檜原麻希 オードリー。 ニッポン放送/会社概要

追い風が吹いた!? ナイナイ岡村、『オールナイトニッポン』生放送復帰の裏事情とは?|日刊サイゾー

檜原麻希 オードリー

の完全子会社 式会社ニッポン放送(ニッポンほうそう、 Nippon Broadcasting System, Inc. )は、をとする(AMラジオ放送)のである。 などとともに を構成する1社で、関連5社で構成するニッポン放送グループの中核企業でもある。 「 JOLF」から俗に LFとも略称されるが、旧法人設立から(42年)9月30日までの略称は NBS であった。 2020年4月から「 いつでも一緒 ニッポン放送」をキャッチフレーズとするが、開局65周年キャンペーンであり、2019年度のキャッチフレーズでもある「 START UP! 」も併用している。 本記事は(昭和29年)4月13日から(18年)3月31日まで存在してフジテレビジョン(会社法人としては現在の)に吸収合併された旧会社と、2006年(平成18年)4月1日に分割新設された現行会社について述べる。 1960年頃のニッポン放送本社 東京地区で初頭に開局した民放のとに続き、1954年に財界を中心とした約200社の出資で開局 した。 当時の役員は財界人で構成され、会長は会長の、社長は副会長の、専務は専務理の、取締役は日本経営者団体連盟会長で社長のが務めた。 これらの陣容から、当時に珍しく開局2年目で経常収支がとなった。 、、などを発行するやとともにを構成する中核企業である。 と長く提携関係にあり、文化放送とともに「」のを務めている。 とは、フジサンケイグループ各社の統一「」を使用する。 の親会社となる存在であったが、(平成17年)1月17日からフジテレビが子会社化を目的に TOB を実施する。 同時期にインターネット関連会社が経営権奪取を目的として大量のニッポン放送株式を取得したが同社と4月18日に和解が成立し、9月1日にフジテレビの完全子会社になる。 様々な問題提起を残した本件はに詳述がある。 「 」などのキーステーションとして全国的に知られるが、ラジオ関東が1981年10月に社名を、通称を「ラジオ日本」と改称すると、混同による錯誤から「 ラジオ日本放送」の誤記、郵便物の誤送、間違い電話などが続発したことから「アール・エフ・ラジオ日本」の商号の使用停止を求めて提訴した。 判決は請求棄却・ニッポン放送の敗訴で確定 した。 これらのことから、全国ネットの番組では郵便の宛先を紹介する際に「 カタカナでニッポン、漢字で放送」と呼びかけることがある。 また、ラジオ日本では原則として頭に中波本局周波数の「1422」(いちよんにーにー)と冠する。 (平成9年)3月24日から(平成16年)9月5日まで、本社として使用するビルの建て替えに伴い、東京都の(通称フジテレビ本社ビル)へ移転 した。 とを約23万枚保有 し、民間放送局では2012年現在で最多 である。 社員の給与はラジオ単営局の中で高額であった。 設立に財界が関与したことから長らくが存在しないラジオ局であったが 、ライブドアによる買収問題が契機となり、労使話し合いの場になっていた「いちご会」と称する30代以下の若手社員有志組織を母体として、2005年3月に組合結成を準備 して9月12日に労働組合が結成された。 時報 [ ] 時報音は「ピポ、ピポ、ピポ、ポーン」と鳩時計を模した特徴的な音 を使用しており、ステレオ音声(AMステレオ放送・ワイドFMなど)では、「ピ」(正弦波660Hz)は左チャンネル、「ポ」(正弦波550Hz)は右チャンネル音量をやや大きくしている。 では、時報は別の効果音に差し替えられている。 放送局概要 [ ]• 開局 (昭和29年)7月15日• 呼出符号(コールサイン) JOLF• 呼出名称(コールネーム) にっぽんほうそう 演奏所 [ ]• 本社演奏所 〒100-8439 東京都千代田区有楽町1丁目9番3号 ・ニッポン放送本社ビル 送信所 [ ] 木更津送信所 [ ] 「」も参照• 所在地 椿318番地 (約15,000 )• 送信 支線式基部絶縁型アンテナ(主アンテナ 122. 4 m 支線式鉄柱、副アンテナ 62. 9m支線式トラス鉄柱、 120本(半径 約110m)、施工 )• 旧(1994年春まで) BN-7252V()、MB-136C(日本電気)いずれも終段蒸発冷却式• 現送信機(1994年3月本格運用)MBT-9050A 50キロ kW デジタル振幅変調方式(全固体化) NEC 2台 計100kW、 MBT9100A NEC 、設置工事 NEC、• 送信局舎 鉄筋コンクリート、高床式、一部2階建て、約147坪、施工 鹿島建設• 非常時用自家発電機 350キロ kVA• 備考:周波数を1240 kc に変更して送信出力を100kWへ増強した1971年6月から使用している。 当地はかつての一部で、河川改修で河川敷となった場所に設置している。 908MW、年間発電量 2300 - 2500MWh(2016年までの実績)、推定年間削減量 1,175、発生電力はへ販売。 非常用電源として使用しない。 足立予備送信所 [ ] ニッポン放送足立予備送信所アンテナの全景。 撮影者自身で赤線を加筆しアンテナワイヤーを強調。 所在地 7-11(旧地番 六月町921番地) 出力1kW。 1971年6月に木更津送信所に移転するまで、当地を送信所として使用していた。 敷地内に足立営業所、隣接地にニッポン放送足立野球場があったが2011年に取り壊され、野球場跡地は売却されて住宅地「パレットコート六町」になっている。 墨田FM補完中継局(放送呼称:「ワイドFM」) [ ] 周波数 空中線電力 最大実効 輻射電力 所在地 93. 0 MHz 7 kW 57 kW 1丁目1番13号 () として9月3日に予備免許が付与され、東京スカイツリーにニッポン放送、TBSラジオ、文化放送の3社が共同でアンテナを設置して10月5日に試験放送を開始し、12月7日13時00分に本放送を開始した。 AMの補完目的で放送されるためFMはされる。 2015年3月30日から在京3局はFM補完放送の通称を「 ワイドFM」とした。 に申請して9月30日が「HAPPY FM93の日」と承認された。 認定式の模様は公開生放送の『』で生中継された。 J:COMケーブルネットワーク [ ] 2014年5月27日から、関東地区の各局でTBSラジオ・文化放送とともにJ:COMテレビのデータ放送でAMラジオ音声の再送信が行われており、音声はテレビ受像機で聴取する。 radiko [ ] 『』は2010年3月15日の試験配信開始から参加しており、当初は南関東の東京・神奈川・埼玉・千葉が配信エリアだったが、12月1日の本サービス以降は北関東の群馬・栃木・茨城も配信されている。 タイムフリー聴取 は2016年10月11日に開始されてニッポン放送も番組表を刷新したが、『』は現在対象外である。 2018年4月1日5時に『』『』『』が、radikoプレミアムでエリアフリー聴取可能 となり、4月7日土曜日の放送からエリアフリーとタイムフリーにも対応してエリアフリー未対応番組は全廃 された。 番組表は、フロート番組も独立させて表記する(そのため、内包するワイド番組は枠が細切れになる)。 また番組のバナー画像は、各番組にもれなく設定されており、局標準仕様の画像は「放送休止」枠で見られる程度である。 放送局記号は「LFR」。 新聞番組表 [ ] のは番組タイトル部分を ゴシック体で表記している。 の番組欄は黄色で網かけと今日のみどころが補足されている。 のは関東のラジオ局で唯一当局を取り上げて早朝からの全日分掲載するが、昼間の聴取は困難を伴う。 資本構成 [ ] 企業・団体は当時の名称。 当時はフジテレビの本社所在地でもあった• (昭和28年)• 12月21日 - 日本放送株式会社として免許申請。 12月23日 - 日本放送株式会社として予備免許取得。 (昭和29年)• 1月21日 - 日本放送株式会社を「 株式会社ニッポン放送」に改称。 4月23日 - 設立総会を経て正式に「株式会社ニッポン放送」設立。 7月7日 - 本免許取得(コールサイン JOLF、周波数 1310kc 、出力 50kW)。 7月14日 - 6:30から、開局記念番組を放送。 様々なイベント、ライブの模様を放送• 7月15日午前5時 - 全国で36局目、東京で KRT 、 NCB に続く3局目で 本放送を開始した。 NBSを略称とし、最初の番組は「お早うさん」 、最初の曲は作曲「」、アナウンサーは、ディレクターはであった。 (昭和30年) - の前身となる関連会社 株式会社ニッポン放送事業社を設立し、(昭和41年)10月1日に株式会社ニッポン放送サービスとなる。 (昭和32年)11月 - 東京地区のテレビ免許割り当てに伴い、文化放送と共同で(以下フジテレビ)を設立する。 (昭和33年) - 文化放送と共同でステレオ実験放送を実施する。 (昭和34年)• 3月 - 株式会社深夜放送(後に催事企画及び保険代理店の株式会社フジサンケイエージェンシーとなる)を設立する。 10月10日 - 24時間放送開始 する。 (昭和37年)11月3日 - 国内初のを新宿店内に開設する。 新宿のほかに、1962年12月2日にの高架下で現在近傍、(昭和38年)8月1日にの横、(昭和41年)4月8日にの池袋本店内、それぞれに開設した。 (昭和39年) - 聴取者細分化により夜間を若者向けとする新編成方針 を発表した。 (昭和40年)5月3日 - 文化放送と共同で全国民放ラジオ31社を結ぶ(NRN)を発足した。 (昭和42年)10月2日 - のちに長寿番組となる『』を開始 する。 この頃略称を「LF」に変更。 現在、NBSの略称はが使用する。 (昭和46年)• 6月 - 増力のため、東京都足立区六月町921番地 (現 足立予備送信所)から千葉県木更津市椿318番地へ 送信所を移転する。 11月1日 - 周波数を1240kcに変更、出力を100kWに増力する。 この変更前後の10月29日朝8時30分から11月2日正午まで、出力100kW拡大にちなんで「100時間マラソンラジオ」と題した特別番組放送した。 周波数変更直前から新周波数 1240kc で鐘の音を鳴らしながら「このシグナルは1240kc・100 kW、ニッポン放送木更津送信所から送信しています。 周波数をおあわせ下さい」のアナウンス音源がで放送された。 午前3時の時報と同時に「ニッポン放送です。 ニッポン放送はただいまから周波数1240kc、出力100kWで放送します」アナウンスされ、「第2の開局」と称して周波数変更と出力拡大が行われた。 アナウンスはが担当した。 (昭和48年) - 『』を開始する。 (昭和50年) - のためになどを贈るべく、毎年12月24日から12月25日にかけて24時間放送するチャリティー番組『』を開始する。 (昭和52年)10月1日 - 深夜放送『オールナイトニッポン』が放送開始10年となる。 (昭和53年)• 11月23日 - ITU(国際電気通信連合)の取り決めで周波数が9kHzステップへ移行し、午前5時に 周波数を1242kHzに変更した。 5時00分から9時01分は試験放送で、『』で9:00から1分間は玉置が喋り、NTTの時報に続いて改めてオープニングを流した。 当日はが「」で取材していた。 (昭和56年)12月 - 大型多目的公開スタジオ「」(第1スタジオを改装)が完成する。 (昭和57年)2月16日 - を導入する。 (昭和61年)4月1日 - 統一CI導入に伴い、ロゴ・マークを現在の「」に変更する。 (昭和62年)10月1日 - 深夜放送『オールナイトニッポン』が放送開始20年となる。 (昭和63年) - 場内FM放送システム「FM Live Station」の業務を開始する。 (平成3年)10月 - 『オールナイトニッポン』25年目を記念して、、、、の各オールナイトニッポンが一夜限りの復活放送特別番組を放送する。 (平成4年)• 3月15日 - 午前9時から の本放送を開始し、「右からきんさん・左からぎんさん」「元気にステレオ・ニッポン放送」とが出演するCM、記念生放送特番「」を放送した。 時報をステレオ対応、ニュース、交通情報のジングル、それぞれを変更する。 フジテレビジョン社長の、産業経済新聞社社長のらが会長を解任する。 (平成6年)3月 - 国産初の全固体化大電力デジタル振幅変調方式の送信機(製 MBT-9050A)を導入する。 (平成7年) - ニッポン放送出版を吸収合併し、資本金を6,000万円に増資する。 (平成8年)12月2日 - 第二部に株式を上場する。 (平成9年)• 3月24日 - 本社が入居する糖業会館ビルの老朽化に伴う建て替え計画により、の フジテレビ本社ビルと俗称されるへ移転する。 本社・スタジオ・主調整室はFCGビルのメディアタワーの22階から24階に設けられた。 糖業会館ビルは、営業部門が残り、「ラジオハウス銀河」も台場に大型スタジオが未完工のため使用を続けた。 10月1日 - 深夜放送『オールナイトニッポン』が放送開始30周年となり、記念して1998年3月まで過去のパーソナリティが登場する特別番組『』を放送した。 (平成10年)• インターネット公式サイト www. fujisankei-g. (平成11年)• 3月29日 - を開始する。 6月1日 - が代表取締役社長に就く。 10月4日 - 公式サイトを 1242. com, allnightnippon. com, jolf. jp, jolf. net へそれぞれ移転し、10月から一部番組で投稿の受付を開始する。 2000年代 [ ]• (平成12年)• 3月25日 - ニュース、交通情報のジングルを作曲のものに変更し、2011年7月まで使用する。 12月1日 - のチャンネルの一つとして「」の放送を開始する。 『』など一部番組はとしても送信する。 BSデジタルラジオ用サイトlfx488. comを開設する。 インターネットショップを開設する。 (平成13年)• BSデジタルラジオ用サイトを、lfx. jpへ移転する。 8月 - 旧糖業会館ビルが解体を始める。 11月 - 系列で「との」を放送する。 3月31日 - 新年度開始・「」ブランド廃止と同時に夜番組のサイト「allnightnippon. com」公式ウェブサイトを刷新する。 10月10日 - 、と共同で実用化試験放送「Digital Radio 98 The Voice」を開始する。 1セグメント放送だけでなく3セグメント放送の試験放送も行う。 3月29日 - 新年度開始と同時に昼番組のサイト「1242. com」、夜番組のサイト「allnightnippon. com」、会社要覧・ラジオリビングのサイト「jolf. jp、jolf. net」の各全公式ウェブサイトを刷新する。 7月15日 - 開局50周年を記念した特別番組「」を放送する。 9月6日 - 糖業会館・ニッポン放送本社ビルが竣工し、から有楽町に戻る。 ここからの事象はも参照のこと。 1月17日 - フジテレビジョンがニッポン放送発行済み株式の TOB を発表する。 両社の資本関係を逆転させてフジテレビの子会社となる予定だった。 2月10日 - フジテレビが、ニッポン放送株式TOBの株式保有比率目標を「50%超」から「25%超」に引き下げ、買い付けの期限を3月2日まで延長すると発表する。 2月23日 - フジテレビに4720万株分のを割り当てると発表する。 2月25日 - ライブドアがフジテレビを対象とした新株予約権発行を不服としてに発行差し止めの仮処分を申請する。 3月8日 - フジテレビのニッポン放送株式TOBが成立し、発行済み株式総数3280万株の36. 3月11日 - ライブドアの差止請求が認められて上記の新株予約権発行は無効となり、ニッポン放送は東京高裁に対して即日抗告する。 3月23日 - 上記の新株予約権発行差し止めの仮処分を不服としたニッポン放送の東京高裁に対する抗告が棄却され、新株予約権発行を断念する。 3月24日 - ニッポン放送は SBI に、ニッポン放送が現在所有するフジテレビ株を5年間の期限付きで貸し与えた。 3月27日 - 以来、50年間続いた長寿番組『』が終了する。 4月18日 - ライブドアとフジテレビが和解し、ライブドアグループが所有するニッポン放送株式全てをフジテレビに譲渡すると発表する。 フジテレビによる完全子会社化に目途が立つ。 5月23日 - フジテレビがライブドア・パートナーズを買収し同社の商号を「LFホールディングス」(2006年4月に存在した「ニッポン放送ホールディングス」とは別の会社で、7月12日にフジテレビと合併)に変更し、フジテレビ保有のニッポン放送株式が合わせて68. フジテレビによるニッポン放送の子会社化を円滑に進めるため、の適用認定を申請する。 5月24日 - ニッポン放送株式を東京証券取引所がに割り当てる。 5月25日 - ニッポン放送が自社株式のTOBを開始する。 6月10日 - が産業活力再生特別措置法の適用を認定する。 6月16日 - ニッポン放送による自社株式のTOBが完了し、ライブドアが保有する株式の大半を含む964万株を取得する。 ライブドアは主要株主から外れる。 6月22日 - フジテレビの深夜枠『』で、ニッポン放送のオールナイトニッポン制作現場を舞台としたドラマ『』が放送を開始する。 22日深夜(未明)放送の『松浦亜弥のオールナイトニッポン』でドラマの模様を解説する。 6月24日 - 専務が社長に就き、社長は退任して相談役に就く。 6月28日 - ニッポン放送株式が東京証券取引所のに移行する。 6月30日 - SBIに貸し出されていたフジテレビ株式がニッポン放送に返却され、ニッポン放送がフジテレビの筆頭株主に復活する。 7月28日 - ニッポン放送株式が東京証券取引所の上場を廃止する。 9月1日 - フジテレビと株式交換を実施し、フジテレビによるニッポン放送の完全子会社化が完了する。 10月3日 - 「」を開設し、によるインターネットラジオ配信を開始する。 12月25日 - フジテレビ系列で「のオールナイトニッポンTV」を放送する。 1月19日 - がニッポン放送のラジオ事業部門の会社分割に伴う免許承継を認可する。 3月31日 - BSフジの超短波放送チャンネル撤退に伴い「LFX488」の放送を終了し、4月1日付けでインターネットラジオ「LFX BB」と統合してステーション名を「LFX mudigi」に改称する。 4月1日(休日につき、登記は4月3日に実施)• (旧)「株式会社ニッポン放送」保有の資産をフジテレビに吸収させるため会社分割を実施し、社名を 「株式会社ニッポン放送ホールディングス」に商号変更すると共に、中波放送局免許及び中波ラジオ放送事業を、新たに設立した (新)「株式会社ニッポン放送」に承継する。 ロゴマークも新会社がそのまま承継した。 「ニッポン放送ホールディングス」をフジテレビが吸収合併する。 フジテレビは(旧)ニッポン放送が保有していたフジテレビ株式の20. アナウンサー11人を含む全社員の約2割の47人を除き、全社員がニッポン放送に残留のため(新)「ニッポン放送」に転籍し、47人はニッポン放送ホールディングスとフジテレビの合併によりフジテレビへ転籍となり、フジテレビの社員になった。 9月30日 - 4月の会社再編でフジテレビの社員になっていた元ニッポン放送アナウンサー全てが番組から降板、もしくは番組終了する。 10月1日 - 実用化試験放送のチャンネルが、9501チャンネル(愛称mudigi)に移動し、1セグメント放送のみに変更する。 3月中旬 - 専用サイト suono. jp を開設する。 4月2日 - を地上デジタルラジオ実用化試験放送及びインターネット放送を行うデジタルステーションSuono Dolceとして刷新する。 地上デジタルラジオのチャンネル名をに変更し、サブチャンネルのを開始する。 10月1日 - 深夜放送『』放送開始40周年となる。 1月29、30日 - アジア地区最終予選の再試合を、日本で行われる国際試合としてラジオ史上初のハンドボール実況生中継を放送した。 ハンドボールのラジオ実況は、の以来である。 2月18日 - 番組が受け付ける番号を一般電話番号からへ変更した。 2月23日13:00から2月24日29:00 まで 『オールナイトニッポン』40周年のとして、『』を放送する。 ・・・・などの歴代パーソナリティーが久々に放送し、・と現在のパーソナリティも放送した。 地上波ニッポン放送のサイマル放送を開始した。 10月1日 - フジテレビの持株会社化により、の完全子会社となる。 2010年代 [ ]• 3月15日 - 他の在京ラジオ6局と共同で、インターネットのIPサイマル放送「」の試験配信を開始(-1都3県限定)。 6月22日 - 会長のが、社長に就任。 磯原裕社長が相談役に就任。 6月28日 - 7月期大幅改編と同時に「1242. com」をリニューアル。 10月4日 - 1年間をかけて行う、ステーションキャンペーン「人生を豊かに! ニッポンをもっと楽しもう計画」始動。 毎月テーマを設けて、各ワイド番組 がテーマと番組カラーに特化した話題を届けていく(2011年3月11日発生の東日本大震災のため、キャンペーン展開を打ち切られた。 以降、と同様に関係者の間では語らなくなった)。 2010年10月:(キャンペーンパーソナリティ )• 2010年11月:(キャンペーンパーソナリティ )• 2010年12月:(キャンペーンパーソナリティ )• 2011年1月:(キャンペーンパーソナリティ )• 2011年2月:(キャンペーンパーソナリティ )• 2011年3月:(キャンペーンパーソナリティ )• 12月1日 - 他の在京ラジオ6局と同時に、インターネットのIPサイマル放送「radiko」の正式配信を開始。 同時に、それまでの南関東-1都3県から、サービスエリアを、・・を含む、関東地方全域-1都6県に拡大。 1月1日 - 「ジャンボ尾崎世界ゴルフ殿堂入り記念特番 新世紀ゴルフ伝説 ジャンボ尾崎と若武者の挑戦」(1月2日夜放送分)の50分編集版特別番組「新世紀ゴルフ伝説 ジャンボと若武者の挑戦」 がLFをキー局にで放送(LFでは同日19:00 - 19:50に放送)。 パーソナリティは。 2月28日 - にて「オールナイトニッポンを作ろう! 」をリリースし、ゲーム事業に参入。 本作と「美少女競泳メドレーバトル」の2タイトルをリリースしたが、2013年までに全てサービスを終了した。 3月11日 - 『』放送中の午後2時46分、()発生。 「災害特別放送」に移行 、終日震災関連の情報を提供。 地震発生時から18:00まで、番組担当のが地震注意を呼びかける中、14:47に23区でも震度5強を記録(断層の連続破壊により、S波は1分にわたって続いたことになる)。 地震の第一報(最大震度・津波情報)を宮崎裕子が伝え、程なく森田耕次報道部長(当時。 現:解説委員)に変わり上柳と担当。 このあとも14日5:00まで断続的にアナウンサー・報道部デスク持ち回りで実施。 土曜日は『とくモリ! 』の徳光和夫・石川みゆきや『ラジオサーキット』の小倉智昭が出演するなど、通常番組ではあるが内容を大幅変更して放送されたケースも存在する(この場合も徳光・石川・小倉はフリーアナウンサーではあるが、情報キャスターの役割でニッポン放送のアナウンサーと報道部デスクが必ず付いた)。 13日5:00までは時報、音楽、CMをすべてカットして報道に専念(その後もCMカットは続くが時報と一部音楽のみ13日5:00の時報で解禁)。 これ以降も18日までは番組ジングルなどは基本的にカットされた。 の主導により他の在京5局と共に、史上初の「」 、ニッポン放送独自のネットワークによる「首都圏学校」「首都圏お勤め先安否情報」発動。 当日19:00から2時間など、一部時間帯は大阪・(ABC)へも同時ネットされた。 全国ネット対応枠(『』の枠など)は首都圏ローカル情報枠とネット局向け枠の二重制作の上で後者を裏送りした。 この裏送り分は大阪ではが主にネットしていたため、大阪地区では二重制作分を両方聴取することが可能であった。 この時のメールアドレスは「lf 1242. com」、「koe allnightnippon. com」だった。 これ以降、各アナウンサー持ち回りで担当する「 防災ひとくちメモ」をスポット枠で流している。 その他、防災への取り組みは に掲載されている。 同時に夏場は「 暑さ対策ワンポイント」をスポット枠で流す。 こちらは飯田アナウンサーと新保アナウンサーのものが流れる。 を通じて携帯ラジオ1000台を被災者に配布。 3月29日 - この日行われた「SAMURAI BLUE(日本代表) vs Jリーグ選抜 TEAM AS ONE」(19:00 - 21:50)の生中継を19:20以降、のである()と(仙台市)へ向けてネットされた。 在阪NRN加盟局がいずれも放送しなかったため、独立局のへもネットされた。 実況はアナウンサー。 3月31日 - 実用化試験放送終了に伴い、95チャンネル「」、9501チャンネル「」・9502チャンネル「ニッポン放送DIGITAL」閉局。 4月9日 - 午後1時から24時間、をメインパーソナリティに「」を生放送。 の特別版は今回が初。 今回は普段と異なり、深夜早朝に問わず全国の放送局が任意の時間に番組をネットできる体制をとり、企画ネットで放送されない地域でもニッポン放送の番組が入中される。 6月22日 - 8月31日にかけて自主的にライトダウンの呼びかけを行う「昼も。 節電ライトダウン2011」に参加。 8月1日• ニュース、交通情報のジングルを変更(作曲)し、当日の『』より使用開始。 26日までの間、「Summer Time HAPPY HOUR 編成」と題して期間限定で2本番組を放送する。 月-金曜朝の起点を30分繰り上げて4:30 - 5:00に「」を編成。 夕方は、22日からの1週間はスペシャルウィークとの連動で16:00 - 17:40に「」を編成する。 2月20日 - 26日 - ニッポン放送スペシャルウィーク。 この週はシンガーソングライターのが、〝 春よ来い! 元気をリリースニッポン放送〟をキーワードに特別編成局長を務める。 著名人が特別編成局長に就任するのは開局以来初。 松任谷は期間中、「」に生出演、「」に出演、その他各番組にコメント出演、飛び入り出演した。 5月22日 - 開業記念の特別番組を、と合同で企画、で放送。 ニッポン放送は垣花正、吉田尚記、が、J-WAVEは、、、が担当。 6月27日 - 元ニッポン放送アナウンサーでクリエイティブ事業部所属の「 つかちゃん」ことが同社のトイレの個室で自殺を図り、死亡。 57歳没。 2月22日 - オールナイトニッポンが放送45周年を迎えるに当たり、24日まで「」を、各番組連動で、文字通り45時間にわたって放送。 調査週間。 3月12日 - 記者会見でへの参入を見合わせ、AM、による同時放送を検討していると発表した。 6月26日 - 2014年7月15日に開局60周年を迎えることを記念して2013年10月 - 2014年12月まで「開局60周年キャンペーン」を展開することが発表された。 キャッチフレーズは「 」である。 1月11日 - とのコラボレート番組『 』を放送(13:00-14:55。 FMヨコハマでは15:55まで)。 クイーンズスクエアからの公開生放送で、特設ステージ担当はと、中継レポーターはとが務めた。 7月15日 - 開局60周年を記念した特別番組『』を放送。 9月3日 - 総務省より の予備免許を付与される。 周波数93. 0MHz、出力7kW。 9月28日 - レギュラー番組としては32年ぶりとなるラジオドラマ「らじどらッ! 〜夜のドラマハウス〜」を「今夜もオトパラ! 」内で放送開始。 10月5日 - FM補完放送の試験電波発射開始。 12月7日 - の墨田FM補完中継局「HappyFM93」より、 FMによるサイマル放送開始。 これを記念して8時 - 20時50分に「」を13時 - 15時30分に在京3局合同記念特番「」 をそれぞれ放送。 4月14日 - 発生に伴い、を通じて被災者に携帯ラジオ500台を配布(5年ぶり2回目)。 6月23日 - 元営業局長で専務取締役のが社長に就任。 村山創太郎社長が相談役に就任。 7月20日 - の発案による無指向性&スピーカー機能内蔵ラジオ受信機「(ヒント)」を、と共同開発し、で支援募集すると発表。 ラジオリビング放送開始40周年を迎える。 10月2日 - 深夜放送『』放送開始50周年となる。 1月26日 - インターネットラジオ局「」閉局。 7月11日 - に伴い、を通じて被災者に携帯ラジオ200台を配布(2年ぶり3回目)。 12月31日 - ・・などのメディアと共同で、「NHK紅白歌合戦」と同時間帯に「」を生放送。 6月21日 - 新社長に常務取締役を務めていた檜原(ひわら)真紀が就任。 同局史上初となる女性社長が誕生した。 7月15日 - 開局65周年を記念した特別番組『』を放送(5:00 - 21:50)。 9月10日 - 『』放送中の8時31分頃、木更津送信所からの送信が不可能となり35秒の停波が発生。 足立送信所に切り換えて1kWの減力放送で送信を再開・継続する(ワイドFMとradikoは通常のまま聴取可)。 前日9日の 台風15号 の影響で同日3時23分から木更津市内が停電となり、木更津送信所も電力供給が行われなくなったことから非常用発電機に切り換えて送信を継続していたが、発電機が故障したことから電力供給ができず、結果送信も不可能となった。 22時25分、非常用発電による自家発電で木更津送信所から通常通りの100kWの放送に戻った、12日午前に東京電力からの木更津送信所への電力配給が再開 、自家発電からの切り替えは12日14時03分ごろ「」放送中に行われた。 4月13日、への加盟に合意した。 設備 [ ] ニッポン放送 有楽町本社 正面玄関付近(2006年撮影) 糖業会館・ニッポン放送本社ビル• 2004年4月竣工、設計:、施工:・・共同企業体、敷地面積:1,314. 93㎡、延床面積:12,419. 86㎡、階数:地上9階・地下4階・塔屋1階 塔屋には「情報発信拠点」の象徴として、 ()を模したステンレス製の避雷針が2本立てられている。 建て替え前の「糖業会館ビル」は社団法人が所有しており、前の1939年に建てられた建物で、1954年のニッポン放送開局に伴い増築を施して入居していた。 現在の「糖業会館・ニッポン放送本社ビル」は、糖業協会・ニッポン放送の共同所有となっており、エレベーター(製 )も別入口となっている フロア• 地下4階 - レコード室(レコード盤、8cmCD、効果音用小道具等が保管されている)• 地下3階 - (糖業協会)• 地下2階 -• - 第1スタジオ。 大型多目的公開スタジオである。 の楽曲「」に由来。 壁面ガラスにジョン・レノンのサインが刻まれたプレートが埋め込まれている。 公開番組や『』、ニッポン放送主催イベントで使われる。 かつての「ラジオハウス銀河」の系譜を受け継ぐもの。 地下1階 - ( 綴 TSUZURI )• 2・3階 - (糖業協会)• 4階 - 旧社屋の第6スタジオ(通称:ブルースカイスタジオ)と第7スタジオ(通称:レッドスカイスタジオ)を継承した第2スタジオと第3スタジオを交互で使用しており、各スタジオに使用スケジュールが貼り出されている。 エレベーターロビーに提供スポンサー企業のサンプル商品が鎮座する冷蔵庫やスタッフが居る場合がある 放送センター、技術局フロア• 報道部 - 第3スタジオ隣に設置されており 、報道部の隅に即アナウンス出来る簡易ブース が設けられている• スポーツ部 - 第2スタジオ隣に設置されている• 放送技術部• デジタル技術推進室• マスター(製) - マスター専用の放送ブース・手動送出卓がある• CDルーム• 第2スタジオ - 生放送用スタジオ。 スタジオの窓からはやが見える。 第3スタジオ - 生放送用スタジオ。 スタジオの窓からが見える。 再移転後しばらくは通称レトロスタジオとして、昭和30年代をイメージした家具や雑貨が置かれていたが、2006年に撤去• オレンジブース - 生活情報報道で緊急情報を伝える時に使用するブース• テレフォンセンター• 5階 - 営業局、CP局 2019年7月から各社員のデスクがフリーアドレス制となり、居室も改装された• 営業部(1、2、促進部、CMセンター)• ネットワーク部• 編成部 ペニンシュラホテル側に所在• 編成業務部• 広報室• アナウンサールーム - ペニンシュラホテル側に所在• ベランダ - ペニンシュラホテル側に設置。 気象情報の中継や同社が出版している「女性アナウンサーカレンダー」ロケ の際に使用する場合がある• 編集機• エンターテイメント開発部• ネクストビジネス戦略部• デジタルソリューション部• マルチコンテンツ営業部• 第4 - 7スタジオ - 主に録音番組の収録に使用されているが、このうち第4スタジオでは裏送りの生放送番組『』が送出されている。 また、特別編成で4階のスタジオが利用できない場合、一部の生放送番組をこれらのスタジオが行うこともある• Nブース - 専用スタジオ。 番組収録に使用。 MA室• 編集室• ワーキングルーム• 喫茶室(6CAFE) - 旧本社に所在していた、3 階 ロビ(ー)喫茶に替わる、社屋内カフェ• 7階 管理部門フロア• 総務部(人事・総務)• コンプライアンス推進室• 経理部• 応接室• 医務室• 郵便室• 株式会社ミックスゾーン• 役員室• 秘書室• 9階 - 会議室、NRN事務局• 1 - 5会議室• Studio Dolce• プロジェクトルーム1、2• 屋上ベランダ - 一部番組の中継 のほか、ここにニッポン放送の寒暖計と湿度計の観測ポイントがあり、各スタジオにデジタル表示され、番組内で「ニッポン放送屋上の温度計」として紹介される。 サテライトスタジオ [ ] ニッポン放送は1960年代 前半、テレビに押され気味だったラジオの媒体価値を高めるべく、ラジオがより身近な存在である事をアピール。 局舎以外に公開スタジオを設置する事となり、これを(通称・サテスタ)と呼んだ。 このサテスタ作戦は成功し、文化放送は追従したが、TBSラジオは街頭中継に力を入れた(=の増強)ため、追従はしなかった。 過去に設置されたニッポン放送のサテライトスタジオ所在地• (2階。 現在はの一部 1962年 - 不明)• 新宿(内)• 雷門サテライトスタジオ(浅草 本店1階 現在は店舗の一部)• ( )1階。 跡地は建物の守衛室に流用されている 1970年 以降 - 1993年 以前)• (2階。 現在は百貨店のディスプレイ)• (ドリームセンター内)• 西銀座サテライトスタジオ(1階 現在は隣接していたチャンスセンターが増床。 サテライトスタジオのさきがけ)• Radio Town(有楽町 読売会館 2階南側(有楽町店内) 現在はビックカメラ有楽町店の一部 2001年6月 - 2004年3月) 中継車 [ ] 4年毎に車両更新され、ラジオカーの最大出力は50W。 中継は、・・に設置された基地局に送られ、そこから専用回線を使って本社に送られる。 2018年時点の車両には、車体正面と側面にニッポン放送のロゴとフジサンケイグループの目玉マークが描かれている。 また、FMカーの側面にはワイドFMのコールサインである「FM93」のロゴが描かれている。 ロゴナンバープレートは導入以降、全車AM放送周波数の「12-42」にて登録されている。 歴史 [ ] 旧ラジオカー(車種:80) 1959年(34年)に日本のラジオ局で初めての交通情報番組「ハイウエーニュース」を放送開始し、1960年頃に主要13交差点の混雑状況を報じる「交通ニュース」も放送開始。 その後アメリカのラジオ局にならい「ニッポン放送ヘリ情報」と題してヘリコプターから交通情報や報道を行っていたが、が設置されたためヘリコプターを廃止。 その後(昭和45年)に街角からのリポート・報道中継を目的として、中波民放ラジオ局としては初めてを導入。 その後、各局が追随した。 当初は2台(セダン型の車両を使用 愛称:ニッポン1号・ニッポン2号 塗装は、緑と白の塗り分け)で、のロードサービス隊員が乗車していた。 ラジオカー [ ]• 1号車• 3号車 FMカー [ ] ラジオカーの電波が受信基地に届かない場合に、ラジオカーの電波を受信基地まで2段中継するために使われる。 他の車に比べ出力の大きい送信機を搭載。 トヨタ・ハイエース• その他 [ ] 旧ウェザーカー(車種:)• ウェザーカー - 車体側面に青空をモチーフにした絵と番組名が塗装され、代々トヨタ自動車のが使用されていた。 2台所有。 1999年(11年)に前身番組の「」の放送開始に伴い導入。 車両は番組の単独スポンサーであるトヨタ自動車より提供されたもの。 番組終了に伴い運用終了。 - 別途機材を積んでラジオカーとして使用することがあり、『ニッポン放送社屋移転特別番組 有楽町から台場へ 1242人夢のマイクリレー』等で使用されている。 を使用。 ID [ ] 開局当時から、民間放送では唯一、が演奏されている。 2015年12月現在、基本的にIDの放送は日曜の早朝と月曜の早朝のみとなった。 【日曜の早朝】 4:28頃に『』のCM枠内で、「」のあとにとによるものが週替わりで 流される。 4:29. 40から4:30. 00まではCM枠を再びフェードインさせてつないでいる。 起点である5:00のところは以前は前番組から1分間のステブレを挟んだが、現在は時報を挟んだステブレレスである。 【月曜の早朝】 以下の通り、試験放送後に によるコールサインチェック 、による緊急警報放送試験信号の発信、5:00の時報となって、『』へつなぐ。 終夜特別編成になる場合はコールサインチェック・緊急警報放送試験信号は放送されない。 かつては火曜 - 土曜の早朝も緊急警報放送試験信号を省略した以外はこの内容だった。 【火曜 - 土曜の早朝】 火曜 - 金曜は4時30分、土曜は5時00分が起点である。 月曜日から金曜日は『』からステブレレスで朝一番の番組へつなぐ。 土曜は従来通り番宣CM(だいたいが土曜午前中のワイド番組の予告で、その前後をジングルで挟む)でつなぐ。 かつては、「ニッポン放送行進曲」(作曲:)なる曲が毎朝放送されており、現在も入社式で使用されている。 終了時は(2000年代 - )のアナウンス。 アナウンスに関してはワイドFM開始時に墨田放送局が追加されたのを除けば変更はなされていないが、の病状が悪化していた冬頃は「…これから暫くの間お休みさせて頂き、午前5時から再び放送を開始致します。 」の後に、「 なお、天皇陛下のご病状に関する新しいニュースは入り次第お伝えいたします。 」という内容のアナウンスが追加されていた。 1980年代から1990年代には、「朝もやの渚( Sleepy Shores)」の後にも、朝の局名告知で使用されるフランク・ミルズの「街角のカフェ( from a sidewalk cafe)」が、続いて1分15秒ほど流れていた。 一日中放送内でCM明けにコールサインが放送され、1時間ごとに、IDコールが行われる(無線局運用規則第138条第2項の毎時最低1回の局名告知義務に基づくもの)。 広告入りの物もある。 月曜日の早朝はメンテナンスが実施されて4時45分から試験放送が行われる。 2007年9月から2010年6月までは、4:30開始のが放送されて4時15分から であった。 2008年度(平成20年度)から試験放送中はの「Amarantine」「It's In The Rain」「Long Long Journey」 がそれぞれ順に演奏される。 試験電波発射中は2016年3月28日から、 2015年12月14日から2016年3月14日まで、以前はがそれぞれアナウンスし、以降はが担当してコールサインチェック、君が代の演奏、システムの試験信号が放送されて通常放送を開始する。 2013年12月23日の木更津送信所からの試験放送は、エンヤの代わりにクリスマスソングを演奏して通常と異なるアナウンサーが担当し、オープニングのコールサイン以降は那須恵理子 がアナウンスした。 足立予備送信所からの試験放送も同様だが、木更津での試験電波のセットリストの「Amarantine」「It's In The Rain」「Long Long Journey」のパターンとは別となっており、エンヤの別の曲が用いられたり、 別のアーティストが使われたり 、放送が年によって異なる(この際は通常「周波数、1242 kHz。 出力、100kWで、ただ今試験電波を…」のアナウンスが「周波数、1242 kHz。 出力、1 kWで、ただ今試験電波を…」に変わる)。 FM補完放送開始後もオープニング、クロージングで使用している曲は変更がない。 「周波数、1242 kHz。 出力、100 kW、 墨田放送局、周波数、93. 0 MHz、出力、7 kWで…」とFM補完放送の部分が追加されているが、AMの木更津送信所の名称は触れていない。 緊急警報システムの試験信号放送は以前は日曜深夜の放送休止のアナウンスが入る前に行なわれていた。 1999年(平成11年)7月から2001年3月にかけて、が終了時の枠を買い取り、突如終了時にノイズが入り(終わったかのように思わせて)、怪談のラジオドラマを約10分近く放送していた。 本編のあとには雑誌の宣伝という構成であった。 当時のタイムテーブルには「日曜の夜に何かがおこる」とあり、番組名は記されていなかった。 一方、新聞の番組欄では「1:28 ムー」記載がとあった。 当然ではあるがそのあとに本当のクロージングは放送している。 内容としては、通常のクロージングのように「JOLF JOLF お聴きの放送は皆さまのニッポン放送です」(ただし担当は別人)と入れたのちに「朝もや」を流すが唐突にホラー音楽が流れ、先程のコメントに不気味なエフェクトをかけて怪談のラジオドラマを流していた。 ニッポン放送で流される局名告知の短いIDは、後述のキャッチフレーズを使用したジングルと、アナウンサーが読み上げるものが存在する。 2015年12月6日までは以下の通りで、那須・山本・・によるものが流されていた。 JOLF、 お聴きの放送はニッポン放送、周波数は1242kHzです。 JOLF、 お聴きのラジオは、1242、ニッポン放送です。 お聴きの放送はAM1242、ニッポン放送です。 「暑中お見舞い申し上げます、ニッポン放送」 - 梅雨明け後から。 増山 2015年12月7日からは以下を、増山・飯田によるもので流している。 JOLF、FM93・AM1242、 ニッポン放送です。 番組 [ ]• アナウンサー [ ] アナウンサーの所属は、生活情報・音楽・バラエティなどが中心の制作部と、スポーツ専門のスポーツ部に分かれていたが、2011年6月に編成局アナウンサー室に集約されたのち、2012年7月1日付の組織変更により「編成局制作部アナウンサールーム」となったが、2018年4月時点で「制作部」が廃止された事で、再び「編成局アナウンス室」に改組され、2019年7月1日付で編成局から「コンテンツプランニング CP 局」に改組された。 また、2020年7月1日付で報道部とスポーツ部が合併し、「報道スポーツコンテンツセンター」となり、競合他局と同様の組織に改組された。 2015年入社以降のアナウンサーの所属は子会社であるとなっているが、採用作業はニッポン放送の側で行っている。 ニュース専門の報道部はアナウンサーでは無く報道部デスクと呼称され、所属は報道部で記者という扱いのためプロフィールも公開されていない。 契約アナウンサーは、報道部の宿直勤務を中心に局アナ業務のフォローを担っている。 (1999年入社) - ビジネス開発センター局ネクストビジネス戦略部吉田ルーム担当副部長• (2004年入社) - 主任 女性• (1989年入社) - CP局アナウンス室室長• (2011年入社)• (2013年入社)• (2015年入社)• (2019年入社)• (2019年入社) スポーツ中継担当 [ ]• (1992年入社) - 主任• (2001年入社) - 主任• (2018年入社) 報道部記者 [ ] 主に本社編成局所属であるが、関西支社所属の記者も所在している• (報道部副部長、元アナウンサー)• (報道部副部長、元ディレクター)• (1990年、より移籍、報道部アナウンサー、記者、元アナウンス部室長、報道部担当副部長)• (、1991年、より移籍、元報道部部長)• (2019年7月人事にて、編成部主任から復帰)• 藤原高峰(2020年7月人事にて営業1部から復帰、元報道部記者、営業局営業2部横浜支社、関西支社)• (嘱託、解説委員、元アナウンサー、プロデューサー、報道部部長、元アナウンス部室長)• 岡宏(嘱託、元報道部副部長) 契約アナウンサー [ ] 同社OB・OGの那須、上柳、師岡、松本、垣花および子会社兼任所属のひろたはニッポン放送の公式Webサイトにプロフィールがあり、肩書きも同社所属が付与される。 (1972年 - 2008年在籍、以降ミックスゾーン) - スポーツ部所属• (1974年 - 2016年在籍、以降フリー) - 編成局所属• (1981年 - 2017年8月在籍、以降ミックスゾーン) - 編成局所属• (より移籍、1993年3月 - 2018年1月在籍、以降) - スポーツ部所属• (1985年 - 2017年3月在籍、以降株式会社チェンジアップ) - スポーツ部所属• (2016年10月入社、ミックスゾーンとの兼任)• (1994年 - 2019年3月31日在籍、以降) - 編成局所属• 交通情報(昼・夕方 2010年3月より各県警からの交通情報を休止)や、地域情報番組「」(2008年度から休止)・「」・「」を担当。 東京都内の交通情報は が担当 かつては静岡支局も存在していたが、営業拠点であり地域情報や交通情報の枠はなく、1990年代に神奈川支局に統合し、閉鎖されている。 千葉支局 [ ] 現在• 加藤真理子• 平塚アミ(元アナウンサー) - 2010年3月 - 2011年12月• 織田亮子 (メディア・スタッフ所属、元アナウンサー) - 2010年11月 - 2011年12月 過去• はやしまりい(月・火 不明-2010年3月)- 2009年以降は交通情報のみの担当となる• 屋木綾伊子(水-金 不明-2010年3月) - 2009年以降は交通情報のみの担当となる• 松井華織(2009年1月 - 不明、『ハロー千葉』のみ担当) 横浜支局 [ ] 現在• 久米千絵(月、火曜) - 2010年4月 -• 田中久恵(水 - 金曜) 過去• 三宅和美 - 不明 - 2008年 東日本支局 [ ] 通称、埼玉支局。 埼玉県内を担当。 2012年頃に支局が閉鎖された模様。 酒井美穂(月、火曜) - 不明 - 2010年3月• 久米千絵(水 - 金曜日) - 不明 - 2010年3月 制作スタッフ [ ] 2018年の組織改編にて、制作部は廃止。 ディレクションの多くは子会社のミックスゾーンのスタッフが務め、制作部所属だったスタッフの1部は編成局に異動している• 森谷和郎(元ディレクター、プロデューサー、現・同社専務取締役、取締役兼務 )• 松浦大介(元ディレクター、プロデューサー、常務取締役兼編成局長、現・ニッポン放送プロジェクト代表取締役社長)• (元プロデューサー、ディレクター、現・編成局シニアマネージャー、実行委員)• 宅野淳(元ディレクター、現・編成局スポーツ部デスク)• (元ディレクター、プロデューサー、エンターテインメント開発局長、現・ニッポン放送プロジェクト常務取締役兼の)• (元プロデューサー、ディレクター、現・ビジネス開発センター長)• 戸田修一(元ディレクター、編成局制作部長、エンターテインメント開発局エンターテインメント開発部長、現・ミックスゾーン出向 ゼネラルプロデューサー)• 瀬尾伊知郎(元プロデューサー、ディレクター、スポーツ部長、編成部長、営業部長、営業戦略室長、現・編成局長)• 桜井達也(元ディレクター、現・CP局報道部長)• 木之本尚輝(元制作部、スポーツ部ディレクター、現・CP局コンテンツプロデュースルームプロデューサー、父は元専務理事の)• (編成局ディレクター)• 桐畑行良(元ディレクター、プロデューサー、現・エンターテインメント開発局エンターテイメント開発部担当副部長)• 高田陽平(元ディレクター、現・エンターテインメント開発局)• 丹羽一弘(ディレクター、現・ミックスゾーン出向)• (元ディレクター、営業局メディアプロデュース部兼2020戦略情報委員会主任、現・ メディア開発グループシニアエグゼクティブプロデューサー出向)• (元ディレクター、現・プロデューサー)• 柿崎竜也(元制作部ディレクター、現・スポーツ部ディレクター)• 三宅正希(元ディレクター、制作部制作部長、現・株式会社grape取締役)• 福田大介(ディレクター、現・ミックスゾーン出向)• 藤原悠佑(元編成局ディレクター、ミックスゾーン出向、現・営業1部)• 五戸勝徳(元ディレクター、現・メディア開発局デジタルソリューション部「しゃべる」編集長)• 青木潤現(元ディレクター、現・メディア開発局デジタルソリューション部所属)• (元ディレクター、現・CP局コンテンツプランニング部主任)• 林佑介(CP局スポーツ部ディレクター、元制作部ディレクター)• 金杉天斉(元編成局ディレクター、アシスタントディレクター、現・ビジネス開発センターデジタルソリューション部)• 野上大貴(編成局ディレクター、元・アマチュアお笑いタレント)• (総務部長)• 早崎一郎 晴れ晴れキャスターズ [ ] 1994年(平成6年)10月 - 2006年(平成18年)9月まで放送されていたのウェザーキャスター。 廣田みゆき• 過去の在籍者 [ ] フジテレビ転籍者 [ ] アナウンサー [ ]• (1977年入社、クリエイティブ事業局クリエイティブ事業推進センタークリエイティブ事業営業部プロデューサー、2012年没)• (1979年入社、2015年5月の定年退職以後、現・東京フイルム・メート所属)• (1983年入社、2017年10月退職以後、一般企業に転職)• (1991年入社、総務局法務室兼適正業務推進室、2018年3月31日付退職以後、現・東京フイルム・メート所属)• (2003年入社)• (より移籍、1991年、現・フジテレビ記者)• (1993年入社)• (1998年入社、現・営業局 )• (1999年入社、 現・編成局広報センター)• (2001年入社、現・報道局企画取材部担当記者) ディレクター [ ]• 金井尚史(元・制作部ディレクター、フジテレビへ移籍、2017年2月没)• (元・制作部ディレクター、現・フジテレビプロデューサー)• 曽我部哲弥(1987年入社、元・アナウンサー、ディレクター、現・フジテレビ情報制作センターディレクター)• 松島宏(元・制作部ディレクター、フジテレビ報道局社員 、現・ミックスゾーン出向) 通常退職者 [ ] アナウンサー [ ]• (1991年 - 1993年6月、元・アナウンサー、現・フリーアナウンサー)• (1981年 - 1989年、元・アナウンサー、現・フリーアナウンサー)• (1954年 - 1981年、元・アナウンサー、から移籍、1984年没)• (1987年 - 1990年、元・アナウンサー、婚姻後退職)• (1961年 - 不明、元・アナウンサー)• 大沢牧子(元・アナウンサー、高岡寮一郎と婚姻後退職)• (1954年 - 1955年、開局当時のアナウンサー兼プロデューサー、、2016年没)• (1998年 - 2003年、元・アナウンサー、フリーアナウンサー、2013年没)• (後にの専属実況アナウンサー。 2003年まで)• 海野尾順子(1981年 - 1989年、元・アナウンサー、現・フリーアナウンサー)• (1965年 - 1992年、元・アナウンサー、現・オフィス梶所属)• (元・スポーツ部アナウンサー、後にスポーツ部長、報道部長)• (1971年 - 1974年、現・フリーアナウンサー)• 木村篤(1987年 - 1995年、元アナウンサー、制作部ディレクター、報道部記者、ニュースデスク)• (1974年 - 2015年、本名:高橋良一、元・アナウンサー、現・フリーアナウンサー、ディレクター)• (1977年入社、2006年4月にに転籍するが、同年7月に復帰、2018年8月同局アナウンサー、現・オフィス栗好み所属)• (1969年 - 2000年、元・アナウンサー、から移籍、現・サッカージャーナリスト)• (2009年 - 2015年10月、元・アナウンサー、現・フリーアナウンサー)• (1964年 - 1986年、2003年 - 2009年、元・アナウンサー。 1992年 - 2003年の間へ出向、現・フリーアナウンサー)• 柴田かおる(元・アナウンサー、特派員、フリーランスにて在住し帰国後、講師)• (1992年 - 1998年、元・アナウンサー、現・ジャーナリスト)• (1957年 - 1971年、元・アナウンサー 現・フリーの)• 勝呂智子(1981年 - 1985年、元・アナウンサー)• (2003年 - 2018年5月31日、元・アナウンサー、現・一般社団法人IWA JAPAN所属)• 瀬戸将男(元スポーツ部アナウンサー、2017年5月10日没)• 鈴木智子• (1992年 - 2004年、元・アナウンサー 現・所属のフリーアナウンサー)• (不明 - 1966年、『オールナイトニッポン』初代パーソナリティ、元・プロデューサー。 その後テレビ東京系『』司会者、顧問を歴任、2013年没)• (1987年 - 1991年、入社前、元アイドルグループの高橋めぐみとして活動。 現性:菊池。 結婚退職以後、英語教員、フリーアナウンサーを経て、現・地球社会共生学部空間情報クラスター)• (不明 - 1970年、元・アナウンサー)• 田中千恵(1979年 - 1983年、元・アナウンサー、以後渉外(1993年)等を担当し退職。 2002年1月18日(有)サウンドデザイン・ジャパンを立上げ、取締役就任)• (1967年 - 1986年、元・アナウンサー、1986年没)• (1995年 - 1997年、その後、TOKYO FM、へ移籍、 現・フリーアナウンサー)• (1987年 - 1991年、その後に移籍。 音楽番組担当を経て現在は編成局編成部企画担当チーフ)• (1977年 - 1986年、元・アナウンサー、現・プラステン所属)• (元・ディレクター、現・プロデューサー)• (1992年 - 2000年3月、元・アナウンサー、現・フリーアナウンサー)• (の孫、現・客員教授、ラブリバー多摩川を愛する会代表 )• (1992年 - 、元・アナウンサー、退職後引退)• (1981年 - 1983年、元・アナウンサー)• (元・アナウンサー、現・夫人)• (1957年 - 1992年、元・アナウンサー)• (1954年 - 1980年、元・アナウンサー)• (1964年 - 1994年、東北放送から移籍、元・アナウンサー、現・東京支社長)• (2016年4月 - 12月、元・アナウンサー、現・アナウンサー)• (2000年 - 2016年、元・アナウンサー、現・フリーアナウンサー)• (1989年 - 2002年、から移籍、元・アナウンサー、フリーアナウンサー・スポーツマネジメント会社「ライツ」取締役を歴任。 2018年没 )• 村上正行(から転籍)• (1990年 - 2000年、元・アナウンサー 現・フリーアナウンサー・タレント)• (1995年 - 2002年、元・アナウンサー、現・ナレーター)• (1957年 - 1962年、元・アナウンサー 1959年よりフジテレビと兼務、1962年にフジテレビへ正式移籍)• 湯浅明(1971年 - 2006年8月、元・アナウンサー、ディレクター、1996年 - 1999年の間産経新聞へ出向し、東京本社文化部編集委員、現・音楽ジャーナリスト、弟は国際弁護士の) ディレクター・報道部記者等 [ ]• 浅野啓児(フォークグループ「」メンバーからディレクターに転進)• 石原捷彦(元・編成部長、を経てへ。 現・同局相談役)• (1957年 - 1959年、元・アナウンサー 1959年にフジテレビへ移籍)• (元・ディレクター、現・スタジオビーバ代表取締役)• 岩附孝(元・報道部記者)• (1994年 - 2005年、元・制作部ディレクター、現・アンビッシュ代表取締役社長)• (元・制作部ディレクター、2014年没)• 木村仁士(元・制作部ディレクター、退社後はの制作に関わる仕事をしていた)• (ニッポン放送時代から脚本家)• (元・制作部ディレクター )• (1989年 - 2014年10月、元・制作部ディレクター、現・・、投資セミナー講師、主宰、仲佐かおりの夫)• (2005年 - 2014年3月、元・スポーツ部ディレクター、報道部記者、現・職員)• (1994年 - 1999年7月、元・ディレクター、現・フリーラジオディレクター、山岡和美の夫)• (1980年 - 2002年、元・プロデューサー、現・ポータル事業部門部門長・エグゼクティブプロデューサー)• (1998年 - 2001年、元・制作部ディレクター、現・俳優・放送作家)• (1989年 - 1993年、元・ディレクター、現・代表取締役会長兼社長)• 松村有希子(1999年 - 2002年、元・ディレクター、婚姻後退職)• (1988年 - 2020年3月、元・ディレクター、報道部記者、現・())• (2002年 - 2016年、元・ディレクター、退職以後、主にのディレクションを担当)• (元・ディレクター、現・日本テレビ制作局)• を参照。 オーディエンス・セグメンテーション [ ] 「 オーディエンス・セグメンテーション」(Audience Segmentation)は、ニッポン放送が提唱したラジオ番組編成理論。 元々は1960年代前半に広告業界でテレビへの大規模なシフトが起き、ラジオ広告費が大きく減少したことに対応して抜本的な編成方針の見直しを迫られたことから導入したものである(も参照)。 厳密な市場調査を重ね、1964年(昭和39年)4月編成より導入した当初は各方面から無謀ととらえられたが、ニッポン放送の成功によりも追従。 など全国各局もこれを取り入れた。 は当初これに対抗してあらゆる層の聴取者を対象とした総合番組(「」等)を制作・編成する方針を打ち出したものの、結局は導入した。 この理論は長らく民放中波ラジオ編成の基本とされてきたが、近年では聴取者の高年齢化や若年層のラジオ離れ、働き方の多様さなどの要素が作用し、理論が当てはまらなくなりつつある。 特徴 [ ]• 送信所の位置関係から、TBSラジオと文化放送は北関東の企業・自治体のCMが多い(文化放送は、TBSラジオはに加え、関係のCMが多い)のに対し、ニッポン放送は、在京ラジオ局ではと等南関東の企業・自治体のCMが多く放送されている。 かつて静岡支局を置いたことから、伊豆地方や静岡名産品のCMも多い。 送信所の位置関係から静岡県東部、静岡県中部では他の在京局よりもクリアに受信できる。 の(との境)以東の全トンネルでは、在京民放AMラジオ(TBSラジオ、文化放送、ニッポン放送)が受信できるようになっているが、の、以東の、、、、 、および の各トンネルでは、在京民放局で唯一ニッポン放送が受信可能となっている。 つまり、同県中部地区でラジオ再送信を行っているトンネルすべてにおいて、ニッポン放送が受信できる。 ニッポン放送が企画する書籍が首都圏以外に静岡県のコンビニでも販売されるのは、このような理由からである。 送信所からの直線距離を比較すると、同局を再送信しているトンネルの北限であるまでと、静岡県大井川流域までは、ほぼ同じ距離となる。 17時頃より関西、四国、東北、その他各地でも受信可能である。 特に冬場は15時頃から受信可能である。 ニッポン放送のアナウンサーはスポーツ中継などで観衆を表現するときに、伝統的に「 お客様」という表現をしている。 この表現は、アナウンサーがフジテレビに転籍したりフリー転向後も概ね踏襲しており、ニッポン放送出身アナウンサーの特徴となっている。 「 ニッポン放送では電話番号やファクス番号の『0』は『ゼロ』と読むよう指導されている。 対してライバル局のTBSラジオでは『れい』と読むように指導されている。 」という。 これは両局でパーソナリティの経験があるが「」(TBSラジオ)内で語っている。 ただし、局内で統一されているわけではなく、「秘密基地」のリスナーであることを公言しているアナウンサーはこれを意識してか「0」を「れい」と読んでいる。 アナウンサーによっても読み方はまちまちである。 FAX番号は「れい」と読み上げても、その他のインフォメーション原稿は「ゼロ」と読み上げる場合もあるなどやはり完全統一されているわけではないようである。 ニッポン放送の郵便番号「100-8439」の読み方は「 いちまるまるのはちよんさんきゅう」で統一している(局内では基本的にこの読みとなっているが、外部からのパーソナリティは違う読みをすることもある )。 旧有楽町社屋時代の郵便番号は5桁の「100-87」であったが、ほとんどの番組では「ひゃくのはちじゅうなな」と読んでおり、まれに「いちまるまるのはちなな」と読む番組もあった。 他の放送局に比べて、流行りのものをいち早く番組に取り入れたり、話題の人物を番組に起用する姿勢が見受けられる。 時代の流れに敏感ともいえるが、それに対する揶揄として「いいときだけのニッポン放送」という言葉がある。 も参照。 2009年から『週刊フジテレビラジオ』、『』を放送するなどフジサンケイグループの一員の強調ぶりが目立つ。 その場合「フジテレビの『日曜報道 THE PRIME』で……」と読み上げるが、その他(『』など)は「民放の番組で」とする。 一時期その流れも2010年代後半に薄れたこともある。 その他 [ ] 紙媒体 [ ]• : スポーツ情報専門のフリーペーパー。 2003年8月創刊。 サイバーメディアワークスとの共同運営。 2009年8月にサイバーメディアワークスに譲渡し、撤退した。 放送波 [ ]• : 局。 2000年12月1日開局、2006年3月31日閉局。 Digital Radio 98 The Voice: 実用化試験放送局のチャンネル。 東京地区9801チャンネル 2003年10月10日の実用化試験放送局開局から2006年9月30日まで、・と共同運営していた。 デジタルラジオの構成社再編に伴い、10月1日にmudigiへ移動。 mudigi: 地上波デジタルラジオ実用化試験放送局のチャンネル。 東京地区9501チャンネル。 2003年10月10日に9801チャンネルで開局し、2006年10月1日より現在のチャンネルに移動。 割り当てチャンネル枠自体はと共同運営。 : 地上デジタルラジオD-JOLFのサブチャンネルとして、2007年4月2日に特別番組専用のチャンネルとして開局し、2008年9月29日にニッポン放送DIGITALに改称。 2011年3月31日閉局。 地上波ニッポン放送のサイマル放送を行う。 HappyFM93(墨田FM補完中継局、93. 0 MHz 7 kW): 都市型難聴・災害 対策で設置。 2015年12月7日13時開局。 AMのサイマル放送。 Web配信 [ ] インターネットラジオ [ ]• : 局。 LFX488の一部番組のサイマル放送と、の一部コーナーのオンデマンド配信のみを行っていた。 2001年9月24日開設。 2006年4月1日よりLFX mudigiに改称。 : 旧LFX BB。 インターネットラジオ局。 2006年4月1日に改称し、2007年4月2日よりに改称。 (): 旧mudigi。 ・インターネットラジオ局。 2007年4月2日に現在の名称に改称。 デジタルラジオでは2011年3月31日に閉局して2018年1月26日までインターネットラジオ局として運営した。 : による局。 2005年10月開設。 Radital - インターネットラジオ配信サイト。 2012年開設。 過去に放送した地上波の番組・携帯電話専用の番組()と、オリジナル番組を配信。 一部の番組は有料。 の脆弱性を利用した不正アクセスにより、2017年3月11日からサービスを休止していたが、サービス再開を断念し2017年8月2日にサービスを終了した。 Webサイト [ ]• - チャンネル• - チャンネル• - チャンネル• - アニメのデザインTシャツを中心とした、オリジナルアパレル販売サイト。 2013年6月27日開設。 2017年7月31日販売終了。 - 用ソフト『』との連動サイト。 2013年開設。 オリジナルラジオ番組「オールナイトスッポン」をゲーム上・Raditalで配信。 エンターテインメント開発部が運営。 1974年 - 1975年 「ハッピーラジオ」(1974年:、1975年:)• 1976年 「ハッピーラジオ・健康作り」()• 1977年 「フレッシュラジオ」(、、)• 1978年 「フレッシュラジオ・笑顔でファイト」()• 1979年 - 1980年 「笑顔がきこえる」(1979年:)• 1981年 - 1982年 「いまラジオ時代」• 1983年 「ボクハキミノココロノナカニイル」• 1984年 「いますぐ逢いたい」()• 1985年 「また、おまえか! 」()• 1986年 「もお! たーいへん! 」()• 1987年 「まかせてチョンマゲ! 」(、、チョンマゲ娘)• 1988年 「トンデモはねてる! 」()• 1989年 「かぼちゃ計画 もも計画」(、ジングル歌唱:)• 1990年 「オモスルドロイカ!? 1991年 「みんなのラジオ - ごはんとおふろとニッポン放送 - 」• 1992年 「そこまでいうか! そこまでやるか! 1993年 「あっけら、感動(CAN DO)。 1994年 「みんなでやんちゃ ラジオはおもちゃ おちゃめでニッコリ! 1995年 「未来(みら)くるラジオ」(トータルプロデューサー:)• 1996年 「笑ってチョーナイ! 1997年 「青春花吹雪! 」(テリー伊藤)• 1998年 「がんばれ! ニッポン放送」• 1999年 「ゆずとだんごとニッポン放送」()• 2000年 「ビビッと! 夢見る」()• 2001年 - 2002年 なし• 2003年 「あなたがいるから」()• 2004年 「メジャーなラジオ」()• 2005年 なし• 2006年 「だったらラジオ! 」(4月 - 6月:、7月 - 12月:)• 2007年 「ニッポン放送があるじゃないか! 2008年 「ビビッとくる! 2010年上半期 「情報タップリ!! オモシロ万博」( - 6月27日)• 2010年下半期 「声出していこー。 」(・・・テリー伊藤・ 6月28日から)• 2011年上半期 「ひとつになろう! ニッポン」(4月 - 9月)• 2011年下半期 「みんな、つながる。 今、聴かなくちゃ。 」(10月 - 3月)• 2013年度上半期 「-Something's gonna start! - 何かが始まる! 2013年度下半期 「」<開局60周年>• 2014年度下半期 「」• 2015年度上半期 「」()• 2015年度下半期 「」• 2016年度上半期 「」• 2016年度下半期 「」• 2017年度 「」()• 2018年度上半期 「あなたにショウアップ! 2019年度「」<開局65周年。 2020年7月14日まで展開するキャンペーン>• 2020年度上半期 「(Stay at Home) いつでも一緒 ニッポン放送」()• 2020年7月14日までは併用。 カッコ内は緊急事態宣言の解除で2020年6月以降は外された。 TBSラジオの「聞けば、見えてくる。 」、文化放送の「QRソング」といったステーションソングは導入実績がない。 また、局のマスコットキャラクター(文化放送の「キューイチロー」など)も存在しない。 大型イベント [ ] ニッポン放送 うまいもん祭り NRNネットワークの協力の元、全国の「おいしいもの=うまいもん」が集まるイベント。 一部の商品はアナウンサーのイチオシとなっている。 イベントステージでは、オリジナルイベントや公開生放送、中継が行われる。 ニッポン放送 THEラジオパーク in 日比谷 詳細は「」を参照 ラジオで安心 みんなの防災 以降、防災におけるラジオの重要性が見直されたことを受け、東京消防庁などと共同で行う防災啓発運動。 防災の日を挟んで1週間行われ、土曜の午後に公開生放送を編成する。 関連企業 [ ]• (フジサンケイグループの持株会社。 現在の完全親会社)• ニッポン放送グループ• 株式会社 - 運営、フジサンケイグループを対象としたリース事業など• 株式会社フジサンケイエージェンシー - フジサンケイグループ従業員を対象とした各種保険の仲介• - ラジオ番組制作会社、芸能プロダクション・アナウンサー派遣会社、イベント運営 2018年4月にサウンドマンとエル・ファクトリーが合併し、新会社設立• 株式会社グレイプ - コンテンツ制作会社 「grape」・「ニッポン放送ニュース しゃベル」・「カルチャー情報サイト yoppy」などを運営 2016年2月に完全子会社化• 株式会社 - アドリブとニッポン放送の共同出資によるスマートフォンアプリ開発会社。 ニッポン放送の子会社だった企業 [ ]• 株式会社 - 1966年、パシフィック音楽出版として設立、1985年フジ音楽出版と合併、フジパシフィック音楽出版となる。 株式会社 - 1966年設立のポニー(設立時はニッポン放送サービス)と1970年設立のキャニオンレコードが1987年合併。 株式会社 - 多くの番組にディレクター・ミキサーを派遣 かつてはポニーキャニオングループ傘下 2017年11月1日にエル・ファクトリーと合併、ミックスゾーンを設立• 株式会社 - ラジオ番組制作会社、フリーアナウンサー・タレント・放送作家のマネジメント 本社はニッポン放送本社ビル内所在していた 2017年11月1日にサウンドマンと合併、ミックスゾーンを設立• 株式会社(現:) - 1971年設立(1973年にフジサンケイリビングサービスに社名変更)。 1991年に設立された同名の新会社(2004年ディノスに再度社名変更)に事業承継されるまでニッポン放送の子会社だった。 株式会社 - フジサンケイグループ内の広告代理店再編に伴い、・・と合併し、株式会社となり、フジテレビグループに移動。 株式会社彫刻の森 - 内のテナント・フジテレビ本社内のアンテナショップ運営。 2006年株式会社に合併。 株式会社 - スタジオレンタル、音響・映像制作。 2012年1月12日付けで営業を終了し、3月7日に特別清算を開始、消滅。 関連放送事業者 [ ]• (フジサンケイグループ、元子会社で現在は兄弟会社 )• (フジサンケイグループ、に出資)• (、と関連)• (ラジオ大阪、フジサンケイグループ) 出資先放送事業者 [ ] ニッポン放送が出資している主な放送事業者は以下の通り。 発行済株式総数に対する出資比率を記し、放送局名が 太字のものは筆頭株主であることを表す(時点 )。 括弧内は、加盟の順。 AM局 [ ]• (沖縄県、) - 5. (大阪府、) - 10. (千葉県、) - 6. (神奈川県、独立局) - 5. (埼玉県、独立局) - 5. (東京都、JFL) - 4. (徳島県、) - 4. (熊本県、JFN) - 4. (山形県、JFN) - 4. (石川県、JFN) - 4. (長野県、JFN) - 3. (高知県、JFN) - 3. (京都府、独立局) - 2. 設立日に株式会社ニッポン放送ホールディングス(旧ニッポン放送、現在はフジ・メディア・ホールディングスに吸収合併)より放送免許を継承。 会社分割(フジテレビの完全子会社となる手続)により、現在の法人を設立• この略称は後に(フジテレビの系列局)が使用するようになったが、同局の「S」は「Systems」であり、単数形と複数形の相違がある。 当時の日本を代表する企業・金融機関と、中京・関西地区を地盤とする企業が出資。 文化放送の略称「QR」はニッポン放送同様、文化放送のコールサイン(JOQR)の下2文字である。 2017年8月現在、『』の「ようこそ有楽町レコード室へ」の冒頭ナレーションでは、23万5千枚と称している。 2014年4月1日開始。 radiko公式サイトのプレミアム会員登録(有料)を行う事で、前述の通常配信対象地域である関東1都6県外の日本国内でもradikoを利用した聴取を可能にするもの。 これまでは側(高橋優以外は同事務所所属)からエリアフリー配信許諾が下りておらず、1都6県外での聴取を遮断、休止していた。 これまでナイターシーズン中、『』が放送される他の曜日は試合終了まで放送されるが、土曜日に限り編成の影響で22:30で打ち切られた。 ジャニーズ事務所所属者出演番組はニッポン放送を含む各局ともに配信が休止された。 各番組にゲスト出演する場合、出演部分及びその前後の配信を休止していた例が多いが、ニッポン放送の場合はそのまま配信された(後述の『ミュージックソン』に絡んで三宅健と坂本昌行が出演したことがある)。 2015年度の『』は同事務所所属のが担当したが、長時間編成となることとチャリティー番組であることを考慮して特例配信された。 歳時記的な話題と音楽をお送りする生放送• これらのサテライトスタジオは、には全て姿を消している。 旧 糖業会館ビル時代から入居。 2020年1月6日から2月10日迄は第3、2月24日から3月19日迄、4階の第2生放送スタジオの機材、床材更新のため、片方のスタジオのみの使用となり第4スタジオを代理で使用していた• 東京都千代田区外神田1-16-9 朝風二号館ビル1階 左側• 2015年12月6日までは。 2015年12月1日までは。 アナウンスに関してはワイドFM開始時に墨田放送局が追加されたのを除けば変更はなされていない。 アナウンスの最後は「JOLF JOLF お聴きの放送は皆さまのニッポン放送です。 」というアナウンスである。 アナウンスに関しては技術情報の最後が「お送りします」ではなく「お送りしています」になっている以外は同じ。 月-金曜深夜の『オールナイトニッポン0 ZERO 』が120分で5:00起点だった時期、後にチェックはせず、時報まではCMとジングルを流すのみ。 朝一番の番組が『』だった時代は、4:29. 」や「情報タップリ!! オモシロ万博」と歌うものジングル、スペシャルウィーク期間中は番組宣伝ミニスポットだったりしたを挿入していた。 かつて土曜の起点が4:30だった時代にも特に流されることはなく、『オールナイトニッポンR』からはステブレレスで『』へとつないでいた(ラ・テ欄上は前日深夜扱いだったが、ニッポン放送の編成上では土曜起点の番組)• 過去に「午前4時15分」や「午前4時30分」の時期もあった。 また、特別番組の放送で開始時間を略する場合、「これから暫くの間お休みさせて頂きます。 」に変更される。 2011年以降の8月の30分繰り上げ編成の時も同様に行われていた。 かつて使用した「Orinoco Flow」「Caribbean Blue」「Book of Days」「Anywhere Is」が用いられた時もある。 一例では木村カエラが使用された年もある。 飯田、新行、吉田、箱崎、熊谷、前島は「アナウンサー」を付与し、呼称している• 2017年12月にて定年後、嘱託にて再契約。 2018年8月9日、台風情報の電話レポートにて出演し、以降はスポーツ部とは別に専従で取材、スポットでニュースデスクとして出演• 東京都内の情報は東京センター(警視庁交通管制センター内にあるため、呼びかけでは「警視庁」と呼ばれる)、「首都高速ルート情報」(旧「首都高速MEX-i情報」)は首都高速センター(呼びかけでは「首都高」と呼ばれる)、夜間・早朝・土 日曜日・祝日と東日本地域全体の情報は九段センター(呼びかけでは「九段センター」と呼ばれる)が担当• 4月に現在まで25年以上にわたり続く平日昼「文夫と明子のラジオビバリー昼ズ」を立ち上げた初代スタッフの一人で、月曜日などを担当。 2月当時「鶴光の噂のゴールデンアワー」月曜日などを担当。 同月放送の「」でも顔と名前が出ている。 ex:『』でパーソナリティを務めた各メンバーや『』のは「 いちれいれいのはちよんさんきゅう」と読む。 2018年9月まで『』を担当したは「 いちぜろぜろのはちよんさんきゅう」と読んだ(加えて「サンキュー」とかけた独特の抑揚で読んだ)。 中波放送は波長が長いため高さ110m前後の大規模な送信アンテナ、そしてラジアルアース確保のために半径150m程度の広大な土地が必要となることから川沿いに設置されることが多く、河川の氾濫で送信所が停止した際に旧送信所を利用した足立予備送信所で代替するには小出力(1kW)であり、住宅密集地にあるため増力も困難。 「あっけらkan-no 」に似ているが、その番組はから放送していたもの。 イメージキャラクターを設けず、ニッポン放送の各番組のパーソナリティがコールした。 2000年のキャッチコピーにタイトルが似ているが、リメイクである。 上柳が2008年3月21日のNHKラジオの特番の発言・ニッポン放送デジタルタイムテーブル より• フジテレビを中心とするのキャッチコピーと同様のもの。 設立時はニッポン放送・文化放送の出資により設立された。 文化放送がその後、出資比率を下げたため、ニッポン放送の子会社であったが、資本関係のねじれの是正に伴い、旧ニッポン放送を吸収合併して親会社となり、さらに旧フジテレビジョンの持株会社化に伴い、フジテレビジョンが新しく設立された。 現在のフジテレビジョンは兄弟会社になる。 出典 [ ]• 産経ニュース. 産業経済新聞社. 2019年5月24日. 2019年6月22日閲覧。 2019年7月11日閲覧。 『テレビショッピング事始め』扶桑社、2008年、第1部 フジサンケイグループの形成とリビング路線 「ニッポン放送の生い立ち」。。 判決 1990年8月31日 、、『「ラジオ日本」対「ニッポン放送」事件』。 事件名は、「判例時報 No. 1358」判例時報社、1990年11月 より• フィクションではあるが、ニッポン放送を舞台とした主演のドラマ「」で、主人公が接待のため予約した船宿が誤って日本テレビに確認電話を入れ、いたずら予約と勘違いしてキャンセルしてしまったエピソードがある。 『SD別冊29号「フジテレビ本社ビルの記録 高度情報化社会の大規模複合建築の原点を求めて」』月刊SD編集部、、東京、1996年。 2012年7月2日「」• 『ラジオ記者、走る』新潮新書、p31。 『ラジオの教科書』データハウスより。 のってけ楽屋通信 2002年11月15日「」• EXILE NESMITHのオールナイトニッポン 2012年1月「」• かつてはの「」でも同様であった。 電気興業株式会社 傍島幸司「特集アンテナ技術 中短波放送用アンテナ」『映像情報メディア学会誌Vol. 66, No. 12』、映像情報メディア学会、2012年• SankeiBiz (2012年10月22日)• 、Phile-web、2015年1月14日• 産経新聞. 2015年9月8日. 一般社団法人日本記念日協会 2015年10月4日. 2015年12月21日閲覧。 ニッポン放送• J:COMのニュースリリース• 2015年10月20日閲覧。 『日本放送年鑑'78』洋文社、1978年12月、157頁。 『日本民間放送年鑑'92』コーケン出版、1992年11月、227頁。 『日本民間放送年鑑2003』コーケン出版、2003年11月、233-234頁。 1310kcは前年8月まで文化放送が使用していた。 2019年9月10日閲覧。 出典:『民間放送十年史』第2部・各社史録388頁「ニッポン放送」の項。 これに当時の送信所の住所の記載がある。 ニッポン放送、グループ再編で社員50人をフジに転籍 2006年1月10日付• 社員の2割をフジに転籍 ニッポン放送 2006年1月10日18:52 配信分• - 2010年• シリーズも含む。 を取り扱うテーマだったため、一部の番組は対象外。 3月4日の『』ではその日に出演したメンバー全員が成人に達していた。 - NIKKEI BP 2010年• (Social Game Info、2011年10月13日)• (ねとらぼ、2013年3月22日)• が行う「」と同一の趣旨。 東京や首都圏で震度5強以上の地震が発生し、大きな被害が起きた場合に移行する。 『ラジオ災害情報交差点』『首都圏学校安否情報』『首都圏お勤め先安否情報』を含めて情報を発信するもの(2011年9月1日「あなたとハッピー! 」より)。 このうち『首都圏学校安否情報』は9月1日の午前9時と午前10時に8分程度の模擬放送を行い、夏期休業に入る前に各学校に連絡される。 高崎了輔(編成制作局技術部)「ラジオ局の震災対応」『放送技術』第66巻(2012年3月号)、兼六館出版、2012年3月、 2012年2月29日閲覧。 サンケイスポーツ: pp. 1-2. 2012年2月10日. の2012年2月11日時点におけるアーカイブ。 サンケイスポーツ: pp. 2013年6月27日. 、デイリースポーツ、2015年9月8日• 産経新聞. 2015年11月17日. ,AV Watch,2016年7月20日• ,産経ニュース,2019年9月10日• J-CASTニュース(2019年9月10日作成). 2019年9月11日閲覧。 ,ニッポン放送,2019年9月12日• ニッポン放送 2020年4月22日. 2020年4月23日閲覧。 「糖業会館・ニッポン放送本社ビルのステンレス避雷針モニュメント」、『ステンレス建築 No. 25』、社団法人ステンレス構造建築協会、2004年• 『なつかしラジオ大全』 三才ブックス、2012年。。 糖業協会編『戦後の日本糖業の発展と糖業協会』糖業協会、2012年• 通常はラジオリビングの受電及び打合せ室となっているが、ミュージックソンの時などはこの部屋を利用してリスナーからの電話を受け付ける。 ex:、。 この時は直後に生放送の特別番組が編成されていたため、いつもの隣のスタジオが使えず、別のスタジオ(=6階)を使用することになった。 旧:エル・ファクトリー合併、新会社設立前から同フロアに所在していたが、一時旧:サウンドマン入居テナントに入居していた• 過去、インターネットラジオ Suono Dolce専用に「スタジオX」が設置されていたが、2016年3月を持って改称。 現本社新築工事中所在していた、ではLFX488専用スタジオとして設置・使用されていた• 2019年9月までの『』など• 2012年8月15日、上柳アナウンサー談• 2007年度(平成19年度)まではの「Orinoco Flow」「Caribbean Blue」「Book of Days」「Anywhere Is」• プレスリリース , , 2018年7月2日 , の2018年7月14日時点におけるアーカイブ。 , 2018年3月5日閲覧。 しゃべる() 2018年6月21日. 2018年8月1日閲覧。 株式会社メディア・スタッフ 2019年3月25日. 2019年3月25日閲覧。 2012年度新卒採用情報 には記載があるが、2013年度新卒採用情報 以降は東日本支局の記載がない。 2010年11月25日. 2018年3月1日閲覧。 サンケイスポーツ. 産経デジタル. 2018年11月7日. 2019年6月22日閲覧。 ニッポン放送• 『日本民間放送年鑑2010』 - 日本民間放送連盟編 参考文献 [ ]• ニッポン放送 編『ラジオ・カタログJOLF』、1982年6月。 関連項目 [ ]• - Webラジオ• フジテレビ深夜ドラマ• (1978年以降第2位株主)• ()- 2014年4月から2018年3月までOL兼任でニッポン放送の関連会社に就職していた。 外部リンク [ ]•

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ニッポン放送/会社概要

檜原麻希 オードリー

来歴 [編集 ] 東京都生まれ。 親の仕事の関係で、5歳の時にに渡り、小学校5年時に帰国し、に転居。 に入学したが 、再び、親の仕事都合で中学3年時にに渡る。 エコール・ジャンヌ・マヌエル ()高校を卒業後 に帰国し、親戚も多く卒業している、哲学科に入学。 美学美術史学専攻で西洋美術史を勉強していた。 また、大学時代はサークルはカメラクラブと映画同好会、テニス同好会に加っていた。 1985年4月、に入社。 同期は現・フリーアナウンサーで元同局編成局スポーツ部アナウンサーである。 新人研修の後、本配属で編成局制作部に所属され、平日午前の帯番組の中継ディレクターやアシスタントディレクターの業務を行っていた。 後に、秘書室に配属され、同局4代目社長だったの秘書を担当。 その後、営業局営業促進部にて営業企画、イベント企画業務などを担当後、デジタル&イベント局デジタルコンテンツ部長として、の立ち上げ、の楽曲権利関係権利者との密接権解消のための個別交渉による許諾作業を指揮。 LFX mudigiを発展させた、インターネットラジオ局では、コンテンツはで働くOLに向けた街情報とラブソング専門に特化したラジオ番組制作 とスマートフォンに特化したアプリを指揮し、ローンチ後1位を獲得した経験がある。 また、2004年以後から10年近く配信し続けていた、メールマガジン「1242 きいとこっ! 」の発行責任者であった。 その後、2009年6月付人事にて、デジタル事業局長に昇進。 2011年6月付にて編成局長、2015年6月末付、取締役付同局長、2016年6月末付、取締役営業担当、2018年7月付にてに常務取締役に昇進し、2019年6月21日付にて同局の代表取締役社長に就任。 人物 [編集 ]• 日本に帰国した小学校高学年時に神奈川県に転居してるため、自宅から電波の届きが良いニッポン放送をよく聞いていたとしており 、「試験勉強をしながら何時まで起きて番組を聴き続けられたか? 」が学校で話題であった。 また、高校時代には『』の同録テープを日本から送って貰い、手紙でリクエストも出していたと回想している。 後年、同局の委員メンバーに宇崎の妻であるが委員として登用されている。 1999年に自身のキャリアに疑問を抱き、ニッポン放送を休職しフランス商工会議所が行なっている試験を受験して、商工会議所から資金援助を受けながら、の映画部門で働き、映画の買付けや来仏時のアテンドを行っていた。 檜原自らそんなに開陳して居ないが、前述の阿木曰く酒豪と評されている。 Suono Dolce開局時、自身が飲み歩いていた内に所在している会員制バー来夢来人のママをしていた当時:芸能界デビューしていなかった、を『』に番組出演させ、そのままミッツが芸能プロダクションを見付けて、芸能界デビューをさせた張本人である。 自局の番組の演者である芸能人からイジられる事もあり、『』のリスナーメッセージにて牧場主が新たに生まれる乳牛の命名以来の際に、パーソナリティのが「 プレジデント檜原」と名付けた数十分後に、局内で2人が鉢合わせした際には「その牛を見に牧場迄見に行きたい」と返しをする心持ちもある。 出演番組 [編集 ] テレビ [編集 ]• () - 2019年2月3日 ラジオ [編集 ]• 」中継ディレクター• 2019年7月7日. 2019年7月8日閲覧。 機関誌『三田評論』ONLINE() 2019年10月15日. 2019年10月30日閲覧。 RECURUTING 2021 2020年1月31日. 2020年4月1日閲覧。 2019年7月7日. 2019年7月8日閲覧。 2019年7月20日. 2019年8月1日閲覧。 2012年2月12日. 2020年7月1日閲覧。 2020年4月2日. 2020年4月2日閲覧。 2020年4月2日. 2020年4月2日閲覧。 2020年4月14日. 2020年4月14日閲覧。 2020年4月7日. 2020年4月10日閲覧。 2020年4月14日. 2020年4月24日閲覧。 THE21 ONLINE() 2020年5月12日. 2020年5月15日閲覧。 2019年7月16日. 2020年4月1日閲覧。 2020年5月31日. 2020年6月1日閲覧。 2020年6月24日. 2020年7月1日閲覧。 外部リンク [編集 ]•

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【ラジオ】<オードリーは「ニッポン放送にとって宝」>社長が感謝するオールナイトニッポン人気

檜原麻希 オードリー

来歴 [編集 ] 東京都生まれ。 親の仕事の関係で、5歳の時にに渡り、小学校5年時に帰国し、に転居。 に入学したが 、再び、親の仕事都合で中学3年時にに渡る。 エコール・ジャンヌ・マヌエル ()高校を卒業後 に帰国し、親戚も多く卒業している、哲学科に入学。 美学美術史学専攻で西洋美術史を勉強していた。 また、大学時代はサークルはカメラクラブと映画同好会、テニス同好会に加っていた。 1985年4月、に入社。 同期は現・フリーアナウンサーで元同局編成局スポーツ部アナウンサーである。 新人研修の後、本配属で編成局制作部に所属され、平日午前の帯番組の中継ディレクターやアシスタントディレクターの業務を行っていた。 後に、秘書室に配属され、同局4代目社長だったの秘書を担当。 その後、営業局営業促進部にて営業企画、イベント企画業務などを担当後、デジタル&イベント局デジタルコンテンツ部長として、の立ち上げ、の楽曲権利関係権利者との密接権解消のための個別交渉による許諾作業を指揮。 LFX mudigiを発展させた、インターネットラジオ局では、コンテンツはで働くOLに向けた街情報とラブソング専門に特化したラジオ番組制作 とスマートフォンに特化したアプリを指揮し、ローンチ後1位を獲得した経験がある。 また、2004年以後から10年近く配信し続けていた、メールマガジン「1242 きいとこっ! 」の発行責任者であった。 その後、2009年6月付人事にて、デジタル事業局長に昇進。 2011年6月付にて編成局長、2015年6月末付、取締役付同局長、2016年6月末付、取締役営業担当、2018年7月付にてに常務取締役に昇進し、2019年6月21日付にて同局の代表取締役社長に就任。 人物 [編集 ]• 日本に帰国した小学校高学年時に神奈川県に転居してるため、自宅から電波の届きが良いニッポン放送をよく聞いていたとしており 、「試験勉強をしながら何時まで起きて番組を聴き続けられたか? 」が学校で話題であった。 また、高校時代には『』の同録テープを日本から送って貰い、手紙でリクエストも出していたと回想している。 後年、同局の委員メンバーに宇崎の妻であるが委員として登用されている。 1999年に自身のキャリアに疑問を抱き、ニッポン放送を休職しフランス商工会議所が行なっている試験を受験して、商工会議所から資金援助を受けながら、の映画部門で働き、映画の買付けや来仏時のアテンドを行っていた。 檜原自らそんなに開陳して居ないが、前述の阿木曰く酒豪と評されている。 Suono Dolce開局時、自身が飲み歩いていた内に所在している会員制バー来夢来人のママをしていた当時:芸能界デビューしていなかった、を『』に番組出演させ、そのままミッツが芸能プロダクションを見付けて、芸能界デビューをさせた張本人である。 自局の番組の演者である芸能人からイジられる事もあり、『』のリスナーメッセージにて牧場主が新たに生まれる乳牛の命名以来の際に、パーソナリティのが「 プレジデント檜原」と名付けた数十分後に、局内で2人が鉢合わせした際には「その牛を見に牧場迄見に行きたい」と返しをする心持ちもある。 出演番組 [編集 ] テレビ [編集 ]• () - 2019年2月3日 ラジオ [編集 ]• 」中継ディレクター• 2019年7月7日. 2019年7月8日閲覧。 機関誌『三田評論』ONLINE() 2019年10月15日. 2019年10月30日閲覧。 RECURUTING 2021 2020年1月31日. 2020年4月1日閲覧。 2019年7月7日. 2019年7月8日閲覧。 2019年7月20日. 2019年8月1日閲覧。 2012年2月12日. 2020年7月1日閲覧。 2020年4月2日. 2020年4月2日閲覧。 2020年4月2日. 2020年4月2日閲覧。 2020年4月14日. 2020年4月14日閲覧。 2020年4月7日. 2020年4月10日閲覧。 2020年4月14日. 2020年4月24日閲覧。 THE21 ONLINE() 2020年5月12日. 2020年5月15日閲覧。 2019年7月16日. 2020年4月1日閲覧。 2020年5月31日. 2020年6月1日閲覧。 2020年6月24日. 2020年7月1日閲覧。 外部リンク [編集 ]•

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