コンクリート 事件 犯人 現在 2019。 【首なし娘事件】犯人があまりにも異常なバラバラ殺人事件とは?

“大人”になった『女子高生コンクリ殺人犯』の裁判態度に罵声殺到 (2019年3月8日)

コンクリート 事件 犯人 現在 2019

心無い犯罪者集団たちに囚われて、ひたすらひどい目に合わされての地獄の日々が一か月も続いたのです。 最期には無残に集団で容赦なく暴行を加え、命を奪われてしまいました。 更に犯罪者集団たちはその少女の遺体をドラム缶に入れ生コンクリートを流し込んで遺棄したのです。 悍ましい所業が明らかとなったのは別の事件からでした。 気になる犯行の全貌や判決結果、人の風上に置けない犯罪者たちの現在まで詳しくお伝えしていきます。 この年には『名古屋アベック事件』や『妊婦引き裂き事件』など凶悪で悍ましすぎる事件が相次ぎました。 事の発端が起きたのは関東地方の埼玉県、南東部に位置する『三郷市』という市街です。 この三郷市はいわゆる草加エリアで、隣町には『草加市』や『八潮市』などが面していて、最南東に位置するので千葉県の『松戸市』『流山市』東京都の『足立区』『葛飾区』も隣町となり面しています。 そんな市街の全域を犯罪者集団たちは原付バイクで走り回り、犯行を企みながらターゲットとなる少女を探していたのです。 隣町の八潮市に存在する商業高等学校に在籍していた、当時高校3年生の少女はこの日いつもの様にアルバイトをしていて、勤務を終え自宅に帰ろうと三郷市内を自転車で走っていました。 そんな彼女の事を犯罪者集団たちは見つけると、まず最年少の犯人が彼女を自転車ごとキックして転倒させたのです。 最年少の犯人はすぐさまそこから立ち去ると、戸惑っているであろう彼女のもとにおもむろに最年長の犯人が近づき、暴力団の名を使って助けてやると騙して言い包めて、彼女を連れ去るとその後犯罪者集団と合流して今後の事を相談しました。 そして性的暴行や拘束などをしようと計画を立てて、彼女は犯罪者集団たちの溜まり場になっていた一人の自宅に拉致されました。 犯罪者集団たちが激しい暴行を加えても強烈な痛みを伴う拷問を加えても、反応を示さなかったそうです。 同じ人間なのにも関わらずろくに食料も与えようともせず、身体をやせ細り殴られたり暴行を加えられた部位は膨れ上がり、無惨な姿になっていきました。 最後には犯罪者集団たちの非常に身勝手で私怨から、その腹いせとして暴行がエスカレートしていき、その暴行が長時間にも及び命が奪われてしまいました。 その時も痛む様子も苦しむ様子も見せなかったそうです。 犯罪がばれて逮捕されることを恐れて死体を遺棄しようよして企てると、最年長の犯人は『トラック』や『ドラム缶』、『セメント・コンクリート』などを用意すると、監禁場所にしていた自宅まで運びました。 そこで無惨な姿で遺体になってしまった彼女をドラム缶に投入し、上から容赦なくセメントやコンクリートを流し込んだのです。 そしてトラックで東京都23区の東部に位置する『江東区』に存在する残土や土砂、建設残材などを処理する『埋立地』に放棄したのです。 そして数か月後に警察によってこのドラム缶と無惨な姿になった彼女の姿が発見され事件が発覚します。 女子高生コンクリート詰め殺人事件の被害者が受けた拷問とは.

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湊伸治の現在!殺人未遂で再逮捕?顔画像や家族は【コンクリ事件】

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1988年(昭和63年)11月8日、A、B、Cの3人が足立区内で自転車で帰宅中の女性(当時19歳)に声をかけ、3人で輪姦した。 このときはAが運転するシルビアにB、Cが乗り込み、ドライブの誘いに応じないとみるや車を横づけにして行く手をはばみ、Bが自転車の鍵を奪って嫌がる女性を車に乗せた。 逃げられないように常磐高速道路に入り、「少年院を出てきたばかりだ」「大洗(おおあらい)に行こう。 大洗の海は寒いし、波が高いぞ」などと脅し、観念させてホテルに連れ込んだのだった。 11月25日午後6時ころ、AはCの自宅に行き、Cに対して、「今日は給料日だから金を持っているやつが多い。 ひったくりに行こう」と誘った。 Cは友達からバイクを借りて、2人で出かけ、ひったくりをした。 午後8時過ぎ、埼玉県三郷(みさと)市内をバイクで走行中、アルバイト先から自転車に乗って帰宅する途中だった県立八潮(やしお)南高校3年生の古田順子(17歳)を見かけると、AはCに対し、「あの女、蹴れ。 あとはうまくやるから」と命じ、Cは言われた通りに、バイクで順子に近づき、左足で右腰を思いっきり蹴って、角を曲がって様子をみていた。 順子はバランスを失い、自転車に乗ったまま転倒、側溝に落ちた。 そこへ、Aが近づき「大丈夫ですか」と声をかけ、助け起こすと「あいつは気違いだ。 俺も脅された。 危ないから送っていってやるよ」と言って、近くにある倉庫の暗がりでと脅し、ホテルに連れ込んで強姦した。 午後10時ころ、Aは自宅に戻っていたCに電話をかけると、そこにはBの他にDがいたが、Aはこの3人を外に呼び出した。 その後、4人の少年たちは東京都足立区綾瀬のCの自宅の2階のたまり場に順子を連れ込んだ。 この日、Cの父親は3日間の社員旅行で沖縄に出掛けたため、自宅には母親とCのひとつ上の兄がいた。 11月28日、Aは「いいモノを見せてやる」と言って、呼び出されたE(当時17歳)とF(当時16歳)が加わって、家人が寝静まった深夜に順子を輪姦した。 順子は必死の思いで抵抗した。 階下の母親は目を覚ましたようであったが、寝具などで顔面を押さえつけられたため、叫び声を上げることはできなかった。 11月30日午後9時ころ、Cの母親は、このとき初めて順子の顔を見ている。 Cに対し「早く帰しなさい」と言った。 だが、1週間経っても順子がいることに気づき、直接、順子に「すぐに帰りなさい」とは言ってみるもののなかなか帰ってくれなかった。 また、この頃、順子に自宅へ電話をかけさせ「家出しているのだから、私の捜索願いは取り消して欲しい」と言わせている。 それも、一度きりでなく、5日ごとに3回に渡って電話をかけさせており、順子の親は家出だと思っていたという。 その後、昼夜の別なく、順子の体を弄び、そのあまりの暴行に、順子が気を失うと、バケツの水に頭を漬けて気を取り戻させて、また犯すということを繰り返していた。 その間、交代で見張りを続けた。 12月初めの午後4時ころ、、順子は少年たちが夜遊びで昼寝をしていた隙を見て、2階から1階の居間に降りてきて110番に電話した。 だが、運悪く、近くで寝ていたAに気づかれてしまった。 すぐに逆探知で警察からかかってきた電話に、Aが出て「なんでもない。 間違いです」と返事した。 AとBは、このことをきっかけとして、順子に対し、手荒いリンチを加えた。 殴ったり、蹴ったり、手足の甲にライターの火を押し付けたりして火傷を負わせた。 また、シンナーを吸わせたり、ウィスキーや焼酎を飲ませて楽しんでいた。 Aは武田鉄矢の『声援』という歌に「がんばれ、がんばれ」という歌詞があって、いじめているときにそれを歌いながら順子に対し「お前も歌え」と言って歌わせた。 自分たちが何もしていないときにも順子は小さな声で「がんばれ、がんばれ」と自分に言い聞かせているときがあった。 12月5日、東京の東中野駅構内で、電車の追突事故が起きた。 Aは順子に「あの電車にお前の父親、乗っかっていて、死んだってテレビでやってた。 お前見たか」とからかった。 順子は不安そうな表情を見せると「どんな気分だい」と訊き、「悲しいです」と答えると「実はウソだよ」と言ってはぐらかした。 こんな調子でAとB、Cの3人は「死んだ」「生きている」を何度も繰り返し、心理的に順子を追い詰めていった。 12月10日ころ、順子は「家に帰りたい」と言い始めた。 すると、Aが「家に帰ったら母親に何て言うんだよ」と言うと、順子は「今まで新宿で遊んでいました」と答えた。 それに対し、Aは「新宿で、学生服のままそんなに長く遊んでいられるかよ」と言って、殴ったり蹴ったりの暴行を加えた。 さらに、火傷の跡にライターのジッポオイルをかけ火をつけた。 熱がって火を消そうとするのが面白いと何度も繰り返した。 12月中旬、小便で布団が濡れたことを理由にBとCが殴った。 果てしなく続く殴打によって順子の顔面が無惨に腫れあがり、凸凹のない別人の顔になった。 「なんだお前、でけえ顔になったなあ」 誰かが言うと、また笑い声がした。 暴行がエスカレートするのにともない、順子に与えられる食べ物もおざなりになっていった。 それは主にCの兄のG(当時17歳)の役目であったが、監禁当初は出前を取ることもあったのに、12月末には、1日に牛乳を1本、たまにパン1枚与える程度になっていった。 トイレにも行かせず、飲料用紙コップに排尿させられるようになり、その尿を飲まされたりした。 Cの両親は異常な気配に気づいていた。 両親はそれ以上追及すると、開き直られるのを恐れて、2階の物音には耳を塞いでいた。 順子はリンチによる足の火傷が化膿して動けなくなった。 全身は衰弱し、悪臭もひどくなった。 Aはその臭いが嫌だと言って、寄りつかなくなった。 少年たちはそんな状態になった順子を見て、持て余すようになっていた。 だが、解放すると警察に知らされる。 いっそのこと、死んでくれればと願うようになる。 順子がいないところで次のような会話が交わされている。 「女は殺して埋めるのかな?」「殺すならミンチがいいですよ」「ドラム缶に入れて焼けばいい」「コンクリート詰めにして海に棄てればバレない」「自殺に見せかけて殺しますか? 富士の樹海で首吊りでもさせますか?」 お笑い半分、冗談半分、面白半分、暇つぶし、といった感じであった。 1989年(昭和64年)1月4日、監禁から41日目のこの日、午前6時半ころ、Aは徹夜マージャンで10万円ほど負けムシャクチャしていた。 その腹いせとしてAは順子をその対象にした。 B、C、Dの3人は順子の火傷の臭いを嫌ってDの自宅でファミコンをしていた。 AはDの自宅に立ち寄り、3人を誘って、Cの自宅の2階に上がった。 小泉今日子の『なんてったってアイドル』という歌のリズムに合わせて、順子は3人に次々と殴られて、鼻や口から血を流し、血だらけの状態になった。 ロウソクに火がつけられ、順子の顔にそのロウを垂らし、顔はロウだらけになった。 Dは自分の手に血がつくのを嫌がり、Aがシンナーを吸ったビニール袋を手に巻き、順子の肩や足にパンチを浴びせた。 やがて、順子は身体を硬直し、ブルブルと痙攣し始めた。 Aは1.7キロもある鉄球付きの鉄棒を持ち出すと、Dは順子の腹に落とした。 Aが暴力を振るうと、今度はB、C、Dが「ウケ」を狙って、面白半分に暴力をエスカレートさせた。 Aはリンチの途中で順子の死を意識した。 午前10時ころ、リンチが終わった。 Aは順子が逃げないように足をガムテープでぐるぐる巻きにすると、4人はサウナに出掛けた。 翌5日朝、死体の処理に困った少年たちは、死体を毛布に包み、旅行鞄に入れて車に乗せ、近くの工場から盗んだドラム缶に鞄ごと入れてセメントを流し込んだ。 セメントは、Aが以前、タイル工として働いていた店に電話をかけて、セメントと砂利を調達して作ったものだった。 それは、順子が拉致された日、『とんぼ』の最終回を楽しみにしていて、アルバイト先から家路に急いだが、その後、監禁されたために最終回は見ることができずに、そのくやしい思いを何度か口にしたからで、そのビデオも一緒に入れようと思ったからだった。 女子高生や遺族にとって何の救いにもならないことだが、Aが見せた唯一の人間らしい一面だった。 だが、このことについてAはのちに「可哀相というよりは呪われたくなくて・・・」と話している。 午前8時ころ、ドラム缶を海に投棄しようと江東区若洲15号地若洲海浜公園整備工場現場空き地まで車を走らせたが、恐くなってしまい、その空き地にドラム缶を投げ出して帰ってしまった。 被告Bについては、控訴を棄却.

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【女子高生コンクリート詰め殺人事件】概要と拷問、犯人の現在まで解説

コンクリート 事件 犯人 現在 2019

(C)Photographee. もはや説明不要だが、「女子高生コンクリート殺人事件」とは1989年に起きた世紀の大犯罪。 東京・足立区の少年グループが女子高生を拉致・監禁し暴行・強姦の末に殺害、遺体をコンクリート詰めにして遺棄するという凄惨極まりない事件だった。 しかし、犯人たちは少年であったため、いずれのメンバーも後に社会復帰することに。 今回の傷害事件は、「凶悪犯が再び起こした事件」として世間の注目を集めていた。 2月1日の初公判で読み上げられた起訴状によると、被告は昨年8月19日、川口市の路上で車の停め方を巡って男性と口論になったとのこと。 その後、車内にあった警棒と折りたたみナイフを取り出し、素手や警棒で男性を殴った後、ナイフで後頚部を刺したとして罪に問われている。 しかし、今回の公判では「自分は刺していない」との主張に転じ、被害者に付いたナイフの傷を「警察側の捏造」だと一方的に叫ぶ場面も見られたと、3月6日配信の『FRIDAY DIGITAL』が伝えた。 他にも、被告は「意見いいっすか?」「裁判官に手紙出したの届いてます?」などと法廷で不規則発言を連発し、裁判官が叱るように静止する場面もあったという。 結局、意見がかみ合わない紛糾した状態が続き、打ち切られるような形で閉廷されてしまったそうだ。

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