、ここが最後の砦だったともいえるのかもしれません。 鴈龍太郎さんは俳優として一層励んでいく心境を宣言していましたが、その後も俳優活動は苦戦が続くことになります。 母親の 中村玉緒さんもテレビ局に頭を下げて回ったそうですが、 鴈龍太郎さんに与えられるのは単発の仕事ばかりで続いていくものはなかったようです。 画像:日刊ゲンダイ これは正直、 鴈龍太郎さん自身がたくさんのチャンスを得ながらも、それを生かすことができなかったという事なのだと思います。 とはいえ、 勝新太郎さんや 鴈龍太郎さんが目指していた方向性と 中村玉緒さんの得意とするジャンルにはだいぶ乖離があったのではないかという印象も持つ内容です。 そうして、少なくとも2002年8月の段階では 鴈龍太郎さんは母・ 中村玉緒さんと同じマンションの別のフロアで生活をされていたようです。 結婚したの?嫁子供や家族はいたのか? 画像 その後も、 鴈龍太郎さんが俳優として注目されることはなく、母親である 中村玉緒さんの必死のサポートで舞台 『悪名』(父親の出世作の舞台版)、ドラマ 『いのちの現場から5』(1998年)、舞台 『まかしときなはれ』(2000年)など 母との共演により役を得ます。 naver. これは精神的なものも確かに考えられますが、今となってはもしかすると 2019年の死因となった 「急性心不全」という病気を引き起こす前症状がすでに内部で起こっていたためだったとも考えられます。 元勝プロ関係者は 「 たけちゃんが自分から怠けようとしたとは考えられない。 思うように仕事が来なかっただけではないか」と語る。 引用元:gooニュース この言葉から勘案すると、母親の 中村玉緒さんよりも、 元勝プロの関係者の方が、 鴈龍太郎さんの本質を見抜いていたように思います。 また、大前提でとても優しい男性だったために、老いた母親をこれ以上心配させるなどということは 勝新太郎さんのような男を目指す男性としては 「男の美学に反した」のかもしれません。 blog. html 『COASTER 2017』に出演する際のYOUTUBE動画を見た印象としては、顔立ちはとても似ている父と子ですが、 勝新太郎さんの尖って自信に満ちた性質と、長男である 鴈龍太郎さんにはどこか 果てしなく大きな 根本的性質の隔たりがある印象を持ちました。 鴈龍太郎さんのいとこにあたる俳優の 若山騎一郎さんも取材に対しこのように語っています。 ものすごく優しい男でナイーブでした。 html 2017年以降、 鴈龍太郎さんは一時、芸能界からは離れ 宝石デザイナーを目指した時期もあったようですが、近年は働かない息子に自立を促すために、 中村玉緒さんが金銭的援助を断ち、絶縁したという報道までされていました。 きちんと仕事をしてほしい。 「女性自身」によれば、業を煮やした 玉緒が、「私が面倒をみているかぎり、あの子が立ち直ることはない」として、 経済的援助を打ち切り、2年前から 絶縁状態だという。 引用元:exciteニュース 親子の愛情が お互いに深いものとしてあったからこその 苦しみだったと言えそうです。 blog. html 中村玉緒さんの親族と言われる人の話ではこのような話もありました。 玉緒さんを安心させるために、 自立の道を模索していた。 一方、 玉緒さんは常に息子の身を案じ、陰で支援を続けていました。 「勝新太郎と 中村玉緒の 息子」ということで芸能界では誕生当初から 期待のサラブレッドとして注目していました。 周りからの大きすぎる期待に応えるべく、掲げた遠くの目標に常に挫折を繰り返し、とても苦労された印象を受けました。 夫に続き、 愛する息子も失った中村玉緒さん。 画像:東京都港区三田の蓮乗寺 中村玉緒さん自身も、厳しい母親という役割を家で背負いながら、子供たちの事はずっと大切に思ってきていました。 長男と長女が揃って逮捕されたときには 「罪は憎くても子供は憎めない」と語った。 長男の初舞台では 「息子の出番が少ない」と脚本を自ら書き直すほどの子煩悩ぶりであった。 引用元:Wikipedia 夢に見た 勝新太郎さんと 中村玉緒さんの血を引く孫は、息子が偉業を成し遂げなくとも自立さえしていれば可能性のあったことでしたが、その願いも虚しく、 鴈龍太郎さんは生涯独身で終わり、お子さんも居ませんでした。 中村玉緒さんは余生を残された長女と共に生きることとなりました。 画像: 近親者のみで行われた11月29日の 鴈龍太郎さんの葬儀・告別式では 中村玉緒さんは 「とても話せる状態じゃなかった」と言われています。 それほど、 息子のことを思っていたからこその経済的援助のストップだったはずが、思いもよらない結末へ繋がってしまったという事だったのかもしれません。 息子にとっては、もはや失うものなど他になく、 唯一この苦しい世界で生き続けることの意味だった母親に見放された時点で、ツライ今世を生き続けること、闘い続ける気力を完全に失くしたかもしれません。 おそらく、不調に気付きながらも治療を望む意思はなかったのではないかと思われます。 画像: サラブレッドは 勝新太郎さんと共に眠ることとなりました。 鴈龍太郎さんは、昔から 「死んだら親父と同じ墓に入りたい」と語っていたということで、現在遺骨は夫の 勝新太郎さんとその兄である 若山富三郎さんと同様に 港区三田の蓮乗寺にある墓地に埋葬されたそうです。 画像: 鴈龍太郎さんは 勝新太郎さんの死後、父親・ 勝新太郎という男性は ファンへのサービス精神が旺盛で、ファンから頼まれたサインを一度も断ったことはなかったという話をされています。 いつも精一杯周りが望む期待に 勝新太郎さんならではの演出で応え、驚かせたり喜ばせたりすることが大好きな大物俳優である父親を、最後まで尊敬し 自分もかけられた期待に応えられる男でありたいと望んでいたのだと思います。

次の