怖い 写真。 心霊写真は色で見分ける?!赤いモノが写っていたら要注意?!

怖い(((;゚Д゚))))合成ではなくホンモノの恐怖写真10選。見ずにはいられない・・・

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バカンティマウス 異様な姿をしたこのネズミは「バカンティマウス」と呼ばれるのですが、 このネズミがこのような姿になった背景には、ある男の思いがありました バカンティマウスを生み出したの アメリカ・マサチューセッツ大学医学部の教授で麻酔科医の チャールズ・バカンティです。 彼は、生体組織工学の分野で多くの特許を持ち、胞子様細胞や 日本でも話題となったSTAP細胞の提唱者であり、 ハーバード大学に留学していた小保方晴子氏に、 STAP細胞の研究テーマを与えた事でも知られる、 細胞研究界の権威とも言える人物です。 そして、チャールズが現在の地位に辿り着くまでの背景には、 この「バカンティマウス」の誕生が大きく関わっているのです。 チャールズが、細胞の研究に没頭するキッカケとなったのは、 兄で外科医のジョセフ・バカンティでした。 臨床医師だったチャールズは、1988年に兄・ジョセフの研究グループに 参加し、細胞培養の技術研究に打ち込みました。 そして、研究に研究を重ねた結果、臓器の細胞を採取し人工的に 特殊培養して自由に成形する技術を形にする事が出来たのです。 研究成果に自信を持ったチャールズは、この革新的な技術を学会で 発表したのですが、残念ながら、本人の期待とは裏腹に、 この研究成果はあまり注目を集める事が出来なかったのです。 この結果に落胆したチャールズは、世間の注目を集めるために、 様々な試行錯誤を繰り返しました。 世間の注目を集めるために、たどり着いた答え。 そう、それが…「ネズミの背中で人間の耳を培養する事」でした。 そして1995年、生きたネズミの背中で人間の耳のような軟骨細胞を 培養する実験を行ったのです。 実際には、この背中の耳は、生分解性の金型に牛の軟骨細胞を入れて 人間の耳の形に成形した軟骨を作り、それをマウスの皮膚下に移植した ものでしたが、そのインパクトの強いビジュアルからメディアの注目を 続々と集め、細胞研究の宣伝に大いに貢献したのでした。 チャールズ・バカンティは、「バカンティマウス」の実験を通じて、 有名になり、細胞研究界において先駆者と 呼ばれるようになったのです。 ジェームズ・ハイラム・ベッドフォード 何やら、白く大きな物体に何かの細工を仕掛けている人たちの様子。 彼らは、氷、ドライアイス、液体窒素などを駆使して、 この白いカプセル状の物体を冷やしている所なのですが、 目的が想像つかないですよね? 実は、この白い物体の中身、それは…人の遺体なんです。 この写真は、世界で初めて人の遺体の冷凍保存を試みている最中の 歴史的な一枚で、現代の冷凍保存技術に繋がる大きな一歩なのですが、 その時の様子とは?そして、これを試みた中身の人物とは? 人体の冷凍保存を世界で初めて試みたのは、 アメリカ・カリフォルニア大学の心理学教授だった ジェームズ・ハイラム・ベッドフォードでした。 当時、彼は腎臓がんを患っており、そのがんは肺にまで転移し、 自身の死が近いことを悟ると、彼は、前代未聞の指示を出しました。 それは… 自分の遺体を冷凍保存し、将来、死者を蘇生できるような技術が 登場したときに復活させて欲しいというもの。 そして、1967年1月12日。 彼は、自身の遺産から10万ドルを冷凍保存の費用にあてるように 遺言を残してこの世を去りました。 彼が亡くなると、たちまち周りは大慌て。 これまで小さな組織や精子・卵子のような細胞なら冷凍保存されることも ありましたが、遺体まるごとの冷凍保存は前代未聞だったからです。 それからの出来事については、あるレポーターが 「数週間オープンが早まってしまったローカル劇場のどたばた」 のようだったと伝えています。 看護師たちは、様々な所から氷をかき集めてきたり、 その間、脳のダメージを最低限に抑えるために肺に酸素が送られたりしました。 また、 専門家チームが到着すると、まず体内から血液を抜き、 代わりに医療用不凍液を血管に流し込みました。 これは、体内に血液を残した状態で冷凍してしまうと、 凍結時に血液が膨張して細胞を傷つけてしまうからです。 その後、遺体はドライアイスでマイナス79度に保たれたカプセルに 入れられ、さらに、そのカプセルは生体変化が完全に停止するといわれる マイナス196度の液体窒素の中に沈められるという、2重構造で冷凍保存 されました。 それから2年間、ベッドフォード博士の遺体はアリゾナ州フェニックスの 施設で保管され、その後2回の移送をされた末、 現在は、アルコー延命財団の一室で冷凍されたまま復活する日を 今も待ち続けているのです。 けんちゃん 現在、世界には約350体の遺体が冷凍保存されており、 今もその技術は向上し続けています。 ベッドフォード博士の奇想天外な挑戦に、 当時、周りは困惑してしまいましたが、この挑戦がキッカケで 現代の不治の病におかされた人達にとっては、 冷凍保存という選択肢が与えられる事に繋がったのです。 親友の為に命を捨てた男〜意味が分かると怖い写真〜 最後の写真がこちら。 コマロフ 黒く焦げた何かを見つめる複数の男たちの写真。 悲しげにも見える表情を浮かべる彼らは、一体何を思っているのか? 時は1960年代前後、2つの大国、ソ連とアメリカは宇宙開発競争を 舞台に対立していました。 ソ連は、世界で最初の人工衛星スプートニク1号を打ち上げ、 アメリカに先行したのですが、 アメリカも人工衛星エクスプローラー1号やヴァンガード1号の投入に 成功するなど、宇宙開発を強力に推し進めており、 ソ連は、それに対抗し得る何らかの成果を必要としていました。 その後、ソ連が有人宇宙船「ボストーク1号」の打ち上げに成功し、 ガガーリンが世界初の宇宙飛行士となると、 アメリカも「フリーダム7号」を打ち上げ、自国初の有人弾道飛行に 成功しました。 アメリカもソ連もお互いに有人宇宙飛行成功を繰り返していき、 宇宙開発の対立はさらに激しさを増していました。 そんな情勢の最中、開発された新たな宇宙船が「ソユーズ1号」でした。 完成と打ち上げが発表された1967年の時点では、 この宇宙船はまだまだ準備が完全にはできていなかったのですが、 ソ連指導部は早急に作戦の成功を収めたいと考え、 打ち上げ時期を待つことを望まなかったのです。 そこで次のような計画が立てられました。 同年4月に最初のソユーズ1号を打ち上げるだけでなく、 その後すぐにソユーズ2号も打ち上げて、ドッキングさせる。 その後、2つの宇宙船の両クルーはソユーズ1号に移動して、 地球に帰還する。 こういう計画でした。 このような流れで、ソユーズ1号は未完成だったにも関わらず、 打ち上げが決定してしまったのですが、 この搭乗員として選ばれたのは、 当時37歳の空軍大佐だったウラジーミル・コマロフでした。 彼は、ソユーズ1号が確実に打ち上げに失敗する事を 百も承知の上で、自ら搭乗員を名乗り出たのです。 なぜなら… もし、コマロフが名乗り出なければ、搭乗員として選ばれるのは、 彼の親友であり、宇宙飛行の成功経験があるガガーリンだったからです。 コマロフのそんな思いに気づいたガガーリンは、宇宙船に不具合が多数 見られる事、打ち上げを延期するべきである事を ソ連指導部に訴え続けましたが、聞き入れてもらえず、 1967年4月23日、ソユーズ1号はコマロフを乗せて、 宇宙へと飛び立ちました。 そして、事前の予測通り、ソユーズ1号が軌道に乗ると、 次々に問題が露呈し始めました。 これを受けて、 ソユーズ2号の打ち上げは急遽キャンセルされ、 ソユーズ1号は地球に戻るように指令が出されました。 しかし、宇宙船操縦のためのシステムが次々に故障し、 手動システムに切り替えざるを得なくなったのですが、 それも一部しか作動せず、遂にはコマロフのスキルだけが頼りという 状態に陥ってしまったのです。 そんな状況下でも、彼は正しい軌道で降下し始めることができたので、 誰もが最悪の事態は去ったと思い安心したのですが、 最後の最後、地上着陸時の減速用のメインパラシュートが開かず、 コマロフを乗せたソユーズ1号は地面と激突…。 彼は有人宇宙飛行の歴史における、最初の犠牲者となってしまいました。 打上げの数週間前、コマロフはこのように述べたと言われています。 「もし自分がこの飛行に乗らなければ、彼ら(ソ連指導部)は代わりに 予備乗員を乗せるだろう。 そうなればユーリイ(ガガーリン)が 自分の代わりに死ぬことになる」と。

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その不穏な写真に隠された背景の怖い話を知ると、ますます恐怖。

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心霊写真はいつ撮れるの? 心霊写真がどこで撮れるか・・・ 絶対に心霊写真が撮れるスポットがあったらSNS映えしそうですよね。 ですが、当然のことながら「ここなら写る」というスポットはありません。 もちろん、心霊スポットだと写りやすいという人もいますが、必ずそうなるという保証はありません。 こればかりは撮ろうとして撮れるモノではないので仕方ありません。 でも、心霊写真を狙っているワケでもないのに映り込んでしまうことはあります。 家で撮った何気ない写真や旅行先での写真、そして、集合写真にも "何か"が 写っちゃうことはあります。 心霊写真が撮れたらどうする? 色で見分けられる? 心霊写真が撮れてしまった!それがもし本物なら、うれしさより、怖さが勝ることでしょう。 誰だって呪われたくはありませんし、もし、心霊写真で霊が何かを教えてくれるなら知りたいですよね。 素人が心霊写真を見分けることは難しいと言われていますが、ある方は 「心霊写真が撮れたときには色で見分けるとよい」といいます。 赤い色はヤバイ?! たくさんの心霊写真を見てきた"霊能者"と呼ばれるその人のところには"撮れてしまった心霊写真"が持ち込まれるそうです。 そして「これはヤバイやつだ」と思う心霊写真のほとんどが"赤い色"で写っているというんです。 その人曰く 「赤は怒りのエネルギーだから、怒りをもって写真に写っている場合はお祓いをしたほうがいい」そうです。 もちろんすべての心霊写真がそうだというわけではないそうですが、もし、手元にある心霊写真が赤っぽいようなら・・・お祓いをしたほうがいいかもしれません。 緑の場合は良いもののことも 赤い色のものが写っている場合は、ヤバイ心霊写真の場合も多いそうてすが、逆に"いいもの"が写ってることもあるそうです。 緑色のモノが写ってるときは、癒やしのエネルギーが映り込んでいるというパターンもあったそうです。 グリーンは癒やしの色で、相手に対して攻撃しているものではなく、いたわるようなエネルギーだそう。 手や足が消える心霊写真は警告? 心霊写真のパターンとして、何かが写るのではなく あるはずのモノが消える という心霊写真もあります。 集合写真なんかで多いタイプの心霊写真です。 手や足などの身体のパーツが消えてしまっている場合は、 怪我や病気などへの警告というケースもあるそうです。 もし、身体のパーツが消えている心霊写真が撮れたときには、気になることがあるなら早めに病院に行った方がいいかもしれません。 心霊写真が撮れてしまったらどうする? 心霊写真が撮れてしまった・・・怖いけど、どうしたらいいのか解らないということもありますよね。 心霊写真のお祓いや供養をしている霊能者もいますが、 中にはびっくりするような高額な費用を請求する方もいます。 「そんなお金はない・・・」というときには、お寺や神社に持ち込んで相談してみましょう。 供養をしてくれるところもありますし、写真を炊き上げて貰えるかもしれません。 お寺や神社ではお祓いもできますので、安心できるのではないでしょうか。 心霊写真を供養したら消える? 心霊写真が撮れてしまったときに、供養をしたらどうなるのでしょうか。 もちろん、ケースバイケースではありますが、ある女性がインスタントカメラでふざけて撮った写真のガラスの向こう側に "人の顔がくさん"写ってしまった心霊写真があったそう。 ものすごい数の顔が写っていたそうで、怖くなったその女性は近所のお寺で供養して貰ったそうです。 お線香を上げて供養して貰ったところ「写っていたモノが消えた」そうです。 供養をすることで、普通の写真になることもあるんですね。 まとめ 今回は、身近な心霊現象のひとつ「心霊写真」についてのお話でした。 生きている人間にいろんな人がいるように、心霊写真にもいろいろなものがあります。 危険なものなのか、そうでもないのか・・・判断ではないときには、能力がある方やお寺などに持ち込んで供養して貰う写ってるものが消えるとこともあったそうです。 他にも色で見分けることもできるそうですのて、もし、撮れてしまったら・・・。 ちゃんと対応しましょうね。

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心霊写真は色で見分ける?!赤いモノが写っていたら要注意?!

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1.餓死させる為の箱に入れられた女性 この写真は1913年にモンゴルを訪れた 写真家ステファン・パッセによって 撮影されました。 死刑を宣告された女性が餓死するまで 箱に入れられ晒された様子です。 この箱は、モンゴルの遊牧民の間で 携帯型刑務所 と呼ばれていました。 2.ハゲワシと少女 南アフリカ共和国の報道写真家 ケビン・カーターがスーダンの飢餓を訴える為に、 ハゲワシが飢餓寸前の 少女を狙っている ところを撮影をしました。 1994年、ピューリッツァ賞を受賞し 称賛されていますが、 なぜ少女を助けなかったのか? という多くの批判を浴びました。 批判を苦に、授賞式の1ヵ月後 カーターは車の中に排気ガスを引きこみ 自殺しました。 3.エボラ出血熱の発病 1976年6月、現在の南スーダンの町で 発病すると、発熱、頭痛、嘔吐、下痢などの 症状で、吐血や全身からの出血で 死亡するエボラ出血熱の発病者が出ました。 致死率は50~90%で、 この町では284人が感染し、 151人が死亡しました。 写真に写っている患者の女性は 撮影の数日後内出血で死亡し、 2人の女性看護師も数日後 エボラに感染しました。 4.熊に襲われる直前 2014年11月、 アメリカ・ニュージャージー州の 22歳の大学生パテールが、 友人4人とハイキングに行ったときに 撮影した写真です。 約90メートル離れたところにいた 130kg超の熊が、 彼らに近づいてきて 別々に逃げたがパテールは襲われました。 逃げ切った友人が警察に通報し、 熊は射殺されましたが パテールは死亡しました。 熊の胃の中や口や爪から、 パテールのDNAが発見されたそうです。 彼らは下山中の登山者から、 熊がいると警告されていました。 5.小学4年 1899年 オーストラリア・フィッシュルハムの 国民学校で撮影された写真。 最後列中央がアドルフ・ヒトラー このころから、 異様に鋭い目つきをしています。 6.日本航空123便機内 1985年8月12日、 羽田発伊丹行日本航空123便の 機体最後尾から撮影された写真。 群馬県の高天原山に墜落して、 乗員乗客524名のうち 520名が死亡しました。 7年前の着陸事故の修理が 不適切だったことが、 事故原因とされていますが、詳細は謎です。 7.ジョン・レノン 1980年12月8日、 ジョン・レノンにサインをもらっている マーク・チャップマンを撮影した写真。 この数時間後に、 チャップマンはジョン・レノンを 射殺しました。 ハワイで暮らしていたチャップマンは、 ジョン・レノンの伝記を読み、 その生活に腹を立てて犯行に思い立った。 20年から終身までの無期懲役を受け 2017年現在も服役中。 8.美人中国人・死刑直前の写真 こちらは中国の死刑囚の写真です。 中国ではこのような形で処刑が行われます。 日本では考えられませんが・・・ 9.フレディ・ジャクソン 1919年、 ヴィクター・ゴダードの部隊の集合写真。 隊員の背後に、 2日前事故で亡くなった航空整備士の フレディ・ジャクソンが写っていた。 他の隊員達も、 ジャクソンに間違いないと証言した。 写真が撮られたのは、 ジャクソンの葬儀の日でした。 10.背後の人影 この写真の数秒後、 少年は後ろを振り返ったそうです。

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