人 種 差別 作文。 人権作文 人権作文で部落差別について書いています。 ・部落の人たちの

日本人は海外で人種差別されるのか?

人 種 差別 作文

でもドイツに来てみて、人種差別というのは必ずしも『自覚したあからさまな行為』ではないことを知りました。 日本で抱いた人種差別へのイメージ 『人種差別』はいけないこと。 そういう倫理観や道徳心は、大多数の人がもちあわせていますよね。 しかし、人種による差別はいまでもなくなってはいません。 「白人警官が黒人を射殺した」「収入格差や学歴格差がある」なんてニュースを、今年に入って何度も見かけました。 でもその主語が、『日本』や『日本人』になることは稀です。 日本に住んでいる人の多くは日本人の両親から生まれた日本人で、母語も日本語。 「就活は黒髪がスタンダード」と断言できちゃうくらいには、人種の多様性がありません。 だからわたしは、『人種差別』は主に欧米で起こっている、いわば倫理観の欠けた白人がそれ以外の人を見下すことをいうんだろうと、そう思ってたんです。 さらにいうなら、人種差別は意識的なものだという認識もしていました。 「俺は白人でお前はちがう。 わたしはそんなひどい人ではないし、わたしのまわりにもそんな偏った思考をしている人はいない。 人種差別は悪いことなのだから、それをわからないなんてやばい人だ。 そう思っていたわけです。 実際、ドイツでわたしを「アジア人」と嘲笑する人はいませんでした。 自分の経験上。 英語で手続きしようとして無視されてたアジア人は結構見かけたましたが。 ドイツで知ったナチュラルな人種差別 でもドイツで思ったのは、自覚なく、悪意なく、ごくごく自然なかたちで人種差別をする人がいるということです。 人種差別の根深さを感じるのは、仲良いドイツ人に何回も「日本はアジアでも先進国だから大丈夫だよ」「アジアとはいえ日本人なら不利にならないさ」と、笑顔で悪意なく、なんなら親切心からナチュラルにアジアを見下した発言をされたとき。 「日本人を認める」発言が上から目線であることに気づけてない — 雨宮@『日本人とドイツ人』新潮新書 amamiya9901 このツイートどおりなんだけど、本当にすっごくナチュラルに、アジアを下だと思っている人がたくさんいるんです。 わたしのイメージでは、「アジアから来たの? ハハン(半笑い)」「アジア人は出てけよ」「日本人がドイツに何しに来たんだよ」みたいな反応が人種差別だと思っていました。 アジア人だとあからさまに冷たくされるとか、無視されるとか。 幸いそういう経験はしませんでしたが、差別って、そういうあからさまな行為だけを指すんじゃないんですね。 仲いい人たちが笑顔で、「アジア人でも日本人なら不利にならないよ。 君はドイツ語もできるし」「日本人なら大丈夫さ」「日本は先進国なんだから差別されることはないと思うよ」と言ってくるんです。 本人に悪意はないし、なんなら親切なことを言っている、くらいの意識だと思います。 でもこっちとしては、「そもそもアジア人が不利になる前提がムカつくし、日本人なら大丈夫ってなんであんたらに認めてももらわなきゃいけないの?」って感じなわけです。 好きでもない男に「お前は女としてアリ」って言われる違和感というか。 「お前に評価されずともこっちはこっちでやってるんで!」みたいな気持ちになるんですよ。 こういった発言を『差別』の区分に入れていいかはわかりません。 でも「その言い方はアジアを見下してる感じがしてイヤだからやめて」と言っても、たいてい「なんで? 俺、差別なんてしてないでしょ?」って返事が返ってくる。 あーちがうなぁ。 と思いました。 前提条件や価値観、立っている場所がちがうんです。 人種差別に悪意と自覚があるとは限らない 人種差別って、基本的な概念として『悪』じゃないですか。 だから、「まともな人ならやらない、たとえ思っていても表に出さないもの」みたいに思ってたんです。 あと、保守的な人が外国人を敵視してるとか、そういうの。 でもそういうあからさまで自覚的な『排除』とはまったくちがうベクトルの差別もあるんですね。 ドイツに来て、それを知りました。 そしてこれがすごく厄介で、本人は自分が差別的な言動をしているなんて万が一にも思っていません。 だからこっちが指摘してもわからない。 本当に、ナチュラルに、上から目線なんです。 で、「じゃあ自分は?」と考えてみると、自分もそういうナチュラル差別をしているのかもしれません。 もちろん自分ではその気はないけど、ほかのアジアの国、たとえば日本に出稼ぎ労働者を多く輩出している国たちの人に、知らず知らず上から目線発言をしていたかもしれない。 それって、すごく怖くないですか? 自分は差別なんてひどいことはしない。 理解のある人間だ。 そう思いながら、無意識で上から目線になっている。 人種(出身国)による差別は、自覚的であからさまなものばかりじゃない。 もっと身近で日常のワンシーンに転がっている何気無い出来事なんです。 そう考えると、今後自分のささいな言動も気をつけようと思うし、納得いかないことにはちゃんと抗議する強さをもって相手にわかってもらわないと、と痛感するのでした。

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日本人が知らずにしている人種差別の「正体」

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玉井小学校4年 伊藤 琉生 ぼくは、道徳のじゅ業の中で、初めて人権の意味について知りました。 人権とは、「人が生きるうえで当然もっている権利」だということです。 人が安心できること、自由でいられること、自信やほこりを持って生きることが大切なことだそうです。 ぼくは、人権について書かれたいろいろな本を読みました。 その中で気になったのが、外国人差別の問題です。 差別によって、多くの人が苦しんでいることが分かりました。 前に、昔、アメリカでは黒人差別があったという本を読みました。 本には、はだの色が黒い黒人とよばれる人をはだの色が白い白人とよばれる人が「どれい」にしたと書かれていました。 「どれい」となった黒人は、ぼう力をふるわれたり、ひどいあつかいで働かされたりしたそうです。 今でも、この問題はのこっているようで、アメリカでは、たびたび、はだの色のちがいで、白人と黒人がぶつかりあって、おそろしい事けんが起きているようです。 他の国でも、ある国の人だからの差別を受けて殺されてしまった出来事もあったようです。 また、テレビのニュースで、差別によってたくさんの人が家族や家を失われ、苦しみ悲しんでいることを知りました。 差別とは、なんてひどいものだろうと思いました。 今、この時代にも、差別されている人はたくさんいて、世界中のあちらこちらで苦しんでいると思うとなんとも言えない気持ちになります。 ぼくは、同じ人間で、はだの色がちがうこと、生まれた国がちがうということだけで差別をするのはおかしいと思います。 はだの色だけでなく、他にもいろいろな差別があると先生がおっしゃっていました。 ざんねんながら、日本の中でも差別の問題はあるそうです。 生まれた地いきや、外国出身の人への差別。 原発事こが起きたせいで、福島の人への差別。 とても悲しいです。 差別をするほうは、何ものこってないかもしれないけれど、差別されたほうには大きなひがいが出ています。 心にも大きなきずができています。 このようなことを知って、ぼくは差別のない世界ができたらいいなと強く思いました。 はだの色や国。 地いきがちがうことが、同じ人間として、まったく関係のないことだと分かってほしいと思います。 人権は、世界中のだれにでもあるものです。 差別がなくなれば、きっとみんなが幸せにくらせると思います。

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日本人が知らずにしている人種差別の「正体」

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大玉中学校2年 武田 和佳奈 私はあるテレビ番組で放送されている内容に衝撃を受けた。 アフリカのタンザニア連合共和国の北部にある小さな村で、白い髪、白い肌をもった「アルビノ」と呼ばれる人々が相次いで襲われる事件が多発しているのだ。 その被害者は皆、腕や脚を奪われてしまう。 それだけではなく、命まで奪われた人もいる。 なぜ、このような事件が起こってしまのだろう。 アルビノとは正式に「アルビニズム」と呼ばれ、黒い色素のメラニンを持たない遺伝子疾患らしい。 まだ原因が改名されておらず、治療も予防もできないそうだ。 命に危険がなく、どの人種にも起こる疾患である。 割合はとても少ないが、アフリカ東部は珍しく、最も発症率が高い。 それに加え、タンザニアには、ある言い伝えがある。 それは、「アルビノの身体を手に入れると幸せになれる」と、いうものだった。 この迷信は今も信じる者がおり、富裕層に広がっている。 おそらくその原因は呪術師の存在にある。 アフリカでは生活に欠かせなく、アフリカの人々の精神的なよりどころらしい。 この迷信のせいで、お金に目がくらみ、犯罪に手を染め、アルビノの実子を売る親が少なくないらしい。 私はその番組を見て心がとても痛んだ。 日本に住む私にとっては衝撃が強すぎて、とても信じがたい。 人種によっていじめ、差別の問題があるが、この問題は人間そのものが売られるという残酷さである。 今ではこの問題に立ち向かって改善すべく行動を起こしている人がいる。 その人はアフリカの生まれではない。 自分と同じ疾患にもかかわらず、なぜアフリカでは酷く差別を受けなければならないのか疑問を持っている。 ここまで聞くと嘘のような話で信じられない。 それは、その立場に立たされていない人にとっての意見である。 私は差別が増える原因が二つあると思う。 一つは皆同じ環境ではなく、育ち方が違うことである。 自分の環境が普通だと思うことで、自分にとってありえないことが起きた時に、違和感、嫌悪感を感じる可能性がある。 人間は誰しも先入観をもちやすい。 例を挙げるとすれば「ルビンのつぼ」が良い例だろう。 白い所を見ればつぼに見えるが、黒い所を見れば向き合っている二人の人に見える。 それと同じように人間は一度見たり聞いたりしたときの印象は簡単に考えが変わらない。 何でも物置は柔軟性も保って整理すべきだと思う。 次に、自分の言った言葉に責任を持っていないというところである。 最初のアルビノの話も、誰かが迷信を広めなければ、今のアフリカは平和だろう。 信じる人も柔軟性がなく真に受けたために、現在に伝えられている。 これらは、言ったことに責任を持たず、聞いたことを先入観でとらえてしまう先人たちの過ちだと私は思う。 これらは昔の話だけではない。 今現在はインターネットが普及し、それで世界に大きな影響を与えている。 もちろん便利だが、それによって嘘の情報が回ってしまうのも事実である。 勘違いや故意で流れた情報でも、それを受け取って活用するのは本人の姿勢である。 そこで先入観が邪魔をしてしまうと、ありもしない迷信を生み出してしまう。 日本という島国にいる私たちは、メディアで他国の情報を得ることが多い。 メディアの情報を集める側の人が良い事を発信すれば、視聴者は良い国だ、外国人は良い人だと思う。 反対に悪いことを伝えれば、悪い国だ、外国人は悪い人だと思ってしまう。 悪いことが伝わった場合は、そこで思い込みや、もしかすると差別が生まれてしまう。 外国のメディアも日本の悪い所を発信すれば、偏見の目を向けられてしまう。 メディアはとても大切な鍵をにぎっている。 皆同じ考え方、見た目、感じ方である。 それによって多くの問題が起きているのは仕方がないのかもしれないが、解決できる可能性もある。 その方法としては、相手の立場、気持ちを理解すること、先入観をなくし、柔軟性を兼ね備えることを日常的にできれば、解決のための一歩を踏み出すことができるのではないかと私は思う。

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