小柳 ルミ子 オフィシャル ブログ。 小柳ルミ子 ブログが「大御所」ランキング1位獲得「ヤッター!!やりましたー」― スポニチ Sponichi Annex 芸能

小柳ルミ子 首相会見に「正直言って喋りが下手だなと」発言に、何を言ってるんだと冷ややかな声

小柳 ルミ子 オフィシャル ブログ

ですがそんな中でもスカイステージや新たなジャンルにも興味を持ち始め自分の時間を有意義に使えた期間だったかなと振り返ってみて実感しています。 そして皆さん私の記事を最近みて思う方も多いかと思いますが、現役の方はもちろんですが、退団されて第二の人生を頑張っていらっしゃる方にも興味を持ち始めまして…最近OGの方の事もご紹介しております。 そして今回私が気になって仕方ないのが、歌手の小柳ルミ子さんです。 皆さんご存知でしたか?実は小柳ルミ子さんは宝塚出身の方なのです。 それも又凄いのがなんと首席で音楽学校を卒業して退団まで2ヶ月というかなり短い期間しか在籍されていないのです。 全てが波乱万丈な人生を送った方なのでは…と思い今回色々と調べて皆さんにもこういった宝ジェンヌもいるんだぞというのを知って頂けたらなと思います。 今回のテーマは 小柳ルミ子実は宝塚出身?サッカー好き? についてご紹介していきたいと思います。 Contents• 来歴 1952年7月2日に福岡県で生まれる。 なんと今年で67歳になる。 本名は芸名である名前を漢字に直した小柳留美子さん。 血液型はA型でルミちゃんやルミルミと言った愛称で呼ばれている。 家族構成は父母との3人家族で、生粋の一人っ子。 両親に箱入り娘の様に育てられた。 実は父は福岡県で小柳運送店という会社を経営していて裕福なお家で育ったそうです。 そんな大好きで優しい父が小柳さんが3歳の頃に結核にかかり他界され、その後母は7歳年下の男性と再婚をしているそうです。 そんな母の小さい頃の夢が歌手になる事だったそうで、夢叶わず自分に娘が生まれたら歌手にするんだという目標があったそうで、自分の夢を娘であるルミ子さんに託しました。 小さい頃からクラシックバレエ・ジャズダンス・タップダンス・歌・三味線・ピアノ・日本舞踊・お習字を習わせ、母の夢を背負い歌手になるためにお習いごとをこなしていたそうです。 ちなみになぜお習字も習っていたのかというと、いつかサインを書く時の為に練習で習わせたそうです。 今考えるとあの時代にこれだけのお習い事を出来ていたという事は、かなり裕福なお育ちなんだと言うことがわかります。 小学校に進学したルミ子さん。 同級生の周りの子からしても、かなり浮いた存在だったそうです。 放課後は友達とは遊ばず習らい事に通う毎日。 幼いながら自分は周りの子とは違う人生を歩むのだと思っていたそうです。 そんな夢を支える母はしつけや礼儀においてもとても厳しく、芸事も勉学も気は抜けず、なんと校内では1位を取るほどの成績でした。 ここまで来るとルミ子さんの母の英才教育は素晴らしいものだと思います。 彼女が小学生5年生の時に父が義理の父だと言うことを知りかなりショックを受けたそうです。 でも今まで愛情を持って育ててくれた父には違いない、その後も仲良く3人家族で毎日を過ごしていました。 小学校卒業後は筑紫女学園中学校に入学します。 こちらの学校なんと私立の女子中学校で偏差値は55。 福岡でも有名なお嬢様学校だそうです。 もちろん中学時代のルミ子さんも成績優秀で卒業されています。 すごく努力家で器用な方でなんでもできる彼女、今まで芸能界で活動できたのも母からの英才教育とルミ子さん自身の努力の賜物なんですね。 宝塚時代 小さい頃から歌手を目指して英才教育を受けてきた小柳ルミ子さん。 芸事が大好きだった母の影響も受け、宝塚音楽学校という芸事を学べる学校が存在する事を知ります。 そして中学卒業後に受験するとなんと1発で合格。 そして入学時の成績がなんと5番というかなり優秀な成績で合格を果たすのです。 同期には元専科の萬あきら ばん あきら 元トップスターの麻美れい あさみ れい 、元娘役トップスターの東千晃 ひがし ちあき などがいる。 毎日朝9時から寮の門限ギリギリの時間まで芸事に励む毎日。 他の同期は宝ジェンヌになって初舞台に立って舞台人を夢見る中、やはり彼女だけは違った。 いつか歌手になる事を目標にしていた。 そんな彼女以前から知り合いで福岡の地元の先輩でもある梓みちよ あずさ みちよ に将来の芸能界について相談する。 すると彼女の口利きで渡辺プロダクションの方と出会い自分は歌手になる事が目標だと伝えたそうです。 すると渡辺プロダクションは「宝塚を首席で卒業したら歌手にしてあげる」と返答したそうです。 小さい頃から目標を立てたら絶対に達成しないと気がすまない彼女。 ましてや歌手にしてあげると言われたら尚更!今まで以上に芸事に励み見事、首席で卒業する事を達成します。 歌手になる事を約束した事務所との話の末、せっかく合格したのだから初舞台だけは踏みなさいという事で、同期と一緒に夏川るみという芸名で初舞台の舞台に立つ。 宝塚に在籍した期間なんと2ヶ月。 他の同期と違い歌手になる事を約束された彼女はたった2ヶ月という短い期間中にもかかわらずいじめにもあったそうです。 衣装の袖を通すファスナーのところに針が刺さっていたりと嫉妬心からなのかいじめを受けたそうです。 華やかな舞台の裏ではやっぱりそういった事もあるんですね…女ってつくづく恐ろしいと思います。 でも彼女にとって宝塚は歌手になる為の通過点での何物でもなかった。 初舞台後すぐに退団し次のステップへ踏み出すのであった。 芸能人生 なんと宝塚始まって異例の首席が歌手デビュー約束され2ヶ月で退団。 きっと先輩達はびっくりした出来事だったに違いない…短期ではあったが宝塚歌劇団を経験した彼女は退団後同年の1970年に歌手デビュー前に顔を知ってもらう為にNHK連続テレビ小説の「虹」で女優デビューを果たす。 翌年の1971年にワーナーブラザーズパイオニアの邦楽部門初の歌手として契約を果たす。 その後は「私の城下町」で念願の歌手デビューを果たし160万枚の大ヒットとして華やかしいデビューを飾った。 そしてなんとこの曲1971年のオリコン年間シングル売上チャートで1位を記録して第13 回日本レコード大賞最優秀新人賞に選ばれました。 その後も翌年1972年に「瀬戸の花嫁」も大ヒットして第3回日本歌謡大賞も受賞する。 当時同年代で活躍していた、天地真理、南沙織と共に三人娘と呼ばれるようになり1970年代前半を代表とするトップアイドルに君臨した。 アイドルというジャンルを辞め、小さい頃から鍛えていた歌唱力をもっと前面に出す為、正統派歌手として1980年代は活動していく。 その後も何度も数々の大ヒット曲を連発!紅白歌合戦では18年連続出場という実績も残している。 歌手だけにとどまらず女優業にも力を入れ、キネマ旬報賞助演女優賞、さらに、第6回日本アカデミー賞最優秀女優賞、翌年に第7回日本アカデミー賞最優秀主演女優賞など次々に高い評価を受け、バラエティ番組では持ち前の明るさと面白さを前面に出してザ・ドリフターズのコント番組でもかなりの存在感を放って、顔も美しいのに着飾らず面白い所学校人気を博した。 芸能界では順風満帆にも活動している様に見えた小柳ルミ子でしたが、所属していた渡辺プロダクションとの間に元々意見の相違や人間関係での不満も募ったのか独立…その後自分で仕事を取って活動して行く彼女でしたが、当日辞めたナベプロに仕事を妨害され干されるといった辛い経験もした彼女。 プライベートでは1989年に自分のディナーショーでバックダンサーであった大須賢也と電撃結婚。 当時平成元年のビックニュースであった!共演をきっかけに交際をスタート。 当時、小柳さん36歳、大澄さん23歳という13歳差。 そんな2人は交際からわずか11日という速さでゴールイン。 小柳さんは当時歌手として女優としても芸能界を君臨する大物。 それに比べて大澄さんは無名のダンサー。 格の違いを見せつけられる。 3億円の結婚式を挙げ、ディープキスを何度もするなど当時のバラエティーの話題に!結婚後は夫婦揃ってテレビに出演するなどかなりのラブラブっぷりをお茶の間に見せつけた。 きっと長くは続かないだろうと世間は心配していた矢先、大澄さんの女遊びや浮気などが発覚し結婚12 年目の2000年に離婚する。 この事に小柳さんは激怒し離婚を受ける条件としてどちらを選択するかを迫ったそうです。 1 慰謝料として1億円を支払う。 2 出会った頃と同じ無名のダンサーに戻る事 この条件を出された大澄さんは慰謝料として1億円を払う事を選びます。 この内容がマスコミに流れ完全に悪者扱いを世間から受けた小柳さんはさらに激怒。 騒動中の最中にシングルリリース。 なんとその歌のタイトルが「いい気になるなよ」なんとも個人的な思いが入りすぎた様な題名。 もちろん小柳さん本人が作詞を担当。 その歌詞がこちら あたしが流した涙も知らず やわな女と住みついて 信じた自分が悲しいね 一緒に夢見た人だもの 不甲斐ない男でも惚れていた なんとも切ない。 きっと涙しながらこの歌詞を考えたんだと言うことが想像できます。 辛すぎる…それだけ好きだったって事なんですね。 きっとその愛に厳しくするために2つの選択権を彼女は出したんだと思います。 その後お互いの道を歩む2人。 その後舞台での仕事をする大澄さん。 小柳さんはなんと2年も芸能界を干されたそうです。 そんなある時大澄さんの出演中の舞台楽屋に小柳さんが現れたらしく、それを気に和解したそうです。 元嫁が楽屋に来るなんて恐ろしすぎますね…その後大澄さんは8歳年下の女優、岡千絵さんと再婚する。 2回目の結婚はかなり慎重にしっかり財布の紐を握られて管理されているそうです。 この事を聞くと彼はしっかりした強い女性が好きなのかもしれませんね。 ブログ 今の時代SNSは生活の一部更にいうと1日の生活の中で、インスタグラムやTwitterをチェックするのは一つの習慣とも言えるのではないでしょうか?そしてもちろんファンキーなルミ子姉さんも、もちろんSNS前回で今時女子を楽しんでいらっしゃいます。 ルミ子さんがやっていらっしゃるSNSまず一つ目がブログです。 彼女が利用しているのはアメーバブログ。 ブログの中でも人気かつ一番簡単に始められるということで芸能人の方なら皆さんやっているのではないでしょうか!彼女のブログを見てみると・・・まずトップ画面がかなりファンキー!いつの写真なのかは不明ですが、舞台写真。 それもかなりのハイレグな衣装に素敵な笑顔!これこそ宝塚の面影を感じられる素敵トップ画面です。 そして私が驚いたのは彼女の肉体美!今風に言いますとかなり体がキレてます。 とにかくキレッキレ!彼女のブログ内容をチェックしてみるととてもこまめに投稿されています。 きっとかなりマメな方だということがわかります。 そして内容のほとんどがサッカーかファッションについて!特にサッカーについてのブログが一番多いです。 かなりのサッカー好きということは皆さんもご存知かと思いますがブログに投稿するまでとは・・・そして時々今までの活動の写真もアップされていますが若い時のお写真が今のファンキールミ子姉さんを想像できないくらい可愛らしいアイドルなんです。 これは是非皆さんにもチェックしてほしいです。 小柳ルミ子ブログと検索すると必ず出てくるので一度ご覧あれ。 彼女の若さの秘訣が隠れているに違いない!そしてさらにインスタグラムもされています。 こちらインスタグラムだけに写真がたくさん投稿されています。 美容法やストレッチ筋トレ、彼女の交友関係が派手すぎて驚きのデヴィ夫人の誕生日パーティーにも呼ばれちゃっています。 今時女子ならではの自撮りにも挑戦!いろんなアプリを使用「しての撮影などかなりの手間のかけようです!67歳とは思えないほど若々しく人生を楽しんでいらっしゃるファンキー姉さんのブログとインスタグラムを今すぐチェックしてみてくださいね!.

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小柳ルミ子

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2020年1月の小柳ルミ子は顔が変わった! 小柳ルミ子さん、2020年1月下旬に、髪型をショートカットにしています。 この写真を見たところ、私が知っている小柳ルミ子さんの顔とあまりに違うので、正直いって 「この人、誰?だろう」 と思いました。 Twitterでも、小柳ルミ子さんの顔について話題になっています。 私のイメージしている小柳ルミ子さんは、こういう感じ。 キツネ目の華やかなお顔立ち。 2010年の前にも顔が変わっている可能性はあります。 【2011年】 この頃も、まだ小柳ルミ子さんのイメージどおり。 2012~2016年頃 涼し気な顔になったのはアイメイク?整形? 【2012年】 小柳ルミ子さん、60歳。 全体に涼し気な顔になり、目が大きくなっていますよね。 目だけなら、アイメイクで変わることもあると思うのですが、全体に雰囲気が違うような感じもするので、整形なのでしょうか? 【2013年】 全体のイメージが、 すっきりしていますね。 マダム風の 洋服とメイクのせいなのかどうかは、よくわかりません。 【2014年】 ここ数年はすっきりした感じで定着。 【2015年】 このあたりも、あまり変化は感じないですね。 舞台メイクやバッチリメイクのだけでなく、ナチュラルメイクの画像も載せています。 写真の移り具合かもしれないですが、小柳ルミ子さんっぽくないですね。 【2016年】 小柳ルミ子さんらしい、きれいなお顔立ち。 これで60代前半とは若すぎますね。 2017~2018年頃 加工された画像が増える! 【2017年】 小柳ルミ子さんは、この年の1月からスマホを使い始めて、写真加工アプリで編集しているな、という写真が出てきました。 4月25日の画像。 こちらは今までの小柳ルミ子さんのイメージ。 6月28日の画像。 目が大きくてフェイスラインも細く、別人のようですが、写真の加工だけが原因なのでしょうか? 当時、Twitterでも話題になっていました。 毎回アプリで加工しているのか、それとも整形でしょうか? この画像には若干の小柳ルミ子さんを感じます。 この画像は、小柳ルミ子さんを全く感じないです。 ブログには、こういった 別人のような画像がほとんどになりました。 2018年は大河ドラマ「西郷どん」に出演していましたが、上の写真のようではなかったです。 (由羅様という怖い女性役で、まゆげがないメイクではあったのですが) だから、 2018年頃のブログ画像は、整形でなければ、ほとんどアプリで加工しているでしょう。 2019年 まるで別人のブログを見ているように! 2019年になると、もう 私のイメージする小柳ルミ子さんは、どの画像にも感じられないです。 ブログ開設時の10年前に比べると、若返ったという気もしますが、もはや 別人のブログを見ている感。 この時はまだショートヘアにしていませんが、 明らかに顔が変わっていると思います。 ちなみに、小柳ルミ子さんはコスメフリークだそうで、メイク前とメイク後は全然違いますね。 メイクの腕前は達人レベルだと思います! 2010年と2020年の比較 改めて【2010年】の小柳ルミ子さんの画像。 そして、現在【2020年】2月の小柳ルミ子さん。 こちらもバッチリメイクですが、 2010年と比べると 目元と鼻が全く違う印象です! この画像だけ見て、小柳ルミ子さんとわかる人は少ないのではないでしょうか。 昔からの知り合いとか、一緒にお仕事する方が、現在の小柳ルミ子さんの顔を見て戸惑わないかが心配です。 スポンサードリンク 【結論】小柳ルミ子の顔は加工?それとも整形か? 小柳ルミ子さんのブログにある昔の画像と現在を比較すると、 かなり顔が変わったというのが率直な感想です。 ブログ開設時の 2010年と2020年現在との比較では、目元と鼻が全然違っていますし、 メイクや画像の加工だけでは、これほど変わらないと思います。 2017年には、Twitterでも「顔が変わった」と話題になっていました。 2018年に大河ドラマ「西郷どん」に出演されていたので、前の年にメンテンナンスしたのでしょうか? 2018~2019年頃にはブログ画像のすべてが、全く別人のようなので、 整形の疑惑は残ってしまいますね! 小さな変化としては、2012年頃にも、顔が変わっていると思います。 他に顔が変わった理由として考えられることは、• 小柳ルミ子さんのメイクの腕前が達人レベルなので、別人のように見える• スマホの写真加工アプリを使いこなしている• ブログ開設から10年という月日が経っている という可能性もあると思います。 まとめ 歌手・女優の小柳ルミ子さんは、ブログを10年続けていますが、昔と比較すると、少しずつ顔が変わったような気がします。 ブログ開設時の2010年と2020年現在では、目元と鼻が全然違うので、「別人のブログを見ているみたい」と感じました。 写真加工アプリや、メイクで顔が変わった可能性もありそうですし、整形の疑惑も消せないのではないでしょうか。 小柳ルミ子さんはサービス心旺盛で、いつも人を楽しませてくれる方だと思うので、これからもいろいろな変化を見せてほしいと思います!.

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小柳ルミ子、ミニスカショットを公開「可愛い」「凄く素敵」の声 (2020年5月17日)

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ですがそんな中でもスカイステージや新たなジャンルにも興味を持ち始め自分の時間を有意義に使えた期間だったかなと振り返ってみて実感しています。 そして皆さん私の記事を最近みて思う方も多いかと思いますが、現役の方はもちろんですが、退団されて第二の人生を頑張っていらっしゃる方にも興味を持ち始めまして…最近OGの方の事もご紹介しております。 そして今回私が気になって仕方ないのが、歌手の小柳ルミ子さんです。 皆さんご存知でしたか?実は小柳ルミ子さんは宝塚出身の方なのです。 それも又凄いのがなんと首席で音楽学校を卒業して退団まで2ヶ月というかなり短い期間しか在籍されていないのです。 全てが波乱万丈な人生を送った方なのでは…と思い今回色々と調べて皆さんにもこういった宝ジェンヌもいるんだぞというのを知って頂けたらなと思います。 今回のテーマは 小柳ルミ子実は宝塚出身?サッカー好き? についてご紹介していきたいと思います。 Contents• 来歴 1952年7月2日に福岡県で生まれる。 なんと今年で67歳になる。 本名は芸名である名前を漢字に直した小柳留美子さん。 血液型はA型でルミちゃんやルミルミと言った愛称で呼ばれている。 家族構成は父母との3人家族で、生粋の一人っ子。 両親に箱入り娘の様に育てられた。 実は父は福岡県で小柳運送店という会社を経営していて裕福なお家で育ったそうです。 そんな大好きで優しい父が小柳さんが3歳の頃に結核にかかり他界され、その後母は7歳年下の男性と再婚をしているそうです。 そんな母の小さい頃の夢が歌手になる事だったそうで、夢叶わず自分に娘が生まれたら歌手にするんだという目標があったそうで、自分の夢を娘であるルミ子さんに託しました。 小さい頃からクラシックバレエ・ジャズダンス・タップダンス・歌・三味線・ピアノ・日本舞踊・お習字を習わせ、母の夢を背負い歌手になるためにお習いごとをこなしていたそうです。 ちなみになぜお習字も習っていたのかというと、いつかサインを書く時の為に練習で習わせたそうです。 今考えるとあの時代にこれだけのお習い事を出来ていたという事は、かなり裕福なお育ちなんだと言うことがわかります。 小学校に進学したルミ子さん。 同級生の周りの子からしても、かなり浮いた存在だったそうです。 放課後は友達とは遊ばず習らい事に通う毎日。 幼いながら自分は周りの子とは違う人生を歩むのだと思っていたそうです。 そんな夢を支える母はしつけや礼儀においてもとても厳しく、芸事も勉学も気は抜けず、なんと校内では1位を取るほどの成績でした。 ここまで来るとルミ子さんの母の英才教育は素晴らしいものだと思います。 彼女が小学生5年生の時に父が義理の父だと言うことを知りかなりショックを受けたそうです。 でも今まで愛情を持って育ててくれた父には違いない、その後も仲良く3人家族で毎日を過ごしていました。 小学校卒業後は筑紫女学園中学校に入学します。 こちらの学校なんと私立の女子中学校で偏差値は55。 福岡でも有名なお嬢様学校だそうです。 もちろん中学時代のルミ子さんも成績優秀で卒業されています。 すごく努力家で器用な方でなんでもできる彼女、今まで芸能界で活動できたのも母からの英才教育とルミ子さん自身の努力の賜物なんですね。 宝塚時代 小さい頃から歌手を目指して英才教育を受けてきた小柳ルミ子さん。 芸事が大好きだった母の影響も受け、宝塚音楽学校という芸事を学べる学校が存在する事を知ります。 そして中学卒業後に受験するとなんと1発で合格。 そして入学時の成績がなんと5番というかなり優秀な成績で合格を果たすのです。 同期には元専科の萬あきら ばん あきら 元トップスターの麻美れい あさみ れい 、元娘役トップスターの東千晃 ひがし ちあき などがいる。 毎日朝9時から寮の門限ギリギリの時間まで芸事に励む毎日。 他の同期は宝ジェンヌになって初舞台に立って舞台人を夢見る中、やはり彼女だけは違った。 いつか歌手になる事を目標にしていた。 そんな彼女以前から知り合いで福岡の地元の先輩でもある梓みちよ あずさ みちよ に将来の芸能界について相談する。 すると彼女の口利きで渡辺プロダクションの方と出会い自分は歌手になる事が目標だと伝えたそうです。 すると渡辺プロダクションは「宝塚を首席で卒業したら歌手にしてあげる」と返答したそうです。 小さい頃から目標を立てたら絶対に達成しないと気がすまない彼女。 ましてや歌手にしてあげると言われたら尚更!今まで以上に芸事に励み見事、首席で卒業する事を達成します。 歌手になる事を約束した事務所との話の末、せっかく合格したのだから初舞台だけは踏みなさいという事で、同期と一緒に夏川るみという芸名で初舞台の舞台に立つ。 宝塚に在籍した期間なんと2ヶ月。 他の同期と違い歌手になる事を約束された彼女はたった2ヶ月という短い期間中にもかかわらずいじめにもあったそうです。 衣装の袖を通すファスナーのところに針が刺さっていたりと嫉妬心からなのかいじめを受けたそうです。 華やかな舞台の裏ではやっぱりそういった事もあるんですね…女ってつくづく恐ろしいと思います。 でも彼女にとって宝塚は歌手になる為の通過点での何物でもなかった。 初舞台後すぐに退団し次のステップへ踏み出すのであった。 芸能人生 なんと宝塚始まって異例の首席が歌手デビュー約束され2ヶ月で退団。 きっと先輩達はびっくりした出来事だったに違いない…短期ではあったが宝塚歌劇団を経験した彼女は退団後同年の1970年に歌手デビュー前に顔を知ってもらう為にNHK連続テレビ小説の「虹」で女優デビューを果たす。 翌年の1971年にワーナーブラザーズパイオニアの邦楽部門初の歌手として契約を果たす。 その後は「私の城下町」で念願の歌手デビューを果たし160万枚の大ヒットとして華やかしいデビューを飾った。 そしてなんとこの曲1971年のオリコン年間シングル売上チャートで1位を記録して第13 回日本レコード大賞最優秀新人賞に選ばれました。 その後も翌年1972年に「瀬戸の花嫁」も大ヒットして第3回日本歌謡大賞も受賞する。 当時同年代で活躍していた、天地真理、南沙織と共に三人娘と呼ばれるようになり1970年代前半を代表とするトップアイドルに君臨した。 アイドルというジャンルを辞め、小さい頃から鍛えていた歌唱力をもっと前面に出す為、正統派歌手として1980年代は活動していく。 その後も何度も数々の大ヒット曲を連発!紅白歌合戦では18年連続出場という実績も残している。 歌手だけにとどまらず女優業にも力を入れ、キネマ旬報賞助演女優賞、さらに、第6回日本アカデミー賞最優秀女優賞、翌年に第7回日本アカデミー賞最優秀主演女優賞など次々に高い評価を受け、バラエティ番組では持ち前の明るさと面白さを前面に出してザ・ドリフターズのコント番組でもかなりの存在感を放って、顔も美しいのに着飾らず面白い所学校人気を博した。 芸能界では順風満帆にも活動している様に見えた小柳ルミ子でしたが、所属していた渡辺プロダクションとの間に元々意見の相違や人間関係での不満も募ったのか独立…その後自分で仕事を取って活動して行く彼女でしたが、当日辞めたナベプロに仕事を妨害され干されるといった辛い経験もした彼女。 プライベートでは1989年に自分のディナーショーでバックダンサーであった大須賢也と電撃結婚。 当時平成元年のビックニュースであった!共演をきっかけに交際をスタート。 当時、小柳さん36歳、大澄さん23歳という13歳差。 そんな2人は交際からわずか11日という速さでゴールイン。 小柳さんは当時歌手として女優としても芸能界を君臨する大物。 それに比べて大澄さんは無名のダンサー。 格の違いを見せつけられる。 3億円の結婚式を挙げ、ディープキスを何度もするなど当時のバラエティーの話題に!結婚後は夫婦揃ってテレビに出演するなどかなりのラブラブっぷりをお茶の間に見せつけた。 きっと長くは続かないだろうと世間は心配していた矢先、大澄さんの女遊びや浮気などが発覚し結婚12 年目の2000年に離婚する。 この事に小柳さんは激怒し離婚を受ける条件としてどちらを選択するかを迫ったそうです。 1 慰謝料として1億円を支払う。 2 出会った頃と同じ無名のダンサーに戻る事 この条件を出された大澄さんは慰謝料として1億円を払う事を選びます。 この内容がマスコミに流れ完全に悪者扱いを世間から受けた小柳さんはさらに激怒。 騒動中の最中にシングルリリース。 なんとその歌のタイトルが「いい気になるなよ」なんとも個人的な思いが入りすぎた様な題名。 もちろん小柳さん本人が作詞を担当。 その歌詞がこちら あたしが流した涙も知らず やわな女と住みついて 信じた自分が悲しいね 一緒に夢見た人だもの 不甲斐ない男でも惚れていた なんとも切ない。 きっと涙しながらこの歌詞を考えたんだと言うことが想像できます。 辛すぎる…それだけ好きだったって事なんですね。 きっとその愛に厳しくするために2つの選択権を彼女は出したんだと思います。 その後お互いの道を歩む2人。 その後舞台での仕事をする大澄さん。 小柳さんはなんと2年も芸能界を干されたそうです。 そんなある時大澄さんの出演中の舞台楽屋に小柳さんが現れたらしく、それを気に和解したそうです。 元嫁が楽屋に来るなんて恐ろしすぎますね…その後大澄さんは8歳年下の女優、岡千絵さんと再婚する。 2回目の結婚はかなり慎重にしっかり財布の紐を握られて管理されているそうです。 この事を聞くと彼はしっかりした強い女性が好きなのかもしれませんね。 ブログ 今の時代SNSは生活の一部更にいうと1日の生活の中で、インスタグラムやTwitterをチェックするのは一つの習慣とも言えるのではないでしょうか?そしてもちろんファンキーなルミ子姉さんも、もちろんSNS前回で今時女子を楽しんでいらっしゃいます。 ルミ子さんがやっていらっしゃるSNSまず一つ目がブログです。 彼女が利用しているのはアメーバブログ。 ブログの中でも人気かつ一番簡単に始められるということで芸能人の方なら皆さんやっているのではないでしょうか!彼女のブログを見てみると・・・まずトップ画面がかなりファンキー!いつの写真なのかは不明ですが、舞台写真。 それもかなりのハイレグな衣装に素敵な笑顔!これこそ宝塚の面影を感じられる素敵トップ画面です。 そして私が驚いたのは彼女の肉体美!今風に言いますとかなり体がキレてます。 とにかくキレッキレ!彼女のブログ内容をチェックしてみるととてもこまめに投稿されています。 きっとかなりマメな方だということがわかります。 そして内容のほとんどがサッカーかファッションについて!特にサッカーについてのブログが一番多いです。 かなりのサッカー好きということは皆さんもご存知かと思いますがブログに投稿するまでとは・・・そして時々今までの活動の写真もアップされていますが若い時のお写真が今のファンキールミ子姉さんを想像できないくらい可愛らしいアイドルなんです。 これは是非皆さんにもチェックしてほしいです。 小柳ルミ子ブログと検索すると必ず出てくるので一度ご覧あれ。 彼女の若さの秘訣が隠れているに違いない!そしてさらにインスタグラムもされています。 こちらインスタグラムだけに写真がたくさん投稿されています。 美容法やストレッチ筋トレ、彼女の交友関係が派手すぎて驚きのデヴィ夫人の誕生日パーティーにも呼ばれちゃっています。 今時女子ならではの自撮りにも挑戦!いろんなアプリを使用「しての撮影などかなりの手間のかけようです!67歳とは思えないほど若々しく人生を楽しんでいらっしゃるファンキー姉さんのブログとインスタグラムを今すぐチェックしてみてくださいね!.

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